2019年11月15日

大学入試共通テスト 5

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義務教育の期間に身に着けておくべき、会話力、文章力、高校卒業時点で身についている筈の、会話力、文章力、さらには大学卒業時点での、会話力、文章力、だれが標準を決めるかはともかく、それぞれ年齢相応であるべきなんだろう。
こう考えだすと、大学の教養課程廃止が、今更ながら歯痒くなってくる。
欧米のやり方を礼賛つもりは毛頭ないけれど、彼らの大学教育の場合リベラルアーツの上に立っての専門教育を行っているので、俗にいう専門馬鹿を輩出してはいないための配慮はなされている。欧米から大学教育のありかたを輸入し、第二次大戦の敗戦を経て大学教育の見直しを行ったとき、我が国は欧米のリベラルアーツ教育を、大学教養課程として取り入れた。一方、大学人が評価されるのは、研究成果があってのことで、教養課程の教育はついつい疎んじられる傾向にあったのは、否めない。それが戦後40年ほどを経て、高度成長が陰りを見せ、その責任の一端を大学が背負わされた時、こともあろうに大学人達は
「教養課程なんぞ必要ない。高校から大学に入ってきてすぐにでも専門教育をする。まさに鉄は熱いうちにうてである。」
なんぞと結論した。いやこういった暴挙に反論する大学人もいたけれど、大勢はいかんとも代え難かったのである。だから大学卒業生に会話力や文章力がないと短絡的には結論できないとはいえ、一方で日本の大学ではこういった教育をまともにやってこなかったことも事実なのである。(この稿続く)
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2019年11月14日

大学入試共通テスト 4

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何のための入試改革であり、教育改革なのであろうか?
学問の進歩に合わせて、教科の内容を変えていく必要性の、当然なんことは自明だ。
それに読み書きを中心としてきた英語教育(語学教育)を、現代の国際化に適応していける若者を輩出するため、聴く話すの教育にも力点を置かねばならないことは理解できる。ただだからといって、大学入試制度を抜本的に変えねばという論理には至らない。制度を変えれば、その制度にうまく適応できる受験のやり方を、誰かが考えて蔓延させるだけで、個々の実力が果たしてと尋ねられると、私は甚だ懐疑的である。
それから日本語の文章力のお粗末な点も指摘されていたっけ。
この件で確実に言えることは、若者の読書離れが影響している点ではなかろうか。なんといっても日本の文化となってしまったアニメーション、漫画本に夢中になる若者が多くなり、読書三昧なんて話は、過去の遺物に近い。確かにアニメーションでも情操教育的には意義もあろうが、読書をして文字から入る情報で、読者自身が感情移入できれば、より情操教育に役立つことは間違いない。
モバイルでの、SNSなんぞも文章力低下の一因だろう。だからといって、アニメーションやモバイルの無い世界は、もはやありえない。そんな環境下で、文章がきちんと書ける若者達をどう育てていくのか?入試制度や教育課程をいじるだけでは、多分解決はしまい。入試で有利になるといった薄っぺらい価値観ではなく、もう少し広い視野を持ったうえで、文章を書ける、外国人と交渉できる、等々の重要性を価値観として持ち続ける若者達の輩出が肝要なのである。そういう教育が、高等教育の場に要求されているのが今日なのである。
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2019年11月13日

大学入試共通テスト 3

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英語修得の話題から、いつの間にやら大学入学共通テストに話が及んでいる。
もともとは日本人の英語力、とりわけ聞く・話すに関しての弱さが指摘され、それについて論じていたのだが、その間に共通テストの実施是非問題が顕在化してしまった。
きっかけの一つは、経団連からの、
「大学卒業生の英語力が、きわめてお粗末。」
という指摘、実際今日の新聞報道では、
「非英語国100か国の英語力、我が国は53位」
とかいう記事もあったほどだから・・・。
それに教育改革とやらが絡んで
「共通試験に、論述式の問題も!」
とか言った、わけのわからない答申がでて、それを忠実に守ろうとする動きがあり,それに一石も、二石も投じたいという、天邪鬼爺なのである。
ただ「有識者会議」の主張とは別に、「有識者」は実力を付け・保つことより、
「こうすれば大学に受かりやすいです。」
といった、「傾向と対策」を受験生やその保護者達に示したりする。
例えば英語に関して言うなら、
「バイリンガルなら、英語入試枠なんて使えるので難関大学に受かりやすくなります。」
なんぞという、悪魔のささやきをするのである。
だから、これではいかに入試を変えようとも、真の実力を付けるのには役立たない。
こういった傾向は、独り有識者のみが悪いのではなく、受験する側も大学に入ることを目的としているからで、双方の責任だろうと私は考えている。
何やらますます話が発散してしまっているので、明日は何とか取りまとめたい。(この稿続く)
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2019年11月12日

