2021年08月03日

2008年12月30日のドタバタ

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古い日記(と言ってもブログだが)を読み返していたら、2008年の12月30日の内容が目に留まった。この日記に出てくる友人は、その数年前に知り合った友人で、ちょっとした国家プロジェクトに関わった仲間である。その国家プロジェクトもいよいよ大団円かという時期になってのこのドタバタ劇で、その後もあれこれと「縁」が続いている。

(2008年12月30日のブログ再掲)
年の瀬だというのに昨夜随分と遅くなって友人から電話をもらった。
受話器から聞こえてくる声は,パニック気味である。
こんな時には,なだめてもすかしても効果は無いので,取り敢えず聞き役に徹するだけ。ただパニック状態だけに,話が右往左往して全く要領を得ない。ひとしきり話を聞いてから,どうしたのだ?と問い質すと,なんだ,聞いてなかったのか?と不満ながらも,数日後には新年を迎えるので,心機一転と目論んでいたが,すっかりやる気をなくした!と,漸く落ち着いて話しだした。友人がパニック状態に陥ったのは,信頼していた筈の人に,ネガティブキャーぺーンを張られてしまったことが原因らしく,これですっかり悪い評判が立つ,もうおしまいだと,世界が終焉を迎えたような落ち込みようである。慰めようにも,そこが電話での話の歯痒いところで,ともかく月並みな言葉しか思いつかない。ただ慰めれば慰めるほど,落ち込み様がひどくなる雰囲気で,それなら逆療法をと切り替えて,
「ネガティブキャンペーンを張られるということは,それだけあんさんを評価している証拠だ。評価というよりは,怖いんかもしれへん。かくなるうえは,それも有名税と割り切ろう。ネガティブキャンペーンを,絶対乗り切れる。ともかく元気がなければ,あんさんはただの人やから!」
と突き放せば,ひどいことを言うなぁと返しながらも,続いての笑い声。追い打ちをかけるつもりはないけれど
「あんさんは,ともかく馬鹿正直や。利に智い人間もいれば,義を重んじる人間もいる。それを皆が皆,義を重んじる人間ばかりと信じているからそうなるんやで!」
と,叱咤して,ともかく年が明けたらゆっくり話し合いましょう。当方現在蜂窩織炎で,気軽に馳せ参じるわけにはいかんのやから!と話を結んだ。受話器の向こうの友人,少しは元気になったのか
「じゃぁ,良い年を迎えて下さい!」
と,少なくともパニック状態だけは治まった様であった。


シンガポールに来て8年、縁は続いてはいるものの、久しくお会いしていない。お元気だろうかなぁ?
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2021年07月27日

台風接近

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オリンピック開催中なのに、台風が東北から関東地方に上陸しそうだという。
この時期の台風は、日本に向かうことが少ないというのに、例によってお天気の神様は意地悪だ。
そういえば何の国際会議だったかは忘れたけれど、横浜のパシフィコで会議中に暴風警報が出て、缶詰状態になったことが、私にもある。それで気になって心当たりをネットサーフィンしてみたら、1993年8月23日から27日International Conference on High Voltage Engineeringがそれらしいことが分かった。もはや28年も昔の事である。大阪大学に赴任して4年目で、忙しくしていた頃に違いない。
記憶に間違いなければ、東京のKKR竹橋に宿をとっていた筈で、毎朝JRで通っていた。そして最終日だったと思うが、直接会場の横浜からバスで羽田に移動して帰阪をと目論んでいたのに、昼頃にはバスはおろか公共交通機関が全て止まってしまった。運のいいことに、午後の数時間をパシフィコのロビーでコーヒーを飲みながら過ごしていたら、交通機関が再開して、夜には当時住んでいた池田の自宅に帰ることができた。
210727 台風11号.png
参考までに上がその時な台風11号の進路である。(無断借用御免)
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2021年07月18日

13年前の梅雨明け三日

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先日、梅雨明け三日をかいた折、以前にもブログに揚げた記憶があると書いた。
以来探して見たら見つかった。
なんと2008年7月18日の事である。
今日は横着をして、そのままここに揚げておく。ちなみに、近畿・東海は昨日梅雨明け宣言が出たそうだ。

