2025年12月26日

四半世紀が終わる

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2025年も、余すところ一週間となった。
そして新年を迎えれば、21世紀も4分の1を終えたことになる。
私の教授昇進(研究科長から辞令を頂いた)は、2000年12月16日であったから、面白半分もあって、「前世紀(20世紀)最後の国立大学の教授だ。」と、ある意味それを売りにしていた。最近の若者なら「推し」というのだろう。4分の1を終える21世紀だというのに、依然として失われた30年の終わりが見えないと気を揉んでいるのは、この天邪鬼爺だけだろうか。
先日来話題にしている政府肝入りの「国際卓越研究大学」の、大盤振る舞い。世界をリードできる大学を作ることが起死回生になるは筈と、「大先生」方はもくろんでいらっしゃるのだろう。が、果たして、果たしてと、天邪鬼爺の取り越し苦労が先に立つ。確かに研究で成果を上げるには、それなりの研究費の必要であることは事実ながら、大型予算があるからといって 良い研究が担保されるわけではない。このブログで折にふれてあげている、必要条件と十分条件である。「大先生」達は、必要条件さえ満たせばと理解されて、文部省に諮問されているわけではあるまいに、何故に毎度毎度同じような失敗を繰り返すのだろう??
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2025年12月22日

大盤振る舞い

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文部省の超大判振る舞い「国際卓越研究大学」の本年度公募
東京工業大学と東京医科歯科大学の合併で生まれた「東京科学大学」の採択が決まったという。同じく応募していた京都大学は、組織構成の見直しが指摘され、一年以内に採択されるらしい。また当然選ばれる筈の東京大学が、昨年度の不正もあって採択を見送られた。この件に関しては、事前に新聞報道でも取り上げられていたので、驚くにはあたらない。
さてここまで書いて、十数年前の文部科学省の大盤振る舞いを思い出した。
あの時の公募は何という名称だったのか、もはや覚えてはいない。
ただ科学研究費の公募の、10倍を下らない規模で、学科単位あるいは複数の学科共同を許す形での募集であった。だから採択されなければ、「ダメ学科」レッテルを貼られかねないといった危機感持っての申請書造りであった。それに例えば大阪大学の工学部の場合、全20超学科の内数学科程度しか採択されないというある意味難関公募であった。
当時現役教授だったし、確か学科長を仰せつかっていたので、ある意味必死の取り組みであったのである。そんな大盤振る舞いも、はたしてどんな効果があったのだろうかと、今になって首をかしげている。
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2025年12月20日

台湾有事

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シンガポールに戻って、依然気になるのは中国との「泥仕合」。
岩盤右翼の受け狙いか、我が国総理が台中関係に踏み込んだ発言をされた。
「それなら!」
と、天邪鬼爺は思う。
「我が国がきちんと国交を保持していて初めて、今回の総理の言い様も理解できるかも?」
けれど、1970年代以降台湾を国として認めていないのは間違いのないところ。早い話大陸の国の一部として接している。それなら中国という国の、国内紛争に口を挟むのは、明らかに過っている。それにしても、岩盤右翼の方々は、共産主義を認めたくないのだろうし、その方々の支持を得るには、台湾有事の際はと踏み込むのが得策なんだろう。
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続大学改革の失敗

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私・天邪鬼爺にとって数少ない血縁関係にあたる、母の従妹の孫K君が大阪大学の四年生に居る。大学院は京都大学に進学予定と聞いているが、卒業のためにはあと英語二単位が必要だとか。私達が大学生の頃は、そんな二単位は教養課程で取得済みだったけれど、30年近く前に教養部を解体し、一般教養の単位不足なら学部には進学できないという縛りが無くなったので、こんな事態が起こりうる。教養部解体には個人的には反対したけれど、結果責任としては解体を決定した教授会にあるのだから、天邪鬼爺も責任者の一人に違いない。ユニバーシティーでは、リベラルアーツ(一般教養)を修めて後に専門教育をやるというのが本来の形であるのだから、このK君の例なども「大学改革の失敗」の一例に違いない
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2025年12月11日

