わいが北陸から大阪に帰っていよいよ1973年が本格的に始まった。卒業研究は,まぁそれなりに進んでる,と自分自身では思うとった。帰った次の日6日は土曜日や。ただあの頃の土曜日は休み中感覚やなかった。土曜日夕方は,家庭教師のアルバイトがあるし,ともかく新年初登校や。家庭教師は,北助松の高校生S君で,今まで何回も言うてるやろ。S君はこの年大学受験やから,週一回の日程を狂わせるわけにはいかへん。ただ研究室は,あんまり人がいなかった。あの頃は正月三が日終わってから四五日間のスキー旅行は,研究室の行事になってた。それでも,直接指導してくれてる,博士課程のTさんや,わいと気がよう会うたSさんは,きちんと研究室に出て来やった。まぁSさんは,五月に結婚控えてるんやから,研究室のスキー旅行どころやなかったかも知れへん。なんちゅうても学生結婚や。もう一人,今大阪近郊の私大で教鞭とってはるYさん,この人は博士課程3年生や,もいてはった。結局四年生はわいだけやったと記憶しとる。あんまり仲間の居てへんのんは織り込み済みやったけど,初登校思うて出かけたんで,本音で拍子抜けや。
「1973年も,あんまり変わり映えせぇへんのか?」
ちゅう様な気ぃにもなって,午後の三時頃にはもう北助松に向かったかな。あの頃のわいは,貝塚の駅下がりにある小さな本屋にほんまによう立ち寄った。水間電車ひとつ乗りはずす気ぃやったら,三十分ほどいろいろ本を選べるんや。本屋いうても,専門の本を売ってるんとちゃう。ほんまに小説や雑誌だけや。この日も家庭教師終わってやっぱり立ち寄った。お目当ては五木寛之や。なんせ青春の門の単行本,自立編以後は全部初版本や。そんなことは本題とちゃうねん。立ち寄って帰ろうとしたら,本屋のおかみさんが手招きしやった。ほんでえらい衝撃的(かな?)なことを言いやった。
「河崎君は,お父さんのこと知ってるの?」
と切り出しやったんや。わいが母子家庭やったことをこれまでも言うて来てるやろ。当然父親のことは知ってた。どこの誰かちゅうのん,誰に教えてもろうた訳ではないけどちゃんと知ってた。不思議なもんやなぁ。
「ええ,知ってますよ!」
って答えたら,
「そのお父さんが,一度会いたいっておっしゃってるの。どうする??」
と,まぁこんなん青天の霹靂や。代わり映えのせん年や思うてたんが,急転激動の1973年の幕あきやった!
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