2021年07月26日

卵のかたち

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朝日新聞の一面にある「しつもん!ドラえもん」のことは、何度か取り上げている。
子供達の、活字離れ、新聞離れの昨今、答えを求めて紙面を探し、巡ることがそれなりに意味のあるだろうと、私は信じている。ともかく、解答のある紙面や位置は、決まっておらず毎日探さねばならないので、
「工夫しているな!」
の好印象をを持っている。
ただ敢て難点を申し上げるなら、知識偏重、それもかなりマニアックな、に過ぎるきらいがあり、
「たまには考えさせる内容が、あったてもいいのでは。」
というのが実感なのだが、今日の「しつもん!」は良かった。
「鳥の卵は球ではなく、先の方が細くなっているのはなぜ?」
といった具合で、小学生中低学年が考え試して答えを出すのに適しているだろうと思う。
いや逆に、紙面で答えを探してから、実験ができるともいえそうだ。
とはいえ、私はこの企画は大いに気に入っており、この年寄りでも目から鱗という「しつもん!」のあることも少なくなく、末永く続けて欲しいと願っている。
大学入試のセンター試験、ここ数年考えさせる問題にせねばと、あれこれ改革に文部科学省は腐心しているようながら、子供達に考える習慣を持たせる教育の有り方なんぞ、日頃の生活の中でも工夫できるのにとは、天邪鬼爺の本音なのである。
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2021年07月21日

国歌と国旗

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来月8月9日は、シンガポールの建国記念日である。
その日はNational Day という祭日になっている。
そしてそのNational Day が近づくにつれて、街には国旗が目立つようになってくる。
実際数年前の建国50周年の折には、各家庭に国旗が配布され
「マンションのベランダに掲示して、建国50周年を祝いましょう。」
といった企画もあった。
そのシンガポール国旗、我が家にも漏れることなく、配布されたのは言うまでもない。
私は、街のあちこちにシンガポールの国旗が目立つようになってくると、えも言えず羨ましくなる。我が国日本は、太平洋戦争という加害者責任を問われる大戦を引き起こした結果、日の丸を嫌う人も少なくない。被害国意識を持つお隣の国に至っては、日の丸や旭日旗を本音で敵対しているようにも見えたりする。
私自身、思想的には革新に近いけれど、日の丸を戦前の軍国主義の象徴として、とてもとらえる気にはなれない。むしろ予想しているよりは沢山の国民が嫌っていることを、悲しいことだとも思う。
太平洋戦争を引き起こし続けたのは、軍部であって日の丸の旗ではない。だから
「国民から嫌われる国旗」
を悲しいと思う。
ついでにいうと国家の君が代も同様で、万葉集に掲載されているうたの本来の意味から考えれば、かららずしも、君=天皇ではなかった筈だ。とはいえ悲しいかな、国歌「君が代」も歓迎されないことがある。国歌や国旗を愛さない人にいることは、国家にとって悲しい。
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2021年05月27日

大学生の学力 8

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「大学で学ぶことなんぞ大したことはない!」
そのように理解している、大人は多分少なくない。
「なら、なぜに我が子をそんな大学に入れたがるのか?」
と問い返せば、
「大学卒業の資格のある方が、子供の将来が安定するから。」
という答えが、判で押したように返ってくる。
だからこういった考え方の連鎖を、断ち切らねばならないだろうと分かっていても、議論を始めれば
「鶏が先か、卵が先か?」
に行きついてしまう。つまるところ、堂々巡りとなってしまう。だから研究志向型の大学教授として、
「良い研究者を輩出すること。」
に腐心した。知恵を絞ったつもりである。それでも
「自己満足ではなかったのか?」
と、懐疑的になることも少なくない。
私の在職中にも
「大学の教養課程は不要である。」
さらには、
「理科系の大学生に、文学や政治経済を履修させる必要が無い。」
といった過激な意見に加え、
「大学に入ったときの実力を維持するためには、一年生からすぐにでも専門科目を履修させるのが良い。」
と議論が出て、多くの大学で教養課程が無くなったのが1990年代末頃だった。
ただ私は、
「大学の教養課程を無くすことは、大仰にいえば大学の崩壊につながりかねない。」
とも危惧していた。実際ここ数年、「リベラルアーツ」の重要性が注目されるようになってきているようで、学生諸君にしてみれば
「いい加減にして欲しい!」
というのが、本音ではなかろうか。
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2021年05月26日

