2025年11月12日

ブラジルで竜巻 2

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「ブラジルで竜巻!」の報を聞いて、その話題をもう一日続ける気になったのには理由がある。私が天職としている雷放電は勿論ながら竜巻も「積乱雲」がその原因で、もう20年程も昔に
「『降雹、豪雨、落雷、突風、竜巻』の五現象のいくつかをあるいは全てを伴う。」
と、電気学会誌の解説論文を執筆したことがある。これは気象関係者にはほぼ常識かも知れないが、私のもう一つの活動の場である、電気・通信・電子工学の関連者にとって、落雷被害以外は直接かかわりのない事ゆえ、是非とも認識してもらいたいと考えたからである。かみ砕いて言うなら、「積乱雲」は大気の不安定がきっかけとなって上昇気流が発生、その速度がある程度以上になると大気の断熱膨張となり大気温が下がる。その結果大気に含まれる水分が氷結、成長して雹・あられ二へと成長、そしてその雹・あられが電荷分離に貢献、雷雲となる。やがて雹・あられが落下を開始し、落下中に溶けることになり周囲の大気の温度を下げることになる。気温の下がった大気は下降流となる。一方「積乱雲」成長の過程でねじれがあると、その甚だしい場合には竜巻となるといった具合なのである。ただ残念ながら、警鐘を鳴らしたつもりでいたのだけれど、あまり認知度が上がっていないのが正直な現状である。あの当時「雷嵐(らいらん)」という造語まで作ったけれど、気象の専門家の方々には不評で、彼らは「極端気象」という造語でいまでは席巻している。
ひがんだ話はさておき、今日社会現象化している「線状降水帯」も、雷放電(大気電気学)の専門家としては、水分量の観測的理解は勿論肝要と認めたうえで、雷放電活動もパラメータの一つに加えてもらいたいというのが本音なのだが、残念ながら道程はまだまだはるか先といったのが私の理解である。
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2025年10月23日

雷放電について

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夏の風物詩である雷は、古来より畏怖と信仰の対象でもあった。「風神雷神」の名画に象徴されるように、その姿は人々の心に強く刻まれてきた。江戸時代に描かれた尾形光琳や俵屋宗達の傑作を、実際にご覧になった方も少なくないだろう。
雷が自然科学の研究対象となったのは、18世紀半ば、欧米で盛んに行われた実験の時代である。中でも有名なのが、ベンジャミン・フランクリンによる「雷雲下での凧揚げ実験」である。彼はこの実験を通じて、
「雷放電は雲の中における電気的な現象である」
ことを初めて実証した。さらに、雷の危険を防ぐ手段として避雷針を考案し、その実用性を世に広めたことで、今日に至るまでその名が記憶されている。
余談ながら、我が国にも19世紀初頭にフランクリンと同様の実験を行った学者がいたことをご存じだろうか。中環(なか・たまき)という人物である。鎖国の只中にあって、わずか半世紀の遅れでこのような実験が行われたことは驚嘆に値する。当時唯一の交易国であったオランダを通じて、蘭学の知識として伝わったと考えられる。
さて、雷放電が再び科学の焦点となるのは、1930年代のことである。技術の進歩により光学観測が可能となり、アメリカや南アフリカの科学者たちは「ボイズカメラ」を用いて雷の進展速度を測定するようになった。
さらに1970年代には、雷放電が放射するラジオ周波数の電磁波を利用した研究が始まり、いわゆる「落雷位置標定装置」が実用化された。この装置は、雷撃位置をほぼリアルタイムで地図上に表示できるもので、アメリカで実用化された後、日本でも電力会社を中心に導入され、今日では全国ネットワークが構築されている。
雷放電とひとことで言っても、その実態は「対地放電(落雷)」「雲放電」の二種類に大別される。前者は雲内の電荷が大地に向かって放電する現象であり、後者は雲内で完結する放電である。いずれも光と音を伴うが、先述の光学観測や標定装置が対象とするのは主として対地放電である。
科学者の探究心はそこにとどまらず、
「では、雲の中では何が起きているのか?」
という新たな問いを生んだ。
この疑問に答えるべく、関連の研究者たちはテレビ周波数帯(VHF/UHF)の電磁波に注目した。1980年代後半以降、日米欧で進められたこの研究では、雷放電の進展先端から放射される電磁波を観測することにより、「雷の走る様子(放電路)」を可視化できるようになった。特に、光学的には見通せない雷雲内部の様相までも鮮明に描き出すことが可能となった点が画期的である。
中でも「VHF波帯広帯域干渉計」と呼ばれる装置は、大阪大学において発案されたものであり、現在では世界各国の研究者が利用してくれている。
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2025年10月14日

