2023年03月13日

失われた30年 2

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「失われた30年」とは、言い得て妙。
1990年代以降、我が国には飛躍的な進歩がなかったという事だろう。
「さて何故、飛躍的な進歩がなかったか?」
一つには、我々団塊世代の至らなささも一因ながら、もう一方では次世代、次々世代の若者達が、見かけ上の裕福さにある種の「勤勉さ」をなくしてしまったからというのが、この天邪鬼爺の理解であり、解釈でもある。
「末は博士か大臣か!」
といった常套句は、もはや歴史的遺物であり、世界歴史遺産の一つでもある。
つまるところ、見かけ上の豊かさに騙され、額に汗する勤勉さをなくしてしまったに違いないのである。
これは大いに困った事ながら、現実だからしょうがない。それに対抗策も見当たらない。
一億総白痴化につける薬はないものなぁ。(この稿続く)
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2023年03月12日

失われた30年 1

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最近「失われた三十年」というフレーズを見た。
1990年代後半には、バブル崩壊後「失われた十年」と言われていた。
やがて新しい世紀を迎え、ITバブルの崩壊やリーマンショックを経て2010年頃には「失われた二十年」であった。
そして民主党政権の後、自民党の一党独裁体制、故安倍首相の長期政権を経験した私達には、とうとう「失われた三十年」となってしまったようだ。
といった具合に評論家ぶってはいるものの、この体たらくは私達団塊の世代の不甲斐なさから来ているとは、自戒を込めての反省でもある。ただこのままだと「失われた四十年」となるかも知れず、大いに困ったものである。
つまるところ先進国だと優越感で東南アジア諸国とつきあってみたら
「それは全く、われわれ日本人の思い上がり!」
であることに気づく筈である。
いや気づかずにいたらそれこそ「失われた半世紀」を迎え、劣等国とはいないまでも結構な後進国に成り下がるに違いない。
そして日本人としては、それは困る。
だからV字復活はとても望むべくではないだろうから、現実を認識し地道に復興の道を模索する勇気を持たねば、21世紀後半には、それこそG8に何ぞ呼ばれなくなるかもしれない。(この稿続く)
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2023年03月02日

弥生の憂鬱

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やはりウクライナのことが気になる。
モスクワがドローンによる攻撃を受けて、火災を起こしているというニュースもある。
ロシア軍の一個大隊が壊滅との報もある。一方新聞報道では、ウクライナの地図の大半(?)が、侵略を受けてと色付けされていたりする。
くどいの三乗かもしれぬが、ロシアの侵略は明らかに間違っている。
ただプーチン大統領にしてみれば
「最初にウクライナにちょっかいを出し、西側に引き込もうとしたのはアメリカやNATOだ!」
の言い分がある。時の流れ故、旧ソ連の東側諸国の多くが、共産主義を捨ててNATOに参加したのはやむを得ないところだろうが、喉元に近いウクライナは同じようには、いってもらいたくないというのが本音なんだろう。とはいえ時の流れにあらがったとしても、大統領一人の思惑ではどうにもなることはない。なんせ純粋な共産主義は成り立たないことが、歴史が証明した(と、この天邪鬼爺は了解している)から。いずれまた違った証明を歴史がするとしても、である。
とはいえ、ゼレンスキーウクライナ大統領の要請に応え、合衆国やNATOが武器供与するのは、それぞれの国の武器商人を太らせるだけで、ロシアの侵略を止めることにはならないだろう。ましてや第三次世界大戦は、絶対起こしてはならない。
大統領の主義主張はともかく、ご本人が次の選挙に有利な展開を期待して、大衆の顔色を伺いながら右往左往するのは、爺には我慢ならない。
とはいえそれが政治なんだろうが・・・。
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2023年02月22日

侵略戦争をやめさそう!

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ロシアのウクライナ侵略戦争が、終わらない。
ロシアがウクライナに兵を進めて一年経った。
そんな日にアメリカ合衆国大統領が、ウクライナ首都を電撃訪問したというニュース。
穿った見方ながら、何やら代理戦争の気がしてならないのは、この爺だけだろうか?
ロシアの侵攻以来、爺なりに
「この侵攻は、許せない。侵略そのものである。」
と非難している。
ただそれに徹底抗戦して、アメリカやNATOに軍備援助を要請するウクライナ大統領の姿勢と、それに応じる合衆国やNATOには、肯定的にはなれない。
共産主義を良しとするのか、はたまただた自由主義を良しとするのか、主義主張の好き嫌いはあるにせよ、だからと言って代理戦争を強いるのは(形の上では強いてはいないにせよ)、やっぱおかしいだろう。
アメリカ合衆国大統領にしてみれば、二年を切った次の選挙に出馬し、選ばれたいのだろうから、そのためのパフォーマンス、
「アメリカ合衆国は共産主義を許さない!」
に違いない。アメリカ大統領の思惑はほおっておいて、ここは一般大衆が侵略戦争を止めさせ、併せてウクライナに武器供与する、欧米列強を止める手立てを考えたいものである。

