2020年07月09日

悪ガキが教頭!

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いささか品のない話ながら、随分と昔祖母から聞いた話を思い出した。
思い出すには何かがきっかけになることが多く、今日の場合は前を歩いている若い女性である。その女性はミニスカートをはいておられ、生地の性質にもよるのだろう、えらく跳ね上がる風である。だからご本人も気になるのか、歩きながら時折お尻のあたりを抑えながらである。その光景から、思い出したのが、祖母の子供の頃の俗にいう悪ガキの話である。ちなみに祖母は、日清戦争の頃に生まれたと聞いているので、明治20年代後半の生まれである。
祖母が尋常小学校に通っていたころには、教壇があったそうで児童より一段高いところから教えていた。教壇は大学にもあって、私にはあまり珍しくはないが、シンガポールの小学校ではあまり見かけないような気がする。それはともかく、祖母から聞いた話である。当時女性の教員もいたそうで、袴を身に付けていたという。そしてくだんの悪ガキ、不謹慎にも教壇の下に潜り込んで、女性の先生の袴の下から覗いたというのである。そんな悪事は見事に露見し、大目玉を食らったそうだが、その悪ガキ、私の小学生当時には小学校の教頭で、子供達を集めてもっともらしい説教をするのを見ていて、祖母が笑い話としてこっそり教えてくれた。あの頃私はまだ小学校一年か二年だったと記憶している。子供だから大目玉で済んだのだろうが、今ならある種のセクハラで、大問題になるかもしれないなんぞと、思い出した次第である。
品のない話で恐縮、お許しください。
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2020年07月04日

思い出話 96

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専門外の方には退屈かもしれないが、もうしばらく思い出話を続けたい。
弾性表面波の研究に関してである。
縦波(疎密波)である筈の弾性波に、横波の存在する理論的根拠である。
圧電性弾性表面波、磁気弾性表面波の「名前」から想像して頂けるかもしれない。つまり電磁波は、電気的な振動と磁気的な振動が、お互いにやり取りしながら伝搬するのだが、圧電性の弾性波は、電気的な振動と力学的な振動が互いにやり取りしながら伝搬するのである。早い話電磁波の磁気的な振動の代わりをするのが、力学的な振動なのである。当然伝搬の速度は、音波のそれであるから、波長に換算すると同じ周波数の場合、電磁波に比べ圧倒的に短くなり、素子の小型化が可能になるというのが長所と考えられていた。
ついでに磁気弾性波は、磁気的な振動と力学的振動のやり取りで、電磁波の電気的振動の役割を力学的振動が分担するのである。ただ磁気弾性波にはもう一つ難しさがあった。それは磁気的な性質には、「異方性」という厄介な性質があり、例えば波の進行方向が違えば、伝搬の速度が異なってしまうのである。つまり電磁理論でいうところの相反定理が成り立たず、そうなるとグリーン関数の導出や、積分表現の導出が、なかなか教科書通りにはいかなかったのである。この難題にぶつかったのが修士二年に進級した直後で、そのころには
「この研究主題で博士課程まで進級しよう!」
と考えていたので、またまた七転八倒の毎日であった。机に向かって同じ姿勢で、計算したり文献を読んだりするという生活が続き、その結果頚椎捻挫してしまった。手がしびれ偏頭痛があり、いささか怖くなって病院に行くと、診察に当たった医師から
「大学生か、麻雀のしすぎだろう。」
と呆れられ、説明するのも面倒なので、薬と電気治療だけ受けて帰宅した。
こんな毎日を過ごしながら、一ヵ月二度北海道のその人に電話をしてという、日々が続いた。その夏、札幌での学会が開催されることになっていたので、私は何としても磁気弾性波の研究発表を札幌でと考えていたのである。
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2020年07月03日

