2012年05月18日

通天閣20

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今日はわいの記憶の中で,一番小さい時の記憶の話や。
正確には,一番小さかったと自分で思ってる,というたほうが正確かも知れん。
わいは不思議と子供の頃の記憶が少ない。幼稚園やったか保育所やったか,どっちかはっきりせぇへんのやけど,ともかく小学校に入る前の一年間通った筈やが,あんまり覚えてへんのや。小学校一年の時も断片的やなぁ。なんかインパクトのあるような事件があったりしたら,それは誰でもやろけど,覚えてるんやけどなぁ。皆どうなんやろ,ちょっと教えて貰いたい気ぃする。そんなわいの記憶が比較的連続的になるのんは,小学校5年生のときからや。いうても,毎日毎日のこと全部覚えてる別けちゃうけどな。
で,一番小さいときの記憶の話や。
季節はまるっきり判らん。暑かったとか寒かったとかの記憶も無い。場所についてもまるっきり覚えが無い。覚えがないんとちごうて判らんのや。時刻は多分夕方や。何でか言うたら行った先の,歌謡曲の歌詞やないけど,裸電球がきらきらしてたん覚えてんね。ともかくおかんに連れられて,どっかに歩いて行ったんは確かや。道中は,覚えてないけど,多分薄暗かったんやろな。さっきも言うたように,訪ねていったうちに着いたら,電球がきらきらしてたんや。あのきらきらがあるおかげで,このときのわいの記憶があるようなもんや。
わいは子供のときからよう,
「大人の話聞くな!」
て叱られたけど,このときは話をいっこも聞いてへん。なんせようさん歩かされたもんで,きらきら光る電球見てたら眠うなって寝てもうたんや。どれくらい寝てたんか知らんけど,目覚めたらおかんが男の人二人と話してんね。目ぇ覚ましたときも,電球のきらきらが眩しうて,綺麗やなぁ思てそのあと手ぇで遮ったり,影つくったりして,一人遊びしてた。時々,おかんの方見ると未だ話してるし,その内退屈してきて,おかんに帰ろう,帰ろういうてぐずった。このぐずったんもはっきり覚えてんね。おかんは,
「もうちょっと辛抱し!」
とか何とかいうて,わいを騙し騙し話し続けてやった。なんせ長い話やなぁと思うたんは間違いない。きらきら光る電球と,めっちゃんこ長い話しの記憶や。どのくらい話し続けてたんか知らんけど,話し終わってその家出たときは,もう真っ暗やった。おかんはめったにわいをおんぶしてくれへんかった様な,気ぃするけど,その日はわいをおぶってくれた。わいのおかんは,その頃の女の人には珍しいくらい大きいて身長170cm程あった筈や。おまけに結構肥えてはったんで,わいの一人くらいは平気でおんぶできるんね。せやけど,母子家庭で小学校の先生やってたよって,子守してくれるんは祖母やった。その祖母におんぶされたわいの写真は今でも残ってる。そんなやさかい,おかんにおぶって貰うた記憶は少ないねん。ともかくおかんはなんにも言わんとわいおぶって歩いてた。わいは,おかんの背中は祖母の背中よりずっと大きうて,おんぶしてもろた時えらい気持ちええなぁ思うた。このときの長ぁい話についての疑問は,それから20年以上も経ってはっきりするんやけど,今日はこれくらいにしとく。書こか書かんとこか未だ迷うてんね,ほんまのとこ・・・。
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2012年05月16日

