この天邪鬼爺の記憶が正しければ、MT君の最初のダーウィン観測へ移動は、往復とも一緒だった。記憶が正しくなかったとしても、少なくとも帰路は絶対一緒であった。というのは、日本への乗り継ぎのシンガポールで、タイガービールを飲みながらとりとめもない話で時間を潰したことを覚えているから。深夜便だから街中に出る時間もあった筈なのに、私達はその数時間待合ラウンジにいたのである。
MT君はその後研究者の道を歩み始めてくれる雰囲気もあったので、修士二年になって博士課程進学を勧めた。彼自身の中では、進学か就職かで揺れ動いていたようながら、その頃から私達の研究がNASAやJAXAとの関りもできてきており、そんなこともあって進学に傾き始めた矢先、リクルーターを兼ねて卒業生K君が研究室を訪ねてきた。K君は自動車メーカーに勤めており、車好きのMT君に就職をと迫っていた。今日でも同様ながら、あの頃四半世紀近くも昔には、
「博士号をとると、就職に困る!」
という風聞があった。天邪鬼爺にしてみれば、こんな風聞は都市伝説みたいなもので、指導教官が腰を低くし、頭を低くしてお願いすれば、どの企業でもとは言わないまでも、大概の会社が採用してくれるとの信念に近い自信がある。
だから執拗に勧誘するK 君をよんで
「わいはな、学問を次の世代につないでいきたいよって、博士課程進学を勧めてんでね。それを邪魔するんやったら、今後は研究室への出入りを禁止するでぇ!」
と、やくざっぽくどやしつけた。その脅しが効いたのか、MT君は進学を決め四半世紀の今日に至っているのである。(この稿続く)

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