2018年10月21日

性善説 性悪説

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昨日の朝日新聞・天声人語氏
豪華な賞品が約束されている企画で、開始前に道徳的な文書を読ませた班と普通の小説を読ませた班では、前者には不正を行うものが皆無、後者にはいくらもいた、といった話題であった。この爺天邪鬼だから、この種の調査はあまり好きでない。というのは被験者が、調査の内容を慮って、期待されている様振る舞う可能性があるからである。その対策として標本数を多くすればといった考えも理解できるけれど、それでもやはり結果の信頼性には、疑問符を付けたいというのが本音である。
爺の本音はともかく、そして当然予期された結果だったのだろうが、
「人間って、やはり捨てたものではない!」
のかもしれない。
一方、道徳というか良心というかは、絶えず教育し続けないと、ついついはみ出てしまうと考えれば
「人間って、いい加減んで悲しい生き物なのだ!」
という事にもなる。
こんな命題は、はるか二三千年以上も昔から、性善説・性悪説があったように、やはり永遠の主題であることは確かである。
なんて真面目な議論もたまには良いものである。
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2018年10月17日

大学人の研究費6

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もう昨日でやめよう思うてたら、
「日本の研究力低下は、何が原因や?」
ちゅう記事があった。
「独法化が問題だ!」
「運営費交付金、俗にいう校費の減額が引き金になっている。」
「大型の競争的資金が、研究者を疲弊さす。」
等々のコメントが上がっていた。一方
「校費を毎年減額して、その代わり『選択と集中』を基本方針とする競争的資金を設け、研究力の底上げを図っている。」
ちゅう、お役人様の説明があって、大学人とお役人様の責任のなすりつけあいちゅう記事やであれは。
元大学人としては、確かに独法化も問題やと思うけど、お役人様の言う「選択と集中」は合点がいかへんなぁ。
「誰が選択するんや?」
ちゅう疑問と、科学研究補助金みたいに「研究やりたい何か」がはっきりして申請書仕上げるんと違うて、
「世界に冠たる大学になるための大型予算を勝ち取る!」
ちゅう、競争的資金獲得が目的になるような様なところがあるんやもんな。
本末転倒ちゅうのは、こんなんいうんやろ。
ほんで最初の疑問やけど、科学研究補助金みたいなもんやったら「ピアレビュー」が普通やけど、大型の競争的資金ちゅうたら、俗にいう権威のある限られた先生方が審査するんやから、選択が偏りがちになるんちゃうやろうか?うがちすぎかいなぁ?
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2018年10月16日

大学人の研究費5

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「大学は、研究機関か、教育機関か?」
ちゅう命題や。
そら日本の将来考えたら、「知の創造」が不可欠やよって、やっぱし研究機関やろ。ちゅうても、大学生になったからちゅうて、そのままええ研究できる筈がない。つまりや基礎学力や基本的な知識がないと、その分野の研究はできへんのは当たり前のこっちゃ。そういう意味から、教育もせなあかんのは事実やで。
ほんでや。手前味噌の話なんやけど、わいの場合の研究ちゅうたら、野外に装置持って行っての観測やったし、その間合宿生活みたいなもんやったから、観測装置の設営が終わって機械が安定し始めたら、夕飯食べてから夜遅うまであれこれ話して教えたもんや。研究しながら教育するちゅうたらかっこつけすぎみたいやけど、それがほんまのところやったなぁ。まぁ毎年四年生は配属されてくるし、on the job training 現場教育毎年やるようなもんやで。ほんで修士学生には修士学生に合うた内容の教育や。そんな風にして一通り教育終わったら、必ず尋ねるんが
「どや、雷おもろいか?」
や。
なんちゅうても、研究の対象に興味持つように育てへんと、一丁前になってくれへんもんな。そら結局なじめへんかった学生も何人かおったし、逆にそんな教育受けんでも
「雷おもしろそうや!」
ちゅうて、修士から研究室移って来る学生もおった。
座学ちゃうようなそんなん教育ちゃうでちゅう意見もあるやろけど、専門分野、研究分野におうた教育のやり方ある筈やとわいは思うけどなぁ。
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2018年10月15日

大学人の研究費4

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日本の研究力が下がっているというちゅう報道があった。
その報道受けて、本庶さんの文部科学大臣への直訴なんやろう。
本庶さんはノーベル賞受賞者やし、お役人様またぞろわけの判らへん「競争的資金」の枠組みを作り出さへんとええんやけどなぁ。
そもそもや、20年近くも申請書書きとその執行に若い研究者を仰山駆り立ててたんやから、ほんまにやりたい研究を皆々出来てたかどうか怪しいもんやし、
「そんなんやから研究力下がるんあたり前やん。」
ちゅうてわいは思うけど、どうやろか?
わいが現役の教授やった頃、若手の研究者がほんまに消耗してるんみて、警鐘鳴らしたことあったんやで。せやけど皆聴く耳またへんかった。それどころか
「あんたの研究分野は古い!」
ちゅうレッテル貼って、研究室の学生の就職活動まで差別する教員もおったちゅうて聞いたこともあるくらいや。わいの研究室の事はともかくや、わいが残念やったんは、
「忙しくって、研究時間が確保できない!」
ちゅうて愚痴ってる若手の研究者の大半が、わいの警鐘聴いてくれへんかったことやで。
ほんでやこの話を突き詰めて行ったら、
「大学は教育が主か、研究が主か?」
ちゅう命題に行きつくけど、それはまた明日や。
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2018年10月14日

