2017年11月16日

起業の顛末 2

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「販売権登録をなぜ君の会社にする必要があるのか?」
という私の何度目かの質問に
「それはあの国の法律決まっていること。そうでないと売れないのだ!」
と、不承不承に友人は答えた。そんなのはうそに決まっていると、詰め寄る私に
「あなたは何も知らないんだ。営業は私に任せておけばいい。売れればお互いに儲かるじゃないか。」
と居直りさえ見せる。それでも私は
「なぜ私の会社のブランド名ではなく、君の会社のブランド名なのだ。それに登録が完了すれば、私の会社の製品として政府調達はありえないと教えられた。」
と食い下がった。
「あなたに教えた人は、誤解している。私をその人に会わせろ。きちんと説明するから。」
という具合に、論点を少しずつずらしてはぐらかすばかりである。
「いずれにしても、独占販売権は破棄するし、あなたの登録手続きは知り合いの弁護士に依頼して、注視してもらう手続き中だから!」
と最後通告をした。友人は苛立ちを抑えながら
「あなたとこの手の話し合いをすると、消耗する。商売のプロに任せておけばいいものを。」
といい、じゃいま進んでいる商談は全部キャンセルしておくという捨て台詞まで投げてよこした。欲張りな彼は、そんなことはする筈もないだろうが。
ただその時は私にしてみれば、すっかり騙されたという被害者意識ばかりが先走っていたけれど、彼の家を辞して家に帰るとき
「100%信じたわいがいかんかったんや。なんちゅうてもついてくるのは、自分の影だけやもんんなぁ。」
としみじみ反省した。
それでもその後、インターネットで調べたり、知り合いに確認したりするなどすれば、専売権登録をしないと売れないという規則はまるでなく、私を下請けにしてのOEM化、自身の会社を製造販売としようと画策したに違いがないといったあたりまで読めてきたというのが実情。
それにしても68歳の学者は、本当に世間知らずの甘ちゃんであった。
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2017年11月15日

起業の顛末1

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68歳から69歳になろうかという今頃になって、半世紀前の亡母の言葉をしみじみ思い出す。
「善一郎、あんたについてくるのは、自分の影だけやでぇ!」
「ああちゃんもか?」
「そらそうや、ああちゃんと善一郎は違う人間やもんなぁ。」
そうそう石川五右衛門の釜茹での話も、一緒に聞かされた。
小学校高学年だった私には、それでも母の言いたいことは何となく判ろうと努力していた気がする。母との永久の別れが近づいることを、微妙に肌で感じていたからかも知れない、とは随分と後になっての印象ながら。
とりわけここ二週間、
「この歳になって、母の教えの正しかったことを再認識するとは、わいはつくづく甘いんやなぁ!」
と、反省するばかりである。
私がシンガポールの地に来て起業していることは、何度かこのブログでも述べてきた。
起業といっても、大学時代に研究用に使ってきた装置の、設計・製造・販売・稼働を目的とする会社で、それらをアジア発の装置として東南アジア諸国に安価で役立てたいとの、大それた望みをもっての起業なのである。といっても私一人では営業などできる筈もなく、シンガポールにやってきての二年間は、現地の名の知れた企業の営業を期待した。その企業も前向きに取り組んではくれたものの、結果としては成果が上がらず、続く二年は当地に来て知り合ったマレーシア人の営業手腕をあてにした。そして昨年9月からの営業活動が功を奏して、ようやくこの秋に隣国から、装置二基の注文を頂く手筈となり、一安堵していた。ところが好事魔多しともいうべきだろうか、知り合いから
「河崎さん、今のまま進めたら今後装置はあなたの会社の商品ではなく、マレーシアの会社の製品として登録されてしまい、御社は販売権を失くしてしまいますよ。」
と、空恐ろしい情報を聞かされた。確かに糊口はしのげるだろうが、それでは定年後この地にやってきて苦労している意味がなくなる。
それにしても「華僑」のしたたかさと舌を巻きながら
「販売権登録をなぜ君の会社にする必要があるのだ。私をだましたのか?」
と、問い質しても明快に答える風もなく、私は即座に独占販売権を破棄すると宣告した。
(この稿続く)

