2025年11月29日

24時間働けますか?

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昭和末期頃の“24時間働けますか?”広告のフレーズを、誇りにまでは思わなかったが、少なくとも楽しんだ私達団塊世代後期の爺婆には、多分信じられない事ながら、
「少し風邪気味で、今日は休みます。」
という、言い訳をよく聞く。
常連様はご存じのように、私天邪鬼爺はシンガポールに長く滞在、お世話になっている当地の会社でもよく経験する現実である。実際昨朝も午前11時からの小ミーティングを予定していたので、自宅を出てバスから
「もうすぐ会社に付くよ!」
とSNSでメッセージを送ったら、先のメッセージが返ってきた。令和も7年となった今日、はたして日本ではどうなんだろう少し気にしつつも、働き方改革とやらで、似たようなものだろうと思っている。それにZ世代人という、爺婆には想像もつかない若者達もいる。
そもそも論ながら、我々昭和レトロ世代人、
「風邪は働きながら治す。」
「風邪をひくのは緊張してない証拠。」

なんぞという、今日ならパワーハラスメントそのものの文言を頭の中で反芻し、日々過ごしていたことも懐かしい。1964年の東京オリンピックで、ロシアを破って金メダルを獲得したニチボウ貝塚バレーボールチームの監督だった「鬼の大松」さんは
「けがは練習で治せ!」
とまで言ったというからすざましい。
天邪鬼爺ながら、大松監督の様にとは言わないまでも、一緒に働いている仲間達には、少しは無理をしてでもという気持ちで、取り組んでもらいたいというのが、本音である。ただ国内・国外いずれも、そんな考えは受け入れられない時代なのだろう。
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2025年11月22日

世界の真ん中で輝けるか?

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平野啓一郎さんの随筆『あなたが政治について語るとき』を読み始めたことは、一週間ほど前のブログにも記した。就寝前、ベッドで少しずつ読み進めているため、一日に一章か、せいぜい二章ほどで、なかなか読み終わらない。そんな中、昨夕ようやく「世界の真ん中で輝く」という章に辿り着いた。
ご承知の通り、このフレーズは元首相安倍さんのお気に入りであり、現在の高市総理も頻繁に用いていらっしゃる。高市総理の件はひとまず置くとして、最初にこの言葉を掲げた元総理に対する平野さんの筆致は、実に手厳しい。そして不肖この天邪鬼爺も、その評価にまったく異論はない。
平野さんがこの章を執筆されたのは、いわゆる「失われた30年」がすっかり現実味を帯びていた時期である。
「この国の現状で、いったい何をもって〈輝く〉と言えるのか?」
というのが、彼の根本的な問いであり、次々と提示される“輝けない理由”には、思わず膝を打つところが多い。読みながら、こちらも実に小気味よく感じた。
余談ながら、「世界の真ん中で輝く」といった美辞麗句に近い修辞法に、わが同胞は「相撲の猫だまし」のごとくに騙されるのか、支持率を押し上げてしまうのは、悲しい現実でもある。
で翻って、現総理である高市さんはどうか。積極財政を掲げるのは結構だが、足元では円安が進み、このままでは「失われた40年」へと延長されかねないと私は危惧している。さらに「存立危機事態」という不用意な発言は、せっかく落ち着きを見せていた日中関係に再び暗雲を呼び込みかねない。そうなれば貿易収支は一段と悪化し、ただでさえ重しになっているトランプ関税の影響に拍車がかかるのではないか――そんな心配が頭をよぎるのである。
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2025年11月19日

存立危機事態?

