ここ数日の主題ちゅうたら、
「なんで日本が右肩下がりで、元気のない国になってしもうたんか」
ちゅう話やった。
今日はその締めくくりとして、最後にわいなりの理解を披露して、幕引きにしたいんや。
明治維新以降、日本は二度も“世界の奇跡”と呼ばれる飛躍を成し遂げた国や。
それがなんで、1990年代のバブル崩壊以降、
失われた10年、20年、そしてとうとう30年を迎えることになってしもうたんか。
江戸時代、日本は鎖国していて、近世ヨーロッパの知見は、
オランダを通じて、わずかに入ってくるだけやった。
その代わりに、日本はその長い時間を使って、
日本固有の文化や価値観をじっくり熟成させたんやと思う。
当時は「日本」ちゅう国民国家の意識よりも、
六十四州と呼ばれた「国々」それぞれの矜持の方が強かったんやないやろか。
それぞれの国が誇りを持ち、競い合う。
その土壌があったからこそ、
明治維新から四十年ほどで、
さらに第二次大戦後三十五年ほどで、
世界が驚くような成果を二度も挙げることができたんやろ。
司馬遼太郎さんの言葉を借りるなら、
「こんなちっぽけな国が」
それほどのことを、二度もやってのけたわけや。
ところが、太平洋を隔てたアメリカ合衆国から見たら、
日本いう国は、ほんまにかなわん存在やったんやと思う。
いや、日本だけやのうて、極東のいくつかの国々も含めて、や。
せやからやろか。
日本を含む極東アジアに対して、
快楽主義や消費文明を、あの手この手で植え付けた。
オリンピック、エンターテイメント、ファーストフード……。
その結果、
「額に汗して働く」ことよりも、
毎日を面白おかしう生きて、
手っ取り早く金を稼ぐことを良しとする風潮が、
日本にも広がってしもうたんやないやろか。
検査データの捏造なんかは、その象徴の一つやろ。
こんな状態になってしもうたら、
「知を創造する」いう営みが、
遠のいていくのも無理はないやろ。
その積み重ねが、
「失われた〇〇年」
ちゅう言葉で総括される現実を生んだ。
少なくとも、わいはそう理解してるんやで。
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