2020年02月12日

思い出話 22

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その後私達は、出会える機会がしばらくは、なかった。
梅雨が明ける頃高校が夏休みに入り、高校に通わなくなったので、事態は悪くなっていた。私は早朝の受験勉強以外は、家の手伝いに精を出した。日曜日は、もう社会人となっているY君ともあって話すこともあったけれど、時間的にはすれ違うことも多かった。
そして8月に入ると、おばあさんから
「今年は、浴衣ぬうたるでぇ。Y君のお母さんと話したんや。盆踊りに着たいやろう。」
と、告げられた。前年までは、普段着で盆踊りに参加していたけれど、これは私を大いに喜ばせた。Y君からも
「ちょうど盆休みやから、ほな一緒に出掛けよか?」
と言われて、私は有頂天になっていた。今日の若者に比べれば、本当に他愛無いものである。
大阪南部の泉州地域は、盆や祭りの盛んな地域であった。8月14日から三日間は各町内で、そして17日は水間観音の境内踊り場は、近郷から人が出て結構な賑わいになる。17夜と呼ばれていて、ほとんど徹夜で踊り続けるのであった。
今日でもそうだが、8月中頃のお盆休みには、就職して故郷を離れている者が多く帰省してくる。大仰にいうなら一時大家族に戻るのである。だからあの頃は、盆と正月はプロパンガスの配達も忙しかった。当時はまだガスボンベを台所に置いて、ゴムホースで厨房器に直接つないで使っていた。そしてその後プロパンガスの普及で、一方ガス漏れによる爆発や火災事故が頻発し、規制が厳しくなって配管の工事が必要となったが、まだまだ規制の緩かった時代であった。ちなみにその二年後、私は正式にガス・揮発油等の取扱い免許を取得するのだが、高校三年生のあの頃は、いうなら無免許で家事を手伝っていたのであった。ともかく日が暮れてご飯時になっても、なかなか開放はされなかった。そもそもY君と私は、そんなに早いうちから踊り場に行こう何ぞとは話し合ってなかった。だから出かけたのは午後10時を過ぎてであったろう。
「町内の踊り場、最後に行ったらええやん。木積や水間まわってみよう!」
ということで、二人は浴衣で下駄をはいて家を出た。当然たもとにはたばこが入っていた。Y君は就職してから、喫煙の習慣がすっかりついていた。私はと言えば、ある意味面白半分、留年しているとはいえ、まだ高校生だったのだから。
初日だけに10時過ぎといっても、人のではまだまだで、水間漢音の境内の夜店も人はまだまだまばらだった。
「やっぱし、最終日の16日やないと盛り上がれへんなぁ!ほんで水間は17夜やで。」
勝手に納得して、11時頃だったろうか、私達は町内の踊り場に戻った。そして私は、踊りの輪の中に、例の彼女の浴衣姿を見出した。意気消沈していた私は、突然気分高揚するのを感じた。
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2020年02月10日

思い出話 21

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午後10時過ぎには、R 君も帰ってしまい私は一人になった。
あの頃には私は再び、朝四時頃の起床を心がけていて、だから就寝の時刻は過ぎていた。座敷の真ん中に布団をひいて大の字になったら、Hちゃんの言葉が気にかかっていた筈なのに、すぐに眠ってしまった。ただ多分夢の中だったんだろうが、Hちゃんの
「恥かかんようにせぇよ」
「あのおばはん出戻りなんや」
という二つの言葉が、頭の中をグルぐるぐる回っていたような記憶がある。
そして夢の中で
「なんで、彼女と仲ようしてたら、恥かくねん!」
を繰り返していた。多分眠りは浅かったんだろう。
それでも翌朝は、午前4時に目が覚めた。
「あの人、出戻り娘なんや。そいでもわいの好みにぴったりや。ピッタリはええけど、ワイは一体どうしたいちゅうんやろう?」
と、覚醒してゆく頭の中で考えていたけれど、答えが出るとは、到底思えなかった。
ともかく私は気を取り直し、期末試験に頭を切り替えた。頭を切り替えたといっても、私は特別なことはしなかった。定期試験は、日頃の積み重ねが結果として出るのでと、考えていた。記憶に間違いがなければ、二三日もすれば一学期の期末試験が始まる筈であった。
そんな期末試験も終わり、夏休みとなった。昨年同様、同級生たちは急に大学受験を意識し、大阪市内の予備校の夏期学習に通う者も少なくはなかった。二回目の三年生で同級になった友人が、この友人が私をパチンコに連れて行ったりしたのだが、
「善さんどうするねん?」
と尋ね、私は
「どこにも行かへんよ!」
と返した。彼は、夏休みを期に大阪市内に通うようになって、遊び癖が付いたのか、かえって成績は低下の一途を辿り大学受験はうまくいかなかった。
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2020年02月09日

