2024年10月31日

昭和47年4月通信工学科第一講座

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神無月晦日
半世紀以上も昔の、大阪大学工学部の研究室の事を思い出したついでに、あの頃のことを整理して書き綴っている。
私とゲーヤンは、オジンというあだ名のY君、東京出身のKa君、ちゃきちゃきの大阪人のKu君、富士通に就職して行ったT君、それに陸上で投擲をやっていたヨッサンの五人らと、通信工学科の第一講座への研究室配属を希望した。研究室配属の可否は、当事者としては自身の一生を左右するほどの重大事と冷や冷やもんだったが、ふたを開けてみると意外とすんなり希望通りに収まった。早い話我々の希望した第一講座は、思いのほか人気が低かったのだろう。少なくとも私は、二三年次に「電磁理論」の講義を担当して下さった故熊谷先生に憧れたのに加え、「相対論的電磁気学」という卒業研究の内容にひかれた故の研究室希望であった。ちなみに私、オジンにKa君がこの「相対論的電磁気学」を希望、ゲーヤンやKu君は当時実用化されつつあった光ファイバーの信号伝送に関わる研究、T君は静磁波、ヨッサンは電磁波解析法だったと記憶している。
我々の所属することになった第一講座には、博士課程の先輩が多く卒業研究の直接の指導はこの先輩達であったがほとんどであった。ちなみに教官が卒研性の指導を直接担当したのは、ヨッサン(M助手)とT君(T助手)の二人だけだったのではなかったろうか
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posted by zen at 11:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白
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