2026年03月08日

Bombing in the Name of Justice

This contrarian old man simply cannot bring himself to trust a certain group of people−
the Anglo-Saxons.
Of course, I know very well that racial prejudice is wrong. Even an old man like me understands that much. And to be fair, I have several Anglo-Saxon friends with whom I get along quite well. On a personal level, many of them are perfectly decent people.
So what I am talking about here is not individuals, but rather the behavior of a group as a whole−something that has long left me with a deep sense of unease.
What brought this feeling back to the surface was the news, about a week ago, of the American and Israeli attacks on Iran.
Leaving aside the reported killing of Ayatollah Khamenei, it appears that in the course of the attacks a primary school was destroyed, and around eighty schoolchildren lost their lives. Innocent children.
One would think that the President of the United States−being a parent himself, presumably−might pause for a moment, place a hand on his chest, and reflect on what such a tragedy means.
Yet what we hear on television is something entirely different:
“The military operation was a success.”
A speech full of self-congratulation.
Listening to that, I cannot help but wonder whether the Anglo-Saxons, somewhere deep down, still look down upon people of color.
When I saw the news of this tragedy, what immediately came to my mind were the final days of the Pacific War.
American air forces burned cities such as Tokyo, Osaka, and Nagoya with incendiary bombs. And then there were the atomic bombs dropped on Hiroshima and Nagasaki.
To me, those acts were unmistakably indiscriminate bombings.
Of course, Japan bears responsibility for having started that war. And the attack on Pearl Harbor, whatever the circumstances surrounding it, is often condemned as a surprise attack−and it is difficult to deny that criticism.
Even so, I have always heard that the attack on Pearl Harbor at least targeted military installations. Perhaps that is simply a patriotic interpretation. Perhaps.
Still, for that reason, this contrarian old man finds it hard to place much trust in the Anglo-Saxons as a collective.
Some readers may chuckle and say, “There he goes again−
that stubborn old contrarian complaining about the West.”
Perhaps so.
But war, in the end, is a simple thing.
The side that wins claims the mantle of justice.
And under that banner of justice, children die.
If that is what civilization calls justice, this old contrarian cannot help but feel uneasy about it.
Still, if people dismiss this as the rambling of an “anti-American old crank,” so be it.
A contrarian must write what he sees.
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イランの戦争

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「イランが無条件降伏せん限り、戦争は終わらへん!」
ドナルド・トランプ大統領が、そんな物騒な言葉をSNSに書き込んだちゅう話や。
しかも聞けば、イランが降伏したあかつきには、その政治指導者をアメリカ合衆国の大統領、すなわちトランプ氏自身が任命し、イランという国家を事実上支配下に置くつもりらしい。
いやはや、まるで属国扱いやないか。
そうなればベネズエラに続いて、二つの国を自分の影響下に置くことになる。
ほんまにそんなことを考えてはるんやとしたら、信じがたい暴挙としか言いようがない。
もし仮に、世界がこんな振る舞いを「まぁしゃあない」と見逃すようなことがあるとしたら、へっぽこ自然科学者に過ぎんこの天邪鬼爺でも、さすがに我慢できへんで。
もちろん、イランとアメリカ合衆国が長いこと対立関係にあったんは事実や。
せやけど、いきなり軍事攻撃を仕掛けて政治指導者を抹殺し、そのうえで
「無条件降伏せん限り攻撃はやめへん」
と言うてるんやから、これはもう国家同士の外交というより、どこぞの反社会勢力の言いがかりみたいなもんやないか。
そう言えば、太平洋戦争が始まる前、リットン調査団が満州国を訪れて、日本の行動の違法性を厳しく指摘したと歴史で習った覚えがある。
あれは日本いう国が、東洋の端っこの小さな国やったからこそ、世界がああいう態度を取れたんやろか。
ほな今日の超大国アメリカ合衆国に対しては、
「ご無理ごもっとも」
とでも言うて、世界は黙っとれちゅう話になるんやろか。
もしそうやとしたら、国際法やら国際秩序やらいう立派な言葉も、結局は強い国の都合で使い分ける道具ちゅうことになる。
早い話、
「力のあるもんが正義」
ちゅう理屈を、今さら世界が公認することになるわけや。
せやけど、それを堂々と認めてしまうくらいやったら、国際会議やら国連やらいう立派な看板も、いっぺん全部外してしもて、
「世界腕力大会」
とでも名前を変えた方が、よっぽど正直やないかと、この天邪鬼爺は思うてしまうんやけどな。
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2026年03月07日