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2017年11月01日

独は怖い

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昨日はハロウィーン。
爺の住むマンションでも、集会所で子供達を集めての仮装大会があった。
ご近所のちびっこも当然参加
「応援に来て!」
の要請もあったので、おっとり刀で出かけた。
ただそのちびっこに、
「衣装は良いだろうけど、顔にも何か書いてお化けらしくしないと、優勝はできないよ。」
とけしかけたら
「怖いから、顔はこのまま!」
と、頑固に拒む。
実はこのちびっこ、強気な面を見せる反面非常に怖がりで、自宅に一人で留守番はできないという。もう随分と以前のことながら
「学校から帰ったら、いる筈のお父さんがいないの。一人でいるのは怖いので・・。」
と我が家に避難して来られたことがある。まぁ外国にやってきての生活だけに、何となくわかる気がする。
かくいうこの爺だって、小学生低学年の頃は昼はともかく、夕暮れ時以降自宅で一人の留守番は、いやであった。我が家は早世した祖父が、綿織物工場で財を成し、その財で同じ地区の競争相手達が目標とするほどの、構えのしっかりした家を建てた。田舎ということもあって大きな家だっただけに、日が暮れると小学生の子供には何やら不気味で、風の強い日なんぞに家のきしむ音が、私を怯えさせたものである。
だからちびっこの気持ちもよくわかるけれど、ハロウィーンは他人を脅かすのが目的なのだから、顔をもう少し不気味にしたらよかったのにと思っている。
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2017年10月21日

台風28号の想い出

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台風21号が北に進んでいる。
今日土曜日は沖縄の南東あたりだろうか?
この時期の台風、今までにないとは言えないけれど、まぁ珍しい部類になる筈である。
本土上陸となれば、記録上遅い時期の上位3位に入るらしい。週末日曜日は、衆議院選挙の投票日だというのに、関係者は気を揉んでいることだろう。いや与党は喜び、野党は残念がっているというのが本当のところかもしれない。
ただなんといっても遅かった記録は、1990年11月末の台風28号である。
この台風の事を覚えているのは、この年フランスの友人が開発した「狭帯域の干渉計」SAFIRを、関西地域で稼働しようと野山を走り回っていたからである。20mほどのアンテナマストを、京都府丹後半島、福井県の三国町、それに滋賀県の琵琶湖畔(滋賀県)の三カ所に設置する予定でいた。そしてまず丹後半島の弥栄町に干渉計アンテナを設置しようと出かけたら、台風来襲というので這う這うの体で大阪に逃げ帰ってきたのである。あの時のメンバーは、アメリカのブラッドさん、フランスのフレッドさん、セルジさん、それに日本人は空電研究所技官の故長谷さんで、
「まさかこの時期の台風は、日本には上陸しないよ!」
とたかをくくっていたら、紀伊半島白浜付近に上陸。弥栄町スイス村と呼ばれるスキー場の頂はえらい暴風となったのである。考えてみればあのプロジェクト、この台風がケチの付きはじめであったような気がする。結局冬季雷の観測には間に合わず、運転開始は半年後の1992年6月の事となってしまった。まぁそんなほろ苦い思い出も込めて、未だに雷放電の干渉計観測に関わっているのだから、考えようによっては進歩がないとは爺の自戒である。
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2017年08月24日