思い出話 95

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ご常連様ならよくご存じのように、私は大気電気学の専門家である。平たく言うなら、雷放電物理を、1979年に名古屋大学空電研究所に勤務して以来、野外観測を主たる手段として、40年の長きにわたって研究してきた。だからここ数日の思い出話とは、非常に連続性が悪い。まぁこのあたりのいきさつは、別の機会に紹介させていただくつもりなので、いましばらく修士課程から博士課程の頃の思い出話を続けたいと思う。
圧電性弾性表面波、磁気弾性表面波が、くぼみや折れ曲がり部分でどのようなふるまいをするかを明らかにするというのが研究の目的で、所属していた研究室の主たる研究主題である光ファイバーだったから、てそれなりに親和性は良かった筈である。
それはさておき、後日談が二例ある。
1995年1月17日の阪神淡路大震災。震央は淡路島北淡町だったっけ。そして地震の表面波が六甲山系に向かって伝搬、そこでたぶん反射をして、電磁波でいうところの定在波とり、被害の大きい地域が定在波の腹に当たる部分で、だから飛び飛びとなったのではないかと、勝手な理解をした。あの当時には、不連続部における反射や散乱の研究とはすっかり離れてはいたけれど、不謹慎ながら興味深っかったのを思い出す。
もう一例は21世紀初頭、私を大学院で指導してくださっTKさんから電話をもらった。
「善さん、日経サイエンスに僕らのやってた弾性表面波で、フィルターを実現したというニュースが載ってだでぇ!」
という内容で、論文を発表してから四半世紀も経って実用的な素子に応用されたという知らせである。嬉しいような悔しいような、複雑な気持ちであった。
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2020年07月02日

思い出話 94

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思い出話を続けている。
大学院に入学して、研究を「弾性表面波」とするよう、TKさんから助言された。それも純粋な弾性表面波ではなく圧電性弾性表面波や磁気弾性表面波で、さらにその散乱に関する取扱いである。弾性波はある種の音波で、したがって通常は疎密波(縦波)なのだが、あの頃横波の弾性波の、圧電性の材料に存在し得ることが、理論的に確かめられたという論文をTKさんが読んで、
「散乱の問題を考えるときっと論文になる!」
と思案されたのである。この変わった横波、発見した研究者の名前を冠したの圧電性弾性表面波は、Bleustein-Gulyaev波と名付けられていて、
「グリーン関数導出して、積分表現するんや。グリーン関数言うても、四年の時に使ったフーリエ変換してやったら、単なる境界値問題になるから、後は計算力が勝負や。善さんこういう計算得意やから、きっと向いてるで!」
と、TKさんにおだてられ、何か月かそれこそ根を詰めて境界値問題を解いた。そして電磁理論と同じように、相反定理に基づいてBleustein-Gulyaev波の積分表現を導出した。
いささか専門にすぎる話で雲をつかむような話ながら、平たく言うならホイヘンスの定理に近いものがあり、
「ある領域内における波のふるまいは、その領域を囲む閉曲面に入射する波の様相が分かれば、その閉局面の積分で記述できる。」
と、言った具合だったのである。
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2020年07月01日

10年前の今日

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10年前の今日
思い起こせば、フロリダ大学に短期留学していた愛弟子のYS君に会いに行ったんだ。
速いもので、もうあれから10年か!

成田を飛び立てばシカゴ・オヘア空港まではおおよそ11時間。
インターネット万能ともいえるこの時代に,機内に11時間も閉じ込められるというのは,如何にもそぐわない。
実際,成田空港でフロリダに居るYS君から,
「天候次第では,ジャクソンビル空港には行けないかもしれません!」
とメールが入り,実時間に近い形で
「レンタカーで宿泊先のホテルまでは車を転がして行くよ!」
と返事をしているのだから,その後に長旅を強いられるというのでつい愚痴が先に立った。とはいえシカゴや最終目的地のフロリダは,日本から見ればほぼ裏側に位置するだけに,物理的に移動するには長時間の旅も止むを得ないのは判っている。
何度か申し上げている様な気もするけれど,私は海外出張の長旅では機内でひたすら眠る様に努めている。機内食もあまり頂かず,キャビンアテンダントには,
「起こさないで!」
のお願いをしておくのが常。
ただ昨日は成田空港での乗り継ぎ時間が短い事もあって,搭乗前に胃袋を満たしておく時間が無く,
「今回は信念を少し曲げ,先ずは少々(?)のアルコールと機内食を!」
と腹ごしらえは機内でという事に相成った。
とはいえ習い性とでもいおうか,機内食を頂いているうちに前後不覚となり,気がつけば機内は暗くなっており,見ていた筈の機内映画は既に終わっていて,エンジン音が耳の奥に鳴り響いているといった具合。
キャビンアテンダントに確かめると,
「シカゴまでの行程の,おおよそ半分を飛びました。」
とのこと。そして引き続けての
「おやすみでしたから,デザートはお配りできませんでした。何か召しあがりますか?」
との問いに,それならウイスキーの水割りと何か果物をとお願いした。
さらに5時間近くは眠らねばならないから・・・。