大学入試共通テスト 2

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天に向かって唾吐くようなものながら、「有識者」をこき下ろしてみたい。
「有識者」はそれぞれの分野で、功成り名を遂げた方達で、そういうセンセイ方は、ついつい御自身の過去を美化なさる傾向にある。例えば世界的に有名な賞を受賞されたある先生が、NHKの速報インタビューで
「いや高校が受験校だったもので、大学に入ってからは二三年は柔道ばかりやってました。」
とかなり本音の対応だったのに、受賞騒ぎが収まってしばらくすると超優等生的発言が増えたのを覚えている。
「鉄は熱いうちに打てですから、大学に入ったらしっかり勉強して、最終的には研究に没頭してもらいたいものです。」
といった風な。それに忖度してか、テレビ報道も最初のインタビューの様子を二度と放映しなくなっている。まぁこれ何ぞ判りやすい一例で、有識者会議に選ばれる先生方は、大なり小なり似たようなものなんだろう。
そもそも大学入学の時の受験科目に関わる学力を維持するのは、決してたやすいことではなかろう。すなわち大学では、専門に特化していくのが普通だから、英語を覘く受験四教科はある意味必要度が低くなる。英語だって専門に特化した論文を読むわけだから、論説や物語とは無縁になる。こんなわけで、受験に関わる教科の学力は、受験時がピークであるのが普通でなのである。
以前このブログで紹介した内容を今一度繰り返す。
京都にある大企業の会長が、これまた京都にある最難関大学の正月の会合に招待され
「私どもは、この大学の卒業生を採用したいのではなく、この大学に入学された学生を採用するのです。」
と、いやはやとぼけた挨拶をなさったというのである。大学人には耳の痛い挨拶であったろうが、世間一般の大学に対する期待(?)いや印象はそんなところなんだろう。私自身、教育に対して自信と自負心があり、決して先の挨拶を肯定はしない。何やら話が発散してしまいそうながら、仮に大学入試共通テストがうまく機能したとして(する筈もないが!)、有識者の提言通りあれこれ実力が試されたとして、それが4年後に就職したとしてどれほど残っているというのだろうか?(この稿続く)
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2019年11月11日

大学入試共通テスト

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大学入試センター試験に代わる、大学入学共通テストの導入で、世間とりわけ受験生達は騒然となっている。総理大臣肝いりの教育改革とやらで、有識者会議が、
「英語の聞く、話す力が弱い。これでは国際競争に勝てない。さらに日本語の文章力が心許ないし、数学だって記述式の能力を養っていかねば・・・。」
あたりの答申を出したのだろう。だからマークシート方式のセンター入試を、論述式の国語や数学、それに聞く・話すを試す英語を取り入れた共通テストに取って代わらせると方針を出し、過去二年間試行試験を実施して、いよいよ来年導入となってからのごたごたである。
そもそも私は、有識者の会議をあまり信用していない。考えてみれば私自身大阪大学の名誉教授だけに、有識者の一人なのだろうが、私自身は天邪鬼で、はすかいに構えているので、先に上げたような答申、とても恥ずかしくて出せないと思う。言い換えると有識者会議に選ばれるようなエライ先生達は、忖度にたけていらっしゃり、本音であまりものをおっしゃらないよう心掛けていらっしゃる。例えば大学入学時点で持っていた実力、有識者の諸先生は、果たして大学四年間維持できていたと、自身がおありだろうか。先ず英語、これはここ10日余り論じている様に、笊で水を掬うようなものだし、絶えず補っていかねばどんどん落ちていく。日本語の文章だって同じだし、数学の例えば三角関数、加法定理を何人が大学卒業時に使いこなせるだろう。
それからもうひとつ、マーク式のセンター入試である程度の基本的力を確かめて、各大学が二次試験で論述式の試験をというのが、共通一次、センター入試と続いた歴史だったのじゃないか。それを有識者会議のセンセイ方はすっかりお忘れか?試験なんてどのように配慮したって、完璧には決して成り得ない。だからセンター入試で知識を確認し、二次試験で思考力を確かめるとなっていて、欠陥を補うようにしていたのじゃないか。

