2025年09月30日

なぜ広帯域干渉計? 11

⇒⇒⇒⇒読後に投票願います!
1997年、中国高原地帯で広帯域干渉計の観測を実施した年のことである。
実はその一年程前に、東京にあるディジタル機器開発会社に「3チャネルもしくは4チャネルで、サンプリング周波数200MHzのA/D変換機」の製作を依頼していた。ところが出発直前になって、「今年の夏には間に合いません!」との詫びの連絡が入ったのである。
そんな事態も想定していた私は、代替機として、それまで使用していた4チャネルのデジタルオシロスコープを記録系として使うことにした。ただ当時――おそらく今でもそうだろうが――この種の電子機器を中国へ輸出するには、通商産業省の「輸出許可」を取得する必要があった。観測出発を目前にしての「製作不可」という報告に、我々というより、正確には私自身が大いに困り果てた。
予定通りA/D変換機が完成していれば、「気象観測用機器」という名目で、日本側も中国側も細かな審査を省いてくれたはずだった。ところがそれが不可能となり、私はやむなく通産省に直接書類を持参し、「急ぎ許可をお願いします。中国での実験にどうしても必要なのです」と担当官に説明した。その際、「気象用測器の出力記録に使う装置です。」とも付け加えたのを覚えている。
その説明が功を奏したのだろうか。翌日には「急ぎ審査しましたので、許可証を取りに来てください」との連絡が入り、二日続けての大阪・東京出張となった。
渡されたA4用紙二枚の許可証には、関係各担当官の押印が合わせて100個近くも並んでいた。
今振り返れば、25年余りを経た今日では考えられないほどの手間であった。ただそれなのに、翌年には中国のチームが全くのデッドコピーをして、「中国型広帯域干渉計観測」を実施すると息巻いていた。つまりここんな経験があったからこそ、私は自前のA/D変換機を設計・製作しようと強く決意するようになったのである。
lanking.gif
クリックして読後の投票を!


posted by zen at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷の研究

2025年09月29日

なぜ広帯域干渉計? 10

⇒⇒⇒⇒読後に投票願います!
中国高原地帯でのVHF波帯広帯域干渉計の観測で、大きな成果を収めることが出来たと書いた。それはニューメキシコ鉱工科大学のLMA観測結果の中で、それまで定説になっていた雷雲内電荷分布に矛盾すると思える観測結果があり、アリゾナ大学のクライダー教授のグループが
「これは電荷分布位置が正負逆転している。即ち低層に正電荷、高層に負電荷があるに違いない。豪雨末期の雷雲内電荷分布だろう。」
と解釈したのとほぼ同様の観測結果を、我々も得ることが出来た点である。
ただ一方で悔しい思いをしたのが、クライダー教授グループのような解釈ができなかった点である。というのも我々が観測を実施したのは1997年の筈で、LMAの解釈を聞かされたのが確か1999年だったから、実際に観測、解析を実施したトモオ君にそのような解釈を指導できていればという後悔である。
何度かこのブログでも書いているように、LMAは実用的には完成されたそうちである一方、我々の広帯域干渉計は観測結果で科学をするには、大いに誇れる装置であると確信している。例えば1997年当時でもディジタルオシロスコープをAD変換器として用いることで、一フラッシュを2000点で画像化できていたし、今日なら一フラッシュ8000点から10000点で分解できるのだから・・・。それも放電後1秒程度とくれば実用装置としても、見劣りしない筈と考えている。
lanking.gif
クリックして読後の投票を!