通天閣19

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この前,リヤカーの輪っかに足挟まれたこと書いたやろ。そのとき,わいの足には挟まれたあとにポコンとくぼみがあると書いたはずや。10歳前後のときの話やし,あれから40年以上経ってるのに,右足の内側に,そうやちょうどくるぶしの反対あたりにあるねん。ポコンとくぼみいうたら,わいにはもう二個ある。それは右足の付け根と左足の太ももや。二つとも話一日で出来へんよって,今日は右足の付け根の,ポコンとしたくぼみや。
わいは小さい頃のことでなんも覚えてへんけど,股関節脱臼あったらしい。もちろん生まれたときの話や。わいの生まれたのんは昭和24年,戦後も足掛け4年経過しとるけど,未だそんなに食糧事情なんか良うなかったんやろな。生まれたときの股関節脱臼ちゅうのん,同級生にわいいれて3人おった。おかんのお腹の中で,なんか栄養がちょっと足らんで,発達段階で上手ういかんかったんやろとわいは理解してる。わいは生物学者でもないし医者でもないから,この解釈は間違ごうとるかも知れん。また50人ほどのクラスに3人は多いんか少ないんか知らんけど・・・。股関節脱臼してたら,その頃の治療は,関節きちんと納めてギブスはめたんやて。
その頃の医療技術はちょっと曖昧なとこあったらしい,半年ほどギブスはめてもきっちり治らんこともあったということや。おかげさんでわいは一応正常に歩けるようになったけど,きょうびは死語やろな「びっこ」の子もいてやった。上手くいかんかった例やなぁ。そいでわいの右足の付け根のくぼみやけど,半年ほどたってギブス外したら,大豆が出てきたらしいんや。ある日,ギブスはめてはいはいしながら,豆干したぁるんで遊んでたらしい。お医者さんはギブス外して,豆出てきたんで笑いはったらしいん。
その豆がギブスの中でわいの右足の付け根ちょっとずつ圧迫しとったんやろ。60年以上もたったちゅうのに今でもきっちりのことっとる。足の付け根だけに人前ではあんまり見せられへんけどなぁ。
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2012年05月15日

エジプト人気質3

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エピソード4(我儘)

オサマ君という大学院博士課程学生がいます。E-JUSTでは博士論文の目処がついた時点で,彼等を日本の大学に留学させるシステムをとっています。留学の目的は,日本の大学院教育や研究を経験して頂き,将来に役立ててもらおうという点にあります。そしてオサマ君はその目処がつき,大阪大学に半年間留学して貰う事になりました。オサマ君は早速必要書類をメールで送って来て,その後連日の様にメールや電話で,大阪大学からの招待状はまだ届かないのかと問い合わせてきました。ただ長期の留学ですから,手続きはおいそれと進むわけではありません。それでも阪大のスタッフに無理を言って頑張ってもらいましたので,通常なら二ヶ月近くかかる手続きを三週間余りで切り上げ,大阪大学からの招待状含め必要書類を全て整える事が出来ました。オサマ君は大喜びで,急ぎカイロにある日本大使館にVISAを申請して,留学開始まで秒読み段階に入りました。ところが阪大に送ってもらった書類に二三不備があったので書き換えて貰おうとメールしてみたのですが,応答なし。止むを得ず指導教授に連絡をとり,私に電話をする様伝言いたしました。このままでは留学が一ヶ月遅くなってしまうかも知れないというので,私としては必死です。やがてオサマ君から電話がかかってきて,急ぎ書類をつくりなおして欲しいと告げますと,当人は何と家族連れでシャルムアンシェークというリゾート地に来ており,数日は帰れないし,パソコンを持ってきていないので書類の書き換えも出来ないというのです。あの時ばかりは私も,
「何と勝手気ままな。あれだけ私を急かせておいて,自身はリゾート地でバカンスか!」
とその我儘ぶりに唖然とし,厭味を込めて
「すぐに帰って来てつくり直す様!」
とだけ告げて電話を切りました。すると程なく指導教授がやって来られて,
「私が作り変えますから。」
とえらく恐縮,結果としてオサマ君は,彼の希望した今年の4月1日から,大阪大学に行って研究をしています。オサマ君の我儘にエジプト,日本の教授二人が振り回されたという次第です。
いやはや今日は随分とエジプト人をこき下ろしてしまいました。もう一項のろまというのもあるのですが,これ以上の悪口,罵詈雑言は止める事にします。ただエジプト人のこういった気質の幾つかは,
「エジプト人は他人に優しいからで,知らないと答えると相手が不安に思うから。出来ないというと残念がるから。そこを判ってあげないと・・。」
と解釈する人もいます。御常連様はどのように考えられますやら・・・。
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2012年05月12日

