2024年10月15日

ゆうさんへ 2

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ゆうさんへ 2
ゆうさんもわいも、ちゅうたら叱られるかもしれんけど、お互いに親には縁がうすかったんやもんな。じっさいゆうさんは、子供の頃養子に出てるし、母子家庭やったわいは、その母親がわいが中学一年の時鬼籍に入ってしもうたし。こない書いたら知らん人やったら、お互い慰めおおて仲良くなったんちゃうかと思うやろうけど、そんなやったらこないに長続きはせんかったと思うで。
自分でいうのもなんやけど、わいらはもっとおおらかやったと、わいは信じてるで。
ほんでや、わいがわいらの縁を、
「切っても切れるもんやない。」
と確信したんは、わいが愛知県から大阪府に移り住んだマンションの掃除のおばさんが、なんとゆうさんが探し出したちゅう、何年か生き別れになってたちゅうおふくろさんやちゅうんを知った時や。
大阪になんぼもあるマンションやのに、たまたまわいがなんも知らんと選んだマンションなんやで。
「こんな不思議があるもんやない。これこそわいらの縁ちゅうもんや!」
あれ以来や。最近「ガチャ親」ちゅうわけのわからん言い回しが、話題になったけど、
「ガチャ親なんちゅうなもんは無い。子供にはその親の子供として生まれて来る縁があるし、親にはその子を子供として授かる縁がある。」
とわいは信じてる。
せやからゆうさんとは、70年近くも、いやもう10年は続けたいなぁ、ええ友だちとなる縁があったんやできっと。お互い10年は元気でおりましょう!約束やでぇ。

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2024年10月14日

ゆうさんへ

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ゆうさんへ
いやほんまに長い付き合いになったなぁ。
ちゅうてもまだ終わってへんし、まだまだ続くと思うけどな。
ゆうさんは企業人になって、わいは大学人になって、何となく会う機会も減ってたけど、ゆうさんが東京に進出した年にわいはスウェーデンに一年留学したんや。どっちも4月からやったんちゃうかな。ほんで一回会おうちゅうことになって、確かあの当時ゆうさんが住んでた茨木のうちに訪ねて行ったんや。お互いが「大きく動き出す時期」やったし、偶然の一致やろうけど,これが縁ちゅうもんやな。
それから五年ほどして、朝早うにこれまた偶然東京駅でばったり会うた。ほんで
「今晩東京で泊りや。明日東大で講演するねん!」
ちゅうたら、
「ほんならうちの阿佐ヶ谷の家に泊まれや!」
ちゅわれて、新宿やったかな待ち合わせしたんやったんちゃうかな。
この朝の偶然出会いもたぶん縁ちゅうもんやろな。あの時以来中学校時代以上のいききが復活したと、わいは記憶してるで。なんせあの夜は遅くまで飲んでて、阿佐ヶ谷の家について横になってからでも、明け方近くまで話しした筈やし。
次の日は二日酔いもなかったし、おかげさまで無事講演も出来たしな。
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2024年10月13日

ひろっちゃんへ 2

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中学生になってすぐのころやったから4月か5月やと思うけど、ひろっちゃんから
「野球の試合あるんやけど一人足りひんね。善さん来てくれへんか?」
と誘われて自転車でついて行ったんが、わいは生まれて初めての野球やったんや。
「野球やったことないし、ソフトボールでも下手やのに・・・。」
ちゅうて尻込みしたんやけど
「人数足れへんかったら試合出来へんし、ええからついてこいや!」
ちゅう調子で、それこそ連れていかれたんやけど、ひろっちゃんは覚えてますか。
ほんで相手チームの中には、中学校の同じクラスのアオタニくんやサカモトくんがいて、わいの運動音痴知ってるよって
「善さん野球できるんか?」
ちゅうてからかいやった。
ひろっちゃんは
「あいつらのいう事、気にせんでええよって。善さんは九番で守備はライトや。」
ちゅうて慰めてくれて
「一時間もせんうちに、メンバー来るからそれまで頑張って。わいがピッチャーやからライトには打たせへんよって。」
と続けやったんやで。ほんでほんまに守備機会は、ゼロやった筈です。
でも打つ方は、三回表やったか裏やったか覚えてへんけど、廻ってきて
「善さんバットふるな、立ってるだけでええよって。」
ちゅう命令や。それ見てた体の妙にでかい中学三年の先輩が、バッターに入るわいのところにやって来て耳うちしやったんや。
「君、河崎先生の息子さんやな。打ち方教えたる。バッター振り回さんでええから、ピッチャーが投げたら、ボールにバットあてに行ったらええんや。」
ほんでその通りやったら、バットに当たったボールが、ソフトボールと違うて面白いほど飛んで、グランドの端まで転がっていきやった。
ひろっちゃんは
「ヒットや善さん走れ!」
ちゅうんで、必死で走って初打席やのに三塁打になった。次の一番のバッターのヒットで無事ホームインしたら、ひろっちゃんが
「もうひとり来たから、善さんは交代や。最後まで試合見てたらええで!」
とちょっと薄情な選手交代。わいは三塁打打ったし、もう一回打ちたい思うて、ちょっと残念やったんやで。
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2024年10月12日