思い出話 20

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次の日も私は、早めの電車に乗った。
さすがに彼女は、そのことについては何も言うことはなかった。
水間駅から貝塚駅までの15分足らずだが、私にはそれだけでも十分わくわくしていた。
確かに急行に飛び乗りたいという衝動も、自分自身の中に感じてはいたが、無茶をすることでその人から良く思われないかもという不安感が、私を思いとどまらせた。
自制心ということになろうか。
結局早朝の逢瀬は、週末の土曜日まで続いた。
その日彼女は貝塚駅での別れ際に
「善一郎君は土曜の午後は自由なの?」
と尋ねたけれど、私はかぶりを振って
「土曜の夕方は、ガスの配達忙しいんです。」
と答えた。
「あら残念、一週間のお礼に昼ご飯でもご馳走しようかと思ったのに。」
と、本当に残念そうな顔で、その人は私を見つめた。そして
「来週からは、また元通りの出勤時間。朝早く駅にきてもいないからね。」
と、私に告げた。
その日の夕方、Hちゃんがいきなりやってきた。大学に入ってからは、初めてではなかったろうか。そしていきなり
「善さん、最近H君とこのおばさんと、よう一緒におるんやて?」
と、詰問した。
「おばさんちゅうても、ワイらから見たらあ姉さんやでぇ」
と返事する私を無視して、
「恥かかんようにせぇよ。あのおばさん出戻りって知ってんのか?」
と続けた。
「お前も、本来やったら高校卒業してる筈やし、遊ぶんやったらええけど、気ぃ付けよ。」
といって、縁側に座って煙草に火をつけた。そして私にも煙草を出して
「お前ももう吸うんやろ。ええねんかくさんで!」
といって、あとは何も言わなかった。
静けさがまた戻ってきたが、ほどなくバイクの音が聞こえて、
「善さん、予備校の試験やねん。数Vの積分の問題教えて欲しいんやしょ。」
と、R 君がやってきた。それをきっしょにHちゃんは立ち上がり、もう一度私をじっと見つめて
「分かってるな!」
念を押した。R君はあっけにとられていた。
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2020年02月08日

思い出話 19

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次の日も、私は家を早く出た。
その朝、彼女は私より早く水間駅に着いていたようで、既に席に座っていた。
私に気付くと、えらく真顔で
「今日は急行に乗っちゃぁだめよ!」
と言ってから、となりの席に付くようにと促し
「昨日は遅刻したでしょ?」
と続けた。
私は、学校に着いたのは一時間目の中頃だったこと、だから部室で時間を潰したたことを正直に話した。そのあと話題は私の境遇に及んで
「善一郎君は、お母さんが亡くなった後は、おばさんの家にいるのね?」
と尋ねられ、少し話が弾んだ。
「正確には母の叔母の家です。居候ということになります。でも高校に入ってからは、夜は自宅で寝ています。」
「あらそうなの?あんな大きな家で一人寝ているの。怖くない?」
「怖くないけど、風の強い日は家全体が、ギシギシなって気持ち悪い程です。一人で寝るのはさみしいけど、同級生が時々勉強しにやってくるので、気が紛れます。」
と答え
「お姉さんも来てください、大歓迎します。」
と続けると
「馬鹿ねぇ。」
と一笑された。
「あぁそうそう、おばさんの家でお世話になっているから、学校から帰るとガスの配達お手伝いしているのね。高校は岸和田高校って聞いたけど、秀才なんだ善一郎君は。」
「手伝いしているのは、別に義務感からではないんです。皆忙しいので、役割分担です。それから僕は、秀才ではありません、天才です。」
と答えると、笑いながら
「不良の天才君か・・・。あれ今日はサングラスは?」
と尋ねられ、
「お姉さんの前では、かけないことにしました。」
と答えると
「あら、素直なんだ。でもそれは誤解よ。電車の中では目立つので、不良にまれるかもしれないでしょ。手術したんだから、道を歩くときはかけていいのよ。」
といったあたりで水間電車は、貝塚駅のホームに滑り込んでいた。
私たち二人は、地下道を急いでくぐり抜け、ホームの中程まで歩いた。
そして私はその人の乗った急行電車を見送った。
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2020年02月07日