正義という名の爆撃

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この天邪鬼爺、どうにもアングロ・サクソンという連中だけは信用する気になれんのや。
もちろん人種差別ちゅうもんは、したらあかん。
そんなことは、この歳になった爺でもよう分かっとるつもりや。
それに、個人的に仲のええアングロ・サクソンの友人も何人もおる。人として付き合う分には、気持ちのええ連中もぎょうさんおる。
せやから、ここで言うてるのは「個人」の話やないで。
集団としての振る舞いを見ていて、どうにも腑に落ちん、ちゅう話や。
きっかけは、ここ一週間ほど前から始まったアメリカとイスラエルによるイラン攻撃の報道や。
戦争を吹っ掛け、ハメネイ師殺害はともかくとして、そのあおりを食ろたんやろう、小学校が破壊されて80人ほどの小学生が亡くなったという。
無辜の子供やで。
普通やったら、アメリカ合衆国大統領いう人も人の親やろ。
胸に手ぇ当てて、何ぞ思うところがあってもええんとちゃうかと思うんやけどな。
ところがテレビから聞こえてくるんは
「軍事作戦は成功した!」
ちゅう自画自賛の演説ばっかりや。
これを聞いていると、どうしてもこう思うてしまう。
アングロ・サクソンいう人種は、どこかで有色人種を下に見とるんとちゃうかと。
今回の惨事の報道を見て、わての頭に浮かんだんは太平洋戦争末期の光景や。
アメリカ空軍が東京、大阪、名古屋といった都市を焼夷弾で焼き払い、さらに広島と長崎に原爆を落とした。
あれはどう見ても、無差別爆撃やったと、わてには思えてならん。
もちろんや。
太平洋戦争を引き起こした日本にも大きな責任はある。
真珠湾攻撃も、不意打ちやと言われたら言い訳は難しいやろ。
せやけどな。
あの攻撃は、少なくとも軍事施設を狙った攻撃やったと聞いとる。
身びいきやと言われたら、それまでの話かもしれんけどな。
せやから、くどいようやけど、この天邪鬼爺は
**「アングロ・サクソンという集団」**を、どうにも信用する気になれへんのや。
まあ、こんなことを書いたら
「またへそ曲がりの爺が何か言うとる」
と笑う人もおるやろ。
けどな。
戦争いうもんは、結局のところ
勝った側が正義を名乗る。
ただそれだけの話や。
そして、その正義いう看板の下で
子供が死ぬ。
そんな「文明」を誇られても、
この天邪鬼爺には、どうにもありがたい話には思われへん。
まあもっとも、こんなこと書いたら
「また反米のへそ曲がり爺や」
と笑われるのがオチやろうけど、わては「反米」ちゃうで!
それでもええ。
天邪鬼は天邪鬼なりに、見えてしもたもんを書かんわけにはいかんのや。
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2026年03月03日