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2019年11月10日

英語修得10

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英語修得の話題を続けている。
大学院時代に、色々とお世話になったS先生やM先生から教えられたことも、今となっては有意義だったと考えている。両先生は私よりは10歳程度上の先輩で、私の修士、博士課程時代は助手をされていた。今日でいう助教である。S先生は一足先に工学博士の学位をとられていたけれど、同い年で互いのライバル意識は結構高かったように記憶している。なんといっても40年以上も昔のことである。
教わったのは英語の論文に関してである。お二人の教えとは
「英語の論文を書くには、英借文するつもりで書かないと、我々日本人には難しい。」
で、関連する論文の言い回しを使いなさいという内容であった。特にM先生は良い言い回しを見つけたらノートに書き留めておられて、そのノートが何冊か溜まっていた筈である。ただそのノートはご自分の宝物ということで、決して学生には見せてくださらなかった。天才肌のS先生はその手の面倒くさいことはなさらず、必要に応じて関連論文の中から探し出すといった風ではなかったろうか。いずれにしても、お二人とも「笊で水を掬う」ことをいとっていなかったのは事実であることは変わりはない。ただ私より10歳年長だけに、英語教育の中心は、読むと書くが中心で、聞く話すに関してはいささか心もとなかったかもしれない。(この稿続く)
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2019年11月09日

英語修得 9

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言葉の修得、英語修得の話題を続けている。
今日も私事ながら披露したい。
生まれての海外出張は、足掛け三か月、11月20日過ぎから年をまたいで1月中頃であった。ノルウェーイの西海岸での冬季雷観測が出張の本務で、その岐路私はイギリスマンチェスターの大気電気研究グループを訪問、その地では二泊三日か三泊四日だったろうか。
マンチェスターではこういった訪問ではお決まりの、セミナーをやるようにといきなり要求された。実際訪問まではそんなことを依頼されようとは考えてもいなかったのである。なんといっても雷放電の研究に取り組んで、まだわずか二年足らずのペーペーである。とはいえ乗りかかった船、やってみようと準備を始めたら、滞在中の世話をやってくれているアンソニーさんが
「河崎何をやっているんだ。え、発表のための原稿を書いている。君はそれを読むつもりか?」
というではないか、そして
「日本人の発表者の多くは、そんなやり方だからダメなんだ。君はこの分野に新しく入ってきたのだから、最初から正しい方法でやった方が良い。まず言いたいことを箇条書きにする。そのメモ書きを見ながら、内容を頭の中で整理する。そしてそれだけで発表するんだ!」
とえらくハードルの高い助言である。当然ながら負けず嫌いの私は助言通りにやってみたところ、発表はまずまず思うようにできたけれど、質疑応答が難行苦行。彼らは、多分わざとだろう、普通の話すスピードで矢継ぎ早に質問するものだから、半分以上が聞き取れなかった。それにしても手荒いもてなしであった。ただこの手荒い歓迎が、結果的には今日の財産になることになろうとは。(この稿続く)
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2019年11月07日