大学人の研究費3

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大学で良い研究者であるには、研究費が潤沢でなければ難しい。研究費には校費と呼ばれる、教官一人一人に国が与えてくれる予算はあるけれど、それこそ雀の涙で大学外の人には、恥ずかしくてとても言えない。そしてこのことを一般論ながら
「国立大学の研究費は、少ない。」
というのである。だから勢い競争的資金の獲得に走ることになる。競争的資金には、文部科学省の科学研究補助金や、各省庁が募集企画するそれぞれ独自の物があり、工学系なら経済産業省の競争的資金、環境系なら環境省の競争的資金、医学系なら厚生労働省といったところであろうか。ただ省庁の競争的資金の場合、八百長とまではいかないまでも、出来レースであることもそれなりにあるようだ。だから私は、科学研究補助金は制度的に一番中立に近いと信じている。ついでに言うと、企業の募集する競争的資金もそれなりにあるけれど、国の物に比べて総額ははるかに少ない筈である。
企業といえば、工学系の場合研究内容がその企業に利益をもたらすような場合には、応援してくれることが多かった。中世ヨーロッパにあっての「パトロン」と同じで、ただそれもバブル崩壊後めっきり減ってしまったような気がしている。
あれこれ書いてきたけれど、だから
「大学の研究者には、研究費が足りない!」
というのは、一般論としては私は合点がいかない。いやむしろ、競争的資金の獲得額が研究者の能力を決めるような風潮があって、それこそ本末転倒だと納得できないでいる。
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2018年10月13日

大学人の研究費2

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科学研究費の申請は12月初旬、採択の可否が知らされるのが次の年の4月初め。といっても大学の事務局の締め切りはさらに一カ月強早くて、10月下旬である。いずれにしても、申請書を仕上げて、採否の結果の出るまでは、針の筵状態に近い。ただ通常は三年から四年の計画で申請するので、一度採択されると引き続いての二三年は、精神的には楽である。
ところで昨日書いた1990年代終わりの頃の科学技術会議の答申がきっかけとなって、2000年代当初には、言うなら「世界に有用する大学を目指す!」だとか、「世界トップの教育を目指す!」とかいった超大型の競争的資金が組まれ、我々も当然応募することになった。ただ科学研究補助金制度とは違い、より大規模なグループを作って、さらに時には大学間の組織を作って応募することとなった。だから組織作り、申請書作成と一二ヶ月は忙殺されることになり、科学研究補助金の申請と併せれば、一年の三分の一近くが「浪費」されてしまうのであった。科学研究補助金はともかく、他のもう二つは採択されなければ大学の価値が下がることになるし、採択されればされたで資金を執行せねばならず、そうなるといくつかの研究室若手スタッフがますます多忙になるというジレンマに悩まされ、獲得するも地獄、獲得しないも地獄と言いう有様だったのである。その頃私は、専攻長を都合5年間も仰せつかり、
「雷の研究なんぞ古い!」
というそしりを受けながら、学科の本流である情報通信や半導体物性の「超大型競争的資金」の獲得に奔走・執行の羽目となったのである。
私自身はもはや教授となっていたからいいようなものの、若手の助教、助教授の方々には本当に良かったのか、悪かったのか、研究者として成長してゆくという意味からは、私は肯定的には考えていなかった。そしてそれは今でも同じなのである。
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2018年10月12日

大学人の研究費

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神無月も3分の1が終わった。
日本のテレビで見る天気予報によれば、明日は一時的に「西高東低」の気圧配置となって、急に冷え込むという。早い話し秋本番といったところなのだろう。そしてこの時期になると、冬季雷の観測やオーストラリア・ダーウィンでの観測の準備に忙しくしていたし、一方では科学研究費の申請締め切りに追われ、私自身は二重苦、三重苦の季節であった。それでも科研費は結構頂いた記憶がある。実際大阪大学に1989年に赴任して2013年に定年退職するまで、代表者として科研費の途切れたのは2001年一年間だけだった。それも2000年の12月に教授昇任があり、科学研究費の締め切りと教授昇任のための文書提出が完全にバッティング、泣く泣く研究費申請を諦めたのだから、実質100%の採択律だったという事になろうか?
こんなことを思い出したのは、ノーベル賞受賞が決まった本庶さんが、文部科学大臣に
「科学研究費をもっと出してほしい!」
と直訴したとの記事を見たからで、
「これ以上増やしたら、ますます大学教員が申請書書きに忙殺され、良い研究が出来なくなるでぇ!」
と、摂り越し苦労するからである。
定年退職してしまった元教員があれこれ差し出がましい様ながら、1990年代科学技術会議の、大学研究費(競争的資金)を増額して、世界に通用する研究者を増やすという計画は、大学の若手研究者の雑用を増加させ、本当の意味で疲弊していた時期を知っているからの取り越し苦労。一般論では、かつての科学技術会議の提言も、今回の本庶さんの直訴も間違っちゃぁいないけれど、現実にはますます雑用が増えることになるのである。
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2018年09月28日