ひろっちゃんへ

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ひろっちゃんへ
「お元気ですか?」と尋ねるにはあまりにも長く会うてないんで、適当な問いかけでは無いような気もします。が、ともかく「お元気ですか?」
最後にひろっちゃんに会ったんは、多分1980年台前半、わいが名古屋大学に就職していて愛知県の岡崎に住んどった頃やと思います。せやからもう40年はご無沙汰してるわけです。なんかの用事で貝塚に帰って来て、確かひろっちゃんの家の台所ちゅうか居間ちゅうか、裏の勝手口からわいが顔出して、二言三言話した筈やで。正確にはおばちゃんとわいが話してて、その与太話にひろっちゃんが口挿みやったあの時以来、会ってないとおもいます。ほんまに懐かしいです。
ひろっちゃんはわいのおかんの従弟やけど、わいとは一歳違いで家も近所やったさかい、中学生ごろまでは兄弟みたいに育ちました。わいはともかく運動音痴で、ひろっちゃんはスポーツ万能、キャッチボールをようやらされました。運動音痴のわいでも、ボール投げたり受けたりはまぁ人並みにできたもんです。相撲やレスリングごっこは、ワイの方が体が大きかったんで、結構ええ勝負やったんちゃうかなあ、というのも思い出です。
それにしても「音信不通」ちゅうのはつらいです。ひょっとしたら亡くなってるかもちゅう人もいますが、きっと元気にしてはると信じてまっせ。
実は半月ほど前、ひろっちゃんの姉上・かぁちゃんが、わいが一時帰国して貝塚におるちゅうんで、広島からあいにきてくれました。かぁちゃんとは50年以上もあってなかったんで、半世紀ぶりの「ご対面」でした。
(この稿続く)

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2024年10月11日

かっちゃんへ

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かっちゃんへ
セントラルリーグも、パシフィックリーグもペナントレース終わりましたね。
お互いの贔屓球団最下位で、盛り上がりの無いポストシーズンになりました。
いやポストシーズンに期待できるような成績違いましたから、梅雨の頃にはもう諦めていたちゅうのが、本当のところかもしれませんね。
まぁどちらのチームも来年は監督さん代わるし、2025年のペナントレースは期待できると、前向きで考えましょう。
考えてみたらかっちゃんとは、わての名古屋大学勤務当時から贔屓チームがセとパのライバル同士やから、ええ意味の緊張感をお互い持っていたと、わては理解しています。せやけど今年は緊張感はない代わりに、お互い慰めあうちゅうような悲しい現実ですね。
臥薪嘗胆、捲土重来。
鬼が笑うかもしれませんが、お互いに来年こそですなぁ!
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2024年10月10日

好きな作家

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60年前の今日、東京オリンピック開幕。あの日の空の青さを覚えてるなぁ!

わいの好きな作家、大学生時分は五木寛之。青春の門もそやけど、内灘夫人やら随筆の風に吹かれてやら。蒼ざめた馬を見よちゅうのもあったし、さらばモスクワ愚連隊、青年は荒野をめざす、ほんまによう読んだ。
推理小説やったら、松本清張、森村誠一や和久俊三あたりかな。森村誠一は高校時代の同級生のO君に勧めらて読んだはまってしもうた。
名古屋大学に籍を得たあたりからやったら、宮本輝、宮尾登美子、池波正太郎、宮部みゆき、ほんで浅田次郎、最近は高田郁あたりかな。あんまし系統だってへんけど、総じて言えるんはこれらの作家さん、
「文章が丁寧!」
ちゅう点ちゃうかと、わいなりの理解や。
推理小説きらいやないけど、西村京太郎や東野圭吾はあんまり読んだことないなぁ。まぁ相性の問題かもしれへんけどな。東野圭吾さんの作品やったら、あの頃僕らはあほでしたが好きやなぁ。
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2024年10月07日