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2023年02月21日

講演のあり方 4

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著名人はともかくとして、一般大衆の我々が講演を依頼され、大勢の聴衆の前で話すとなると、緊張するのが普通である。そして緊張の裏返しの結果、御自分が偉くなったように錯覚し、ついつい上から目線の講演となりがちとなることが少なくないように思う。だから講演材料を情報共有する大切さをついつい忘れ、
「皆さんにお教えしましょう!」
という態度になるのではなかろうか?
となると聴衆は甚だ面白くない。面白くないというより、講演している大センセエが伝えたい肝心が見えて、いや聞こえてこないのである。
くどいようながら、人様の前で話すとは、自分の持っている材料を、可能な限り分かってもらえるように、共有することである。そして話している最中にでも、聴衆にうまく伝わっているかを絶えずチェックする。確かに講演内容の吟味は当然大切ながら・・。
そしてこれは、我々の場合学会発表の在り方にも共通すると信じている。
長年この姿勢、持論を通しているが、学生諸君からは
「皆が皆、先生のような能力があるわけではないですし、だから読む原稿を用意し、発表練習が必要です。」
と、切り返されたことがあった。そんな時には野球の話題を例にとって
「西武の松坂は、高卒からいきなりエースやったでぇ。でけへんと決めつけるんは、先輩方の思いやりやのうて、・・・。」
と返し、
「俺は帰るけど、あと気が済むようにやって。ただ本人がその気にならんと度もならんようにも思うが。」
と、捨て台詞をおいて帰宅したものである。

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2023年02月20日

講演のあり方 3

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講演のあり方の話題を続けている。
この天邪鬼爺の場合、同業者との意見交換の場である学会等と、専門外の方に雷のあれこれを説明する啓発活動の二つがある。大きく分けて、二つに分かれるというべきかもしれない。学会等の場合は、持っている知識背景は演者と聴衆の共通部分は多く、比較的話しやすい。とはいえ、研究発表である以上、講演者の新たに工夫した部分もある筈で、聴衆が全て分かる筈と考えていては、大きな思い違いとなる場合が多い。一方学会の口頭発表は、講演する側の新規性を披露し、ひょっとしたら間違っているかも知れない部分も、洗い出すという意味合いがあるというのが、私の理解なのである。だから、一人合点の講演はあってはならないと、私は考えている。
翻って、同業者の多くの場合は、ご自分達の研究内容の宣伝と考えていらっしゃる場合が少なくなく、だから研究室の学生が発表する場合、徹底的に練習して「代理戦争」を学生に強いるというのが、実際のところだろうと、天邪鬼爺は理解している。
次に一般の聴衆への講演である。この場合は、講演者の宣伝であってはならないし、独りよがりであってはならない。だから昨日も書いたように、あくまでも演者と聴衆の情報共有、Interactiveがマスト。講演者は、聴衆の反応を確かめながら、話を進めていく必要がある。もちろん今日の場合、パワーポイントなる文明の利器のお世話になるわけだが、その資料つくりの際、通り一遍の作成ではなく、資料を作成しながらのイメージトレーニングをするのがよろしかろうと考えている。ついでに言うなら学生諸君の、卒論発表の場合は、聴衆の教授先生達が素人というのではなく、学生を試してなんぼ、ハメてなんぼのつもりでの試問会なので、意外と素人っぽい質問をして、試問される学生諸君が見事に引っかかるのである。
このように偉そうに書いてはいるが、講演はいかに経験を重ねても、うまくいく時ばかりではない。
「今日は、ほんまにまずかった!」
と臍を噛むことが、古希を越えてしまった今でもあるというのが実際のところである。(この稿続く)
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2023年02月18日

講演のあり方

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引っ越しのことは、先日来紹介している。
同じマンション内ながら連日の引っ越し作業、老骨のこの身にはやはり堪える。
大物は業者に頼んだとはいえ、当然それだけでは引っ越しは終らない。
それに木曜日、金曜日と会社でセミナーが開催されたので、それに出席したから、疲労は重なっている。。公式の言語は英語ながら、東南アジアの人達の訛りは分かりにくいのが疲労の一因だろう。
加えて速くしゃべりすぎる。一度途中で
「速すぎて理解ができない!」
とコメントしたのだが、参加者が大笑いしただけで、話し手は改めようとはなさらなかった。何のためのセミナー開催かと、本当に講演者の皆さんは考えているのかしらん。
実際セミナーも四分の三ほど終わったコーヒーブレイクに、参加者の数人と話してみたら、案の定装置の機能、誤解したままの人が何人もいた。
今回は会社の、或る意味セールスプロモーションなのだから、自分の理解を話すのではなく、参加者に自分の説明を理解したもらうことに骨を折らねばと思う。
このあたりは大学人とて同じで、学会で発表する研究室の学生さん達には
「自分の研究を理解していただくよう考えて講演するよう。」
と、助言した。だから多くの研究室でやっているという、発表練習は研究室として意図してしないようにしていた。早い話講演をしながら、聴衆の反応を参考に、詳しく説明したりサラリとすませたりが大事というのが、爺の持論なのである。