通天閣18

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もうちょっと,めっちゃ恐い先生の話続けるわな。
この先生は,よう生徒を殴りやったけど,それとは別にわいらの通ってた田舎の小学校には合わん先生やった。何が合わんかちゅうて,中学受験のこと考えてはったこっちゃ。わいら団塊の世代のこと考えて,中学受験に熱心やったんとちゃうかな。四年生までやったら,学校の授業とか試験とかあったけど,みんな適当やった。せやけどこの先生,比較的よう出来る子ら連れて大阪市内の中学受験模擬試験へ連れて行きやった。田舎の小学生は,学校から帰ったら暗うなるまで遊びまわるか,農繁期やったら家の手伝いするかのどっちかや。先生の住んではったんは,堺市の仁徳稜の近くやった。模擬試験受験に行く子ぉの少ないときは,前の晩から家に連れて行って泊めてくれた。わいは悪さもようしたけど,国語,社会,算数,理科の四教科は,自分でいうのもなんやけどまぁまぁやった。せやから堺の家に連れて行ってもろて何回も泊めてもろた。先生の家には風呂なかったんやと思う,家に着いたら銭湯に行くねん。わいら田舎の子ぉには,ほんまに銭湯は珍しかった。生まれて初めて銭湯に行ったんはこのときや。風呂から帰ったら先生の奥さん夕食作ってくれてて,ご馳走になった。始めの晩は,銭湯は珍しいし,晩ご飯のおかずは,それまで食べたことの無いハイカラなもんやったなぁ。先生の家の隣になんや山みたいなんがあったけど,
「これが仁徳稜じゃけん!」
いうて教えてくれた。わいは初めてのとき仁徳稜て何か知らんし,山見たいやなぁと思うただけやった。後になって,昔の天皇の墓やと判ったけど,感激は薄かったと思う。 泊めてもろたんは何人やったか全然覚えてへんけど,G君,H君,わいの三人が一番多かったと思う。G君はその頃,学芸大学いうた今の教育大学の附属中学校受けるいうてやった。H君は大阪市内の私立中学受けるという話しやった。わいは特にどこかの中学校受けるちゅうんやないけど,何回か一緒に連れて行ってもろてる間に,G君やH君に負けとうない思うようになった。だいぶ前に,自転車で貝塚まで地図買いに行った日の事書いたやろ。あの日,日にちは思えてへんけど,今から思うと自我の目覚めちゅうやつを感じたんや。G君やH君に負けとうない思うんもきっと同じとっから来てるはずや。四年生の頃は試験あっても,自分だけ納得してたんやから。夏休み前にめっちゃんこびんたもろたけど,
わいの今あるんは,この恐い先生の中学受験指導のおかげかも知れん。結局わいらの学年が卒業したら,この先生転勤して行きやった。G君は附属中学校受けたけど,受からんで地元の中学校に進んだ。わいはG君が受験に落っこちたいうて,校庭でしょんぼりしてたん覚えてし,その姿見てなんやほっとしたん覚えてる。わいは当然のように,地元の中学校に進んだ。ただ中の良かったH君は,大阪市内の私立中学校に受かって,わいらとは離れ離れ,その後すっかり疎遠になってしもうた。
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2012年05月08日