2008.7.18
今朝,3時頃だったろうか雷鳴で眼を覚ました。
昨晩は10時過ぎには眠りについていたとはいえ,午前3時はまだ真夜中に近い。眠さも手伝ってまどろみに引き込まれそうになると,ゴロゴロと聞こえて,現実の世界に引きも出される。時計を見ていないとはいえ,ウトウトし始める頃の雷鳴だから,2〜3分以上はあいていようか。そんなだから,いずれにしても雷活動は非常に活発というわけではない。それにしてもお天道様は皮肉屋である。気象台の梅雨明け宣言を待っていたかのように,天気は下り坂。昨日一杯はどうにか持ちこたえたけれど,夜半を過ぎての悪天候である。昨晩の予報では,朝鮮半島付近にあった前線が南下してくるとのことだったから,戻り梅雨とでも言うのだろうか?
ただその荒れ模様も,日が高くなるにつれ回復基調,昼過ぎ梅田に出た時はもうすっかり快晴で日差しが鋭い。あっという間に先日来の真夏日である。長期予報では,今夏は暑くなるとのことであった。現時点では有り難くないけれど,あたっている。小生の好きな
「気象は常に以上である。」
のだから,夜半の雷雨に昼過ぎの真夏日は,シナリオ通りで面白くない.
梅雨明け三日も経たないというのに・・・。
脱線しついでに,「梅雨明け三日」の慣用句は
1. 梅雨明け直後の三日間は,天気が安定して晴れが続く
2. 梅雨明け直後の三日間は,依然天気が不安定で,雷雨模様が続く

の両方の意味がある。考えてみれば,いい加減なものでどちらに転んでも当たることに,なっているようである。

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2021年05月29日

自身の慧眼にびっくり

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私が、ブログを長く続けていることは、ご常連様ならご存じだろうと思う。ブログの前には、日記を続けていた。高校生の時以来だから、半世紀近く日記。ブログと続けている。その手書きの日記の大半が、在職当時の建屋補強工事や、アレキサンドリア滞在のごたごたの間に紛失してしまって悲しい限りなのだが、まぁ亡くなったものは仕方がないと、古い記憶を必死で思い出すことが多くなった。当然ブログも初期の頃からを読み返してみることもあり、ある意味老人の「回顧趣味」なのかもしれない。そして先日思わぬ内容に遭遇。2008年7月30日の内容で、我田引水ながら自身の慧眼を再認識と、うぬぼれが頭をもたげている。
昨夕(2008年7月29日のこと),大阪は堂島にあるジュンク堂という書店でトークショーをやらせて戴いた。そう,拙著雷に魅せられて上梓にちなんでのトークショーである。
そもそもこの企画は,化学同人の編集のT女史に
「ボランティアで出かけていくから,雷に魅せられてが専門書でないことを皆さんに知ってもらいましょう!」
と声をかけさせて戴いたのがきっかけで,T女史もすっかりその気になり,
「大阪,名古屋,東京で,トークショーを開催しましょう!」
と,大阪は当然,名古屋,東京のジュンク堂にまで声をかけてくださったという。
ただ私が,人気タレントであったり,大学人であったとしても俗にいう時の人,例えばips細胞の京大・山中教授ばりに有名なら,書店も二つ返事で引き受けるのであろうが,世の中そんなに甘いものではなかった様である。それでも,ともかくジュンク堂・堂島店のみその機会を設けて下さったというのが本当のところだろうと了解している。
聞けば満席20名で,ドリンク付きで1000円のトークショーとのこと。この企画が決まったころ,研究室秘書のN女史なんぞ,
「1000円は高い,せめてワンコイン500円でなければ!」
と,豊かな営業経験に照らし合わせての苦言に近いコメントで,気炎を上げていた。
いや実際,当事者としては
「客がいなければどうしよう?!」
との悩みが先に立ち,開催日が近づくにつれて憂鬱度が増していたというのが実情。それでも,博士課程学生の二人や,研究室や専攻長秘書,その母上のお三人,学内の委員会でお世話になっているA女史がお仲間と参加して下さったりと,サクラの皆様のおかげもあって思いのほかの盛況,トークショーは何とか恰好だけはついたようである。とはいえ終わってみれば,別の場所でもやりたいと思う自分自身もあって,人の業の深さを思い知っている翌日の夕方である。


とまぁ、こんな内容で山中さんがノーベル賞を受賞する4年以上も前の記述なのである。
念のために以下がその、URLです。

http://zenk.sblo.jp/article/17444184.html

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2021年05月05日

交友録 3

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子供の日
SHさんに関して、もう一つ思い出話がある。
それは京都府の丹後半島先端に位置する、太鼓山・スイス村に関連してである。
学会の会場だったと思うが、
「太鼓山のスイス村に、SAFIRのアンテナ設置してたらしいですね。私はスイス村に設置された風力発電機のブレードが、落雷で破損したというので現地調査に行ってきました。」
と、SHさんから声をかけられた。SAFIRは狭帯域干渉計の製品名で、関西電力と大阪大学の共同研究でおおよそ10年間北近畿を検知範囲として稼働した。ただスイス村に置いたアンテナは、山頂ということもあって、よく被雷したびたび修繕せねばならなかった。私はそんな苦労話を披露し、その頃は太鼓山から30q程度南の大江山山頂に移設してあることを話したと記憶している。方や風力発電の雷被害、方や雷放電検知と主題は「雷」でも、対応の仕方は大いに異なっており、議論はすれ違いだったけれど、後になって考えれば、この時の議論以来SHさんとは頻繁に話すようになったように思う。そしてSHさんの助言もあったのだろう、北陸電力の委員会にも呼んで頂くようになる等して、親交が深くなった。それのもう一つ、最近はどうか判らないが、私がブログを始めた当時の常連様の一人で、委員会や学会で出会うと、あれこれブログへのコメントをくださったものである。記憶に間違いが無ければ、ほとんど同じ年齢だから、元気にされているだろうと、懐かしさをつのらせている。
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2021年05月04日

