⇒⇒⇒⇒読後に投票願います!令和八年の正月三が日を、シンガポールで静かに過ごしている。
といっても昨日は日本風にいうなら、初出勤であった。中華系の住民が7割強のこの国では、依然として旧正月を祝う風習が強く、一月も二日から普段通りの生活である。それでも日本人として、この爺はしみじみ昔の正月三が日を思い出している。そして今日の内容は、以前にもこのブログで紹介したことがあった筈だが、私が中学生時分の、一月三日の思い出である。
正月三が日の最後の日は、何やらうら寂しさを感じる。そのうえ、私がおばあさんと呼んでいた祖母の妹と私は、三日の夜は二人きりになることが多かった。おばあさんの息子夫婦と孫は、お嫁さんの実家で、三が日の最後を過ごすからである。私の田舎には、あの頃まだ藪入りの風習が残っていて、勤め人であった息子の都合もあって、小正月の藪入り代わりに、実家を訪ねて一泊するというのが習慣化していた。
一月三日といえば、お節料理にもそろそろ飽いて来た頃であったからでもあろう、おばぁさんは
「善一郎は牛肉好きやから、こんばんはすき焼きにしよう。」と言い、二人で鍋を囲むのであった。牛肉の量は、当時の言い方で100匁(ほぼ400グラム)。これを二人でつつくのだが、おばあさんは野菜、豆腐、こんにゃくだけを食べているのが、子供の目にもよくわかった。私の母が私が12歳の夏に他界し、みなしごになった私はおばぁさんに引きとられ、おばぁさんの家庭で育ててもらっていた。そんな私に普通はことのほか厳しかったおばぁさんだが、この日ばかりは人が変わったようにやさしかった。中学生ながら、私にはその意味が子供なりに、理解できていたと記憶している。

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