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久しぶりに、ここんとこ社会問題になっとる「存立危機事態」について、わてなりの理解を述べさせてもらおか。
先日、我が国の総理が国会答弁で、こともあろうに「台湾有事は『存立危機事態』になる」ちゅうたんや。いやはや、ほんまにそこまで言うか、と耳を疑うたで。
台湾ちゅうのは、実質うちら日本と深い関係があって、今でも良き隣人やと、わては思うてる。ただ残念ながら、正式な国交はない。つまるところ、日本は台湾を「国」として認めてへんのやで。
かくいうアメリカも、実は台湾を国とは認めてへん。まぁアメリカのことはここでは置いとくとして、日本が台湾を正式に国家承認せぇへん理由は、はっきりしてるわな。
――中国との摩擦を避けて、貿易も含め「日本の実利を確保したい」。なんちゅうても中国は大きな市場やし、労働力も期待できるもんな。要するに、そういう打算や。
それを、今回の総理は「蛮勇」ちゅうたらええんか、「勇み足」ちゅうたらええんか……岩盤右翼へのアピール欲しさに踏み込んでしもうた。その結果、官僚は慌てて中国詣でをせなあかん始末や。ほんま、見ててしおしおのパーやで。
ついでに岩盤右翼のセンセイ方に一つ聞きたい。
太平洋戦争の終わるまでは「鬼畜米英」いうて、あれだけアメリカを毛嫌いしとったのに、なんで今やアメリカに隷属せなあかんのや?
これも理由は単純や。戦争放棄した日本は、自衛隊があるとはいえ、いざ侵略を受けた時、まぁ現実には可能性は低いやろけど、実際問題としてアメリカに守ってもうた方が得や、ちゅう打算があるからや。わてはいざとなったら守ってくれへんと考えとるけどな。
その結果がどうやちゅうたら、米軍基地の集中する沖縄では、「日米地位協定」に守られた駐留兵士の起こす、次元の低い事件が後を絶たへん。沖縄の方々には、ずっと苦労を強いてきたっちゅう厳然たる事実があるんやで。
ちなみに言うとくけど、わては右翼やあらへん。いやむしろ左寄りやで。気取っていうならリベラルやで。せやけど、正直アメリカいう国はあんまり好きになれんわ。もちろん個人的には、心から信じとるアメリカ人もおる。そこは間違えたらあかん。
ただな、あの国は“個人”やなしに“群れ”になった途端、日本人、いやアジア人そのものを、どこか見下す気配があるんや。
鬼畜米英やなんて思うてへんけど、あの独特の上から目線――あれだけは、どうしても好きになれへんのやで。
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2025年11月18日

大学改革の失敗 5

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 私が「大学改革の失敗」の一因として指摘したいのは、戦後に導入された「教育の平等主義」への理解不足である。その象徴の一つが、大学の長の呼称をめぐる扱いである。
 東京大学と京都大学には、戦前から「総長」という呼称があった。一方、旧七帝大の残る五大学は「学長」であった。これは格付けの問題ではなく、創設時の歴史的経緯の違いに由来する。東京帝国大学と京都帝国大学は複数の学問組織を束ねる形で大学が発足したため、その統括者として「総長」が置かれた。他方の五大学は、初めから単一の大学として組織されたため、その長を「学長」と呼んだにすぎない。
 ところが1990年代の改革、特に重点化政策の中で、旧七帝大は一律に「総長」へと呼称が統一された。もちろん、この変更が改革失敗の直接原因ではない。しかし、歴史的差異を無視して横並びにそろえる姿勢そのものに、「皆平等でなければならない」という平等主義の過剰反応がにじむように思えてならない。そして、その空気が学問本来の競争原理を弱め、多様性を損なった面があるのではないか。
 加えて、国立大学の一期校・二期校制度を廃したことも、結果として同じ方向の力として働いた。制度そのものに是非はあるが、大学の個性や強みを生かす仕組みまで取り払われ、「教育の平等化」を掲げた改革がかえって学問の多様性を削いだ印象は否めない。要するに、改革という名のもとに“いじればいじるほど”、本来の機能が削られていく悪循環に陥ったように思えるのである。
 そもそも日本が手本としてきたアメリカやイギリスでは、大学の序列は明確に存在する。そして興味深いことに、その序列の“下”と見なされている大学からも、思いがけない優れた成果が生まれている。序列は否定すべきものではなく、多様性と競争を生む土壌でもある。日本の大学改革は、その基本構造を取り違えたまま「平等化」を進めてしまったのではないか──私はそう考えている。