通天閣17

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今日は五年生の時の話や。
五年生になって,めっちゃ恐いんで有名な男の先生が担任になった。戦争,第二次大戦のこっちゃで,に行きはったんかどうか知らんけど,怒りはったら,びんた食らわしやるいうて,上級生の男子は恐がってた。びんたなんて死語かも知れん。わかるかなぁ?平手でほっぺた思い切りどつくこというんや。第二次大戦中,上の位の兵隊さんが部下の兵隊に気合入れるのびんた食らわしやんねんて。左のほっぺたどついて,腕返す時右のほっぺたどつくんを往復びんたいうんやで。きょうびやったら,びんた食らわす先生は,「暴力教師」いわれて社会問題になるやろな。
この先生はその二三年前に,わいらの小学校に転勤して来やった。高学年ばっかり担任してやって,上級生からよう「びんた食わされる」いう噂話聞いとった。わいの担任は,一二年のときは女の先生やった。三四年は男の先生やったけどこれがまためっちゃ優しい先生やった。今でもわいの家の近所に住んではって,時々会うけどえらい歳いってはる。せやから五年になるとき,あの恐いちゅう先生だけは担任になるといややと思とったんやけど最悪の結果になてしもた。同じ組になった同級生も,殆ど全員,かなわんなぁちゅうよな感じやった思う。
でも新学期始まってみると,結構おもろい先生で,当たり前のこっちゃけど怒ると恐いかも知れへんが,授業もあんまり退屈させへんし,それなりに人気でた。しゃーけど,計算問題なんか間違ごたら,それもようできる筈の子が間違ごうたら,その子ぉを教室の前に引っ張り出して正座させやんねん。えらい長い時間正座させられている子もいやった。一番酷いのんは,授業のとき黒板において使い方教える大きな算盤の上の正座や。五分間か十分間か忘れたけど,正座させられて最後には痛うて泣き出した子もいやった。こうなるとまるで拷問やな。そんな無茶苦茶なとこもあるけど,そいでも人気あったとわいは思うとる。ひょっとしたら恐怖政治みたいなもんやったんかも知れんけど・・・。
その先生に,わいはS君,T君二人と,往復びんた食わされたことあるねん。
それも何回も,何回も続けてや。理科室にポンプの模型があるんで,自習時間にそれ使うて遊んだんや。ポンプには,圧力かけて水押し上げる型のんと,圧力下げて水吸い上げる型の二通りある。この頃井戸使わんようになったから手動のポンプなんてあんまり見ぃへんけど,普通家にあったんは,水押し上げる型のポンプや。そいでその模型はあんまり面白ない。圧力下げて水吸い上げる型のんは,透明ガラスで出来てるんで,中がよう見える。
そいで弁が微妙に動いて面白いねん。しばらくそれで遊んどったら,M君ちゅう,今でいうガキ大将やな,がそれ見て外の洗面場でほんまもんの水でやってみようていいやんね。わいらは「全会一致」で持って行くことを決めて,民主主義に則って持って出た。そこへ担任の先生が通りかかりやって,
「持ち出したらいけん!すぐしまいよれ!」
いうて怒鳴りながら,どっかに行きやった。この先生四国の丸亀ちゅう街の生まれで,わいらの正調泉州弁とはちょっと違う言葉で話しやる。先生怒っとる見たいやけど。ここまで持ってきたんやから一回やってみようちゅうてM君,T君,S君とわいの四人で理科の自由実験やって見た。水の動きや弁の動きがよう見えて,なんや判ったような気になった。わいは知りたいことが判るとすぐ飽くタイプやろ。もうしまおういうたら,三人がもうちょっとやる言いやんね。そやから,きちんとしもといてやいうて,わいは自習の理解室に戻った。しばらくすると,担任の先生恐い顔してわいを連れに来た。洗面場について行ったら,S君とT君うつむいて立っとる。足元見たら,ガラスで出来た圧力下げて水吸い上げる「真空室」の部分が,見事に壊れとる。
「なんやつぶしたんか?」
いうてわいが声かけても,二人とも下向いたままや。先生は三人に並べ言いやった。それからやあらしの猛攻撃があったんは。往復びんたの炸裂や。何回目かのびんたを貰た時,T君は真っ青な顔してふらふら倒れよった。クラスの誰かが保健室へ連れて行った。後で聞くと緊張で脳貧血起こしんやと言うことやった。それでも終わらんと,担任の先生の往復びんたはS君とわいに集中や。持ち出したんは悪いが,壊したんはわいのせいやないし,何で怒られるねん思うた。そやからか嵐の往復びんた,なんやわいはあんまり痛う感じへんかった。二三十分も殴られたり,怒られたり,文句言われたり,そいでもわいは悪うは無い思うから,謝りもせんと奥歯噛んで攻撃に耐えた。その内サイレンなって授業時間の終わり,担任の先生も根負けしたんか放免になった。百叩き江戸所払いや、まるで。あとでこっそり聞いた話やけど,担任の先生は,ポンプ壊れたんでわいが逃げて,T君とS君に罪かぶせた思うたらしい。わいは結局言い訳もなんにもせぇへんかった。
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2012年05月05日

