ひろっちゃんへ
「お元気ですか?」と尋ねるにはあまりにも長く会うてないんで、適当な問いかけでは無いような気もします。が、ともかく「お元気ですか?」
最後にひろっちゃんに会ったんは、多分1980年台前半、わいが名古屋大学に就職していて愛知県の岡崎に住んどった頃やと思います。せやからもう40年はご無沙汰してるわけです。なんかの用事で貝塚に帰って来て、確かひろっちゃんの家の台所ちゅうか居間ちゅうか、裏の勝手口からわいが顔出して、二言三言話した筈やで。正確にはおばちゃんとわいが話してて、その与太話にひろっちゃんが口挿みやったあの時以来、会ってないとおもいます。ほんまに懐かしいです。
ひろっちゃんはわいのおかんの従弟やけど、わいとは一歳違いで家も近所やったさかい、中学生ごろまでは兄弟みたいに育ちました。わいはともかく運動音痴で、ひろっちゃんはスポーツ万能、キャッチボールをようやらされました。運動音痴のわいでも、ボール投げたり受けたりはまぁ人並みにできたもんです。相撲やレスリングごっこは、ワイの方が体が大きかったんで、結構ええ勝負やったんちゃうかなあ、というのも思い出です。
それにしても「音信不通」ちゅうのはつらいです。ひょっとしたら亡くなってるかもちゅう人もいますが、きっと元気にしてはると信じてまっせ。
実は半月ほど前、ひろっちゃんの姉上・かぁちゃんが、わいが一時帰国して貝塚におるちゅうんで、広島からあいにきてくれました。かぁちゃんとは50年以上もあってなかったんで、半世紀ぶりの「ご対面」でした。
(この稿続く)

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