付いてくるのは影だけ

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ここ数週間、56年前に亡くなった母の言葉を、しみじみ思いだしている。
「お前についてくるのは、お前の影だけやでぇ!」
という、まぁ教えともいえる言葉である。
次も母や大叔母から伝え聞いた話である。
「お爺さんの寿ェ吉さんは、商売で財を成したけど、一回目は友人と共同で起こした会社が倒産して、その次に一人で起こした会社で成功したんや。」
同じく心に響くものがある。
というのは、起業ちゅうの雷嵐、いろいろな人の助けもあって難破しそうになりながらも、何とか航海を続けている。とはいえ、いろいろな決定にいかにも時間がかかる。
一緒に活動しているKenzoさんやMark さんの言によれば、
「それが東南アジアの商慣習!」
ということながら、
「彼らにたよりきりなのが原因の一つ。」
と最近は考え始めている。ただ周辺諸国への販売活動には、彼らの助けをいることも事実で痛し痒し。ただ今後は助けてもらうとはいえ、主導権というか決定権を持ってのぞまねば、というのが結論なのである。
早い話、ある国の副大臣に会うという話も、先週末の予定が、今週かも(?)となり、そして結局のところ来週となった。聞けば
「今週は各大臣のヒアリングや、前大臣の裁判が有ったりで時間がない。」
というのだから
「そんなことは、最初からわかってるだろうに。はなっから二週間のちと計画しとけよ!」
と言いたいところ。頼りっきり、任せっぱなしというのはかくのごとくなのである。
だから半世紀以上も昔の母の言葉をしみじみ感じているのである。
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2017年08月20日

朝顔の思い出

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8月20日を過ぎると、夏休みの残りの日数が気になり始めたものだ。
いやなに子供の頃の思い出である。
私が義務教育就学年齢だったころは、大阪界隈では夏休みは、7月21 日から8月31日までのおおよそ40日間であった。だから残り4分の1となる8月20日は、私にとって「厄日」みたいなものだったのであろう。
不思議なことに、母は20日を過ぎる頃に、なぜか私を伯母の家に私を連れてゆき、数日間泊めてもらっていとこたちと過ごす機会を与えた。私は、三歳年上の従兄とその祖母との三人で枕を並べた。常には母と寝ていたこともあってだろう、私には新鮮であった。
伯母の家では、毎年朝顔を育てており、8月も20日を過ぎる頃には「収穫」できる種もあったものだから、いとこたちと競争して「収穫」した。この競争は同じ年と従姉とその妹、そして私の三人での競い合い出会った。いとこ達とのこの競争、一人っ子の私にはこれまた新鮮で、今となっては懐かしい。それに朝顔の種、用心深く収穫しないと「種」が未熟で柔らかいものがあったりしたことも思い出す。そうやって競争して集めた朝顔の種は、一二日天日干し、自宅に持ち帰った。次の年私は自宅でその種を撒いて朝顔を育てた。しかし私の育て方が悪かったのか、朝顔は伯母の家のようにはなかなか育たなかった。それでも花をつけ実を付けていた筈で、次に年には種も撒かないのに朝顔の芽が出て、前の年のように花をつけていた。
そんな朝顔も、やがて私が高校生になる頃には、すっかり生えてこなくなったような気がしているが・・・。
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2017年07月17日

暑い!

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昨日は暑い一日であった。
もう梅雨明けかと思うほどの、日照りだった。それでも熱中症にもならずに、無事過ごした。それにしても、かつて熱射病といった、熱中症昨今は実に多くなった。それだけ熱くなったということなのだろうか、それとも冷房の普及もあって、平均的に我が同胞・日本人は暑さに弱くなったのだろうか?
熱射病(熱中症)から、またまた10歳の頃のことを思い出した。それは故郷貝塚市にある水間寺での写生大会の思い出である。毎年春には、貝塚市の小学校、中学校が集まっての写生大会が、水間寺で開催されていた。その写生大会で、三重塔を描いていたら、
「葛城小学校の寿和子先生のお子さんやな?」
と声をかけてきた人がいた。いぶかって見つめていると、
「悪い、悪い、僕は貝塚市内の小学校の教員や!」
との事であった。そして
「三重の塔を描くんやったら、上から描くんやのうて下の方から描くんや!」
と言いながら、
「新しい画用紙あげるから、描きなおしなさい!」
ということで、私は一から描くことになった。
結果的には、その助言が役に立って、なんと銀賞を頂いたのだけれど、今から思えば八百長に近い銀賞ということになる。
なぜ熱射病とつながるのかといえば、その写生大会では必ず
「熱射病にならへんように気ぃつけて!」
といった注意があったからである。
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2017年07月08日