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2020年06月29日

思い出話 93

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卒業研究のために配属された、研究室での思い出をつづっている。
大学四年生、1972年の秋から1973年春先までのことをあれこれと思い出している。
工学部電気系の研究室なのに、博士課程の先輩7人の内、5人までが相対論的な電磁界理論に関わっているという、大いにユニークな研究室であった。かくいう私もそんな先輩達にあこがれ、いっぱしの理論研究志向だったから、今から考えるとお恥ずかしい限りである。ただあの頃は純粋だったうえ、怖いもの知らずであった。
ファインマンの力学を読んでいた日、
「あれ、重力だって伝搬するんだろうか?」
と不思議に思い、声を出して質問、というより自問に近い形で口走ったら
「善さん、それが重力波なんや!」
と、何人から異口同音に答えが返ってきて、
「東北大学の、千葉先生がウエーバーの追実験やってるんやで!」
と教えてくれた。
一年後の秋、電気学会の電磁界理論研究会でその千葉先生にお会いする機会があったけれど、東北弁訛りがきつくどちらか言うとおとなしい御仁で、なんだかうだつの上がらない先生だなぁというのが第一印象であった。
話は変わるが、相対論的電磁回路論に関しての研究は、私が大学院に入学する頃から下火になり、直接指導してくれていたTKさんからも
「善さん、博士課程まで進学する気やったら、長くできるテーマ考えた方がええで!」
と助言された。
電磁界理論の枠組みの中、何をやればという模索が修士課程に進学して始まった。
TKさんからは
「善さん計算力あるし、四年の卒研の経験が生かせるんがええやろ。相対論ちゅうても、境界値問題解いただけやしなぁ。弾性表面はなんかどうかなぁ?」
とも助言を受けた。
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2020年06月28日

思い出話 92

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昨日も書いたように、卒業研究の主題は
「相対論的な速度で移動する飛翔体からの電磁放射」
で、指導者のTKさんからの説明によると、
「ロケットの大気圏再突入の際、ロケットが大気との摩擦で高温となって、プラズマ状の膜ができる。プラズマは異方性だから、このような状況下で外部、例えば地球との交信が困難となる。そういった具体的な問題の解決につながるんだ。」
で、数値計算で求めたのは直線状のアンテナからの放射パターンであった。低速の場合原理的には等方的な放射パターンなのだが、高速(相対論的速度)になるほど、放射パターンにヌル点が表れるので、その方向には電波が放射されない、早い話その方向とは通信できない、といった現象になるという結果であった。
「ほらな。数値的に放射パターン出してやらな、式だけではなんも分からへんやろ。求めた式の具体的な数値を計算するだけやよって、皆のやってる数値解析とは根本的に違うんや。」
と教えられ、そんなものかと納得した。ただ光速の0.9倍とか0.8倍とかいった速度で大気圏に再突入するようなロケットは、現実には存在せずこの研究は、その後続けることはなかった。
余談ながら1960年代から1970年代にかけて、相対論的電磁理論の研究が私達の研究室で盛んになったのは、メリーランド大学のウエーバーによる重力波検出の論文が、ある意味端緒になったのだろうと理解している。ただウエーバーの「共振型重力波検出」の結果には、批判的な研究者が多く、その後干渉型の装置が考案・建設され、2010年代の大発見につながったのは、我々の記憶に新しい。
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2020年06月27日

思い出話 91

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11月のその日以来、二週間おき程度に札幌に電話をかける習慣が、身に付いてしまった。
電話したからといって、取り立てて深刻な話をするという分けではなく、二週間の出来事などを4〜5分伝えあうだけのものであったが、私にはそれだけで十分であった。不思議なことに、他人の奥さんに定期的に電話をしているという罪悪感は、全く起こら無かった。高校三年生以来のプラトニックな恋愛なのだから、罪悪感の無いのも当然といえば当然かも知れなかった。それに受話器の向こうでは、その人は昔の儘のその人であり、屈託がなかったことも、二週間おきの電話の一因であったのかもしれない。いずれにしても、以来長く続くことになろうとはその時は、少なくとも私は思わなかった。
プラトニックな恋愛の話は、さておき卒業研究に話題を戻す。
同級生達が大型計算機センターに日参しているのに、私は研究室でほとんど過ごした。数値計算とは無縁だと信じていた。なんといっても「相対論的な速度で移動する飛翔体からの電磁放射」の解析解を求めているのだから、数値計算とは無縁だと信じていた。いっぱしの理論解析が、私の卒業研究だと理解していたのである。年が明け一月の末頃だったろうか、指導してくれていたTKさんが
「善さんよう頑張ったなぁ。一応期待していた解析は、ほぼ終わったで。」
と仰ったので、それならいよいよ卒業論文を書くのかと期待していたら、
「明日から、求めた解析結果の数値計算や。計算センターに行ってもらう。」
というではないか、
「FORTRANは取り敢えず知ってますが、今からプログラムして数値計算なんてできませんよ。」
という私に、
「皆がやってるような、数値解析とちゃうねん。君の導出した解析解の、具体的な数値を計算するねん。」
と説得され、助手のMNさんからは、森口繁一のFORTRANの本を手渡され
「河崎君、一週間でできるよ!」
と励まされ、私は本音で
「話がちゃうやん!」
と考えたりもしたが、実際やってみると一週間足らずで数値計算ができてしまった。
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2020年06月26日