自国ファースト

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昨日の話題を続けるで。
どうも最近は多くの国が、「自国ファースト」という傾向にあるな。そういう時代は、ぶっちゃけ話、そんな国々が右寄りになるようや。そうなってくると、そんな国で選ばれた政治リーダーが、「自分の思うとおりに何でもやって良い!」と考えるようになる様やな。早い話「全権委任された!」と考えやるんや。ぶっちゃけ話、民主主義の何たるかを理解してない「自国ファースト」の政治家が選ばれるようになるんやな。アメリカの西洋花札大統領、働いて働いて働いて働いてくださるどこかの国の総理大臣、がええ例やろ。それにしてもかなわん時代になったもんやで。
まぁ共産主義の国には、もともと民主主義なんて無いしな。それに加えて、西側の民主主義の国々の多くが、「自国ファースト」になって、本来の民主主義からずれてしまうんちゃうんかな。
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2026年03月01日

丸投げではあかんでしょう

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我国の大学の大先生の悪いところは、「若手に考えさせる!」ちゅう名目で丸投げすることや。確かにそれで伸びる若手もいるやろけど、芽も出んで終わる子もいる。大学改革はその大先生の悪い面が出ているんちやうかと、天邪鬼爺は考えてるで。つまりや改革させよう思うて、政府と大先生はそれなりに多額の予算を用意する。けどな何をどう変えるんか、大枠の方針みたいなもん示さんとあかんちゃうか。
話しは変わるけどな、この天邪鬼爺は、2010年から、エジプト・アレキサンドリアで「エジプト・日本科学技術大学」の立ち上げにかかわったんや。その時エジプトの方針ははっきりしてて、「日本型の大学院教育をする大学」ちゅう基本方針があったんや。日本型の大学院教育が、ほんまにええんかどうかはおいといて、エジプト側はともかくこだわってたな。つまりや、エジプト側の目指すもんがはっきりしてたんや。
せやから日本の大学、改革せなあかんと思うんやったら、どういう方向を目指すんやと明示したうえで、「改革せぇ!」ちゅう号令があるべきちやうんかなぁ。
せやのに「政府と大先生の諮問委員会」、ともかく走れとしか号令駆けよらんで、自分らでかんがえろちゅうだけやんか。博士課程学生に「自分で考えろ!」自立させるんと、だいぶちゃう話やで。
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2026年02月28日

大学を変える

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なんで東北大学(令和六年)と東京科学技術大学(令和七年)が国際卓越上級大学に選ばれて、東京大学や京都大学が外れてしもたんやろか。
いまの時点でも、選に漏れたこの二つは世界的な知名度も業績も申し分あらへん――ちゅうのが天邪鬼爺の率直な見立てや。
けどな、このプロジェクトこしらえはった「大先生方」としては、日本の大学のかたちそのものをひっくり返さんことには国の勢いは戻らへん、そう踏んではるんやろな。
せやから、これまでの学部の枠組みや教育の流儀を根こそぎ変えるような提案を待ってはって、そこにまず「ピタッ」とはまったんが東北大やった――まあ、これが天邪鬼爺流の理解や。
とは言うもんのや、東大が考えとるディープテック学部やらカレッジ・オブ・デザインやら、あれはなかなかよう出来とる。
そのうえ企業からファンド引っ張ってくる力は国内で頭ひとつ抜けとるやろ。
なんやかや言うても、「さすが東大やなぁ」と、悔しいけど膝打ってまうわ。
わてかて七十七にもなって現役退いた身やけど、阪大で教壇に立って研究しとった頃は、東大や京大の連中には負けたない思うて歯ぁ食いしばっとったもんや。
――まぁ、この爺のちっちゃい競争心の昔話は横に置いとこか。
要するにや、そんな研究室単位の張り合いみたいなもんでは大学改革はでけへん、日本立て直すには大学の仕組みそのものを変えなあかん――
大先生方はそう言いたいんやろ。
せやけどな、その「変え方」の手立てがさっぱり見えてこんのや。
またぞろ大金つぎ込んで、
「気ぃついたら何も変わってませんでしたわ」
ちゅうオチになりはせえへんか――
辛口承知で言わせてもろたら、それが天邪鬼爺のいまの偽らざる印象やねん。
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2026年02月27日