通天閣16

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この前,わいは練り製品が好きやったて話たやろ。
ついでにわいの好きな果物の話をする。わいは蜜柑が好きやった。当然のこっちゃけど今でも好物の一つや。今でも五六個やったら二三分で食べてしまう。大体皮剥いたら,中の薄皮なんか全然気ぃにせんと,そのまま食べるんや。大人の人でも薄皮についてる白い筋,神経質そうに取ってから食べる人も多いわな。そんな人ほど,粒一つ一つに別けて大事そうに口に入れとる。大事そうに口に運んでるくせに,結局は薄皮出す人が多いような気ぃがする。わいは絶対そんなことは,せぇへん。それに近くの三ヶ山ちゅう村の蜜柑は,薄皮特に薄いんや。この蜜柑食べて育ったことも関係してると思うは,わいが薄皮も気にせんと食べるんは。で,わいの蜜柑好きの話で,失敗の話や。
二年生の秋の話や。わいが蜜柑好きやからやろう,おかんはまとめてようこうとった。授業終わって帰ろ思たら,教員室からおかんが出てきて
「家に蜜柑があるから,適当に食べときなさい!」
と言いやった。その日はおかんの帰りが遅なる言うたんか,今となっては判れへんけど,ともかく言われた。なんや知らんけど,近所の同級生も仲良しの従姉弟も遊びの相手にはなってくれへんかった。せやから,家で独りで本読んだりベッタンやビー玉したりしてた。でもなんちゅうても独り遊びは退屈なもんや。退屈しながら漫画の本見てたら,おかんのいうた蜜柑のこと思い出した。そいで物入れ開けてみたら,箱一杯の蜜柑があるやんか。
「わぁ,蜜柑一杯ある!」
思て,わいはちょっと感激や。で一つ食べた。小学校2年の頃でも一個食べるん一分くらいやったと思う。二三個続けて食べたんで,物入れの戸閉めてまた独り遊びや。しばらくしたらまた退屈してきたんで,物入れから蜜柑二三個取り出して食べた。この後のことよう覚えてへんけど,蜜柑食べては独り遊び,退屈しては蜜柑二三個を何回か繰り返したと思う。夕方暗うなる頃にはお腹一杯や。もう蜜柑は食べとうない思た。そんで物入れの箱の中には蜜柑が三個か四個しか残ってなかった。わいはお腹が一杯で苦しかったけど,一箱の蜜柑がほとんどなくなりかけていることはあんまり気になれへんかった。暗うなってから帰ってきたおかんは,蜜柑が殆どなくなってるん見てびっくりしてた。呆れてたという方が正しい言い方かも知れん。特に怒られもせんかったけど,夜寝てからが大変やった。
何時頃か知らんけど,目ぇ覚ましたらめっちゃんこ気分悪い。こんな気分になったこと,それまでに一回もなかった。しばらくしたらお腹の底から,なんやこみあがってきてウッちゅう感じでげろ出してしまった。生まれて初めての経験やった。その後何回戻したんか覚えてへんけど,おかんはわいが何回も洗面器に戻したんを捨てに行ってた。戻すたんびに苦しうて,もう蜜柑は止めとこ思た。次の朝学校に行く前におかんがわいを近所のお医者さんに連れて行った。お医者さんは
一貫目近こうも蜜柑食べたら,大人でも消化不良おこす!単なる食べ過ぎや。」
いうて薬もくれへんかった。そいでも二三日する頃にはわいもすっかり元気回復,元通りの蜜柑好きの子供に戻ってた。
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2012年05月03日