大学生の学力 7

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今日は、Vesak Day で祭日。お釈迦様の誕生日を祝う日だそうな。
私の記憶によれば、お釈迦様の誕生日は、日本で花まつり(灌仏会)と呼ばれ4月8日ではなかったっけ。ただ太陰暦では今日は4月15日に当たるので、そう考えるとまあ、許容範囲の差だろうか?
ちなみにタイの友人も、本来なら今日の夕方お寺に行って祝うのだが、新型コロナウィルス禍、残念ながらお寺に行くことはできないと知らせてきてくれた。

さて大学生の学力である。
私の大学人としての理想論はともかくとして、現実はどうなんだろう。
大学を離れて8年も経っているので、昨今の大学生気質は、私の在職していた一昔前とは、また変わってきているのかもしれないけれど、隔世の感とまではいかないだろうと、勝手な想像をしている。
ならば、全国の大学が一斉に、卒業の条件を厳しくするという方針を取ればいいかというと、それはそれで現実的ではない。というよりできないだろう。ただ、昨今大学に進学するより、専門学校に行って技術を身に付けたいと考える若者も増えているとも聞かされれば、大学に関する我が同胞日本人の思いが変わってきているのかもしれないとも思う。しかしながら、大学を卒業後、就職のために専門学校に行くという選択肢もあるらしく、これなんぞ全くの本末転倒としか理解できない。
これも大学という高等教育の、日本における超大衆化が招いた弊害なのだろう。
大学生の学力を向上させるのは、一筋縄ではいきそうにない。
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2021年05月25日

大学生の学力 6

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1985年5月からほぼ一年間、スウェーデンのウプサラ大学で過ごした時のことである。私はその折、かなり沢山の年配者が、気象学の講義を受講していることに気付いた。講義の後たまたま何人かと話し合ったところ、彼らはトラックの運転手であったり、小学校の教員であったりであった。この方々は、講義の後図書室であれこれ調べ物をして、講義内容の確認をしているように見えた。
トラックの運転手という人は
「若い頃、早くお金を稼ぎたくてねぇ。でもこの年になって、もう一度勉強したくなったものだから・・。」
と、話してくれた。年を聞けば50歳を優に超えているということで、あの頃は
「フーン、そんなものかなぁ。」
と、ただ納得しただけであった。ただ受講生はそれぞれ歳を積んでいるだけに、単に単位を取りたいといった我が国の学生諸君とは、学習に対する意気込みの違うのは理解できた。
時を今日に戻せば、ここシンガポールでも、大学の講義を受けている職場の同僚がいる。そして何年かをかけ学士号を得てキャリアアップしてゆくので、大学で身に付けた知識は、私の見る限り大いに役立っている。かかる意味で、我が国の平均的な意味での大学生とは、大いに異なる。少なくとも我が国の大多数が信じているかも知れない
「大学は、アルバイトを通じて社会勉強をするところ。大学の学問なんぞ、実社会では役に立たない。」
とは、全く立ち位置が違う。そしてこんな風になってしまった一つの原因を、私は高等教育の行き過ぎた大衆化にあると、考えているのだが・・・。(この稿続く)
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2021年05月24日