幼馴染 3

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Y君は、器用が服を着て歩いているような少年だったし、片や私は不器用が服を着てといった感じの少年であった。私が彼の器用さを認識したのは、中学2年の夏休み雑誌か何かの記事を参考に、彼が小型のヨットを作り上げたときであった。その彼が、私と彼との間のホットラインを提案した。乾電池を利用しての装置であったから、中学三年かひょっとしたら高校生になっていたかもしれない。一本の導線を彼の部屋と私の部屋の間に張って、急ぎの用のある時には仮に夜中であっても、スイッチを入れれば相手方の電球が点灯するといった装置であった。この装置は短距離なら機能したのだが、道路を挟んでの数十メートルでは残念ながら機能しなかったので、計画は頓挫した。ただその後二年ほどして、テープレコーダを利用しての、簡易電話とでもいえる装置は見事に機能した。道路を挟んで屋根越しに電源ケーブルを張った装置で、テープレコーダのマイクロフォンで音声を入力、その出力を電源用ケーブルで相手方に送り、相手方のテープレコーダで音声化するといった装置であった。交信は何度か実施した筈ながら、その頃には「ホットライン」への興味は二人とも随分と低くなっていて、あまり長くは続かなかった。苦労して張った電源用ケーブルは、秋祭りの地車通行の邪魔になるというので、二年後には撤去させられたと記憶している。
(この稿続く)
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2024年10月06日

幼馴染 2

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昨日も書いた75歳になった今日でも続いている親友Y君との交流も、母の長期にわたる入院と二年後の早世が無ければと考えれば、「縁とは不思議なもの」とついつい考えてしまう。私自身は12歳の8月に母を亡くし、大仰な言い方をするなら「天涯孤独」となったし、Y君は10歳となる直前に両親と離れて「養子」に出たのだから、似たような身の上という事にでもなるのだろうか。そんな二人がお向かいどうしになるのだから、縁とは不思議なものと考えてしまうのである。小学生の頃はともかく、中学生になってからは、どちらかが風邪などの病気で欠席とならない限り、登校は二人一緒であった。不思議なことに、そんな二人なのに、小学校、中学校は同じクラスになったことがなかった。高校はY君は大阪市内の私学に進学したので、一緒に登校という事は無くなったけれど、夕方帰宅してからは、どちらかが訪ねて行って、たわいない話題で一時間程度楽しむという事が多かったように記憶している。当時は今日のスマートフォンはおろか、電話も簡単には使えないといった状態で、Y君は夜中でも話し合えるような「仕組み」を考えたいと、途方もないことを言い出した。
(この稿続く)
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2024年10月05日

幼馴染

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昨日は、親友のY君と67年前に、初めて出会った日である。
今日では故郷の秋祭りは、10月の第二土曜日、日曜日となっているが、その当時は10月4日(宵宮)と5日であった。そしてお祭りの宵宮の日に、Y君の養父の姉にあたる人から、小学校の給食室の付近で呼び止められ。
「この子善ちゃんと同じ学年、裕一ちゅうん。仲良くしたってなぁ!」
と紹介されたからはっきりと日にちまで記憶に残っている。
ただその時は、ほとんどの転入生が経験するであろう「よそ者扱い」をしたい気持になったことは正直なところで
「なんや背ぇの低い子やなぁ!」
の印象だったようなかすかな記憶がある。ただそれでも縁とは不思議なもので初めての出会いから一年半後、小学5年に進級して二・三日目、母の入院と関係して、私は母の叔母の家で生活するようになった。それがY君の家のお向かいだったのである。
(この稿続く)
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2024年09月29日

母の従妹達

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昨日、亡き母の従妹二人との会食の機会に恵まれた。
祖母と彼女達の父上が姉弟の関係で、母の従妹とは言え年齢的にはこの天邪鬼爺に近く、子供の頃はよく遊んでもらったものである。これまでだって決して没交渉という状態ではなかったけれど、それでも私がシンガポールに住んでいる関係上、ついつい疎遠になりがちであった。ところが母の従妹のうちの一人のお孫さんが、大阪大学の理学部物理学科に入学し大学院に進学希望という事で、
「大学院に進学いうんで、相談にのってもらえるかなぁ?」
の依頼があり、昨年八月の一時帰国の折出会ったのが契機で、その後一時帰国の度に集まるようになっていた。そして今回は母の従妹のうちの一人、広島に嫁いでいるのだが、はるばるやって来てくれたのである。という次第で総勢11名の大会食。当然理学部に進学している当人もいて、大学院入試には合格したとの嬉しい報告もあった。
会食の間中、互いの懐かしさも手伝って話が弾んだ。とりわけ二人の母の従妹とこの爺の年齢が近い関係もあって、子供の頃にかえったような錯覚を起こしていた瞬間もあった気がしている。
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