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2025年11月17日

大学改革の失敗 4

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大学改革が失敗に至った要因は、決して一つではあるまい。
とはいえ、元大学人として私が最も気にしているのは、戦後に導入された「教育の平等主義」である。もちろん私は、不平等であってよいと言いたいわけではない。ただ、1980年代から90年代にかけて、小学校の徒競走で手をつないでゴールするような光景が実際にあったはずだ。戦後、封建的だった日本に対し、進駐軍は教育の機会均等を教えた。しかし、それは決してこのような“間の抜けた平等主義”ではなかった。
にもかかわらず、我が国の指導者――政治家の先生方や政府のお役人様方は、この理念を大きく誤解したのではないか。だからこそ、テストで生徒を順位付けすることが間違っていると、小中学校に通達したのかもしれない。
私自身の経験を振り返れば、中学一年の二学期までは、実力テストの上位二十名か三十名が掲示板に張り出されていた。しかし、中学二年になると突然それが無くなった。高校では氏名を伏せた上で、一位何点、二位何点という形でレ点の掲示があったが、それもどこか中途半端であった。
いうまでもなく、教育の目的は順位付けではない。だが、理解度や到達度を判断するには、試験以外に決定的な方法はない。その結果として順位が生じるのは自然なことである。一方、子どもの成長速度は一様ではなく、理解の早い子もいれば、時間をかけてようやく芽を出す子もいる。低学年で理解が追いつかなかった生徒が、高学年になって一気に覚醒する例は珍しくない。
したがって、いわゆる「おくて」の子どもにも、リベンジの機会が用意されていること――これこそが本来の意味での教育の平等である、と私は考えている。そして今は目立たぬ子を、決して“だめな子”と決めつけてはならない。世界の発明王エジソンの逸話は、その象徴的な例ではなかろうか。
(この稿続く)
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2025年11月16日

大学改革の失敗 3

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「大学改革の失敗」については昨日で一応筆を置いたつもりだった。ところが今朝また、とんでもない記事を目にしてしまった。「博士2万人を輩出する計画」を立ち上げる――文部科学省の案なのか、学識経験者の提言なのか定かではないが、そうした趣旨である。
しかし日本の国際競争力が低下した理由は、博士の絶対数が少ないからではない。むしろ「博士の育て方」に構造的欠陥がある、というのが私の一貫した指摘であった。その根本原因を放置したまま数だけ増やすのでは、またしても「改革の失敗」の上塗りになりはしないか――そんな老婆心めいた不安が頭をもたげる。
このプロジェクトが本格化すれば、原資はおそらく競争的資金に回される。となれば大学側は、優秀と目される学生を確保するため、またぞろ申請書づくりに追われるだろう。採択されれば、成果を急ぎ、博士号を“輩出”することが目的化するのは目に見えている。
さらに、この制度は海外からの留学生にも公平に配分されるはずだ。彼らは往々にして勤勉で、制度を使いこなす術にも長けている。結果として、日本人の博士課程学生は時間と論文をこなす“知的労働力”の供給源にとどまり、研究者としての本来の力を身につけられないのではないか。そんな危惧がぬぐえない。
半世紀以上も前、指導教授の一人が語った言葉を思い出す。
「学士は課題を与えられ、解決策を教えられ、結果を出す。
修士は課題は与えられるが、解決策は自分で探す。
しからば博士とは、課題そのものを自分で見いだし、自分で解決する存在である。
それが博士の定義の一つと心得よ。」

――いま改めて、その重みを噛みしめている。
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2025年11月15日

大学改革の失敗 2

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かつて「末は博士か大臣か!」という決まり文句があった。
私が小中学生の頃、いや高校生の頃ですら、その言葉はまだ生きていたように記憶している。しかし戦後三十年を過ぎるころから、日本社会はアメリカ流の「享楽主義──と言うと語弊があるので娯楽主義」とでも呼ぶべき風潮に大きく傾いた。エンターテインメントが生活の中心となり、「額に汗して働く」という価値観はすっかり色あせてしまった。
そんな今日、私がとくに気になるのは「楽しく学問する」という言い回しである。
あえて古いと言われることを承知で述べれば、学問が本質的に「楽しい」はずがない。 勉強の一部には楽しさもあるだろう。しかし学問の核心は「真理の探究」にあり、それは多くの場合、苦しみの連続である。実際、私自身も半世紀前、博士課程で難問に直面し、数日間うなり続けたあげく、頸骨を捻挫したほどである。
大学改革が失敗した背景には、こうした「楽しさ至上主義」の影響があるのではないか。今日輩出される博士の多くが、生産的というにはあまりに遠い存在となり、その結果、博士号を持っても職に就けない──という逆転現象を生んでいるように思えてならない。
決して自らを誇大評価しているわけではないが、私はあの「末は博士か大臣か!」の時代が懐かしく、できることなら再び甦ってほしいと願っている。大臣はともかくとしても、博士号にはかつてのような重みと誇りが必要だ。
思い出すのは、私が博士課程に進学した50年前の頃のことである。
指導教授のひとりがこう助言してくださった。
「アメリカでは、博士をとってタクシー運転手をしている人がいる程だ。だから君たちは決してそうならないように!」
その言葉は半ば警句であり、半ば励ましでもあった。そして昨今の「大学改革の失敗」を見返すたびに、私はあの師匠の言葉を思い出さずにはいられない。
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2025年11月14日