交友録 2

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夢の続きである。
SHさんと私は、ロケット発射のタイミングについてあれこれ語り合っていたように思う。何せ夢の事ゆえ、覚めたら内容の詳細が消えてしまうけれど・・・。なぜあんな夢を見たのか、つらつら考えるに、ズームの会議で近大のMT君や、電通大のAM君とロケット誘雷の議論をしたからに違いない。
名古屋大グループの牽引してきたロケット誘雷実験が、世紀の変わる頃に等々沙汰止みになったけれど、その頃河北潟の風力発電の風車への落雷が顕在化し、冬場ともなれば付近での観測が活発となって、大阪大学の学生諸君は、SHさんにあれこれお世話になるようになった。現在電気機器メーカーに職を得ているTY君はLF帯の観測ネットワークを構築、石川高専にも置かせてもらった筈で、私も一二度お邪魔した記憶がある。どうせ夢を見るならその時の夢の方が現実的なのに・・・。なおこの時の研究成果は電気学会に、TY君が第一著者となって公表されており、SHさんも共著の一人となっている。
ところでいつの年だったか、観測の様子を見に行ったら北陸地方が大雪となって、列車が遅れに遅れた。どうしてもその日のうちに帰りたいという私に、
「雪で遅れたら、とにかく来た列車に乗る。それが一番です。」
と教えてくれたのがSHさんで、やって来た各停に追い立てられたのが懐かしい。
それからもう一つ、獅子吼高原の誘雷実験に参加し始めた頃、私はベースキャンプまで自分の車で出かけていた。この時も大雪にあい、一晩で車が雪に埋もれてしまった。翌日になっても雪の解ける風はなく、とりあえず車を置いて帰宅したら、数日後に電力会社の除雪車で掘り出してくださったという知らせを、これまたSHさんから頂いた。こんな風に、SHさんには本当にお世話になっているのである。
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2021年05月03日

交友録1

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最近一週間の間に、三度ばかり元石川高専教授SHさんの夢を見た。夢を見たというより、SHさんが出てきてくださったという方が正確かも知れない。昨夜なんぞは、獅子吼高原の山頂での誘雷実験現場での語らいで、1990年当時にタイムスリップしたごときであった。
そのSHさんと初めてお会いしたのは、多分1982年冬の河北潟のロケット誘雷実験だった筈だから、もう40年近く昔のことになる。あの年は渋る故竹内助教授を説得して、同僚のNMさん、博士課程学生のTNさん(現岐阜大教授)に、修士課程学生のNTさんに私を加えた4名が誘雷実験に参加した。観測は一週間から十日程度の間隔で担当者が交代するのが普通で、初めての出会いは、名古屋大学グループの教官が、名工大のNKさんと件(くだん)のSHさん、空電研究からは私のときであった。
SHさんは北陸の生まれで、我々大阪人に比べると、いささか人見知りをなさる感じで、じっくりと話をした記憶は残っていない。例えば夕食は誘雷実験のために建てられたプレハブの観測小屋に、実験への参加者が集まって学生・教官が一緒になって大鍋の料理をつついたものだが、NKさんは北陸名産の甘えびを盛んに勧めてくださるのに、SHさんはそんな時でも
「どうぞ!」
とまわってきた皿を渡してくださるだけであったような記憶が残っている。余談ながらNKさんも石川県は美川の生まれ育ちだから、北陸人がすべて朴訥というわけではないようだ。そして口から先生まれたごときの私は、本音で朴訥な方へのあこがれが強かった。
1989年7月に私は大阪大学に転勤となり、その後私はロケット誘雷のグループの結びつきが一層強くなるのだが、SHさんとの付き合いもますます深くなっていったのである。
(この稿続く)
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2021年03月25日

