1997年、中国高原地帯で広帯域干渉計の観測を実施した年のことである。
実はその一年程前に、東京にあるディジタル機器開発会社に「3チャネルもしくは4チャネルで、サンプリング周波数200MHzのA/D変換機」の製作を依頼していた。ところが出発直前になって、「今年の夏には間に合いません!」との詫びの連絡が入ったのである。
そんな事態も想定していた私は、代替機として、それまで使用していた4チャネルのデジタルオシロスコープを記録系として使うことにした。ただ当時――おそらく今でもそうだろうが――この種の電子機器を中国へ輸出するには、通商産業省の「輸出許可」を取得する必要があった。観測出発を目前にしての「製作不可」という報告に、我々というより、正確には私自身が大いに困り果てた。
予定通りA/D変換機が完成していれば、「気象観測用機器」という名目で、日本側も中国側も細かな審査を省いてくれたはずだった。ところがそれが不可能となり、私はやむなく通産省に直接書類を持参し、「急ぎ許可をお願いします。中国での実験にどうしても必要なのです」と担当官に説明した。その際、「気象用測器の出力記録に使う装置です。」とも付け加えたのを覚えている。
その説明が功を奏したのだろうか。翌日には「急ぎ審査しましたので、許可証を取りに来てください」との連絡が入り、二日続けての大阪・東京出張となった。
渡されたA4用紙二枚の許可証には、関係各担当官の押印が合わせて100個近くも並んでいた。
今振り返れば、25年余りを経た今日では考えられないほどの手間であった。ただそれなのに、翌年には中国のチームが全くのデッドコピーをして、「中国型広帯域干渉計観測」を実施すると息巻いていた。つまりここんな経験があったからこそ、私は自前のA/D変換機を設計・製作しようと強く決意するようになったのである。
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