大学改革の失敗

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平野啓一郎さんという作家がいる。
京都大学在学中に芥川賞を受賞して以来、すでに四半世紀。今日ではすっかり脂の乗り切った一流作家と言ってよいだろう。私自身、彼の全作品を読んでいるわけではないが、贔屓にしている作家の一人である。
その平野さんが、最近『あなたが政治について語るとき』(岩波新書)という随筆集を上梓した。新聞のコラム連載をまとめたもので、小説とはまた違った思考の深まりがあり、読みごたえがある。左寄りの思想が随所に見え隠れする点も、76歳の私にはどこか親近感を覚えさせる。
本書の中に「大学改革の失敗」という一節がある。私はその改革の渦中に、まさに当事者として身を置いていた一人だ。だからこそ今日の大学の為体(ていたらく)を見るにつけ、忸怩たる思いを抱かざるを得ない。大学関係者の多くは、改革が失敗したことを内心では認めつつも、平野さんのように明確に「失敗」と言い切る人は少ない。
私自身について言えば、国立大学の独立行政法人化や教養部解体の頃は、まだ助教授で、残念ながら発言力が十分ではなかった。それでも教養部解体については、私なりの反対意見を述べたつもりだが、結果として受け入れられることはなかった。大学の教養課程は、言い換えればリベラルアーツを修得させる課程なのだから、なくしたことが今日の博士課程問題の原因となってるのではないかと考えている。
(この稿続く)
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2025年11月10日

ポピュリズム

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わいは、生まれついての天邪鬼な爺やから、権力者には原則として批判的や。
高市さんが総理になって、「前の政権よりはるかに支持率が高い!」なんてコメントを聞くと、「ほな言わしてもらうけど、第二次大戦を引き起こしたドイツのヒットラーも、最初はめっちゃ支持率高かったでぇ!」と言いとうなる。
アメリカの“西洋花札”大統領もそうや。あの人、人気あるのは確かやけど、その人気が国を良くしたか言うたら、話は別やろ。
人気が高い=ええ政治、とは限らん。むしろポピュリズム、つまり“人気取り政治”の匂いがする時は、要注意やとわいは思てる。
大阪を中心に人気集めとる維新の動きもよう似たもんや。
うまいこと世間の空気を読んで、拍手喝采を浴びとるけど、ほんまに中身が伴うてるんかいな、と疑いたなる。
そういうたら阪大の学生やった頃、ある先生にこう言われたことがあるんや。
「流行もんは、すたれもん!」
その時はピンとこんかったけど、今になったらよう分かる。
政治も世の中も、流行で動くようになったら、そらもう末期症状やで。
今の総理が師匠と仰いでる、故元総理も失われた30年の元凶ちゃうんかなぁ。
元総理の時も、支持率は高かったなぁ。ミーハー的やったけど。
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2025年11月08日

海峡有事

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台湾海峡有事の場合は、「存立危機事態」と理解して、我が国の参戦もありうると総理が答えたんか?いやぁ、「民事不介入」が原則なんは、近所の夫婦喧嘩やろ。せやから国内紛争もそれと一緒で、介入したらあかんちゃうんか?それがわいの理解やで。
確かに中国と台湾は、実質的には別の国やよって、「台湾有事」ちゅうことは大陸側が攻めてくるちゅうことなんやろ。せやから国と国との戦争と理解できる。そういう論理で、「存立危機事態」て言うてんやろ。それやったらなんで日本は、台湾と正式な国交がないねんと不思議や。早い話、中国に遠慮してんかどうかは知らんけど、国としては中国(大陸)を認めて、台湾はいうなら”任意団体“。こんなわけのわからん論理、わいは認めんで。わいも大人やから、しゃくし定規に物言うつもりはないけどな、そいでも論理的に納得でけへん。まず台湾を独立国として認めることから始めなあかんで。
ほんで仮に認めたとしても、わいはやっぱり「参戦」には賛成したないなぁ。まぁ76歳の爺は徴兵されることはないやろけどな。それに常識的に考えて、米中の全面戦争にならん限り、中国を押さえつけることなんて出来へん。総理がほんまに介入考えてるんやったら、太平洋戦争の二の前やないか。
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