私の雷観測の原点 4

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1986年から大阪大学に移る1989年までの約3年間、私は野外観測の実施に備えて訓練を重ねる一方で、観測装置のディジタル化を進めていた。さらに国際会議への積極的な参加を通じて、国際的な認知度の向上にも努めた。
たとえば1987年には、ドイツ・ブラウンシュバイクで開催されたISH、イスラエル・テルアビブでのURSI総会に出席し、翌1988年にはスウェーデン・ウプサラでのICAEに参加している。
テルアビブでは、その後いろいろな意味で私に多くを教えてくれることになる米国NSSLのブラッド氏と、またウプサラではカナダ・マクマスター大学のチャン教授と親交を結ぶことができた。これらの出会いが、私の大気電気学研究者としての方向性を決定づけたといってよい。
テルアビブの会場では、身の丈2メートルはあろうかという大柄なブラッド氏から、いきなり
「I am sure you are Dr. Kawasaki!」
と声を掛けられた。驚く私に対して、彼は続けて
「1985年のパリICOLSEの晩餐会で、同じテーブルだったじゃないか。」
と笑顔で語りかけた。私はすっかり忘れていたことに気づき、大いに恐縮したものである。
余談ながら、ブラウンシュバイクではガウスの銅像を目にし、深い感銘を受けた。
さらに1988年には、中国科学院によるロケット誘雷実験に参加した。成果そのものは得られなかったものの、このとき、後に私の初の博士号取得学生となるダオホン君と出会うことになる。彼は私が指導した工学博士第一号である。
ともかくこの三年間の間に、電界変化波形測定の広帯域化とデジタル化を成し遂げ、私は大阪大学工学部電気工学科に籍を得たのである。
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2025年10月13日

私の雷観測の原点 3

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1986年は、名古屋大学・空電研究所の「大気電気研究グループ」にとって、まさにディジタル化元年ともいえる節目の年であった。
一方、そのわずか三年後には、空電研究所が太陽地球環境研究所へと改組されることになった。その結果、助教授のトシオ先生は私立大学の教授に、ミノルさんは名古屋大学工学部電気工学科を経て豊田高専の教授に、そして私は大阪大学工学部の講師として転出することとなった。研究体制が整い始めた矢先の出来事だけに、何とも皮肉な結末であった。
ちなみに、私が「干渉計」について本格的に学ぶきっかけとなった「太陽電波グループ」は、野辺山の国立天文台にそのまま移転した。しかもポスト付きでの移転である。早い話、研究所の改組とは椅子取りゲームのようなものであり、我々「大気電気研究グループ」はその椅子を奪われた、というのが正直なところであった。
それにしても、後になって最も不愉快だったのは、私が大阪大学に移った直後。
「空電研究所には、大気電気研究、つまり雷放電の研究は不要です」
と、我々三人を追い出した張本人である某国立大学の教授から、こう声をかけられたことである。
「河崎さん、雷放電の観測を山形県酒田市で行うのですが、ご一緒にいかがですか?」
私は何食わぬ顔でその誘いを受け、参加した。
この皮肉な再会の顛末については、また別の機会に詳しく触れたいと思う。

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2025年10月12日

私の雷観測の原点 2

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それまでの雷観測といえば、データレコーダーを用いて、雷放電に伴って放射される電磁界を記録するのが主たる手段であった。帰還雷撃の速度を光学的に測ろうという試みも、フォトダイオードの出力をデータレコーダーに記録する方法が一般的だった。
その頃、デジタルオシロスコープが実用化され、空電研究所でも導入が始まっていた。光学観測の記録をオシロスコープでディジタル化し、ノブユキ君や私が解析を行ったのが、ディジタル処理への第一歩であった。
さらに数十キロ以上も離れた二地点で電磁界観測を行うには、記録のディジタル化なしには現実的に不可能であり、その希望を研究室の技官であったマサヒロさんとヒロシさんが実現してくれた。こうして伊根町と美浜町の二地点観測に踏み切ることができたのである。
1986年当時の狙いは、美浜町周辺での落雷による電磁界を伊根町で観測すれば、海上を伝搬してくるため、波形の立ち上がりが鈍ることはないだろう――そう考えたからであった。
前年、私はスウェーデンに一年間留学しており、そこで知り合ったスリランカ出身のバーノンさんが、長距離地上伝搬によって落雷電磁界の立ち上がりが緩やかになるという理論計算を行っていた。その検証の意味もあって、実際の観測で確かめたいと考えたのである。
結果として波形の立ち上がり検証には至らなかったが、冬季の落雷が放射する電磁界成分の特徴を明らかにするという思わぬ成果が得られた。そしてこの成果が、我々のグループが観測装置のディジタル化に本格的に傾倒していく契機となったのである。
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2025年10月11日

