VHF波帯干渉計の国際デビューは、ダーウィンの沖北80qのアラフラ海に浮かぶメルビル島だった。日米の共同観測という企画で、アメリカ側はNSFに、日本側は文部科学省にそれぞれ申請してのプロジェクトであった。かつて話したこともあると記憶しているが、アメリカMITのウィリアムさんと、NOA NSSLのマズールさんから、
「熱帯収束帯の降水メカニズム解明のため、気象学者が大がかりな観測を行う。私達は、雷放電の観点から寄与すべく、申請する。河崎さんも日本の雷放電物理の研究者の立場で申請したらどうだ。」
と、誘われ申請し採択された。しかしウィリアムさんやマズールさんは採択されず、現地では初対面の気象関連研究者のお世話になることになった。当時まだハワイ大学で教鞭をとっていらっしゃったはずの高橋教授がアメリカ側の一員だったので、少しは心強く感じたけれど、結果的には観測期間中に議論できたのは三四回だけだった。
メルビル島の観測には、岐阜大学の助手になっていた、WDさん、博士課程を中退して研究室の助手になっていたFTさん、博士学生のWMとOJさんが参加して、メルビル島にVHF波帯干渉計を設置した。メルビル島にはダーウィン空港からヘリコプターにぶら下げて、500s程度の観測装置を空輸した。雷雨で予定より一時間程遅れたけれど、ガーデンポイントのヘリポートで待っていたら、羽の回転する音が遠くから聞こえ、無事観測器を受け取った時には、ある種の感動を禁じえなかった。
アメリカの気象研究者たちが、観測場所をメルビル島に選んだのは、ヘクターと呼称される巨大積乱雲が発達し、それが対流圏界面を突き破るほどに成長することから、地球温暖化にも関係する熱エネルギーの、赤道帯から中緯度帯への輸送が科学的に興味深いという点であったと聞いていた。ただ一か月近くの観測期間では、この年ヘクターはそんなにも発生せず、干渉計の成果としては芳しいものではなかった。
そんなわけで翌年からは、観測場所をダーウィン郊外へと移し、アメリカのグループは来なくなってしまったけれど、私達はダーウィンでの観測を毎年のように根気よく続けることになるのであった。
(この稿続く)

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