基金調達

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東京大学が2023年に民間から集めた基金200億円を超しているらしいと聞いて、「やっぱり東大!」と感心していたら、アメリカ合衆国のハーバート大学、なんと7兆円を超すというではないか。いかにアメリカ合衆国は、寄付文化の国との比較とはいえ、桁が違い過ぎるので話しにならない。こんな現状もあって、「国際卓越上級大学」の政府基金ができたのだろうかと、私・天邪鬼爺の思案は巡っている。とはいえ我が国政府の拠出するファンドが総額で10兆円、JST(科学振興機構)が管理し運用益で3000億円を上限とするというから、それでもハーバート大単独の基金が一桁半多い。今日では世界第5位の経済力とはいえ、かつては世界第二位を誇っていたかつての電子立国日本ながら、国力の差はいかんともし難い。そんな超大国に我が国が喧嘩を売ったのが1941年、つまり85年も昔の事、本気で勝てると考えていた人がいたのだから、お笑いであると天邪鬼爺は本音で理解している。だからと言って、戦後80年間の様にアメリカべったり、腰巾着と見えるのも、いまいましい。アメリカがくしゃみをすると、日本が風邪をひくなんぞといった比喩もあるらしいが、政治家のセンセイ方、少しは気概を見せてくださいな・・・。
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2026年02月21日

上方弁 文科系理科系

文部科学省がなんや発表しよったらしい。新聞もそれを受けて、何年か先には高校までの教育で文系や理系やちゅう垣根を取っ払う、いや「取っ払われる」言うた方が正確やったかいな、まぁそんな話を書いとった。
ほんなら天邪鬼爺のわてとしてはや、「それでよろしおま!」と拍手喝采したい気分なんや。
七十七にもなった爺の記憶をほじくり返してみるとやな、70年近い昔のこっちゃけど、小学校や中学校の頃は、日本はまだ農業国やさかい、農業従事者が多いのは遅れてる証拠や、みたいな言い方で教えられたもんや。
資源のない国は工業立国で勝負せなあかん、ほな算数や理科が出来る子が「優秀」や――いう、いま思たらずいぶん単純明快、悪い言い方したら乱暴なくくりがまかり通っとった。
「うちの子は理系やねん」
と、まるで阪神が優勝したかのように胸張ってはる親御さんもよう見かけたもんや。あれはあれで時代の空気やったんやろなぁ。
ところがどっこい、わては算数も数学も嫌いやなかったけど、国語も古典も好きやった。
別に秀才やった自慢する気はさらさらあらへんけど、大学行く時に同級生から
「河崎、お前文系とちゃうかったんか」
言われたんは、いま思ても苦笑いもんや。
ほんで名古屋の空電研でお世話になった先生が、ええこと言わはったんや。
「ロマン語られへん研究者は、一流の自然科学者やない。」
理系のど真ん中におる人がこれ言わはるんやさかい、文系や理系やと早いことから仕分けするんが、どんだけ味気ない話か、身に沁みたちゅうわけや。
せやから今回の「文理の垣根なくしまひょ」いう話は、まさに
「それそれ、それでっせ!」
と膝打ちたなる気分なんや。
とは言うてもや、この流れがほんまに動き出したら、一番困りはるんはどこか――言わんでもわかるわな。
予備校や塾や、あの受験産業界や。
文系コース理系コース分けてナンボの商売やのに、「はい今日から混ぜこぜでっせ」言われたら、そら北風ぴゅうぴゅう吹きまっせ。
けどな、本来学問ちゅうもんは、理科室と国語の教室の間に壁なんかあらへんはずや。
ニュートンかて聖書読んどったし、夏目漱石かて数学できたんやさかい。
若い子らが「自分は文系やから数式あかん」「理系やから文章苦手」言うて早よから自分にフタしてしまう、あの窮屈さ。
あれが少しでもマシになるんやったら、七十七の爺としては拍手のひとつも打ちまひょ。
もっとも、その頃わてがまだブログ書いとるかどうかは知らんけどな。
書いとったらその時はこう書きまっせ――
「文理の垣根がなくなったおかげで、爺の頭の中の垣根もやっと外れましたわ」
posted by zen at 12:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の主張

