2025年12月31日

誘雷したでぇ

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大晦日 2025年も今日でおしまい。21世紀の四半世紀が終わる。

石川県・河北潟でのロケット誘雷実験、昨日未明二回成功しやった。マレーシアから何人も研修かねて来てるちゅうのに、そもそも冬季雷が無かったんやから、どないもならんかった。責任者のタケシ君にしてみたら、気が気でなかったやろう。天邪鬼爺がシンガポールにおって、誘雷に気ぃ付いたんは、マレーシアのハジク君が、スチル写真をフェースブックにあげやったから。それに岐阜大のウさんが稼働してるFALMAが、日本海を南下してくる雷活動を捉えてたもんな。ともかく、誘雷実験は雷活動がやって来んことには、人間の力ではどないもでけへん。ひたすら機会を待つだけや。タケシ君を手伝ってるユウジ君もほっとしてるやろな。まぁとりあえずめでたいこっちゃで。ほんで気になるんは、その誘雷を河北潟で稼働してるVHF干渉計がきちんと記録できたかちゅうことやけど、これはマナブ君に確認してもらうんやけど、丁度年末年始の休み期間中やよって、確認までに時間かかる。まぁしゃぁないなぁ。ひたすら待つしかないかなぁ・・・。
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2025年12月25日

VHF LCI

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VHF波帯広帯域干渉計を、私達はVHF LCI (Lightning Channel Imager)と呼んでいる。つまりこの装置は、雲放電であれ対地放電であれ、放電開始のかなり早い時期から放電の終焉まで、その進展の様相を捉えることが出来るように設計されている。しかしマナブ君やマイケル君が機能を高めてくれた当時は、実時間処理よりも研究室にデータを持ち帰っての詳細な解析と理解に重きをおいていた。というのも我々は放電のすべての過程を観測結果を通して明らかにしたいと考えていたからである。専門外の方から見れば、雷(雷放電)は「かみなり」だが、大気電気学に関わる我々は、放電の初期過程、放電の進展と枝分かれ、放電の進展中に密度の高い逆極性の電荷群に遭遇した場合の振る舞い、さらには大地に到達して対地放電となった場合、引き続いて起こる多重落雷、ここでは専門用語はあえて示さないけれど複雑なのである。(この稿続く)
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2025年12月24日

SATREPS

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「国際卓越研究大学」構想、どなたが考えたんだろうと、シンガポールに居て思案を巡らせている。そのついでにといっては何だが、私・天邪鬼爺が長年取り組んだ、VHF広帯域干渉計の研究に思案が及んだ。
大阪大学を定年退職して来年3月で13年となる。その間前半は一般の会社の籍を置いて、研究とは無縁の6年間を過ごした。そして最近7年間は私立大学で教鞭を取っているタケシ君を応援して、JICAの公募SATREPSの立ち上げに貢献した。そもそも研究に再び目を向けるようになったきっかけは、東南アジアで開催されている国際会議で、「VHF波帯広帯域干渉計」に関する研究論文の発表を偶然見かけたからである。本家本元の大阪大学では、もはや誰も続けていないというのに、正直驚いた。そして年甲斐もなく負けず嫌いの性格もあって火がついた。確か古希を迎えた年であったろう。
そしてあれこれ調べてみると、大阪大学で工学博士の学位をとって、バンドン工大に帰って行ったレディーさんが、2007年だか2008年だかのこの地での国際会議で発表したのがそもそものきっかけであったと聞かされた。さらにはICLPという国際会議で、ニューメキシコ鉱工科大学のマイケルさんが、マナブ君との共同研究で格段に機能をあげることに成功した新バージョンを発表し、東南アジアでのVHF波帯広帯域干渉計のブームに火をつけたと聞かされた。マレーシアからインドネシアにかけて、雷活動の激しいことは紛れもない。その地で我々の干渉計が役立っている。いやはや嬉しいことこの上ない。とはいえ本家本元が貢献していないというのは、何か違う。それがタケシ君を応援してのSATREPS立ち上げのきっかけとなったのである。
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2025年11月12日

