2010年01月07日

情報通信研究機構

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昨朝から東京に来ている。
大気電気学会の研究発表会に参加するための上京である。
会場は小金井市にある情報通信研究機構。この機構,もともとは電波研究所,その後通信総合研究所と改組(改名?)し,その後独立行政法人となって今日に至っている。小生が大阪大学の大学院生だった頃,そう電磁界理論を研究の対象としていた頃,その分野の大家と言われるF先生がこの研究所の一員と聞かされて,非常に距離間を感じたものである。というのも,小生が学生であった事を割り引いても,F先生の電磁界理論研究会で発表される内容の難解さは並大抵ではなかったからである。距離間というより,ある種の憧れであったのかも知れない。
学業を終えて後奉職したのが,名古屋大学空電研究所。学生時代の格好よく言うなら理論研究,現実的には大型計算機を駆使しての数値計算から,野外での観測的研究所へと,研究の進め方が180度も変わったのに,就職先の空電研究所と電波研究所とが互いに関係しあってると知らされて,何やら因縁めいたものを感じた。そして,学生時代に抱いた距離間は,いつの間にやら随分と改善されていた。さらには,空電研究所に在職中,電波研究所から教授の先生が赴任して来られ,距離間が完全に無くなったというのが実際のところ。
そうして10年後に大阪大学に戻ったけれど,その頃には研究所は改組(改名?)していて,色々なプロジェクトで研究所の方々と一緒になるにつけ,
「自分自身の研究者としての活動範囲は,広い様で案外狭いのだ!
と認識する様になっていった。
昨日からの情報通信研究機構訪問で,ちょっとばかし,自身の歴史を思いだしている次第である。

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2009年12月24日

国会議事堂訪問

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今朝は早朝から上京,職場の大阪大学の元同僚というか,先輩というか,現在押しも押されもしない,正真正銘の衆議院議員KSさんを訪ねての上京である。
KSさんが衆議院議員に当選された経緯や,今回の訪問の内容はともかくとして,訪ねて行く先が衆議院議員会館で,その後に国会議事堂を見学させて頂く手筈となっている。小生国会議事堂を訪ねるのは,これで二度目である。と言っても一度目は中学三年の時の修学旅行で,1961年の事だから,殆ど半世紀も昔の事。おおよそ50年振りという事になる。中学校の修学旅行での訪問は,このブログでも以前紹介した様に,泉州出身の衆議院議員が文部大臣を務めておられ,その方の招きというか口利きであったと記憶している。ただあのときは東京都内は観光バスに乗っての移動で,どこをどう廻った記憶はまるでなく,バスから降りたら正面に国会議事堂がでんとそびえていた。そもそも修学旅行での訪問先や見学先は,引率されている我々にしてみたら,興奮による前夜の寝不足で,ほとんど覚えていないもの。ただ小生神宮外苑で経験した,生まれて初めての外国人との会話と,国会議事堂訪問だけは印象に残っている。国会議事堂の入口あたりで,多分あれは議員さんの挨拶をちょっとだけ聞いて,あとは議事堂内をうろうろ引き回された。衆議院本会議場はあの時やけに大きく感じたものだが,今日の印象はそうでもなかった。逆に全く覚えていないのは,議事堂入り口付近にある,伊藤博文,大隈重信,板垣退助の銅像。今日見学させて頂き,成程と妙に感心した。衆議院議長室も見学させていた札き,壁にずらりと張られた歴代議長の肖像画,これまたなるほどと感心である。
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2009年12月08日

大和西大寺

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大和西大寺に向けて職場の吹田キャンパスを出たのが,午前9時45分。
研究室秘書のNYさんが,北千里まで送りましょうか?と言って下さったけれど,御厚意だけは頂いておいて,歩く事にした。実は先日受診した人間ドックの結果
「このまま,好き勝手に飲み食いしていると,メタボリックは当然ながら,間違いなく糖尿病や心臓病を患いますよ!」
と,脅迫に近い忠告が添付されていた。おまけに元来弱い眼も視神経乳頭陥没症の疑いがあるから,眼科医で受信しろという添え書きまであった。難しい病名ながら,緑内障の可能性があるという事らしく,こちらは明後日阪大病院で診察の手筈となっている。ついつい脱線してしまった様で,大和西大寺行きに話題を戻す。
北千里から大和西大寺は思いのほか行きやすく,北千里から天下茶屋行きに乗り,日本橋で近鉄・奈良線に乗り換えれば,一時間と少々で大和西大寺に到着する。北千里は,初冬ながら快晴で,駅まで急ぎ足で歩けば汗が出るほどの陽気。
出かけにNYさんが
「奈良は寒いかも知れませんよ!」
と助言を下さったけれど,この陽気ならたかが知れていると,気楽な気持ちで一路大和西大寺へ。阪急柴島を過ぎれば,あとは近鉄上本町を過ぎるまで,電車は地下を走る。
上本町を過ぎて地上に出れば,雲行きが何やら怪しい。生駒山の方向に黒い雲が見えていたのが,生駒トンネルを抜けて奈良盆地に出る頃には,空はびっしり低い雲。NYさんはまさかこの曇天を予期して,寒いかも?と仰ったのではないだろうが,結果的には助言が当たった事になった。それでもともかく電車は予定時刻に大和西大寺に着き,
「そういえば,待ち合わせ場所を確認していなかった!」
と弱っていたら,東京のKT先生,名古屋のHK先生の二人が佇んでおられ
「待ち合わせはどこだった?」
と,困っておられたという次第。
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2009年12月06日