大学改革の失敗 10

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大阪帝国大学は、五番目に設立された帝大である。
その大阪大学に、私は1969年(昭和44年)に入学した。
東京大学の入学試験が、実施されなかった年である。大阪大学にも「学園闘争」の影響が当然あって、入学はしたものの期待していた「大学の講義」が始まるまで、8カ月近い自宅待機を余儀なくされた。太平洋戦後四半世紀を経たあの頃は、大学改革は学生の側からの強い民主化の要求があり、大学、文部省も対応しないわけにはいかなかったのだろう。
大学改革の失敗はさておき、講義が始まった頃「一に阪大、二に東大、三四が無くて五に京大」と面白おかしく仰る助教授がいて、「入学試験は東京大学や京都大学にはかなわないが、研究という意味では、大阪大学は決して劣ってはいないんだよ!」と、学生を盛んに鼓舞されるのであった。大学に入った直後だけに、学生の多くには「負け惜しみ」と理解したけれど、修士課程、博士課程へと進むにつれて、「大学の価値は、入学試験の偏差値で決まるのではなく、研究成果で判断されるべきなんだ。」と理解できるようになった。早い話、戦勝国アメリカの奨める大学の横並びは、決して必要ではないと強く信じている。実際アメリカやイギリスの大学には、厳然とした序列化がある。さらに毎年いくつかの団体が大学のランキングを公表しているではないか。だから文部科学省の方々や、科学技術総合会議の「大先生」方に、大学を弄り回すのはもうおやめになったらと進言したいと考えている、天邪鬼爺である。
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2025年12月09日

大学改革の失敗 8

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昨日は、太平洋戦争が始まった日であった。リベラルな天邪鬼爺としては、これを「開戦記念日」と呼ぶことには、どうにも抵抗がある。
さて、昨日の続きである。
「国際卓越研究大学」構想なるものが、おちめになった「元・技術立国ニッポン」のカンフル剤になり得るのか。天邪鬼爺としては、はなはだ懐疑的である。どう聞いても「護送船団方式」(と失礼ながら呼ばせてもらう)──すなわち、大学を選別して巨額のファンドを給付するというやり方は、研究者として納得しがたい。
巨額の資金さえあれば画期的な研究が生まれる、などという素朴な図式は、経験的にも成立しない。今年のノーベル賞受賞者お二人も、「最初は成果が認められず苦労した!」と述懐しているではないか。
とはいえ昨日も書いたように、国家的な大型研究そのものを否定しているわけでは決してない。カミオカンデだって、巨大な装置を作れたからこそニュートリノが検出できた。しかし、そうしたプロジェクトと「国際卓越研究大学」構想とは、どうにも相容れないものを感じる。
確かに昨年選ばれた東北大学には、将来芽吹く研究領域があるのかもしれない。しかし、それならば、すでに何らかの“気配”が見えてきてもよい頃ではないか。しかも、昨日のノーベル賞記念講演で、お一人の受賞者が「日本も基礎研究にもっと予算をつけてほしい」と語っておられた。これは、暗にこの構想への疑問を示した言葉と受け取ることもできる。
口幅ったいようだが、総合技術会議の委員である「大先生」方の中には、真の意味での基礎研究に携わった経験が乏しい人も少なくないのではないか。だからこそ、巨額の予算を投じれば若手が成果を出すに違いない──などと短絡した期待を抱いてしまうのだろう。
かつて大学には明確な序列があった。旧帝大から二期校まで、その中でも東京大学は別格。その「特権的序列」を前にして、「負けてたまるか!」と奮起した京都大学が研鑽を重ねた結果、「ノーベル賞は京大の方が多い!」という状況にもなった。今年の受賞者お二人も京都大学出身である。
基礎研究の経費が乏しかったことは確かに不利だったかもしれないが、序列があるからこそ、それを凌駕しようと努力し、良い研究が生まれてきた──そんな側面も、歴史は示しているように思えてならない。(この稿続く)
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2025年12月08日