思い出話 18

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私は、7月を待ちかねた。
そして
「授業に遅刻してでも、難波までは送って行こう!」
と、自身に強く言い聞かせていた。
毎日を慌ただしく過ごしていたからだろうか、その日7月3日は思いの外早くやって来た。
梅雨明けはまだまだ先で、空はどんよりしていた。
おばぁさんは例によって、
「善一郎、今日はえらく早いなぁ!」
と声をかけ、
「学校で調べたいことあるねん。」
と答えて、私は通りに出た。
通りには彼女は見えなくて、それでも私は水間駅に急いだ。
しかし、駅にも車輛にも彼女の姿は見当たらなかった。
私は
「きっと来る筈や。」
と、わけのわからない自信を抱き続け、車輛の最後尾に立って改札口を見つめていた。
やがて駅舎からは運転手が、のしのしといった感じで出てきても、改札口には依然として彼女が現れなかった。ところが車掌が、発車のベルを鳴らそうとホームの柱に近づいたころ、小走りしてくる数人の人ごみの中に、私はその人を見つけることができた。
その人は肩で息をしながら、最後尾から乗車してきて、すぐに私に気付いて
「あら、善一郎君今日は早いのねぇ。」
とおばあさんと同じ様に尋ね,
「また病院で診察かな?」
と続けた。私はかぶりを振って答えたら
「フーン。高校生も早く学校に行くことがあるんだ。」
と、一人納得していた。
貝塚駅に着くまで、私達はどんな話をしていたのか、今となってはまるで記憶の外だけれど、貝塚の駅に着くころ
「急行は中頃に乗るんやったねぇ。早よう降りてホームの中頃に行っとかな。」
と彼女を促し、南海貝塚駅のホームを急い出歩いた。
ほどなく窓の空いた急行がホームに入って来た時
「それじゃぁここで!」
という彼女の言葉をさえぎって、私は一緒に急行に乗り込んだ。
そして車輛の中ほどまで進んで、この前と同じように二人並んで吊革を持った。
「高校にはいかないの?」
という問いに答える代わりに、
「難波までお姉さんを守ります。」
と答えると、
「それはうれしいけど、無茶をするのはきょうだけよ。それからサングラスを外して、普通の高校生になりなさい!」
と、えらく命令口調で私を諭した。私はその言葉にはおとなしく従ったけれど、その後の乗客との格闘は、先日と同じであった。
難波駅では、
「有難う助かったわ。でも学校に行くのよ。さぼったらだめよ。」
と背中を押され、和歌山行きの急行に乗り込んだ。私はポケットからサングラスを取り出して、それを見つめながら席に着いた。