posted by zen at 08:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷の研究

2025年09月27日

なぜ広帯域干渉計? 9

⇒⇒⇒⇒読後に投票願います!
話を本題に戻そう。
1994年だったと記憶している。福井県三方郡美浜町で冬季雷観測を行っていた時のことである。当時はマサカズ君の狭帯域干渉計と、トモオ君によるLF帯多地点観測が主力装置であり、加えてレーザー研と共同で進めていたレーザー誘雷実験を、これらの装置で記録することも重要な任務のひとつだった。
ところが狭帯域干渉計の成果は、フランスONERAグループの干渉計と比べると明らかに見劣りし、その原因解明ができず悩んでいた。そんな折にふと、
「複数の広帯域アンテナで受信し、フーリエ解析したらどうだろうか?」
という発想が浮かんだ。当時「フーリエ分光」を学んでいたことや、レーザー研の仲間たちが語っていた「太陽光でレーザーを励起する」という夢のような話も、ヒントとなったのだろう。
ただ正直に言えば、広帯域受信を思いついた瞬間には、
「うまくいけばフーリエ周波数ごとに異なる放電路が見えるかもしれない!」
といった浅はかな期待も抱いた。もっともそれが考え違いであることには、数日も経たないうちに気づいたのだが。
とはいえ試しに美浜町でVHF広帯域受信を始め、翌年には獅子吼高原で二つの広帯域アンテナを使った観測に挑んだ。本来なら三つのアンテナがなければ方位と仰角を決定できない。しかしロケット誘雷の場合は放電路のおおよその方位が分かっているため、二つのアンテナを誘雷実験場に向けて並べれば、仰角を推定できると考えたのである。
この観測を担当したのは、前年のLF多地点観測で成果を挙げていたトモオ君だった。結果は見事というべきであろう、上向きに進展するリーダーを捉えることに成功したのである。そしてその翌年には、中国高原地帯での岐阜大と中国科学院の共同研究において、トモオ君が三アンテナによるVHF広帯域干渉計を実施し、これまた大きな成果を収めることになった。
lanking.gif
クリックして読後の投票を!


posted by zen at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷の研究

2025年09月24日

なぜ広帯域干渉計? 7

⇒⇒⇒⇒読後に投票願います!
昨日は日本では秋分の日で祝日、Autumnal Equinox Day。
そして私は今日、日本に向かう。

さて、「なぜ広帯域干渉計なのか?」の続きである。
大阪大学工学部電気工学科の電力工学教室に赴任した当初、博士課程の学生が一挙に増えるという現象が起こった。もっともその全員が、他大学から進学してきた学生であった。ただ、私が阪大で回路理論演習や高電圧工学を担当し始め、やがてその講義を受けた学生たちが四年生になる頃には、「大気電気学」や「絶縁診断」の研究を志望して、私の研究室を希望する学生が現れるようになった。希望者の数は決して多くはなかったが、学内での認知度が少しずつ高まっていることを感じた。
その最初の世代に、トモオ君やミッちゃんがいた。二人とも実に元気な学年であった。
トモオ君は雷放電の観測研究を強く希望していたが、卒研配属の抽選の結果、絶縁診断をテーマとすることになり、明らかに不満そうであった。そこで私は彼に、
「まずは大学院入試に合格しろ。合格したら改めて考え直そう!」
と激励した。一方、ミッちゃんは幸運にも無競争で、名古屋大学グループによるロケット誘雷実験に参加することが決まり、卒業研究として雷観測に携わることになった。
両名とも大学院入試には合格した。成績は決して上位とは言えなかったが、ともかく突破した。もともと卒業研究の配属は4月に決まるものの、8月末の大学院入試が終わるまでは、本格的な研究が始まらないのが通例である。そうした紆余曲折を経て、最終的にトモオ君の卒業研究は「LF帯アンテナによる雷放電の多地点観測」となった。ただしその実態は、空電研究所の研究データを借用して進める形であり、私がやや強引に方向転換させた面は否めない。実際研究室内の談話会で、他の教官から
「彼の卒研のテーマは、いつ雷放電になったのでしょう?」
といったコメントがでたこともあったが、私は無視をした。
とはいえ、この強引さこそが幸いし、現在トモオ君は大阪大学の教授となっている。
lanking.gif
クリックして読後の投票を!