通天閣15

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今日は,感動の超大作やで。
ご飯をへっついさんで炊けるようになった頃,プロパンガスもわいの村に入ってきた。その頃のコンロは鋳物製で,茶色ちゅうか黒ちゅうか,ごつごつして愛想の無い奴や。点火も,もちろん自動や無いで。マッチすってからコック開けて火ぃつけんねん。プロパンガス入って来るまでは,かんてき,標準語で七輪いうんやけど,で煮焚き物や。かんてきやと火ぃ起こさなあかんよって,子供にはなかなかやらしてもらわれへんけど,プロパンガスになってから,卵なんか焼かして貰える様になった。玉子焼き最初にするようになったんは,向かいに住んでた同級生に教えてもろてからや。向かいの同級生Y君ちゅうんやけど,遊びに行ったら,フライパンに油しいて,しばらくしてから卵直接割って入れやんね。そいで箸でぐちゃぐちゃ混ぜやった。簡単なもんや。言うなら「スクランブルエッグ」やな。これならわいも出来る思て,おかんにやりたいいうたんや。おかんは
「今度の土曜日は帰り遅いよって,昼は独りで食べときなさい。」
いうておおらかなもんや。きょうびの子ぉなら,火が危ないとかガス漏れがとかいうて親の留守には,絶対やらせてもらへんや思うは。その土曜日,学校から帰ってきて自分で「スクランブルエッグ」作った。その頃そんな洒落た呼び方知らんから,玉子焼きていうんやて思てた。どっちにしてもちょっと水臭いなともうだけで,おいしかったん覚えとる。
「初めてのお遣い」とかいうTV番組あったと思うけど,これこそほんまの「初めての料理」ちゅうべきやろと思う。おかんの帰りの遅い土曜日にはバカの一つ覚えみたいに,しょっちゅうこの玉子焼きつくったもんや。
話は変わるけど,冬のことやったと思う。
ある日おかんがいつまでたっても起きてきよらん。めったにないこっちゃ。わいも学校に行けへんかったから冬休みになってたか,日曜日やったんやろ。昼になっても起きてきよらん。わいはだんだん腹減ってきた。ご飯炊くんは出来るけど,一緒に食べるおかずがあらへんやんか。ひょっとしたら昼ご飯に卵焼いたんかも知れへんけど、そこまでは覚えてへん。時間はどんどん過ぎて夕方暗なって来た。そいでわいはとうとう,おかんの寝てる枕元に行っていうたんや。
「お腹すいてしょうない,晩ご飯はどうするねん?」
おかんは,
「今日はもうよう起きへん。なんか好きなもん買うてきて適当に食べといて。」
と言いやった。わいは今もそうやけど,蒲鉾とか竹輪とかの練り製品が好きで,おかんにもろたお金持って,蒲鉾買うて来て炊いて見た。自分の分とおかんの分のご飯ついで,おかんの枕元に持って言って,食べよういうたんや。何で枕元に持って行ったんか覚えてへんけど,寝てばっかりでご飯食べてへんおかんがおなか空いてるとでも考えたんやろうなぁ。わいの炊いた蒲鉾は,食べてみるとなんや美味しうなかったけど,おかんは
「美味しいね」
いうて食べてた。
今から思たら,おかんは風邪かなんか引いてよっぽどしんどかったんやと思う。その晩どうやって寝たんかも覚えて経んけど,次の日目覚めたらおかんはもう起きてた。その晩のおかずは,蒲鉾やらてんぷら(標準語ではさつま揚げいうらしい)が仰山入った,関東煮やって,わいはお腹一杯食べた。
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2012年05月02日