10年前の今日

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ちょっと気取った話題を提供したい。(ちょうど10年前の今日の話題である。)
中国,韓国,そしてわが国日本は,漢字を共有している。正確には,中国で生まれた漢字が,韓国を経て6 世紀中頃に我が国にもたらされた。本家中国では,略字が考案され頻繁に用いられている。略字は判っても本来の文字を知らないという若者もいる様だが,漢字以外の文字は用いてはいない。韓国ではハングル文字が考案され,韓国の最近の若者はあまり漢字を使わなくなったとの話も聞く。我が国では,もたらされて以来1400年を越し,10世紀頃には漢字を変形したカタカナやひらがなが考案されたとはいえ,依然として漢字に依存するところは大きい。いずれにしてもこの三国は,漢字文化を共有している事は紛れもない。
最近この三国の漢字文化についてちょっとした随筆を読んだ。その内容は後ほど述べるとして,私は人名は,その個人の故国の発音を使うのが正しいと考えていた。例えば今年亡くなった韓国の「金大中」元大統領は,「きんだいちゅう」と発音するのではなく「キムデジュン」と発音するがごときである。実際NHKの放送では,その様に発音しているし,読み仮名もそうなっている。こうなっているのは,多分日韓の不幸な歴史も関係しているに違いない。ところが不思議な事に,中国人に対しては,例えば「毛沢東」を「もうたくとう」と発音し,「マオツォトン」とは発音しない。古い話しながら,私が中国を訪問した1988年,「バェホェのテレビドラマが人気だ!」と聞かされ。なかなか山口百恵の事だとは気付かなかった。中国人は,日本式発音で読まれても気にならない代わりに,日本人名を自分達の発音で読む事も平気だという事になるのだろう。
で私の読んだちょっとした随筆である。
「三国の漢字文化があるのだから,漢字で書かれた人名などは,個人の母国語読みより,それぞれの国の発音で良いのじゃないか!」
というのである。その随筆の主題は他にあったため,この事をきちんと議論していなかったけれど,
「フーン,成程。そんな考え方もあるのか!」
と感心し,
「はてさて自分自身はどうしようか?」
と悩みながらも,しばらくは母国語発音をと考えている。
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2019年11月06日

英語修得 8

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中国からのある留学生のことも、言葉の修得という意味で結構印象的な思い出がある。ちなみに大阪大学在職中に、私の研究室で直接面倒を見た外国からの留学生は、多分20人近くだろう。そんな留学生に
「日本語はあえて覚えなくても良い。研究は英語で議論できるから。」
と、研究室内の公用語を英語としていた。ただそれでも、日本語の国語辞典は自由に使ってもいいようにとの配慮だけは、怠らなかった。
そして文頭の中国からのある留学生である。実はこの留学生は女性で、工学部電気系というとあの当時はある意味「男社会」であったこともあって、はなはだ存在感が低かった。雑談に参加することも少なく、物静かだったとのである。そんな彼女だったのだが、修士課程の終わり頃ともなると、学生たちの馬鹿話を聞きながら、くすくすと笑ったりするようになったのである。私は彼女の日本語能力がかなりのものになっていることを確信、果たして貸してあげていた国語辞典は、ものの見事に使い込まれていたのである。笊で水を掬うことを惜しまなかった、一つの成果だろうと今でも信じている。彼女の場合、中国語を母語として、日本語とのバイリンガルを実現したということになろうか。(この稿続く)
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2019年11月05日

英語修得 7

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私自身、バイリンガルと信じているが、本当のところはどうなんだろう。
ともかく半世紀ほど昔、中学生になって、英語を習うようになり、12月のはじめに、
「NHKラジオで、基礎英語という番組がある。続けて聞くとためになるよ。」
と、確か体育の教員から勧められ聞き始めた。講師は芹沢栄さんだった。以来学校の授業は手を抜いても、基礎英語、英語会話と毎朝六時台の聴取は原則怠らなかった。その甲斐あってか、三年生の修学旅行で明治神宮で二人連れのアメリカ人と会話(今となっては会話と呼べるようなものかどうかは疑わしい程、多分幼稚な内容だったろうが)ができ悪ガキの級友たちを驚かせた。それに気を良くしたつもりなど毛頭ないが、高校生になっても大学生になってもラジオ番組の聴取は続けたのである。大学への進学は、大学闘争のほぼ末期の頃で、押しなべて勉学意欲が下がる傾向にあったのは否定できないけれど、早朝のラジオ英会話は続けて聞いていた。英語を話せるようになりたいという、漠然とした取り組みではあったものの、継続とは力であったと今にしてしみじみ考えるのである。
私のことはさておき、孟母三遷を地で行っておられるご両親に、
「環境を与えるだけでは本当のバイリンガルには成り得ませんよ。」
とお教えするのだが、大概の場合
「いいえうちの子供は、日本語でも英語でもかいわができています。」
と自信たっぷりの返事のかえって来ることが多い。日常会話のできることの、きちんとした交渉のできることは、全く別問題で、私の理解では交渉のできる人が、本当の意味のバイリンガルであると固く信じている。(この稿続く)
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