洗車雨

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洗車雨(せんしゃう)は、7月6日に降る雨の事を云うのだそうだ。牽牛が織姫との逢瀬のために、七夕の先日に牛車を洗う水になぞらえているとの事。そして七夕の日の雨は、催涙雨つまり年に一度逢瀬がなくなるのでとここまで書けば、敢えて説明もいらないだろう。それにしても九州北部の昨日の雨、洗車雨なんぞと優雅に呼べそうもない。昨日も取り上げたように、梅雨のこの時期の豪雨で、被害が多く出ている。死者も現時点で11名、行方不明15名という。知り合いのフィルピン人が、テレビの惨状を見て
「これは日本の洪水か?まるで私の村の洪水みたいだ。」
と感心している。個人住宅の建設の有り様が、わが国とではまるで違うのだろうに、自然の猛威の前では同じ結果になるらしい。実際テレビ画面で映し出される流木の様子は、とても先進国とは思えない。
そして昨日は催涙雨がまたまた降ったのだろう。昨日の雨は牽牛の涙雨なんぞでは決してなく、被災者の悔し涙の雨に違いない。
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2017年07月06日

昨日の補足

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昨日の、続きというか、補足というか・・・。
それは「結局阪神タイガースは長く冬の時代を迎えてしまう。」のくだりについてである。
1960年代から1990年代にかけての、阪神タイガースの戦歴である。1960年代初めには小山投手、村山投手という超のつく二人の投手を抱えており、東京読売巨人軍とセントラルリーグの覇権を常時争う強い球団であった。実際1962年にはリーグ分裂後の初優勝を成し遂げている。そして1963年のシーズン後には、世紀のトレードといわれる小山・山内のトレードが敢行され、翌年の1964年にはセリーグの覇者となったのである。トレード後も、江夏、田淵とスター選手を獲得したものの、1965年から始まる読売巨人軍の九連覇の後塵を拝し続け、起死回生の一手が1970年の村山青年監督の誕生なのである。しかし村山監督の期待していた上田利治参謀が実現せず、それがつまづきの始まりか、期待できる新人選手が入団、期待通りの成績を上げつつも優勝からは遠ざかり、次にリーグ優勝するのが、あの1985年となったのである。早い話21年間優勝とは無縁でこの間、セントラルリーグのお荷物球団と揶揄されていた、広島やヤクルトがリーグ優勝、日本シリーズ優勝と力をつけていった。それらと比較して、阪神タイガースは冬の時代と表現した次第である。
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2017年07月02日

七夕近し

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七夕が近い。牽牛・織女の話は、子供の頃教えられた。天の川をはさんで彦星と織姫星、一年に一度しか会えないんだよと聞かされて、複雑な気持ちになったのは、小学校低学年の頃だったろう。ところが母に大阪の四ツ橋にあった、電気科学館のプラネタリウムに連れて行ってもらって
「これから大阪の今晩の星空を映します。」
で始まり、あれこれ聞いた後
「最後に天の川を挟む、牽牛と織女です。そう七夕の彦星(アルタイル)と織姫星(ベガ)は、実際には9光年ほど離れています。1光年は光の速さで行って1年かかる距離、9光年は9年かかる距離になります。だから七夕の夜には実際には会えないのです。」
なんぞと、子供ながらにしらけそうな話を聞かされ、私はすっかりプラネタリウム不信に陥った。ただ以来母は、春、夏、冬の休みには従姉と私を電気科学館に連れて行ってくれるようになったし、電気科学館そのものは楽しかったけれど、プラネタリウムだけはどうしても好きになれなかったのである。この電気科学館詣でも、母の体調異変により、小学五年生の春休みが最後となってしまったように記憶している。
七夕まであと5日である。
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