2025年10月29日

大学院博士課程 2

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「博士課程学生」を、いわば「便利な知的労働力」として使っている−−私はそんな場面を少なからず目の当たりにしてきた。実験系なら数日間に及ぶ徹夜観測、理論系ならプログラム開発にかかりきりの学生たち。そうした努力の末、彼らの多くは実験結果や数値解析をまとめ、学術論文を三篇仕上げて、めでたく博士号を得ることになる。査読付き論文三篇というのは、確かに世界標準に近い基準ではある。だがそれはあくまでも必要条件に過ぎない。
一般の方から見れば「三年で三篇で博士様?」という疑問もわくかもしれないが、むしろ肝心なのは、その三年間のあいだに「University(総合大学)」の名に恥じないだけの知識と教養を身につけることにある。これこそ博士課程教育の本質であろう。
もっとも、教授ともなれば研究室運営に加え、大学や学会の運営、競争的資金の獲得など、多忙を極めるのも事実である。だから「博士課程の学生は、自分で育ってもらわねば……」という言い訳がましい理屈がまかり通ることもある。
しかし、もしそう言うのなら、学生が自ら育つための時間を奪うような指導法は断固として避けるべきだ。
一方の博士課程学生もまた、修了までに「博士」の称号に恥じない見識と品格を備える努力を怠ってはならない。実験さえ終わればよい、計算結果さえ出ればよい−−そうした安直な姿勢を慎み、自立した研究者としての矜持を育むこと。
それこそが博士課程教育の根幹であり、教員と学生の双方に課せられた責務だと、私は考えている。逆にこういう理想と程遠い現状であるから、多くの企業が「博士」の雇用を好まないし、大学のポストも「博士」には得難いのだろう。加えて国も極めて安直に「ポスドク」とかいう制度を認めて、「知的労働者?(本当に知的かどうかはともかく)」の確保を担保しているのである。
(この稿続く)
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posted by zen at 00:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常生活
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