思い出話 90

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「ともかく大学院入学試験は、合格しました。」
その人の一方的な問いかけが一息ついたとき、私はようやく入学試験結果の報告ができた。
「だから、少なくともあと二年は学生です。」
と続け、逆に札幌の生活はどうかと尋ねた。
「今年の二月にオリンピックあったでしょ。だから札幌には地下鉄もあるし、都会だから大阪と感覚的には変わらないかなぁ。11月になってからは結構寒い日も多いけど。」
と答えてから、4〜5年は札幌暮らしになりそうだと教えてくれた。
「そんなことより、いつまで学生を続けるつもりなの。またまた親類の方に迷惑をかけるの?」
と現実的な話題になった。私は、大学三年生の春から独り立ちの意味もあって、下宿生活を始めたと答え、大学院に進学したらすべて自分で賄うように親類縁者からは告げられていることを伝えた。
「そんなこと、当たり前なんじゃない!」
と手厳しいコメントが即座に返ってきて、それでも最後には
「毎日とは言わないから、そうね一週間に一度くらいは電話欲しいなぁ!」
の、期待を持たせる一言で電話を終えた。
私は、電話での会話の余韻を感じながら、席に着いて日々読んでいる教科書を開いた。不思議なことに、これが意外と集中できて、気が付くと助手のMNさんや先輩のSTさんが来られていて
「善さん、えろう真剣に本読んでたなぁ。声かけても返事がないので、居眠りしているのかなぁと思ったけど、時折ページめくってたしなぁ。」
と、妙な感心をされてしまった。
午後には、前日まで七転八倒していた難解な計算式も、すらすらと理解でき、卒業研究指導のTKさんから
「思いのほか早く理解できたねぇ。一山越した感じかな。でもまだまだ山あり谷ありだから。」
と、ある意味お褒めの言葉を頂いた。
こんな風に、その日は私にとって濃い一日となった。
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2020年06月25日

思い出話 89

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卒業研究が佳境に入る頃には、私の生活パターンは子供の頃以来の、午後10時までには就寝して、午前4時頃起床という形に戻っていた。NHK第二放送の英会話も漏らさず聞くようになっていた。確かこの年から英会話の講師は、松本亨から東後勝明に代わっていて、最初は違和感を感じたものの、いつの間にか聴き慣れてしまっていた。ラジオの英会話のことはともかく、下宿ではほとんど一番最初に朝食を済ませ、8時過ぎには研究室の席に付くようになっていた。昨日も書いたように、午前中は英語の教科書をよみ、午後には卒業研究の課題に取り組むという形である。午前中のこの習慣は、直接指導してくれている博士課程のTKさんや、一年先輩のMKさんがそうしているのを知り
「独創的な研究には、基礎的な知識が大切なんだ!」
と教えられた気がしたからである。
そんな11月のある日、私は思い切ってその人に電話しようと考えた。
下宿の机の上に置き去りにしてあった葉書を取り上げ、研究室に向かった。
不文律では、大阪市内06内は電話をかけても良いことになってはいたが、他の地域には原則教官以外かけてはいけないことになっていた。ただ早朝で、研究室には私以外は誰もいなかったので、少しくらいなら良いだろうと、自分自身を納得させたのである。そう思案すると、今まで抑えていた自分の気持ちを抑えきれず、研究室に入ってまず受話器を取り上げた。ダイヤル式の黒電話の最後の数字が回りきると、しばらくして呼び出し音が聞こえ、そして
「はい、MKです。」
と懐かしい声が、耳に届いた。私の、善一郎ですという呼びかけに
「あら、もう電話貰えないかとあきらめていたわ。もう三か月になるから。」
と、返ってきて
「今どこなの。多分大阪よねぇ?」
と、その人は一方的に続けた。
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