通天閣14

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わいが小学校2年生になったときやったと思う。ひょっとしたら3年かも判らん。どっちでもええねん,ともかくおかんがご飯の炊き方教えてくれた。教えてくれたちゅうより,お手伝いせぇちゅうんで教えたんや。なんちゅうても,母子家庭やったからなぁ。
それまでのお手伝いは,朝に庭掃いたり,休みの日ぃには廊下の雑巾掛けしたりや。ご飯炊くいうても電気釜とちゃうねんで。わいの家にはへっついさんがあった。標準語でいうたら「かまど」や。その頃のわいの村の殆どのうちにはへっついさんあったはずや。水はもともと井戸から汲んでたんやけど,その頃ようよう水道もついたんや。せやから,米かすのも子供にでもできる様になったんで,手伝わす気ぃになったんやろ。それにおばぁちゃんが,今でいう認知症いうんかな,老人性のボケがはじまってたし,おかんは小学校の先生やってるもんやから,お手伝いしてほしかったんかも知れへん。かまどでご飯炊くいうても,文で書いてたらなかなか考えつかんかも知れへんなぁ。せやけどまぁこまこう(細かく)書いてみる。
炊きつけは松の葉っぱの落ちたやつや。わいの村では確か。「すくど」いうた筈や。ためしに広辞苑見てみたら,ちゃんと「落松葉」いうて載ってる。すくどを松林にかき集めに行くのんも,子供のお手伝いやったと思うけど,それは今度の話や。へっついさんに釜置いて,釜の下にすくどおいて薪を上手に積み上げるんや。すくどはマッチですぐ火ぃつくし,火力も強いから薪上手に積んどったら結構きっちり薪に燃え移るねん。ご飯ん美味しう炊くコツは,薪に燃え移ったとき一気に燃え上がらすとあかんねん。しばらくちょろちょろ燃えさしといて,適当なところで薪を何本も重ねて火力を強ぅする。で,泡が吹いてきたら,燃えてる薪取り出して,後はのこってる炭みたいな火ぃと余熱や。書いてみると簡単そうやけど,これがなかなか難しいねんで。ご飯に芯のあるときとか,ちょっとべちゃべちゃで,おかいさん(お粥)見たいなときとか,上手にたけるようになるまでしばらくかかった思う。今日は書かんかったけど,米かすんも結構骨や,水の量決めんのも難しい。せやけど小学校2年か3年になったら,田舎にはご飯ける子が仰山おったと思う。今ならコンビニ弁当で済ますとこかも知れんなぁ。
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2012年05月01日

通天閣13

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わいのおかんは,わいの小学校の先生やったことは何べんもいうてきた。
この頃でも有るんか無いんか知らんけど,先生には日曜日の日直当番いうのあって,二ヶ月か三ヶ月に一回くらいおかんが日曜日学校に行くねん。せやから,わいは小学校に入る前からこの日直にようついて行った。さすがに三年生くらいになったらついては行かん様になったけどな・・・。
おかんが教員室で字ぃ書いたり,本読んだりしてる間,いろんな教室見て廻るねん。教室は鍵かかってるから入られへんけど,戸のガラス透明やから,教室の中よう見える。高学年の教室には習字や絵が貼ってあった。ついて行ってもおかんは教室には入れてくれんかったけど,図書室や理科の実験室は教員室から続いていたんかなぁ,よう入れてくれた。理科室でよう覚えてんのが,骸骨や。骸骨いうても本物ちゃうで。肺,胃腸,肝臓とか骨の形とか位置が見えるようになってる模型や。なんや最初は怖かったけど,いつや知らんうちに慣れてしもうて,胃とか腸とかばらばらにはずして遊んだなぁ。
図書室でよう覚えてんのがちっさい熊のぬいぐるみや。図書室のガラスケースの中に飾とった。人形さんごっこした訳や無いけど欲しいてしょう無かったんで,ついていったらよう持ち出した。教員室のおかんの机の隣の机,どの先生のんかしらんけど無断で使わしてもろた。くまのぬいぐるみ机の上に置いといて,図書室から好きな本とってきて読むねん。教員室の暖房はだるま型の石炭ストーブやった。だるま型のストーブはぬくい(暖かい)し,ついて行くのん道々は寒いけど,教員室暖こて好きやった。もちろん冬のこっちゃでぇ。なんちゅうても,家では火鉢と寝るときのコタツくらいしか暖房はあらへん。炬燵いうても電気とちゃうで。よういこった炭を灰にうめて入れるんや。きょうびの人には,わからへんかも知れへんな。その日もストーブぽかぽかして,
「ぬくいなぁ!」
思て本読んどったらなんや頭ボーっとしてきた。その後よう覚えてへんねけど,気ぃ付いたらだるまストーブにちょこっと頭ぶつけて,
「熱っう!」
思て気ぃついた。ぬくさであたったんか,軽いガス中毒か判らんけど,居はった先生窓開けたりやけどの薬持ってきたりで大騒ぎや。でこと手と足にちょっとやけどした。一番きついやけどは手やったと思う。なんせジューッちゅう音に自分で気付いて
「熱っう!」
思たんやから・・。あれは確かに一年か二年の冬やった。
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2012年04月30日