posted by zen at 00:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷の研究

2025年09月21日

なぜ広帯域干渉計? 6

⇒⇒⇒⇒読後に投票願います!
狭帯域干渉計観測は、日本の冬季雷において数々のユニークな成果を生み出し、その結果としてマサカズ君や、彼の一年後に博士課程へ進学したジュン君が、工学博士の学位を取得するに至った。研究の最前線で彼らが成長していく姿を見るのは、指導する者としての大きな喜びであり、同時に研究室という場の確かな手応えを感じさせてくれるものでもあった。さらに、マサカズ君より一年早く中国科学院から進学してきたダオホン君は、帰還雷撃の光学観測に強い関心を示した。その頃には大阪大学レーザー研究施設との共同研究によるレーザー誘雷も始まっており、彼は「レーザー誘雷と光学観測」という、まさに時代の最先端に位置するテーマに関わることとなった。いま思えば、若い力がそれぞれの興味に導かれて研究室の多様な活動を支えてくれたのだと実感する。
そもそも私が名古屋大学・空電研究所から大阪大学工学部電気工学科の電力工学教室へ籍を移すことになったのは、当時の教授であったケンジ先生の要望によるものであった。ケンジ教授は「電力機器設備の絶縁診断に電波を活用したい」と考えておられ、私の研究手法がその目的に適していると判断して招いてくださったと理解している。
実際、赴任の日にケンジ教授からは
「雷の研究は続けてもらって構わないが、絶縁診断も同じように進めてください。」
と告げられた。その言葉はいまでも耳に残っている。雷放電という自然現象の研究と、電力設備の絶縁診断という工学的課題。その二つを同時に抱え込むことになったわけだが、振り返ればその緊張関係がむしろ研究室を豊かにしたのだと思う。
翌年には文部科学省の奨学金により中国から李さんが留学し、誘電体の絶縁劣化に伴う部分放電の研究に取り組まれた。その研究の流れは、やがてマサカズ君やジュン君と同じ大学から博士課程に進学してきたマサタケ君へと受け継がれ、彼もまた規定の年限で無事博士の学位を取得した。学生たちがそれぞれのテーマを背負い、時に迷いながらも成長していく姿を見届けられたことは、私にとって何よりの財産である。研究成果という形を超えて、人が育っていく過程に立ち会えたことに、深い感慨を覚える。
lanking.gif
クリックして読後の投票を!


posted by zen at 00:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷の研究

2025年09月20日

なぜ広帯域干渉計? 5

⇒⇒⇒⇒読後に投票願います!
マサカズ君は、東京の私立大学で修士課程を修了し、その師の勧めで私の研究室の博士課程に進学してきた。ちょうどその一年前、科学研究費補助金の試験研究として「狭帯域干渉計」が採択されていた。しかし、私自身が大阪大学に赴任してまだ二年しか経っておらず、研究室には大気電気や雷放電の研究に取り組もうとする学生がまだいなかった。そんな状況の中で
「河崎さんのお手伝いにぴったりの人材だよ!」
という推薦の言葉は、渡りに船だったのが正直なところである。
さらに、助教授への昇進祝いとして、親しくしていたメーカーの担当者から、当時「ワークステーション」と呼ばれていた計算機を贈られた。こうした事情も重なり、博士課程の学生の協力なくしては「狭帯域干渉計」の立ち上げは到底不可能だったに違いない。言葉が足りなかったかもしれないが、そのワークステーションを駆使して観測とデータ処理を行うには、若い力が不可欠だったのである。
実際、マサカズ君は数日もしないうちにLinuxを自在に扱えるようになり、狭帯域干渉計は無事に立ち上がった。そして最初の設置場所として、当時建設中だった関西空港に目をつけ、試みに申請したところ、意外にもすんなりと許可を得ることができた。こうして、私たちの狭帯域干渉計による最初の観測は、開港前の関西空港で行われることになったのである。
ところが不運なことに、その夏は空港周辺で雷活動がほとんどなく、観測という観点からは成果を上げられなかった。そこで私は、新たな観測地としてオーストラリア・ダーウィンでの実験を申請することになるのだが、その話はまた明日に譲ることにしよう。
lanking.gif
クリックして読後の投票を!