私の雷観測の原点 1

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丹後半島の小さな漁港・伊根町蒲入(京都府与謝郡)から南へ数キロ、宮津側に戻ったあたりに本庄地区がある。かつて、そう40年も昔、お世話になった,蒲入分校の本校にあたる、伊根町立本庄小学校のある地区だ。
(今でもあの分校は残っているのだろうか、とふと気になるなぁ。)
その小学校の隣には、浦嶋神社という神社がある。
名前からも想像できるように、あの浦島太郎伝説にゆかりのある神社で、本庄浜の近くでは「太郎が亀を助けた浜」として伝承が残っている。
浦島伝説は日本各地に伝わるが、この地もその一つらしい。
当時、私はこの浦嶋神社で亀の木彫りを買ったことを覚えている。
一方、北へ数キロ進めば丹後半島の先端、経ヶ岬(きょうがみさき)の灯台がある。
1980年代にリメークされた映画『喜びも悲しみも幾年月』の舞台として知られる灯台で、撮影は私が観測を始める前年に行われたという。
この地で私は1986年、87年の二年間、雷観測を行った。
この観測こそが、後に多地点観測へと発展していく私の研究の原点である。
空電研究所の主たる観測地・福井県三方郡美浜町からは車で4〜5時間もかかる遠隔地で、当時はまだGPSが実用化される前。
時間同期の取れた多地点観測は、決して容易ではなかった。
宮津から丹後半島を北上して蒲入に至るまで、私の運転では優に二時間を要したが、地元の人は「一時間で行ける」と言う。
結局、最後までそのスピードでは走れなかった。
それから数年後、電力会社の支援でSAFIRを稼働させた際、この地域にある太鼓山の頂上に20メートルほどのポールを立て、VHFアンテナを設置した。
その経験が大いに役立ったことを思えば、あの頃の苦労も無駄ではなかったのだろう。
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2025年10月02日

なぜ広帯域干渉計? 12

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我田引水ながら、これまで何回かに分けて「なぜ広帯域干渉計なのか」という話題を取り上げてきた。
果たして十分に言い尽くせたかどうか、自信があるわけではない。
とはいえ、我々大阪大学グループが開発してきたディジタル干渉計については、胸を張って誇れるものだと今も思っている。
というのも、かつてLMAと呼ばれるVHF波帯の時間差法式による雷活動監視システムの関係者から、
「それは干渉計ではない。理想化された時間差法にすぎない!」
と酷評されたことがあった。
あるいは、アナログ型の干渉法に基づくVHF監視装置を使う研究者からも、同様の批判を受けたことがある。
しかし、私たちの装置は、雷放電活動の諸現象をほぼすべて画像化できる点で、決して見劣りするものではない。
むしろ「研究用としては世界のどの装置にも引けを取らない」と断言できる。
実際、マイケル君はもともとLMA側の博士課程学生だったが、マナブ君とともに広帯域干渉計の実験を重ねるうち、すっかりその魅力に取りつかれ、最終的には「心変わり」してしまったほどである。
つまるところ、「なぜ広帯域干渉計か?」という問いへの答えは、私が名古屋大学・空電研究所で助手だった頃のある教えに行き着く。
「自分の見たいと思う現象に、最も適した技法を考え、世の中にない自分だけの装置を作ることだよ。」
この半世紀近く前の言葉に、私はただ正直に向き合ってきただけのことだ。
最近では、ニューメキシコのグループが “New Mexico Broadband VHF Interferometer” なる名前で論文を発表している。
マナブ君はその話題を耳にするたび、少し不快そうな表情を見せる。
だが私は彼にこう言っている。
「真似されたということは、彼らが負けを認めたということや。誇ってええ。
でもな、ここで満足して止まったらあかん。もっとええもんに仕上げていこう。」

――そう、挑戦はまだ続いているのである。
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2025年09月30日