名古屋にて

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昨日土曜日は名古屋に出張であった。名古屋大学の地球水循環研究センターの「気象現象を観る。気象現象を測る」と題した,公開講演会に招かれての出張。先月末にも,あれは電気学会であったのだが,名古屋に出かけている。御常連様の中には御存知の方がいっらっしゃるだろう,私は10年間名古屋大学に勤務した事があり,彼の地は,研究者としての原点と言っても過言ではない。今回招いて下さった地球水循環研究センターは,かつて水圏科学研究所と呼ばれていた筈で,研究所がセンターになったということは,何らかの理由で規模が縮小しているのかもしれない。
まぁそんなことは,本日の本題ではなく,名古屋市の地下鉄に付いて少し述べたい。私が大阪大学に転勤となったのが1989年で,今となっては二昔も以前の事ながら,あの当時は名古屋大学のキャンパスには,地下鉄東山線・本山で下車して緩やかな坂を15分近く上らねばならなかった。それがいつの間にやら,名城線という環状の路線が出来ていて,おまけに最寄駅が名古屋大学となっている。実はその事を知ったのは,2〜3年前の夏に大気電気学会が開催されたときが初めてで,鈍な事に全く知らなかったのである。名古屋市の地下鉄の事は,妙にこの種の似た経験を良くしてきた。
学生時分,生まれて初めて名古屋の地を踏み,会合に遅れそうになって当時の国鉄の駅員に道を尋ねたら
「地下鉄に乗って,○○駅まで行きにゃぁ!」
といった風に教えられ
「名古屋に地下鉄あったんですか?」
と返したら,憮然とされたのである。
2〜3年前には,確か研究室の学生の一人と一緒だって,東山線の本山駅で下車しようとしたら,
「乗り換えて,もう一駅で名古屋大学の前まで行きます。」
と教えられた。あの時の驚きも,
「そんな地下鉄の路線があったのか!?」
といった風で,学生時分の名古屋市に地下鉄があったのですか?に近かった。ただ名古屋市の環状の地下鉄は機能的で,大阪の南北に走るいくつかの路線と,東西に走るこれまたいくつかの路線より,良くできている様に感じている。
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2009年11月29日

博多・天神を歩く 2

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時間を少し戻したい。
福岡空港に着いたのが,午前10時半ごろだった。
宿泊予定のホテルは,博多駅の近くと聞いていた。講演の会場は,福岡市内の那の川にあり,博多か天神からのバス移動が便利と教えられていた。ホテルにチェックインするには,何といっても早すぎる時刻である。それならいっそと地下鉄で天神まで移動し,天神地下街散策となったのである。地下鉄天神を下りれば,即天神の地下街である。天神の地下街は,黒基調で地下街にしては珍しいとの印象が,小生にはある。ただその分,地下街に並ぶ店々は明るく感じられ,何となく夕暮れの風情といったところ。多分,夕暮れ時の銀座を意識しての設計なのだろう。地元の人も,東京志向ですから!と仰っしゃり,小生の直感は当たらずといえども遠からずではなかろうか?
その地下街は東西2本の平行な通路が南北に長く連なっており,両通路に沿って店舗が並んでいる。店々の雰囲気は,大阪のそれよりは東京のそれといった感じで,地元の人の仰っしゃる東京志向ですから!の故であろう。先に述べた,夕暮れ風情の演出が心憎い。その地下街の南端まで歩けば,三越と大丸両百貨店が渡辺通りを挟んで東西に対峙している。この辺りも,ミニ東京を志向する博多っ子の意識が感じられると言えば言い過ぎだろうか。
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2009年11月28日