posted by zen at 02:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷の研究

2025年09月19日

なぜ広帯域干渉計? 4

⇒⇒⇒⇒読後に投票願います!
帰還雷撃電流の光学観測にデジタル処理を適用したことについては、昨日触れた。
この光学観測が高度方向に八つのチャネルに分解できるようになったのは1980年代後半のことで、ミノル先輩の粘り強い努力の賜物であった。私はその装置を使わせてもらい、中国とカナダで観測を試みた。
中国では中国科学院との共同実験であったが、当時のロケット誘雷技術はまだ未熟で、残念ながら成果には至らなかった。
一方カナダでは、トロント大学との共同研究が大きな成果を挙げた。特に、日本出身で当時マクマスタ大学教授であったチャンさんの尽力が大きかった。惜しくもチャンさんは2010年代半ばに鬼籍に入られ、再会の機会を持てなかったことはいまも心残りである。
さて、その舞台となったのがカナダ・トロントのCNタワーである。高さ553メートル、当時世界最高の自立鉄塔であり、オンタリオ湖畔に位置することもあって落雷の頻度が極めて高かった。正確にいえば、雷雲からの自然落雷だけでなく、塔の先端から雷雲に伸びていく「上向き放電で開始する落雷」が頻発するため、「CNタワーに多くの雷が落ちる」という状況を生んでいたのである。チャンさんの話では、一晩に数十回もの落雷が観測されることもあったということで、光学観測にとって、これほど恵まれた環境はなかった。
最初の観測は1989年6月で、ナガタニさんと私が現地に赴いた。同じ年の9月には、当時名古屋大学大学院生だったシライ君と私が出向いた。すでに私は大阪大学の教員であったにもかかわらず、名古屋大学の技官や学生と共に観測に参加したのは、今振り返ると不思議な巡り合わせである。その後、この観測は1993年まで続き、最後の年には阪大博士課程に進学していたマサカズ君が現地に出張してくれたと記憶している。
lanking.gif
クリックして読後の投票を!


posted by zen at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷の研究

2025年09月18日

なぜ広帯域干渉計? 3

⇒⇒⇒⇒読後に投票願います!
少し時間を巻き戻して、帰還雷撃の光学観測について触れておきたい。
ジョーダンの論文には、帰還雷撃の上昇に伴い、急峻だった電流波形の立ち上がりが徐々に緩やかになる傾向が示されていた。ただしその手法は、各高度で得られた波形をアナログ的に比較したもので、結論としては「定性的に見れば、進行とともに立ち上がりが緩やかになる」という程度にとどまっていた。
一方で私たちは、二本のフォトダイオードの出力をデジタル化し、フーリエ解析を用いて「電流のなまり方」を定量的に議論する試みを始めていた。その成果をパリの国際会議で発表したのだが、私の拙い英語のせいもあってか、フランスONERAの研究者以外にはあまり響かなかったようである。ところが発表後、ONERAから参加していた五、六名の研究者が演壇に駆け寄り、口々に「非常に良い内容だった!」と称賛してくれた。その瞬間の感激はいまも忘れられないし、この出会いがきっかけとなって、彼らとの交流はその後も長く続くことになった。
思えば当時、彼らは狭帯域干渉計を用いて放電進展の観測を行っており、「位相」という概念に精通していた。だからこそ、私のフーリエ解析の議論をすぐに理解してくれたのだろう。。ちなみに40年経った今日でも、あの内容には自信があり、自慢論文の一つにもなっている。
lanking.gif
クリックして読後の投票を!


