着任は4月1日、快晴の日であった。
着任の日、私の所属する第五部門のスタッフと、顔合わせをして私を入れて総勢6名であると知った。教授の仲井先生、助教授の竹内先生、助手の仲野さん、それに技官の長谷さん中田さんである。大阪大学工学部に在籍当時、研究室の技官の方々が定員削減されるので、学生なりに気になっていたのだが、空電研究所では技官の方々の総数が、信じられないほど多く感心したのを、いまだに覚えている。
私の働くことになる第五部門は、仲井教授と私が人工電磁雑音の研究、竹内助教授と仲野さんが雷放電の研究であると紹介され、二人の技官の方々は適宜両方の研究の測定器の製作や整備で研究を手伝っているとの事であった。
着任して一週間程して、仲井教授から、ミドルトン氏という人工電磁雑音の研究者の、教科書を輪講することが告げられ、学生の星野君を含めての輪講が開催されるようになった。
そして着任後二か月ほどして、仲井教授から
「観測バスの運転に、大型免許を取ってくれないか?」
と、指示を受けた。まぁ上司の依頼だけに、止むを得ないと自動車教習所に通った。ただこのことが、私の人工電磁雑音に対する興味を薄れさせるきっかけとなった。自動車の普通免許を持っていたので、夏の声を聞くころには大型免許を取得でき、マイクロバスを運転して高速道路脇や東海道新幹線線路脇に出向いた。観測の目的は、インパルス性の電磁雑音の統計的性質を観測的に明らかにするところにあり、確率振幅分布や時間間隔分布を、当時ようやく実用的に利用可能となり始めていたマイクロプロセッサー(Z80)を駆使しての観測であった。装置そのものは、技官の二人が設計・製作にあたってくださっていて、その後観測装置をパソコンで制御してという風に進化させてくれた。早い話アナログ技術からディジタル技術への過渡期であったという事になろう。一方雷放電の研究グループの二人は、依然としてアナログ観測にこだわっていた。ただ自然相手の研究だけに、私の興味は次第に「大気電気学」に傾いていったのは言うまでもない。それを決定的にしたのが、先輩の仲野さんが、1980年4月から一年間ニューメキシコ工科大学に留学されたことで、
「この研究所に居て、自然科学の研究に関わっていたら、私にもその機会がある!」
といった希望が、現実のものになりうるという事であったろうか?
(この稿続く)
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