ブラジルで竜巻 2

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「ブラジルで竜巻!」の報を聞いて、その話題をもう一日続ける気になったのには理由がある。私が天職としている雷放電は勿論ながら竜巻も「積乱雲」がその原因で、もう20年程も昔に
「『降雹、豪雨、落雷、突風、竜巻』の五現象のいくつかをあるいは全てを伴う。」
と、電気学会誌の解説論文を執筆したことがある。これは気象関係者にはほぼ常識かも知れないが、私のもう一つの活動の場である、電気・通信・電子工学の関連者にとって、落雷被害以外は直接かかわりのない事ゆえ、是非とも認識してもらいたいと考えたからである。かみ砕いて言うなら、「積乱雲」は大気の不安定がきっかけとなって上昇気流が発生、その速度がある程度以上になると大気の断熱膨張となり大気温が下がる。その結果大気に含まれる水分が氷結、成長して雹・あられ二へと成長、そしてその雹・あられが電荷分離に貢献、雷雲となる。やがて雹・あられが落下を開始し、落下中に溶けることになり周囲の大気の温度を下げることになる。気温の下がった大気は下降流となる。一方「積乱雲」成長の過程でねじれがあると、その甚だしい場合には竜巻となるといった具合なのである。ただ残念ながら、警鐘を鳴らしたつもりでいたのだけれど、あまり認知度が上がっていないのが正直な現状である。あの当時「雷嵐(らいらん)」という造語まで作ったけれど、気象の専門家の方々には不評で、彼らは「極端気象」という造語でいまでは席巻している。
ひがんだ話はさておき、今日社会現象化している「線状降水帯」も、雷放電(大気電気学)の専門家としては、水分量の観測的理解は勿論肝要と認めたうえで、雷放電活動もパラメータの一つに加えてもらいたいというのが本音なのだが、残念ながら道程はまだまだはるか先といったのが私の理解である。
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2025年10月23日

雷放電について

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夏の風物詩である雷は、古来より畏怖と信仰の対象でもあった。「風神雷神」の名画に象徴されるように、その姿は人々の心に強く刻まれてきた。江戸時代に描かれた尾形光琳や俵屋宗達の傑作を、実際にご覧になった方も少なくないだろう。
雷が自然科学の研究対象となったのは、18世紀半ば、欧米で盛んに行われた実験の時代である。中でも有名なのが、ベンジャミン・フランクリンによる「雷雲下での凧揚げ実験」である。彼はこの実験を通じて、
「雷放電は雲の中における電気的な現象である」
ことを初めて実証した。さらに、雷の危険を防ぐ手段として避雷針を考案し、その実用性を世に広めたことで、今日に至るまでその名が記憶されている。
余談ながら、我が国にも19世紀初頭にフランクリンと同様の実験を行った学者がいたことをご存じだろうか。中環(なか・たまき)という人物である。鎖国の只中にあって、わずか半世紀の遅れでこのような実験が行われたことは驚嘆に値する。当時唯一の交易国であったオランダを通じて、蘭学の知識として伝わったと考えられる。
さて、雷放電が再び科学の焦点となるのは、1930年代のことである。技術の進歩により光学観測が可能となり、アメリカや南アフリカの科学者たちは「ボイズカメラ」を用いて雷の進展速度を測定するようになった。
さらに1970年代には、雷放電が放射するラジオ周波数の電磁波を利用した研究が始まり、いわゆる「落雷位置標定装置」が実用化された。この装置は、雷撃位置をほぼリアルタイムで地図上に表示できるもので、アメリカで実用化された後、日本でも電力会社を中心に導入され、今日では全国ネットワークが構築されている。
雷放電とひとことで言っても、その実態は「対地放電(落雷)」「雲放電」の二種類に大別される。前者は雲内の電荷が大地に向かって放電する現象であり、後者は雲内で完結する放電である。いずれも光と音を伴うが、先述の光学観測や標定装置が対象とするのは主として対地放電である。
科学者の探究心はそこにとどまらず、
「では、雲の中では何が起きているのか?」
という新たな問いを生んだ。
この疑問に答えるべく、関連の研究者たちはテレビ周波数帯(VHF/UHF)の電磁波に注目した。1980年代後半以降、日米欧で進められたこの研究では、雷放電の進展先端から放射される電磁波を観測することにより、「雷の走る様子(放電路)」を可視化できるようになった。特に、光学的には見通せない雷雲内部の様相までも鮮明に描き出すことが可能となった点が画期的である。
中でも「VHF波帯広帯域干渉計」と呼ばれる装置は、大阪大学において発案されたものであり、現在では世界各国の研究者が利用してくれている。
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2025年10月14日