なぜ広帯域干渉計? 11

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1997年、中国高原地帯で広帯域干渉計の観測を実施した年のことである。
実はその一年程前に、東京にあるディジタル機器開発会社に「3チャネルもしくは4チャネルで、サンプリング周波数200MHzのA/D変換機」の製作を依頼していた。ところが出発直前になって、「今年の夏には間に合いません!」との詫びの連絡が入ったのである。
そんな事態も想定していた私は、代替機として、それまで使用していた4チャネルのデジタルオシロスコープを記録系として使うことにした。ただ当時――おそらく今でもそうだろうが――この種の電子機器を中国へ輸出するには、通商産業省の「輸出許可」を取得する必要があった。観測出発を目前にしての「製作不可」という報告に、我々というより、正確には私自身が大いに困り果てた。
予定通りA/D変換機が完成していれば、「気象観測用機器」という名目で、日本側も中国側も細かな審査を省いてくれたはずだった。ところがそれが不可能となり、私はやむなく通産省に直接書類を持参し、「急ぎ許可をお願いします。中国での実験にどうしても必要なのです」と担当官に説明した。その際、「気象用測器の出力記録に使う装置です。」とも付け加えたのを覚えている。
その説明が功を奏したのだろうか。翌日には「急ぎ審査しましたので、許可証を取りに来てください」との連絡が入り、二日続けての大阪・東京出張となった。
渡されたA4用紙二枚の許可証には、関係各担当官の押印が合わせて100個近くも並んでいた。
今振り返れば、25年余りを経た今日では考えられないほどの手間であった。ただそれなのに、翌年には中国のチームが全くのデッドコピーをして、「中国型広帯域干渉計観測」を実施すると息巻いていた。つまりここんな経験があったからこそ、私は自前のA/D変換機を設計・製作しようと強く決意するようになったのである。
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2025年09月29日

なぜ広帯域干渉計? 10

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中国高原地帯でのVHF波帯広帯域干渉計の観測で、大きな成果を収めることが出来たと書いた。それはニューメキシコ鉱工科大学のLMA観測結果の中で、それまで定説になっていた雷雲内電荷分布に矛盾すると思える観測結果があり、アリゾナ大学のクライダー教授のグループが
「これは電荷分布位置が正負逆転している。即ち低層に正電荷、高層に負電荷があるに違いない。豪雨末期の雷雲内電荷分布だろう。」
と解釈したのとほぼ同様の観測結果を、我々も得ることが出来た点である。
ただ一方で悔しい思いをしたのが、クライダー教授グループのような解釈ができなかった点である。というのも我々が観測を実施したのは1997年の筈で、LMAの解釈を聞かされたのが確か1999年だったから、実際に観測、解析を実施したトモオ君にそのような解釈を指導できていればという後悔である。
何度かこのブログでも書いているように、LMAは実用的には完成されたそうちである一方、我々の広帯域干渉計は観測結果で科学をするには、大いに誇れる装置であると確信している。例えば1997年当時でもディジタルオシロスコープをAD変換器として用いることで、一フラッシュを2000点で画像化できていたし、今日なら一フラッシュ8000点から10000点で分解できるのだから・・・。それも放電後1秒程度とくれば実用装置としても、見劣りしない筈と考えている。
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2025年09月27日

なぜ広帯域干渉計? 9

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話を本題に戻そう。
1994年だったと記憶している。福井県三方郡美浜町で冬季雷観測を行っていた時のことである。当時はマサカズ君の狭帯域干渉計と、トモオ君によるLF帯多地点観測が主力装置であり、加えてレーザー研と共同で進めていたレーザー誘雷実験を、これらの装置で記録することも重要な任務のひとつだった。
ところが狭帯域干渉計の成果は、フランスONERAグループの干渉計と比べると明らかに見劣りし、その原因解明ができず悩んでいた。そんな折にふと、
「複数の広帯域アンテナで受信し、フーリエ解析したらどうだろうか?」
という発想が浮かんだ。当時「フーリエ分光」を学んでいたことや、レーザー研の仲間たちが語っていた「太陽光でレーザーを励起する」という夢のような話も、ヒントとなったのだろう。
ただ正直に言えば、広帯域受信を思いついた瞬間には、
「うまくいけばフーリエ周波数ごとに異なる放電路が見えるかもしれない!」
といった浅はかな期待も抱いた。もっともそれが考え違いであることには、数日も経たないうちに気づいたのだが。
とはいえ試しに美浜町でVHF広帯域受信を始め、翌年には獅子吼高原で二つの広帯域アンテナを使った観測に挑んだ。本来なら三つのアンテナがなければ方位と仰角を決定できない。しかしロケット誘雷の場合は放電路のおおよその方位が分かっているため、二つのアンテナを誘雷実験場に向けて並べれば、仰角を推定できると考えたのである。
この観測を担当したのは、前年のLF多地点観測で成果を挙げていたトモオ君だった。結果は見事というべきであろう、上向きに進展するリーダーを捉えることに成功したのである。そしてその翌年には、中国高原地帯での岐阜大と中国科学院の共同研究において、トモオ君が三アンテナによるVHF広帯域干渉計を実施し、これまた大きな成果を収めることになった。
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