博多・天神を歩く

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木曜日は,福岡九電工で講演,金曜日には仙台郊外の多賀城にある東北学院大学での電磁環境技術委員会に出席と,文字通りの東奔西走,貧乏暇なしの毎日である。ただこんな芸当も,航空機の利用できるお陰に違いなく,関西空港,福岡空港,仙台空港,そして伊丹空港とわずか三日で飛び回ってみれば,三府県の違い,有り様が観察できで,忙中閑ありといったところであろうか。
先ずは初日の関西空港,空港までの電車の混みようが嘘の様に空港内は,旅行客が少ない。大げさにいえば,廃港寸前の空港かといった風情。閑散としているだけに,足音もなぜか元気なく耳に響く。ちなみに,電車が混んでいたのは,空港で働いている人達の通勤時間帯だったからに違いない。いずれにしても,こらぁ,あかんわなぁ!といったところ。そんな寂しい思い?をして乗り込んだ飛行機が,例の時々車輪が出なくなるあの機種。感傷に浸っている心の余裕が一瞬で消えさり,どうか車輪が出て無事着陸を!の念で一杯。それでも飛行機は順調に飛び上がり,やがて「後十分で着陸します」の機内放送があってしばらく後,車輪が出たのだろうと実感させる風切り音が聞こえ,一安堵。無事福岡の地を踏んだ。
福岡では講演開始までの時間がたっぷりあり,それなら昼食を!と天神に向かう。天神地下街を歩けば,足音の力強さが関西空港で聴いたのとは,すっかり違う。一歩,一歩踏み込むその勢いが,小気味よくもあり羨ましくもある。一歩一歩の力強さは,心なしか衣装・装束にも影響がある様で,道行く人が華やいで見える。これと同様な印象実は,大阪から名古屋に移動しても受ける。街の勢いが経済の勢いというなら,大阪は名古屋はおろか,福岡にも負けそうである。
(この稿続く)
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2009年11月24日

纏向古墳群見学会 3

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余談ながら,纏向巻向もともにまきむくと発音する。前者は古墳群の名称で,後者はJRの駅名に使われている。全くの当て推量ながら纏向は,読み書きに難しく,駅名には馴染まないといった理由で使い別けられているに違いない
さてその纏向古墳群の見学である。
巻向に向かう車中で偶然出会ったSMさん,現地説明会に参加されていたとのことで,引率の労を取って下さっている阪大OBの説明を色々補って下さった。卑弥呼の宮殿と目されている建屋,東西に開いて建てられているらしいのであるが,不思議な事に地図上の真北ではなく,正確に磁北を向いて建てられているという。建設された年代が3世紀という事だから,既にその頃この種の科学的知識があったのかと不思議に思う。とはいえ,エジプトやギリシャでは紀元前に,この種の知識はおろか地球が丸い事や,そのおよその直径まで求められていた事を考えると,驚くにはあたらないのかも知れない。ともかく説明によれば,柱跡の間隔や太さから,その建物の高さや大きさが推定でき,
「3世紀当時にあっては,異様に大きく,権力者の住居跡か!?」
と注目を浴びているらしい。加えてその造りは,出雲大社や伊勢神宮に類似していることから,「神殿?それなら卑弥呼の館?」と,一挙に沸騰してしまったということだろう。
つけても考えさせられるのは,邪馬台国論争になぜ九州説が根強かったのだろうという点である。漢委倭国王印が,福岡県の志賀の島で発掘された事が影響しているのかもしれない。さらには青銅器が九州北部に多く見つかっている事も影響しているのかもしれない。さらには魏志倭人伝に記述されている,倭国までの経路も影響しているのかもしれない。諸々の理由があるとはいえ,今回の纏向古墳群で見つかった,三世紀前半の大住居跡が,何年か後に最終判断を下す決め手となるかも知れない。邪馬台国畿内説を応援する,一ファンとしては,早くその日が来て欲しいというのが本音である。
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2009年11月23日