故郷を捨て

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昨日の話題である。
「人は、生まれ故郷を捨てることができるか?」
という命題である。超古い言い回しであるけれど1970年代のテレビ番組の言い回しに
「故郷を捨て、国を捨て・・。」
というのがあった。その後1985年に一年間スウェーデンに留学したとき、当時内戦状態であったレバノンからの難民の家族と親しくなった。何度か家に招かれて食事を頂いたりもしたのだが、その折
「たまには国に帰りたくないのか?」
の質問に、
「命の方が大切だ!」
と言下に否定された。
ただこの話には落ちがあって、2006年か7年に国際会議があってスウェーデンに出向いたら、内戦も終わって、その家族は既に帰国したという事であった。
こういった経験から、この爺はついつい「生まれ故郷」と人との関係に興味を持っている。
先程のレバノン人の知人のような例は、江戸時代の「逃散」という、農民が集団となって国を捨てるという行動にも見ることができる。ただこの例は、「みんなで渡れば怖くない!」的な意味合いもあるので、あまり比較の対象にならないかも知れない。
話を本題に戻せば、この地シンガポール人には、8割程度の中国からの移民がいる。18世紀当時は、欧米列強が有無を言わせず連れてきて、労働力としたらしいとはいえ、今日の彼らの意識は、明らかにシンガポール人で、中国人を嫌いだと言い切る。いやはや不思議である。
明日さらに考えてみたい。
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2018年09月25日

人間的なロボット

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朝日新聞・天声人語氏から
今日本では、失敗をしたり記憶が怪しかったりするロボットが設計・製作され、注目を受けているという。そういやぁあのドラえもんも、ロボットらしくない失敗をよくしたっけ。ただドラえもんは虚構の世界のスターだが、天声人語氏の紹介は現実の世界。
そもそもロボットは、決まりきったことを可能な限り正確に、処理するように設計されているのが常識の筈。ただ目的にもよりけりだが、天声人語氏が紹介している様に、子供に童話を語るようなロボットの場合、若干怪しい方が親近感を持たせることができるし、反面教師的な意味で子供の教育にはいいのかも知れない。ドラえもんがそうであるように・・・。よくよく考えてみれば、この爺が影響を受けた、鉄人28号や鉄腕アトムも完全ではなかった。
私事になるが、かつてこの爺が学会で講演をしたとき、特に国際会議などで英語で講演の時には、講演の最中にあたかも「いうべき単語」を忘れたように振る舞って、聴衆からその単語を指摘して貰って、自分の言いたいことが聴衆に伝わっているかどうかを確かめたものである。そんな私を見て、学生の中には、とりわけ良くできると本人が自負している学生ほど
「先生でも上がるんですねぇ!?」
と、からかってきたものである。
天邪鬼のこの爺、
「あれはわざとだ!」
何ぞと弁解をしたことが無い。学生と言えども将来はライバルになる可能性があるのだから、薄情なようながら、全て手の内を明かすのは愚の骨頂と信じていたからである。
このように考えるとき、人間的なとでも言おうか、あれこれ欠陥のあるのも、まんざら捨てたものではない。とはいえボットだけに失敗も誤りも、いつもいつも同じになるのでは意味が無い。たまには間違いなんていうのも、ロボットの中では「さいころ」を振って決めているのだとしたら、いささか興ざめ。というのもそれでは人間的とは言えないから。そこいらへんの設計指針を尋ねたいものである。
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2018年09月22日

政治家は清貧であれ

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「石破さんがよくやったとは思わない。現に国会議員票が前回より減っているではないか!」
と、例によっての麻生節だそうだ。さらに地方に対しては、
「現総理を応援しなかった地方は、差別を受けて当然!」
といった旨の発言をしていらっしゃるとも聞く。
いやはやとんでもない副総理がいたもんだ。まぁ現政権が似たような方々ばかりだけに、無理のない発言だろう。
理想論と言われようが、この爺は
「政治家は、自分を捨ててこそ!」
との強い思いがあり、総理の夫人というだけで、あれこれ役を引き受けたり講演をしたりという姿勢には問題と信じているし、一方そういった姿勢を容認し、期待する今日の社会にも問題があると、考えている。
子供の頃の年寄りからの教訓ながら、
「善一郎、政治家になったら財産を減らすちゅうでぇ!」
との言葉、未だに耳の奥に残っている。早い話しそう教えられたものだ。
というのも昭和初期の事、祖母方の曽祖父が村長を仰せつかり、疑獄事件に巻き込まれ、最後には政治の世界がいやになって隠棲したそうで、その経験からの教えである。
「政治家は清貧であれ!」
一地方都市と国という規模の違いは認めたとしても、政権政党の政治家のセンセイ方の姿、爺の理想論からは認められない。
だから爺は、若い頃から政治家センセイが嫌いなのである。そして今でも。
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