posted by zen at 00:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷の研究

2025年09月17日

なぜ広帯域干渉計? 2

⇒⇒⇒⇒読後に投票願います!
私が広帯域干渉計(ディジタル干渉計)の研究に至る経緯を、ここで改めて振り返ってみたい。すでに40年も遡る話である。
環境電磁工学の研究から大気電気学へと舵を切り、雷放電の研究を志し始めた頃、私を強く惹きつけたのは、フロリダ大学ジョーダンによる「帰還雷撃放電路の光学観測」の論文だった。1980年代初頭に発表されたその論文では、ストリークカメラの出力を10の異なる高度での時間関数として示し、雷雲から地面に向かって降りるステップトリーダが大地に接触した瞬間、大地から雲へと駆け上る大電流――すなわち帰還雷撃の光強度が高度によって変化する様子を描き出していた。
一方、私は博士課程時代に分散性媒質内での電波伝搬をかじったこともあった。そこで「放電路も分散性をもつプラズマ状であり、そこを駆け上がる電流も同じ考え方で理解できるのではないか?」と考えるに至った。これがきっかけとなり、昨日触れたノブユキ君との光学観測のディジタル処理へとつながり、さらには広帯域干渉計(ディジタル干渉計)を目指す方向へと進むことになる。
また雷放電の研究を進める中で、当時のリーダーであった助教授の進め方がアナログ偏重であることにも気付いた。そこで技官のナガタニさんやナカダさんらと議論を重ね、電界観測のデジタル化に取り組み始めた。まだデジタル処理の黎明期であったが、パーソナルコンピュータ制御の観測装置を自ら設計・製作し、その成果が学術誌に論文として掲載されたのだから、今振り返っても驚きと感慨を覚える。
なお、文頭で紹介したフロリダ大学のジョーダンさんとは、2010年フロリダ大学に滞在中のサトル君を訪ねた際出会い、大いに感激した。それとてもう15年も昔のことである。
lanking.gif
クリックして読後の投票を!


posted by zen at 00:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷の研究

2025年09月16日

なぜ広帯域干渉計?

⇒⇒⇒⇒読後に投票願います!
丁度40年前の1985年、私はパリで開かれた国際会議に参加し、フランスのONERAグループによる「VHF波帯干渉計で放電路を再現する」研究発表を目にした。そのとき、私は強い衝撃を受け、自分でも設計してみたいと考えるようになった。干渉計そのものは、当時勤務していた空電研究所の「太陽電波写真儀」で既に知ってはいた。しかし、それを雷放電観測に応用できると知ったときの感激は格別だった。ただし、私自身が実際に干渉計研究に踏み出すまでには、さらに数年を要することになる。
これまでにこのブログで何度か触れたが、「放電の進展」と一口に言っても、正極性と負極性とでは様相がまったく異なる。これはロケット誘雷実験でストリークカメラ観測を担っていた中部大学の角さんの成果により、光学的に明らかにされていた。そしてそれに伴う電磁放射にも極性依存があることを、私は三方郡美浜町での観測を通じてうすうす気づき、その後、雷撃電流とVHF波を同時観測して強度に20 dBもの差があることを突き止めた。さらに、VHF干渉計といえども狭帯域では不十分であり、広帯域干渉計の必要性を結論するまでに実に10年近い年月を要したのである。
もう一点、触れておきたいのは光学観測である。先輩のミノルさんはフランスのイベール論文を参考に、光学カメラのフィルム位置にフォトダイオードを2本設置し、その出力を2チャンネルのデータレコーダに記録するところから研究を始めた。そのデータをAD変換し、数値処理によって解析可能にしたのが、博士課程のノブユキ君と私である。やがて「それなら最初から高速AD変換器を組み合わせてディジタル記録すればいい」となり、さらに8個のフォトダイオードを円筒形レンズと組み合わせて広視野化を図った装置をミノル先輩の設計のもと、技官のナガタニさんとナカダさんが製作した。私はこの装置を中国やカナダに持参し、観測に供することとなった。
こうして振り返ると、私の研究者としての初期の歩みが、さまざまな人との協働と試行錯誤の積み重ねであったことを改めて思い知らされる。
lanking.gif
クリックして読後の投票を!


posted by zen at 01:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷の研究