私の雷観測の原点 4

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1986年から大阪大学に移る1989年までの約3年間、私は野外観測の実施に備えて訓練を重ねる一方で、観測装置のディジタル化を進めていた。さらに国際会議への積極的な参加を通じて、国際的な認知度の向上にも努めた。
たとえば1987年には、ドイツ・ブラウンシュバイクで開催されたISH、イスラエル・テルアビブでのURSI総会に出席し、翌1988年にはスウェーデン・ウプサラでのICAEに参加している。
テルアビブでは、その後いろいろな意味で私に多くを教えてくれることになる米国NSSLのブラッド氏と、またウプサラではカナダ・マクマスター大学のチャン教授と親交を結ぶことができた。これらの出会いが、私の大気電気学研究者としての方向性を決定づけたといってよい。
テルアビブの会場では、身の丈2メートルはあろうかという大柄なブラッド氏から、いきなり
「I am sure you are Dr. Kawasaki!」
と声を掛けられた。驚く私に対して、彼は続けて
「1985年のパリICOLSEの晩餐会で、同じテーブルだったじゃないか。」
と笑顔で語りかけた。私はすっかり忘れていたことに気づき、大いに恐縮したものである。
余談ながら、ブラウンシュバイクではガウスの銅像を目にし、深い感銘を受けた。
さらに1988年には、中国科学院によるロケット誘雷実験に参加した。成果そのものは得られなかったものの、このとき、後に私の初の博士号取得学生となるダオホン君と出会うことになる。彼は私が指導した工学博士第一号である。
ともかくこの三年間の間に、電界変化波形測定の広帯域化とデジタル化を成し遂げ、私は大阪大学工学部電気工学科に籍を得たのである。
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2025年10月13日

私の雷観測の原点 3

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1986年は、名古屋大学・空電研究所の「大気電気研究グループ」にとって、まさにディジタル化元年ともいえる節目の年であった。
一方、そのわずか三年後には、空電研究所が太陽地球環境研究所へと改組されることになった。その結果、助教授のトシオ先生は私立大学の教授に、ミノルさんは名古屋大学工学部電気工学科を経て豊田高専の教授に、そして私は大阪大学工学部の講師として転出することとなった。研究体制が整い始めた矢先の出来事だけに、何とも皮肉な結末であった。
ちなみに、私が「干渉計」について本格的に学ぶきっかけとなった「太陽電波グループ」は、野辺山の国立天文台にそのまま移転した。しかもポスト付きでの移転である。早い話、研究所の改組とは椅子取りゲームのようなものであり、我々「大気電気研究グループ」はその椅子を奪われた、というのが正直なところであった。
それにしても、後になって最も不愉快だったのは、私が大阪大学に移った直後。
「空電研究所には、大気電気研究、つまり雷放電の研究は不要です」
と、我々三人を追い出した張本人である某国立大学の教授から、こう声をかけられたことである。
「河崎さん、雷放電の観測を山形県酒田市で行うのですが、ご一緒にいかがですか?」
私は何食わぬ顔でその誘いを受け、参加した。
この皮肉な再会の顛末については、また別の機会に詳しく触れたいと思う。

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2025年10月12日

私の雷観測の原点 2

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それまでの雷観測といえば、データレコーダーを用いて、雷放電に伴って放射される電磁界を記録するのが主たる手段であった。帰還雷撃の速度を光学的に測ろうという試みも、フォトダイオードの出力をデータレコーダーに記録する方法が一般的だった。
その頃、デジタルオシロスコープが実用化され、空電研究所でも導入が始まっていた。光学観測の記録をオシロスコープでディジタル化し、ノブユキ君や私が解析を行ったのが、ディジタル処理への第一歩であった。
さらに数十キロ以上も離れた二地点で電磁界観測を行うには、記録のディジタル化なしには現実的に不可能であり、その希望を研究室の技官であったマサヒロさんとヒロシさんが実現してくれた。こうして伊根町と美浜町の二地点観測に踏み切ることができたのである。
1986年当時の狙いは、美浜町周辺での落雷による電磁界を伊根町で観測すれば、海上を伝搬してくるため、波形の立ち上がりが鈍ることはないだろう――そう考えたからであった。
前年、私はスウェーデンに一年間留学しており、そこで知り合ったスリランカ出身のバーノンさんが、長距離地上伝搬によって落雷電磁界の立ち上がりが緩やかになるという理論計算を行っていた。その検証の意味もあって、実際の観測で確かめたいと考えたのである。
結果として波形の立ち上がり検証には至らなかったが、冬季の落雷が放射する電磁界成分の特徴を明らかにするという思わぬ成果が得られた。そしてこの成果が、我々のグループが観測装置のディジタル化に本格的に傾倒していく契機となったのである。
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2025年10月11日