通天閣12

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今日は小学校1年生の入学式の日ぃの話や。わいらの小学校1年のときは,机も椅子も二人用やった。この頃はそんなん考えられへんかも知れんけど,椅子は長椅子やねん。机も横長で,真ん中に線が引いてあった。よう考えてみたら高学年でもそうやった様な気ぃする。クラスの男の子と女の子の数,おんなじとちゃうけど,1年入ったときの席は男の子と女の子の組み合わせやった。わいの席の女の子は,入学式で初めておうた(会った)女の子と一緒やった。早い話,おんなじ村の子ちゃうかったんや。
その席に座る前に入学式があったんや。入学式は広い講堂で,いうても木造の校舎やさかい普通の教室二つ分くらいの広さや。学芸会なんてきょうびの小学校にあるんかないんか知らんけど,この講堂でやったなぁ。講堂の中で前の方の席には入学したての一年生,後の方の席には父兄や。父兄いうても入学式に付いて来とんの殆どおかん連中やったように思うけどな。ただわいのおかんは教師やさかい,講堂の端に並んで立っとる先生の列中におった。入学式は,校長先生やらお客さんやらいろんな人が挨拶して,それらがみんな長いもんでほんまに退屈やった。あくびしながらおかんの方見たら,知らん顔しとる。講堂の反対の端見たら,男の先生が仰山並んで立っとる。わいの顔見て睨んどる先生もおった。
「はよう終わらんかなぁ?」
思とったらみんなぞろぞろ立ち上がったんで,ようよう終わった思ぅて嬉しかった。ほてから教室に連れて行かれて,わいの名前書いたぁる席に座ったんや。さっきもいうた様に,隣に女の子が座っとんね。女の子の方見てたら,女の先生が話し始めやった。今でいうクラス担任の自己紹介ちゅうやっちゃな。その話がまた長うて面ろない(面白くない)。そいでわいは女の子の方にちょっと寄った。引っ付いたったんや。いうてもセクハラちゃうで。なんちゅうても純真な小学校1年生やもんな。退屈しのぎに引っ付いたちゅうわけや。そしたら女の子ちょっと端によって隙間できた。せやからわいはまた引っ付いちゃった。女の子はもう少し寄りやった。そいでわいはまた引っ付きに行った。三回か四回かやったと思う。その女の子はとうとう下に落ちやって,泣き出しやった。前でおもろない話してた女の先生,わいらのほうにやってきて女の子を抱き上げやった。そいで女の先生の長い話は終わってしもた。
別に話し止めさせよ思ぅて,女の子に引っ付いたんちゃうけど,結果的にはそうなった。子の話には後日談あるねん。わいは小学校の入学式の日に,隣の席の女の子を椅子から落として泣かせたん覚えとるけど,それが誰か高学年になるまで判らんかった。小学校6年生の頃かな,自我の目覚めちゅうか女の子の子と気ぃになり出す頃の話や。今までなんとも思ってなかった同じクラスのある女の子,かわいらしな!思うようになったんや。初恋ちゅうやつかも知れへんな。その子の前行くとなんやどきどきするねん。そやのにある日その女の子から
「入学式の日に,私を椅子から落としたでしょ!なんや覚えてへんの!」
いうと恨み言いわれたんや。なんや女の子はひつこいんやな思た。そいでわいの初恋もパーになってしもたちゅうわけや。
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posted by zen at 06:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白