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2023年02月17日

礼儀と行儀 4

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昨日の花屋さんの態度である。
同じアジア人、ひょっとしたら出稼ぎのワーカーに間違われたのかも知れないが、に対して
「コインはないよ!」
とにべもない態度。少なくともレジスターをまさぐる姿勢でも見せて欲しかった。
だというのに、白人系の大男達には気前よく両替をしてあげる態度、老人の僻みか日本人のコンプレックスかは知らぬが、花屋の対象の行儀の悪さに違いないとは、私の理解である。
それに引き換え、ヘアサロンの女性、多分力なく歩いていたであろう爺を見つけて、走り出してきてくれた。こちらはある意味、礼儀正しいお方というべきなんだろう。それにしても74歳の天邪鬼爺には、地獄に仏の思いであった。
ちなみに走り出てきてくださった女性は、シンガポールの方ではなく、台湾から働きに来ているお方らしい。また花屋の対象は、生粋の中華系シンガポール人。だから
「礼儀を知っているが、行儀の悪い。」
のは必ずしも中華系とは限らない。
礼儀と行儀の話は、以前にも取り上げた。
MRT(地下鉄)やバスの乗り降りの際の、我先にという乗り方。
列車やバスが到着するまでは列を作っているのに、ドアが開く頃には列が見事に崩れてしまう。礼儀よく待つが、行儀悪く乗り込むのである。

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2023年02月14日

礼儀と行儀

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きのうは、さすがに余力はなかった。
シャワーを浴びて横になったのが、日が変わってしまった一時過ぎ。
それでも今朝は8時過ぎには起床。水道屋さんを待っている。

さて今日の話題は、礼儀と行儀。中国の方を揶揄して
「中国の方は、礼儀は知っているが、行儀は知らない。」
なんぞという。シンガポール人も大半は中華系だから同様だろう。
そう感じさせる要因の一つに、
「中国語の発音の、四声にある。」
と以前に読んだことがある。四声・トーンの上がり下がりで意味が全く違ったりするそうで、だから大声を出して言わなければ、意思の疎通が難しいから、だから我々から見たら、怒鳴り合っているように感じるらしいというのだ。
とこれは全く善意の解釈。
実は昨日興味ある経験をした。
引っ越しの荷物を台車で運んでいたら、同じマンションに住むいつも挨拶を交わす御仁に出会った。だからいつものように気軽に挨拶の言葉をかけたら、
「フン!」
という感じの対応だった。
老人が台車を押しているので、引っ越しの業者とでも思われたのだろう。
ところがエレベーターに乗って行き先階を押したら、そこでいつもの爺と気づいたらしく
「あら、河崎さん。お仕事ですか?」
と。親しげに尋ねてきた。天邪鬼爺の私にしてみればその変わりようが、いかにも不自然で
「このあたりが、中華系は礼儀を知っているが、行儀が悪い!」
と、言われるゆえんなんだろうと、納得した次第である。(この稿続く)
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2023年02月06日

子育て支援 2

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ブログを更新した後読み返してみて、言葉足らずを痛感する。
例えば昨日、何を言いたかったのかと自問してみて
「子供を育てるというのは、自分の子供であれ他人さんの子供であれ、未来への投資!」
なのだから、国(政治)のサポートは当然のこと、社会(コミュニティ)もその責務を担っている筈。コミュニティのサポートは、わざわざ言わなくとも、ご近所さんが地元のガキ大将に眼を光らせていたし、そのガキ大将は子供ながらに、近所の子供を束ねていた。だからというべきかな、両親共働きの「鍵っ子」も、私のような母子家庭も、放課後家に帰って寂しい思いをすることなど、稀であった気がする。確かに近所の友人家族が、どこかに出かけてしまった日何ぞ、所在がなくてしょんぼり感じることもあったけれど。
一方ガキ大将、隣の村のガキ大将にからまれでもしようものなら、体を張ってというと大仰ながら、仲間を守ってくれた。隣村とのいざこざにでもなるようなときには、大人達がうまい具合に両方の顔を立て、「手打ち」にと導くこともあった。
ともかく巧まずしてうまく機能していたのは、日本という国が「村社会」から成り立っていたからだろうとは、言い換えれば「村社会」の集合体であったろうとは、74歳の爺の理解である。
「懐古趣味」とそしられようとも、かつての日本はそうであったのは間違いなく、それが核家族化が進み、昨日も書いたと思うが、近所の子供に声をかけようものなら、
「知らないおじさんと話してはいけません!」
と、ご両親が子供にくぎを刺す。
「ご両親が知らなくても、お子さんとは顔なじみですよ!」
と申し上げ、未来への投資に貢献とは言わぬまでも、僅かばかりの寄与さえと考えるのも、難しい時代になっている。
もしそうなら、都会化なんて必要はないとは、爺の独りよがりである。

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posted by zen at 14:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の主張