大学改革の失敗 7

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政府は「国際卓越研究大学」を選定し、巨額のファンドを拠出する制度を打ち出した。その狙いは名称が示す通り、世界的な研究大学としての競争力を強化することにある。近年、世界大学ランキングが盛んに公表されるようになり、日本の名門大学であっても上位に食い込めない状況が続いている。この現実が「大先生」や官僚諸氏には歯がゆく映り、さらに日本の技術力や製品品質にも陰りが見え、いわゆる「失われた30年」を招いたとの危機感が背景にあるのだろう。
 しかし皮肉なことに、その失われた30年の間、大学を“横並び”にするべきだと大学改革を助言してきたのは、他ならぬ「大先生」方が中心の総合会議であったはずだ。それにもかかわらず、ここにきて序列化を再導入するかのような「国際卓越研究大学」構想を掲げるとは、朝令暮改とまでは言わないものの、研究者の端くれとして強い矛盾を感じずにはいられない。
 元大学人として不用意な物言いは慎みたいが、「大学には研究費がない」という声は必ずしも正確ではないと私は考えている。そうした不満を述べる研究者とは、多くの場合、競争的資金──いわゆる科研費──を十分に獲得できていない方ではないだろうか。確かに大学の校費だけで成り立つ研究はほとんどない。しかし、こうした声がマスコミ報道で増幅され、「大学には研究費がない → 日本の技術力が落ちた → だから国が大型ファンドを作るべきだ」という短絡的な構図が出来上がってしまった。そして大先生方の後押しもあって、「国際卓越研究大学」構想が勢いづいたのだろう。
 とはいえ、天邪鬼爺としてはどうにも腑に落ちない点がある。大学という“組織”を選んで巨額資金を投じるという発想は、どこか旧来の「護送船団方式」に似た匂いがするからだ。本来、研究とは卓越した個人の問いから生まれるものであり、個々の研究者の能力と構想力をこそ支援すべきではないのか。
 一方で、「核融合」「宇宙開発」「宇宙観測」など、国家戦略上重要と位置づけられた分野には、すでに大型予算がついているはずである。その事実を踏まえれば、研究費の不足を理由に大学そのものへ巨額投資を行う論理には、なお検討すべき余地が多いと言わざるを得ない。(この稿続く)
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2025年12月07日

大学改革の失敗 6

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国際卓越研究大学の第二期募集に、八つの大学が名乗りを上げているという。昨年度は東北大学のみが選定され、政府の10兆円ファンドから実に154億円が拠出されたと聞く。今年は、昨年落選した東京大学や京都大学が、捲土重来を期して応募しているのだろう。そこに私・天邪鬼爺の母校大阪大学を含む旧七帝、さらに東京科学大学、そして私立の雄・早稲田大学を加えた八大学が並んでいるらしい。
ここまで書いて、ひと月ほど前に連載した「大学改革の失敗1〜5」を思い出した。当時とくに悩まされたのが、総合科学技術・イノベーション会議の存在である。これは内閣府の下に設けられ、総理大臣直轄の組織だと理解している。1990〜2000年代の大学改革は、この会議の助言を受けて進められた節がある。とりわけ「ノーベル賞100人輩出」を掲げ、大型の競争的資金が次々と創設された。科学研究費をはるかにしのぐ規模であった。
大学人というものは、口を開けば「研究費が足りない」と嘆くものだ。そこに目の前へ大型予算がぶら下がれば、名だたる大学の学科が一斉に応募したのも当然である。私たちの学科もとりあえず申請し、採択された。確かに、予算という点では潤ったはずだ。しかし振り返ってみれば、若い助教や准教授が忙しく動き回ったわりに、画期的な成果が出たとは正直言いがたい――これが私自身の自己批判である。
そもそも論になるが、総合科学技術会議に名を連ねる「大先生」の多くは、研究一筋というよりも、若い頃から大学運営や行政手腕で頭角を現してきた方々である。そうした大先生方は、
「大学の研究費が少ない。だから大型予算さえ投入すれば成果が上がる」
と短絡的に考え、総理大臣や官僚諸氏にそう吹き込み、悪く言えば“たぶらかした”――これが私の理解であり、批判である。(この稿つづく)
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2025年11月29日

24時間働けますか?