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2020年02月06日

思い出話 17

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翌朝、私は前日の朝と同じ時刻に出かけようと、準備をしていた。
おばぁさんが
「善一郎、今朝はえらい早いんやな?」
と声をかけてきたけれど、
「学校で調べたいことあるねん!」
と曖昧な返事をして、私は家を出た。
通りには水間駅に向かう何人かがいたけれど、彼女の姿は見えなかった。
水間駅にも水間電車の車輛にも彼女はいなかった。
ちなみに当時の水間電車は、ラッシュ時でも高々2車輛で、通常ははわずか1輌で運行、ドアは乗降客が手動で開け閉めするのであった。私は、気落ちしている私自身を感じながら、貝塚駅で乗り継いで隣の蛸地蔵まで各停に揺られていた。それから二三日ばかり、私は早い時刻の電車に乗ってみたが、目論見はすべて外れてしまった。
それから何日かしての週末、プロパンガスの配達に出向いたら、例の女性が出てきた。同じ町内だろうとは考えていたが、全くどの家かは知らなかったので、大いに驚いた。
「あら、プロパンガスの配達、お手伝いかえらいわねぇ!」
という彼女に、
「こちらの方だったのですね。」
と答えるのが精一杯で、
「ガス漏れしないように、しっかりつないでおいてね。」
といった言葉にも全く上の空で、生返事すらできなかった。
それでも作業は5分程度で終わり、私もようやく落ち着いてきて
「朝早く水間電車で出会って、難波まで一緒に行って以来ですね?」
と尋ねることができた。
「早い日もあるんだけど、普通の日はもっと遅いの。水間駅九時の電車。その頃には南海電車もあまり混んでいないし。」
という意外な返事であった。ただ私にしてみれば、それが判っただけでも十分なのに、
「七月の第一週は、毎日早いの。この前一緒になった電車。」
とまで教えられ、独り有頂天になっていた。そしてその日は、夕暮れ時まで高揚していたのは言うまでもない。
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2020年02月05日

思い出話 16

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急行電車が動き始めた。
身動きもままならないのは私達だけではない。
だから電車の加速に併せ、自然と乗客がもたれかかってくる。
私は進行方向側に立っており、これらの乗客を背中で押し返し、彼女を守った。
「善一郎君は体が大きいから、頼もしい。この路線は痴漢が多いから助かるなぁ。」
という彼女の言葉を聞くうち、電車はほぼ定速となり、私もほっと一息つくことができた。気持ちに余裕ができると、彼女がぴたりと私に寄り添っているのに気付いた。
「困ったなぁ!」
と、体を固くしていると堺駅に近づいたのだろう電車は減速し、今度は彼女の側からなだれがおこってきた。当然のように私はそれを受け止めるべく身構え、結局彼女を抱え込んでしまった。やがて電車が停車し、大勢が反動で後方に戻ってしまっても、私たち二人は抱き合ったままでいた。ドアが開き乗客がおり始めるようになって、私はあわてて離れた。
彼女はそんな私の狼狽ぶりには頓着せず
「本当に助かるわ、もう一駅頑張ってお姉さんを守るのよ!」
と、屈託なく笑っている。
私は彼女の言葉を聞きながら、井上靖の「あすなろ物語」を思い出し、私と彼女を鮎太と冴子になぞらえていた。ちなみにこのあすなろ物語は、中学三年生の時に聞いていた「中学生の勉強室」というラジオ番組で国語の題材として取り上げられていたのがきっかけで、中高生の頃好きな小説の一つだった。
堺・新今宮間も私は同じように奮闘した。
新今宮では多くの乗客が下りてしまったので、私はちょっぴり残念に思った。
次は難波で、南海電車から地下鉄への乗り換えである.
あの頃地下鉄にはまだもぎりのおばちゃんがいて、私は急ぎ乗車券を買い彼女と一緒に地下鉄に乗ったけれど、南海電車のような混雑はなかった。
そして彼女は本町駅で降りていき、私は一人で梅田に向かった。
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2020年02月04日

思い出話 15

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貝塚駅での、水間電車から南海電車への乗り換えは、あの頃(昭和42年)は薄暗い地下道であった。地下道は、難波行きの進行方向の先頭側にあり、
「先頭車はすごく混むから、なるべく後ろに車輛に乗るのよ!」
と教えられ、私達はプラットホームの中程まで急いだ。
あの頃の南海電車は、まだ全車輛冷房車というわけではなく
「冷房車だといいけどなぁ・・。」
とつぶやく彼女の期待に反して、入ってきた急行の窓は開いていた。
私達はともかく乗り込み、車輛の中程まで進んんだ。
さすがに貝塚駅では、まだぎゅうぎゅう詰めというほどではなく、二人吊革をもって並ぶことができた。電車が走り出すと、窓から入る梅雨入り前の風は、それなりに心地よかった。
「善一郎君は、河崎先生が6年生の生徒と一緒に、葛城山を登ったの覚えてる。あの時君はまだ幼稚園だったかなぁ。」
と切り出した。
「覚えて無いなぁ。」
と答える私に、
「あの日は朝から曇り空で、途中で雨が降り出して結局途中で戻ったのよねぇ。」
と懐かしそうに続けた。
「善一郎君は、女の子達に可愛がってもらって、上機嫌だったわよ。」
と告げられても、記憶は甚だ頼りなく
「いわれてみれば、大勢と葛城山に行った記憶があるような、無いような。ただ母は、自分の生徒をよく家に連れて来たのを覚えています。」
と答えた。
電車は、岸和田、泉大津と停まって客が随分と増え、次の羽衣では身動きもままならないほどの混雑となった。
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2020年02月03日