文科系理科系

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文部科学省からの発表とその新聞報道によれば、何年か後には高校までの教育で、文科系理科系の垣根をなくすという。いや正確には、「なくなる」との報道だったかも知れない。そして私・天邪鬼爺の私はへっぽこの自然科学者ながら、個人的にはこういったあり方には大賛成である。
77歳の爺の私、小学校、中学校時代には、我が国はいまだに農業国で、農業従事者の比率の高いことが、国の後進性を意味しているといったニューアンスで教えられていた「記憶」がある。シリコン以外、天然資源のほとんどない我が国は、工業立国こそ世界で活躍できる道だというステレオタイプの理解もあって、算数や理科の得意の子は、優秀な子と言った「色眼鏡」で好意的に評価された。世間の親達が、「私の子は理系や!」と、誇らしげに吹聴していたのを見かけた記憶も、ある意味いまだに生々しい。
個人的には、私は算数(中学生以降は数学)が得意科目であったのに、なぜか国語(高校生以降は現代国語や古典)も得意科目であった。だからと言って秀才だったと威張る気もないけれど・・・。そして以前このブログで、大学に進学した頃、高校の同級生から「河崎君は文科系でなかったの?」と驚かれたことも披露している。一方名古屋大学の空電研究所に籍を得て、いろいろ世話になった教授からは、「ロマンを語れない研究者は、秀自然科学者にはなれない。」とも教えられた。
こんな経緯もあって、義務教育や高校教育にあって、理系・文系と区別することに、肯定的であることには、ある種のひっかるものがあったのである。そして今回の報道には多いにわが意を得たりの気がしている。そして今後この傾向がどのように展開していくか、大いに気がかりながら、予備校や塾といった受験産業界からは、猛烈な逆風が吹くのではといった危惧もある。
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2026年02月19日

ディジタル教科書 2

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ちょっと付け加えておかんとあかんやろな。
昨日取り上げた、ディジタル教科書と紙ベースの教科書の話題についてや。
断っておくけど、わては天邪鬼爺いうても、ディジタルの書物そのものを全否定してるんやない。
あくまで義務教育、言い換えたら初等教育の段階ではどうあるべきか、ちゅう話をしてるんや。
初等教育の時分はな、あっちこっちに興味の眼ぇが向く、あの状態こそが大事なんと違うやろか。
目的の頁に一発で飛んで行ける便利さよりも、
「あれ、この頁ちゃうな」
「なんやこれ、ちょっとおもろいな」

ちゅう寄り道をしながら、結局は目的地にたどり着く−−
その過程で自然に身についていく力の方が、よほど値打ちあるように思うんや。
確かに気ぃが散るちゅう弊害はあるやろ。
けど、そこを上手いこと導くんが教員の腕の見せどころと、わては信じてる。
国語でも、社会でも、算数でも、理科でも同じことや。
ただな、何が何でもデジタル、ちゅう今の風潮はどうも気になる。
「日本はデジタル技術で遅れを取っている。それは教育の遅れのせいや」
−−そんな反省が根っこにあるんやろ。
それ自体は、的外れとも言い切れん。
せやけどな、
ディジタル教育と、子供にディジタル教科書持たすこととは、別もんの話のはずや。
わてらの世代は、高校まではディジタルとは無縁やった。
大学二年、1970年頃になってようやく、あっちこっちで顔を出し始めた。
電気系やったさかい、アナログもディジタルも両方習ったけど、今になって思うのはこれや。
ディジタル技術は、あとからでも何とか身につく。
けどアナログは、そう簡単にはいかん。
この記憶を辿るなら、日本のディジタル技術の遅れの原因は、
実はアナログ教育を軽んじたところにあるんと違うか−−
そんな気ぃがしてならんのや。
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