私の雷観測の原点 1

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丹後半島の小さな漁港・伊根町蒲入(京都府与謝郡)から南へ数キロ、宮津側に戻ったあたりに本庄地区がある。かつて、そう40年も昔、お世話になった,蒲入分校の本校にあたる、伊根町立本庄小学校のある地区だ。
(今でもあの分校は残っているのだろうか、とふと気になるなぁ。)
その小学校の隣には、浦嶋神社という神社がある。
名前からも想像できるように、あの浦島太郎伝説にゆかりのある神社で、本庄浜の近くでは「太郎が亀を助けた浜」として伝承が残っている。
浦島伝説は日本各地に伝わるが、この地もその一つらしい。
当時、私はこの浦嶋神社で亀の木彫りを買ったことを覚えている。
一方、北へ数キロ進めば丹後半島の先端、経ヶ岬(きょうがみさき)の灯台がある。
1980年代にリメークされた映画『喜びも悲しみも幾年月』の舞台として知られる灯台で、撮影は私が観測を始める前年に行われたという。
この地で私は1986年、87年の二年間、雷観測を行った。
この観測こそが、後に多地点観測へと発展していく私の研究の原点である。
空電研究所の主たる観測地・福井県三方郡美浜町からは車で4〜5時間もかかる遠隔地で、当時はまだGPSが実用化される前。
時間同期の取れた多地点観測は、決して容易ではなかった。
宮津から丹後半島を北上して蒲入に至るまで、私の運転では優に二時間を要したが、地元の人は「一時間で行ける」と言う。
結局、最後までそのスピードでは走れなかった。
それから数年後、電力会社の支援でSAFIRを稼働させた際、この地域にある太鼓山の頂上に20メートルほどのポールを立て、VHFアンテナを設置した。
その経験が大いに役立ったことを思えば、あの頃の苦労も無駄ではなかったのだろう。
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2025年10月02日

なぜ広帯域干渉計? 12

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我田引水ながら、これまで何回かに分けて「なぜ広帯域干渉計なのか」という話題を取り上げてきた。
果たして十分に言い尽くせたかどうか、自信があるわけではない。
とはいえ、我々大阪大学グループが開発してきたディジタル干渉計については、胸を張って誇れるものだと今も思っている。
というのも、かつてLMAと呼ばれるVHF波帯の時間差法式による雷活動監視システムの関係者から、
「それは干渉計ではない。理想化された時間差法にすぎない!」
と酷評されたことがあった。
あるいは、アナログ型の干渉法に基づくVHF監視装置を使う研究者からも、同様の批判を受けたことがある。
しかし、私たちの装置は、雷放電活動の諸現象をほぼすべて画像化できる点で、決して見劣りするものではない。
むしろ「研究用としては世界のどの装置にも引けを取らない」と断言できる。
実際、マイケル君はもともとLMA側の博士課程学生だったが、マナブ君とともに広帯域干渉計の実験を重ねるうち、すっかりその魅力に取りつかれ、最終的には「心変わり」してしまったほどである。
つまるところ、「なぜ広帯域干渉計か?」という問いへの答えは、私が名古屋大学・空電研究所で助手だった頃のある教えに行き着く。
「自分の見たいと思う現象に、最も適した技法を考え、世の中にない自分だけの装置を作ることだよ。」
この半世紀近く前の言葉に、私はただ正直に向き合ってきただけのことだ。
最近では、ニューメキシコのグループが “New Mexico Broadband VHF Interferometer” なる名前で論文を発表している。
マナブ君はその話題を耳にするたび、少し不快そうな表情を見せる。
だが私は彼にこう言っている。
「真似されたということは、彼らが負けを認めたということや。誇ってええ。
でもな、ここで満足して止まったらあかん。もっとええもんに仕上げていこう。」

――そう、挑戦はまだ続いているのである。
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