イランの政治指導者ハメネイ師が、イスラエルの攻撃によって執務中に命を落としたという。「亡くなった」やのうて、どう考えても「殺害された」と書くのが正確やろ。まずそこから言葉を取り繕う報道の腰の引け方に、天邪鬼爺はうんざりしてしまう。
イスラエルの理屈は、「イランが核兵器を持つ可能性があるから先制攻撃した」というものらしい。
けどや、自分とこは事実上の核保有国として振る舞いながら、「お前は持ったらあかん」は、子供の喧嘩でも通らん理屈やろ。これを国際政治の“現実”やと言うてしまう連中の思考停止こそ、わてには一番危なっかしく見える。
しかも単独犯やのうて、どう見てもアメリカ合衆国との共同作業やろなぁ、というのが実態やろ。
世界の警察を気取りながら、気に入らん相手には先制攻撃も辞さへん。ほなその論理を他国が真似したらどうなるか――そこまで考えて物を言うてるんかいな、と言いたなる。
誤解されたらかなわんから書いとくけど、わてはイランが核保有国になったらええとは、これっぽっちも思うてへん。
被団協の皆さんが訴え続けてこられた「核兵器のない世界」、それ以外に人類が生き延びる道はないやろ、というのが偽らざる気持ちや。
「理想論では世界は動かん」――
この台詞、いかにも現実を知ってる風の大人がよう使う。けどな、理想を放棄してきた結果が今のこの世界やないんか。核は減るどころか、使うかもしれん現実味ばっかり増してきとるやないか。
へっぽこでも自然科学の端くれとして長年飯食うてきた身からすると、理想を掲げて「それはおかしい」と言い続ける以外に、どんな“科学的態度”があるんやろと思う。
力の論理を追認するだけやったら、それは学者やのうて御用聞きや。
もしどこぞの国が、同じ理屈でホワイトハウスを攻撃したらどうなる。
その瞬間に「テロや!蛮行や!」と叫んで全面戦争になるのは目に見えとる。
自分がやるのは抑止力、相手がやるのは脅威――この二枚舌が通用するほど、世界はもう単純やない。
第三次世界大戦いう言葉、昔は絵空事みたいに聞こえた。
けど今は、その入口の前でウロウロしとるようにしか見えへんのや。
杞憂であってほしい?
そらそうや。
けどな、「杞憂や杞憂や」と言うてるうちに現実になってきたのが、この数十年の国際政治と違うんか、と天邪鬼爺は思うてしまうんや。
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