纏向古墳群見学会 2

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奈良県桜井市纏向地区には,弥生時代から古墳時代にかけての古墳が多数あり,それを見て回ろうと教職員組合が計画し,JR巻向まで出かけてきた。それに,最近この地域で見つかった住居跡が,弥生時代末期から古墳時代にかけての物としては,桁はずれに大きいとのことで,すわ,卑弥呼の宮殿と,巷ではある意味騒然となっている。実際何日か前に開催された現地説明会には,三日間で一万名を越す来訪者があったというのだから驚きである。実は我々の企画は,大規模集落の発掘が公表される前で,桜井市教育委員会に勤務の阪大OBに,11月15日日曜日の引率・説明をお願いしたところ,
「その頃は多忙で,一週間遅らせて欲しい!」
の返事があって,一週間遅れの見学会となった。この見学会正式名称は,歴史ハイキングで,大阪近郊にあって歴史的意味合いの高い各地を訪問し,今回で第15回目となっている。余談ながら,この見学会で教えて頂いた事の一つに
「弥生時代の物は,学術的には古墳と言わずに墳墓と呼ぶ。古墳時代に入って初めて古墳と呼んでよく,総じて規模が大きい。」
がある。そして纏向地区には,墳墓から古墳まで多数存在,その中で一際大きいのが,箸墓古墳で倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)の墓とされている。弥生時代から古墳時代にかけての,墳墓,古墳がこの地にあるということは,この地が国の中心地であったろうと想像するに無理はないだろう。さらには,この倭迹迹日百襲媛命が邪馬台国卑弥呼と同一人物という説もあったというが,これまで決め手がなく,邪馬台国九州説,畿内説の論争が長く続いている次第。そして,今回大規模住居跡の発掘が,畿内説を主張する学者,研究者にとって,まさに追い風となっているらしい。その住居跡は,JR巻向駅から歩いて5〜10分の位置にあり,発掘調査中という事で,地面に柱の穴や区画の境目などがむき出しとなっていた。一部ブルーシートもかけられていたりして,なるほど調査中か!を実感させた。なお調査が終われば,再び土をかけ,住居跡を地中に戻してしまうそうである。
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2009年11月22日

纏向古墳群見学会 1

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奈良県桜井市に出かけた。纏向古墳群の見学である。
難波から鶴橋経由で桜井まで移動し,桜井でJR桜井線に乗り換え,巻向まで。
漸く巻向に到着という時になって
「やっぱり先生や。どうしてこんなところで?」
と声をかけられた。
懐かしい顔がにこにこ笑っていらっしゃる。随分と以前,阪大電気系に勤務していらっしゃった,SMさんで,退職してもう7〜8年は経ったであろうか。
「さっきから,よく似た人がいるなぁと思っていたけど,御本人かどうか自身が無くて・・・。でも最後は,小指の指輪で判りました。」
と,全く屈託がない。実は小生,結婚指輪代わりに,左手の小指に指輪をはめているのだ。
「卑弥呼の墓や最近見つかった住居跡の見学。この見学会は,教職員組合の企画なんや。」
と応えれば,
「北海道の友人が訪ねてきているので,この辺りを散策しようと考えて家を出てきたんだけど,先生のハイキングに,ついて行こうかな!?」
と仰る。
「阪大教職員組合の企画やから,OBなら参加して悪いわけがないよ。そもそも誰か反対したら,大阪大学教職員組合中央執行委員長として許可します。何といっても,旅は道連れやから,どうぞ,どうぞ・・・。」
と,総勢30名程の古墳群見学ハイキングが始まった。
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2009年10月25日

豊田にて

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豊田に来ている。
この街に来るのは,そう1991年か92年以来だから17年か18年振りだろう。
あのときも確か秋だった。
日米の雷放電研究者が一堂に会しての,ワークショップであった。
主催されたのは,その頃豊田高専の校長をやっておられた堀井先生。
私は既に頃名古屋大学の空電研究所から,大阪大学の工学部に移動していた。
吹田キャンパスを出てこの豊田にやって来た。
あの時の記憶は薄れてはいるものの,それでもすっかり変わってしまって面影すらない様に思う。今日訪ねて行った豊田高専は校門についてすぐに,記憶が蘇って来て間違いなくここは豊田高専と考えた程だから,豊田駅界隈はすっかり変わってしまって面影すらないの記憶は,あながち間違ってはいないだろう。
あのワークショップの開催場所は,確か竣工して間が無かった豊田の公民館だった。期間は3日か4日だったと思うのに,どこに宿泊したのか全く思い出せない。ただあのワークショップをきっかけに,堀井先生が陣頭指揮しておられた,我が国のロケット誘雷実験が,米国の研究者にも再認識される事となり,以来フロリダ大学のグループがロケット誘雷に力を入れ,今ではこの分野で世界をリードする勢いである。小生の研究室で学位を取得したY君も,先月までおおよそ7ヶ月間,そのロケット誘雷実験に参加して,観測をしてきたのだから,日本人として若干残念な気もする。
時は流れ幾星霜何ぞと情緒的な言葉より,ロケット誘雷再開を念じたいと考える,豊田の夜である。
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