思い出話を続けている。
1969年の秋も深まってから始まった教養部の講義、石橋の教養部の建屋は依然として闘争派学生に占拠されていたこともあって、京橋にあった旧工学部の学舎で始まった。工学部全体は1968年頃から、吹田の新キャンパスに移転を開始していたので、学舎はもぬけの殻状態で、それでも講義には十分利用できる状態であった。とはいえ開始当時、講義は一日おきの変則日程であった。私も高校以来の友人ゲーヤンも通信工学科に入学していた。通信工学科に加え、電気工学科、電子工学科を併せて工学部では「電気系」とよんでおり、学生数は三学科で120名で、それを60名ずつ2クラス構成にしての授業であった。こんな風に私達学生は京橋の旧工学部(正確には旧工学部跡というべきだろうが)に通いだしたけれど一日おきの講義故、多くは時間を持て余し気味で、当然のことの様に、我々は気のあった者と連れ立った雀荘に通うようになった。私自身麻雀は全く知らなかったのに、同じクラスのゲーヤン、ノブヒロ君、そしてアッちゃんが、「適当に並べていたらその内ルールもわかるから!」
と強引に、私を連れて行ったのが最初だったろうか。やがて年の瀬となり、変則日程の教養部講義も冬休みとなった。ただ同じ年の瀬、新年でも、一年前の受験生当時とは全く違った気分で過ごしたように記憶している。一月三日の二人きりのすき焼きは、1970年も同じであった。
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