幼い頃の思い出 3

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もう一件子供の頃の思い出を披露したい。
多分小学一年か二年の事だろうと思う。
夏の暑かった日の事だったという記憶がある。
それは母と二人で、伯母(母の姉)の嫁ぎ先を訪ねた日の事である。
伯母は同じ貝塚市内の、小瀬という町内に嫁いでいた。その小瀬は南海の貝塚駅から、久保行きのバスに乗って10分程度の距離にあった。ただバスは一時間に一本で、私達が貝塚駅に着くとバスは出た直後であった。それで母は私に
「小瀬まで歩こう。善一郎でも歩いて30分かからあへんから!」
といった。ただ私にはひどく遠いように思われ、確かいやだと譲らなかった。手を焼いた母は、
「歩くのいややったら、東貝塚駅のバスに乗って、国鉄の東貝塚まで行こう。そこから小瀬までは近い筈やから!」
と妥協案を出した。私はその妥協案に、一も二にもなく納得した。
南海貝塚駅から国鉄の東貝塚駅まで、やはりバスで10分程度であったろうか。
バスは程なく東貝塚に到着し、母と私は田んぼ道を小瀬まで歩いた。ただその道のりは母の説明を聞いて納得したほど短いものではなかった。
「いっこも近ないやん!」
と不満を言う私に、母は
「あんたが納得したんやから!」
とにべもなかった。
以来伯母の家を訪ねるときには、バスを乗り外せばバス通りに沿って歩くことが普通となったのだが、何十年もして
「あれは、母の作戦だったのだろうか?!」
と考えるっようになった。今となっては確かめるすべもないが。
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2021年03月24日

幼い頃の思い出 2

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昨日紹介した事件は、多分私が小学2年生の頃だったと思う。だから63年前ということになろうか。私がそのように考えるのには、次のような理由がある。
私達の地域ではその頃、男子が数え年10歳の春に「牛神」という祝いをする習慣があった。土地の長老やら同級生に料理を振舞うのだが、その席で祖母がいきなり三波春夫の「ふなかたさんよ」を披露して、祖母の妹を
「ねぇちゃん、ぼけてると心配してたけど、こんな唄いつ覚えたんやろ。まだまだしっかりしてる。」
と泣いて喜ばせたのをうっすらと覚えており、三波春夫のその歌は、1957年に流行しているからである。つまり祖母の妹が、祖母をぼけていると心配した事件が、私の数え年10歳の少なくとも前年でないと、先に示したか言葉とならないだろうと判断できるからである。
私の祖母は、若い頃は素人なりに美声というか歌うのがうまいというかでならしたと、近所のおばさん達が、その折話していたのも何故か耳の奥に残っている。当時はテレビはまだまだない時代で、家庭での娯楽といえばラジオ放送を聴くくらいしかなかった。だから祖母の歌うのを聞いて、私の「牛神」の祝いに出ていた、長老や大人達は、いつ覚えたのだろうと不思議に思ったようだ。子供達はいつもは怖い筈の祖母の妹が泣いているのを見て、これまた不思議に思ったようである。この祝いで一番忙しい思いをしていたのは母だった筈なのに、私のこの日の思い出には母が出てこないのは、これまた私にとって不思議なのである。(この稿続く)
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2021年03月23日

幼い頃の思い出 1

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Aliceのことは、何度も紹介してきた。
そのうちの一つに、Aliceの拘りともいえそうな癖である。屋内に飼われている犬の多くは、朝夕の散歩の際に用を足す。いや用を足したくなったら、吠えたてて散歩に連れ出してもらうことを促すのは普通と聞く。ところがAliceは散歩中は、めったなことで用を足すことはない。私の記憶では、一緒に住むようになって三年の間で、散歩中の用便は10回もない。実は住宅のベランダが、彼女のトイレなのである。だから故あって一か月前に引っ越したのだが、引っ越し先を探すのに、ベランダのあるマンションが必要条件だった。そして引っ越して二三日は、回数も極端に少なくなって気を揉んだが、一週間もするうちにベランダの一角を自身のトイレと決まてしまった。わざわざ買い求めた犬用のトイレを、わざと避けているのは癪ながら。だから、彼女が用を足すと、大であれ小であれきれいに掃除してやらねばならない。掃除をしながら、随分と昔のことを思い出した。
私は母子家庭で育った。小学生時代は、祖母、母、そして私の三人家族だった。
晩年の祖母は、今日でいう認知症を患い、他界する二年ほど前から、排便もあやふやになったようで、時折粗相をするようになった。母は、勤めに出ていたので、日中は祖母の妹が面倒を見てくれていたようだが、時には一人自宅にいることもあったようである。多分そんな一日だったのだろう、自宅に帰ると今のあちらこちらに、祖母の大便が落っこちていた。小学2年生か3年生の私にすれば、大いにショックで、慌てて向かいの家に行き電話を借り、母の勤め先に電話をした。その時母は私にどう指示したかは、もはや覚えていないけれど、電話して後私は、自宅に帰って落とし紙や雑巾で掃除をした。そんなことをふっと思い出した。(この稿続く)
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