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昭和末期頃の“24時間働けますか?”広告のフレーズを、誇りにまでは思わなかったが、少なくとも楽しんだ私達団塊世代後期の爺婆には、多分信じられない事ながら、
「少し風邪気味で、今日は休みます。」
という、言い訳をよく聞く。
常連様はご存じのように、私天邪鬼爺はシンガポールに長く滞在、お世話になっている当地の会社でもよく経験する現実である。実際昨朝も午前11時からの小ミーティングを予定していたので、自宅を出てバスから
「もうすぐ会社に付くよ!」
とSNSでメッセージを送ったら、先のメッセージが返ってきた。令和も7年となった今日、はたして日本ではどうなんだろう少し気にしつつも、働き方改革とやらで、似たようなものだろうと思っている。それにZ世代人という、爺婆には想像もつかない若者達もいる。
そもそも論ながら、我々昭和レトロ世代人、
「風邪は働きながら治す。」
「風邪をひくのは緊張してない証拠。」

なんぞという、今日ならパワーハラスメントそのものの文言を頭の中で反芻し、日々過ごしていたことも懐かしい。1964年の東京オリンピックで、ロシアを破って金メダルを獲得したニチボウ貝塚バレーボールチームの監督だった「鬼の大松」さんは
「けがは練習で治せ!」
とまで言ったというからすざましい。
天邪鬼爺ながら、大松監督の様にとは言わないまでも、一緒に働いている仲間達には、少しは無理をしてでもという気持ちで、取り組んでもらいたいというのが、本音である。ただ国内・国外いずれも、そんな考えは受け入れられない時代なのだろう。
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2025年11月22日

世界の真ん中で輝けるか?

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平野啓一郎さんの随筆『あなたが政治について語るとき』を読み始めたことは、一週間ほど前のブログにも記した。就寝前、ベッドで少しずつ読み進めているため、一日に一章か、せいぜい二章ほどで、なかなか読み終わらない。そんな中、昨夕ようやく「世界の真ん中で輝く」という章に辿り着いた。
ご承知の通り、このフレーズは元首相安倍さんのお気に入りであり、現在の高市総理も頻繁に用いていらっしゃる。高市総理の件はひとまず置くとして、最初にこの言葉を掲げた元総理に対する平野さんの筆致は、実に手厳しい。そして不肖この天邪鬼爺も、その評価にまったく異論はない。
平野さんがこの章を執筆されたのは、いわゆる「失われた30年」がすっかり現実味を帯びていた時期である。
「この国の現状で、いったい何をもって〈輝く〉と言えるのか?」
というのが、彼の根本的な問いであり、次々と提示される“輝けない理由”には、思わず膝を打つところが多い。読みながら、こちらも実に小気味よく感じた。
余談ながら、「世界の真ん中で輝く」といった美辞麗句に近い修辞法に、わが同胞は「相撲の猫だまし」のごとくに騙されるのか、支持率を押し上げてしまうのは、悲しい現実でもある。
で翻って、現総理である高市さんはどうか。積極財政を掲げるのは結構だが、足元では円安が進み、このままでは「失われた40年」へと延長されかねないと私は危惧している。さらに「存立危機事態」という不用意な発言は、せっかく落ち着きを見せていた日中関係に再び暗雲を呼び込みかねない。そうなれば貿易収支は一段と悪化し、ただでさえ重しになっているトランプ関税の影響に拍車がかかるのではないか――そんな心配が頭をよぎるのである。
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