大学生の学力 5

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大学生の学力に関して、私なりの理解、意見を披。露している。
最初に書いたかもしれないが、我が国の多くの受験生は「大学に入ること」が目的であるから、入学後はそれまでの努力に比べれば、はるかに学習態度が希薄になる。例えば数学や英語の実力は、大学入学時が一番高いと、信じられている。あくまでも一般論としてながら・・。
京都大学の教員の集まりに招かれた有名企業の社長がその際の挨拶で
「私どもの会社は、京都大学の卒業生だから採用するのではなく、京都大学に入学できた学生だから採用するのです。」
と仰ったとか、仰らなかったとか。しかしこのご発言、大学人としての私は、決して甘んじて受けようとは思わない。とはいえ、私自身も大学三年生までの学習態度は、決して褒められたものでないと認めている。ただ四年生で研究室配属されて以降は、直接面倒見てくださった先輩や、研究室の先輩達のおかげもあって
「良い研究者にならねば!」
と考えたし、追いつき追い越したいというライバル意識も芽生えたりして、彼らの読んでいる本を必死で理解しようと努力した。朝一番に研究室にやって来て、皆が出てくるまでのい二時間足らずを、自習のために充てていた。修士課程、博士課程の5年間で、完全に理解できたかどうかはともかく、関連する専門書や周辺知識に関する専門書を、結構沢山読んだという自負がある。だからアメリカの学生のように広範な知識はないかもしれないが、自身の専門分野に関しては結構深く理解できており、諸外国の研究者とも肩を並べることができると信じている。そしてそれは私に限ったことではなく、我が国研究者と欧米の研究者を比較すれば、この傾向は間違いなくある筈である。これをして「大学人のたこつぼ化!」と非難する向きもあろうが、私はこれはこれで一つの特徴としんじているのであり、長所の一つと確信しているのである。(この稿続く)
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2021年05月23日

大学生の学力 4

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社説にも述べられていたように、日本国内の大学数は、昔駅弁今コンビニと揶揄されるほど多い。大学の数が増えたのは、それだけ需要があったからで、超難関大学から比較的やさしい大学まで、スペクトル幅は広い。需要が高くなったのは
「大学卒業の肩書が、個人の将来を決める!」
といった風潮があったからで、となると教育の質を考えることより、大学卒業の資格を取ることが目的となって、その結果が駅弁大学あるいはコンビニ大学という現状を生み出したのだろう。早い話、大多数が「卒業すること、学士の資格を得ること。」が目的となり、真に自身の能力を高めることは、ある意味必要なくなったのである。それに大衆化した高等教育の成れの果ては、教育カリキュラムは誠に総花的となっている。このあたりがアメリカなどに比べ、卒業のために修得すべき科目数はyあたらと多い。一日4コマ一週間5日で、15科目程度も履修せなばならないので、いきおい予習や復習はカバンお隅に追いやられ、真摯に履修科目の理解に取り組むのは、定期試験のための一二週間程度となる。試験する側もそれが判っているので、その科目の肝に当たる部分を出題し、学生達は過去問サイトで情報を得て、ともかく単位を得るのである。
必ずしもアメリカの大学の有り方を全面的に良いというつもりはないけれど、例えば午前中に座学、午後にはその科目の演習という形をとることが多く、彼らの高校までの有り方の気楽さに比して、大学生になってからの厳しさは、多分半端ではない。だから一般論として、アメリカの大学の学生の実力は、我が国の学生の実力よりも、かなり高いというのは実際のところであろう。一方、我が国の大学教育の有り方にも、長所がありそれに関してはまた明日にでも。(この稿続く)
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2021年05月22日

大学生の学力 3

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私が問題視していた初等・中等教育の有り方は、予備校や進学塾の手合いで、これらの多くは俗にいうHow toにこだわって教える傾向にあると考えていた。かくいう私自身お受験生時代には、How to本や、傾向と対策本のお世話になった。それどころか、あの頃にはすでに各種国家試験対策の予備校や定期試験の専門学校まであった筈で、
「日本人は、受験対策に秀でている国民性があるのか?」
とさえ、考えていた。
だから学生達の運営する過去問サイトに
「河崎先生の定期試験は、過去問に傾向が無いので過去問を勉強する意味が無い。」
と書かれて、ほくそ笑んだのである。
それともう一つ私が腐心したのは、
「教えている科目を好きになってもらいたい。そのためにはどうしたら・・。」
なんぞと考え模したのである。
昨今(あの頃もなのだが)、講義に当たっては学生達が理解しやすいように配慮することといったお達しがあり、学生達が分かりにくいと訴えると、教務係からイエローカードやレッドカードが出されそうな雰囲気にあると、考えていたのは私だけではあるまいと思う。
ただ私自身が大学人であったからという理由でなく、世界に伍して競争している学問が、大学に入って一二年の学生諸君に分かりやすい筈のあろうわけがないと信じている。ある意味血のにじむような努力をして、それでも世界との競争にはなかなか追いつけないのだから、やさしく教えていたら何をかいわんやなのである。だから、研究室で仲間となった学生には、少なくともやっていることを好きになってもらえるよう、あれこれと細工をしたのは事実である。それとて何人かに一人しか効果のなかったのは正直なところである。
話がわき道にそれてしまった。
大学生の学力についてである。
何をもって学力と定義するかはともかく、私は高等教育の大衆化、それも過度の大衆化も一つの因かと考えている。この議論はまた明日にでも。(この稿続く)
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2021年05月21日

