APL初日の昨日、開会式に引き続いて、日本のこの分野の第一人者Yさんのご逝去が報告された。私が「フランケン」と呼んでいた御仁で、私より2歳年上とはいえ、ほとんど同世代人だけに、大いにショックである。
実はこのYさんとの出会いは、私が空電研究所で将来の研究方向を模索していた折、空電研究所を訪ねてこられたのが最初である。
その折り
「福井県の三国火力の煙突に、本当によく落雷します!」
と、故人となられた竹内先生や先輩のNMさんに話された。だからその年1981年の冬季は、観測バスを九頭竜川河口のらっきょう畑の一隅に止め、火力発電所の煙突への落雷を光学観測したのである。これが私の雷観測に関わった最初で、その後ノルウェーでの観測や、国内のロケット誘雷実験へと参加機会が増え、雷放電の観測的研究が、本職となっていったのであったろうか。
同じころ、後に私が席を得た大阪大学工学部の電力工学講座から、これまた数年前に個人となられたYKさんが空電研究所を訪ねて来られ、それがきっかけになった竹内先生の関西電力との共同研究が始まった。こちらは夏季の雷活動が対象で、滋賀県の南郷で、同じく観測バスを止めてのレーダー観測、その頃には私自身観測の戦力の一人になっていたろうと信じている。そして一緒に観測に参加した仲間は、当時の学生さんとあれこれ教えて頂いたNMさん以外は、ほとんど鬼籍に入られてしまっている。
私自身、爺になったという事である。

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