母の祥月命日が近づいてきた。
1961年8月31日である。早いもので63年も昔の事。
先日話題に上げた第二室戸台風の襲来と同じ年である。
天邪鬼爺のこの私は、まだ12歳だった。
母の死亡が知らされ日の夕方から、私は40度近い高熱を出した。
かかりつけの医師が解熱剤を注射してくれたのだが、数時間後にはまた高熱となった。
あの頃日本脳炎が流行しており、
「もしかしたら日本脳炎にかかったかなぁ?」
なんぞと、熱にうなされながら考えたりもしていた。
一週間近くもその高熱が続き、母の叔母や叔父は
「このままではあかん、K病院の院長に来てもらおう!」
といい、大先生に往診してもらった。大先生は
「お母さん亡くなったショックで、気持ちの問題やろうなぁ。少々熱あっても大丈夫や。どこも悪いようにはみえんで。」
と豪快な診断であった。
その言葉が効いたのだろう、その夕方から平熱に戻った。

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