大学生の学力 2

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大学を離れて8年もなる。
後2年もすれば、俗にいう一昔前の大学しか知らなくなってしまう。
ただ一般論として、大学生があまり勉強しないという傾向は、おいそれと変わるとは思わない。
私が教鞭をとっていた最後の頃は、俗にいうゆとり世代の年代で、高校の電磁気に毛の生えた程度の内容を教えた。開講に当たって、学生さん達に公言したのは、
「予習と復習をしてこなければ、理解できないように教えます。」
という点であった。
それにもう一点、
「試験結果には絶対下駄を履かせません。ただし何回でも再試験。追試験をやります。」
とも明言した。
私は、大学教員として、高校生まではあれだけ真摯に勉学に取り組む彼らが、
「大学生となってサバティカルを楽しむ。」
のは、確かに初等、中等教育の有り方と考えてはいたものの、
「そこは規定値としてある以上、変えることはできまい。それなら講義を通して、勉学に取り組む姿勢を変えて貰えるように配慮しよう。」
と考えたのである。
私の教えていた科目は必修科目で、単位を落とすと確実に進級できなくなる。確かに一度の試験で及第点を取ることは望ましいかもしれないけれど、一方何度もつまずいて自分の理解不足を気付き、補うよう努力するのがより教育的と考えたのである。
今になって考えるに、果たして効果があったか否かは甚だあやふやながら、当時学生達の利用していた、「定期試験過去問サイト」とかいうのには、
「河崎教授は、何度でも追試をしてくれる。ただし過去問は傾向が無いので、過去問を勉強しても意味が無い。」
と掲載されていて、当時は
「してやったり!」
と、ほくそ笑んでいた。(この稿続く)
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2021年05月20日

大学生の学力

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2009年1月25日のブログから

今日の朝日新聞の社説が興味深い。見出し,
大学生の学力 まず入試から考える力を
が目に飛び込んで来た。その社説の書き出しに,昔駅弁,今コンビニと皮肉られるほどに,日本の大学は数多い。とあり,今後益々の少子化と相まって大学全入時代の到来が予想され,結果として大学生の学力が低下するであろう事への,警鐘を鳴らしている。この社説の警鐘を聞くまでもなく,学力の低下は既に現実のもので,分数の計算ができない大学生,高校カリキュラムの補講を実施する大学等々,類する話を数多く聞く。社説には,半数の私立大学の入学試験定員割れという現状で学生を絶対評価ではじくだけの余裕がないところも少なくない。ともある。加えて私の持論,大学生サバティカル論がもう一つの現実で,褒められたことではないにせよ,
「大学は疲れ切った受験勉強から解放され,社会人となる前のしばしの休息の時。」
と,考えている学生諸君も少なくなかろう。学生諸君だけではなく,そう考える大人達もこれまた少なくない。以前母と子の会話として,こんなたとえ話を披露したことがある。
母:あんたこんな朝早くからどこへ行くの?
子:今日は一時間目から講義やんねん。
母:講義に行くほど暇なん!今日はアルバイト休みか?
いやはや,笑うに笑えない現実で,これでは大学生の学力が高まる筈もない。
悪いことに,近々経済開発協力機構(OECD)が,大学生対象の国際学力調査を始め,学力の質を調査するそうで,我が国大学生の学力の質に低さがいよいよ白日のもとに曝されることになるのだろう。はてさて・・。

さてここからは、今回のオリジナル。
私はこののち、エジプトアレキサンドリアで、エジプト・日本科学技術大学の設立に二年間関わった。本来骨を埋めるつもりでいたのだが、エジプトの仲間からは歓迎を受けていたが、JICAからは声がかからなかった。私自身のやや激しい性格が災いしたのかもしれない。
話がそれてしまった。
つまりこの主題で、エジプトでの経験も踏まえて、もう一ど考えてみたい。(この稿続く)

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