2025年10月28日

大学院博士課程

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先月の一時帰国の折、日経新聞に目を通していて、思わず手を止めた記事があった。
日本の博士課程のあり方を論じた内容である。
私は現役教授時代、長く研究室運営に関わってきただけに、他人事ではない。
しばらく記事を手元に置いて考えていたが、今日から数回にわたって、この問題を取り上げてみたいと思う。
記事の趣旨はこうだった。
「博士の学位を得ても就職が思うようにいかない。そのため国内の進学希望者は減少傾向にある。一方で大学にとって博士課程学生は研究を進めるうえで不可欠な人材であり、近年ではその半数以上が外国人である。しかも博士課程学生には総額一千万円近い支援が与えられるため、結果的に外国人学生に高額な支援を行っていることになる。」
なるほど、数字の上では筋が通っている。
だが、私は読んでいていくつもの“ひっかかり”を覚えた。
まず「研究を進めるうえで必要な人材」という表現である。
確かに博士課程の学生は、研究室を動かすうえで欠かせないピースではある。
しかし同時に、彼らは「教育される側」でもある。
だから私はあえて問いたい。
「大学の先生方、この点を忘れてはいませんか?」
博士課程に進んだ学生たちは、まだ“完成品”ではない。
時に教員をたじろがせるほどの理解力や議論力を見せることはあるが、それでも成長途上にある。
にもかかわらず、教員が彼らを“便利な労働力”として扱ってはいないだろうか。
「学位を授けてやるのだから、滅私奉公せよ」
そんな無意識の前提が、どこかに巣食ってはいないか。
博士課程は、単なる労働力の供給源ではない。
むしろ、研究者としての人格が形づくられる“揺りかご”である。
その本質を取り違えたままでは、どれだけ制度を改良しても本当の再生にはつながらない。
――次回、「教育と労働の境界線」についてもう少し踏み込んでみたい。
(この稿つづく)

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posted by zen at 00:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の主張
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