思い出話 14

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翌日の朝私は同じように、臨時バスに駆け込んだ。
前の日に声をかけてきた女性は、同じ席に座っており、前日と同じ様に隣の席は空いていた。
私は迷うことなくその空いた席に座りながら
「おはようございます。」
と声をかけた。
私の声が大きかったためか、私は大勢の視線を感じたような気がした。
母の教え子だというその女性は、全く頓着しない風で
「あら、今朝も一緒になったわねぇ!」
と語りかけた後
「昨日目の手術っておっしゃってたけど、網膜剥離って言ったかな、大変な病気なんですってねぇ。」
と尋ねた。彼女が私の言ったことを気にかけて調べたのかと、少しうれしかった。
私は、ほぼ三カ月間寝たきりの入院だったこと、寝てる間に20pも身長が延びたこと、それから入院を理由に高校を一年留年したこと等々を、独り話し続けた。
そうこうするうち臨時バスは、貝塚駅に到着した。
この臨時バスのサービスは、一カ月間近く続いたろうか。
梅雨を迎えるころには。水間鉄道は運転を再開し、高校への通学は平常に戻った。
当然その女性と出会うこともなくなった。
そんな六月のある日、確か最後の目の検診に行くためいつもより随分と早く家を出たら、例の女性がちょっと先を歩いていた。
私は速足で追いかける形となったのだが、気配に気づいたのか彼女は振り返って、少し驚いた風の表情で、でも
「あら、久しぶり。それにしても今朝は随分早いのねぇ!?」
と尋ねた。
「今日は目の検診で、阪大病院まで行くんです。貝塚から、難波、地下鉄と乗り継いで・・。」
と答えたら、
「じゃぁ、地下鉄・本町まで一緒できる。急行結構混むわよ。ぎゅうぎゅう詰めの電車に乗ったことあるの?」
と返してきた。私はそんな経験は、実際全くなかった。
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2020年01月29日

大変だぁ!

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思い出話を書き綴っていたら、深刻な事態が起こってるやないか。
例の武漢のコロナウイルス騒ぎ、なんと患者が御近所さんに出た。
御近所さん言うても、パシリスグルーブにある5つのマンション群のどれかなんやけど、武漢からの帰国者と報道されているだけで、どのマンションかは、判らない。ただ近いのには間違いない。なんせ半径200〜300m以内に5つのマンション群があり、それぞれが10棟ほどあるので、少なく見積もっても5000戸を下らないが、そのどこかに住んでいる人なのだから。それにもう一つ、その患者さんはMRTで二駅先にあるチャンギ病院に入院隔離されているとも聞いている。とはいえ、何日か自宅に居られたのなら、この私だって俗にいう「濃厚接触」の可能性がある。というのもこのコロナウィルスによる肺炎、本当か嘘かはさておき、潜伏期間中にも伝染するらしいというから、不気味である。
ウィルスに意識の無いのは判ってはいるが、彼らも種の保存のために宿主を探している筈。だから本来は宿主を重篤になるまで追い込まない。これは私見ながら、野生の動物とこのコロナウィルスが静かに共生しているのに、それを捕獲して食料にするから、人間に害をなすのじゃないだろうか。決して差別発言のつもりでなく、中国の人は野生の動物を気楽に食べ過ぎるのが問題かと思案を巡らす私である。
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