2022年05月14日

爺版・折々のことば 8

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
行ってきます。
朝の出かけに言ったことばではない。
1979年4月私は名古屋大学空電研究所に、文部教官としての席を得ることになった。その赴任の前日、母を無くして以来親代わりになって育ててくれた母の叔母を訪ね、ひとしきり話した後、辞去するに及んでいったのがこのことばである。
母が亡くなって17年、苦節17年は私にとっては必ずしも「苦節」ではなかったけれど、母親代わりに母の叔母にとっては、いかばかりだったろうと、後になってしみじみ考えるようになった。ただあの時は、「行ってきます。」としか言えず、その私のことばに
「そうか行くか!」
とだけ、母の叔母は応えた。
その10年後、私は大阪大学に転任となり、帰阪して母の叔母を訪ねたら、
「善一郎、今日はお帰りやな。」
と迎えてくれたのである。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 01:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白

2022年05月13日

爺版・折々のことば 7

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
博士課程に進学したいんやったら、旧帝大の方がええで。阪大に来ぇへんか!
昔は、そう20年以上も前には、この殺し文句で、学生を勧誘したものである。
それもその学生の指導教官の前で、この殺し文句をなんの臆面もなく吐くものだから、指導教官は苦笑するばかりであった。私自身も、極めて乱暴な勧誘だったとは認めているものの、20年以上も昔といえば、大学院重点化の前だったから、最近は大概の大学で博士後期課程が充実し、博士の輩出も珍しくはなくなったけれど、あの当時は意外とこの殺し文句が効いたし、相手方の指導教官も
「阪大で学位を取るなら!」
と、快く学生の説得を手伝ってくれたものである。だから私の研究室では、内部からそのまま博士課程に進学した学生と、外部からの学生がほぼ一対一であったと記憶しており、私の自慢の一つとなっていたのである。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白

2022年05月12日

爺版・折々のことば 6

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
まず子供やっ!
1995年1月17日午前5時46分。
そう阪神淡路大震災の起こった日。
あの日私はインドネシア・ボゴールへの出張のため、午前5時過ぎには起きて出かける準備をしていた。当然テレビもつけていたので、NHKの朝のニュースも流れていた。
そこに突然地震がやって来た。
食器棚がカタカタと揺れ、
「おや、地震!」
と思った瞬間、大きな揺れがやって来た。
当時は12階建ての集合住宅の10階に住んでいたので、揺れが半端ではなかった。まるでブランコに乗っているような揺れだったと記憶している。妻が
「食器棚が倒れそう。」
と悲痛な声を上げて、食器棚を支えるように言ったので、私の返したのがこのことば。
息子はベッドに寝そべって、頭から布団をかぶっていた。娘は
「机の下にいるから大丈夫!」
と気丈に振舞っていた。そしてあの日私は
「女性は、本来母性本能があり子供を守る態度にでる。」
という言い伝えは、必ずしも正しくはないと、改めて認識した。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 10:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白

2022年05月11日

爺版・折々のことば 5

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
あんまり頑張らなくて、いいからね。
もう20年以上も昔のことになる。
親馬鹿よろしく、娘のセンター入試会場まで車で送って行った。
その別れ際に私の言ったのが、このことば。
慌ただしい別れ際だけに、ことばが短くなってしまったが、本当の所
「センター入試なんだから、そこそこできればいいんだから、気楽な気持ちで肩の力を抜いて、受験したら。」
と、言いたかったと記憶している。
ただ帰宅した娘から、
「お父さんの一言で、気持ちが随分と軽くなって、上がらずに済んだよ。」
と感謝された。受験の前に、真逆の激励のことば、功を奏したというべきだったろうか。
この時、実は高速道路の降り口を間違って、一つ先まで行ってから急ぎ戻った。
「入試の日に、道を間違うなんて験が悪いなぁ。申し訳ない!」
謝る私に、娘が
「人間の、運と不運は平等にある。道を間違えたことが不運なら、受験ではきっといいことがあるんだから、気にしないで。」
と返し、私が慌ただしく
「あんまり頑張らなくていいからね。」
と応えたのだった。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 12:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白

2022年05月10日

爺版・折々のことば 4

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
漫画は見る。読むとは言わん!
今朝の天声人語を読んで思い出した、現役時代によく学生に行ったことばである。
コンピューター端末に向かいながら、漫画に熱中する学生に、
「何やってんね?」
不意に声をかけ糺す私に、その学生は
「漫画読んでました。」
と返し、私が言ったのがこの言葉。そして
「コンピューターに計算させてる間に、論文読んだり考えたりせな時間がもったいないで。」
と続けたものである。
情操教育の一端としての、漫画やコミックスは認めたとしても、それでも私には今でも、漫画は読むではなく見るである。天声人語氏は、漫画を読むと書いておられたが・・・。

君、博士課程に進学せぇへんか?
研究室の学生が進級して大学院生(博士前期課程旧の修士課程)になった日に、このことばで尋ねたものである。当時工学部の大学院進学率は、八割近くにもなっていた。だからというつもりはないが、修士の学位ではもはや売りにならなくなっており、ある意味の差別化の観点から博士課程への進学を進めるのが、私の基本方針ともいえる態度であった。それにかつての、末は博士か大臣かなんて言い回しも、もはや死語となっていた時代であった。だから最初は
「僕が博士になんて!」
としり込みする学生が大半で、それでも三人か四人に一人は、博士課程を選んでくれた。

lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 11:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白

2022年05月09日

爺版・折々のことば 3

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
陽気にしてるしかしゃぁ無いやんか。ほかに何ができるんちゅうんや?
このブログで何度か紹介したように、私は12歳の夏母を亡くし、俗にいう孤児となった。そんな私は祖母の妹即ち母の叔母に育てられ、大学二年を終わるまでをその家で過ごした。そんな私を町内の方々が
「善ちゃん、両親ともいないのに、いつも朗らかでええ子やなぁ。暗さみじんもないなぁ。」
と、ある意味驚嘆の言葉をくださった。そんな折私は口には出さなかったけれど、独り心の中でこんな風に繰り返したものだった。

弟子の恩ちゅうんかな。
私の大学の指導教官、
「師の恩というのもあるが、弟子の恩というのもある。」
と、よく仰ったものだ。私は今シンガポールに住んではいるが、ある夢を抱いておおよそ九年前にやって来た。ただ何をやっても上手く行かず、夢はほとんど実現しそうになく諦めていたのだが、今回弟子の一人が、夢の実現の機会を作ってくれそうで、思わず私の口をついて出たのが、このことばである。
lanking.gif
クリックして投票を!



posted by zen at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白

2022年05月08日

爺版・折々のことば 2

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
これも縁やなぁ!
小学生時代以来親交を続けているY君。そのY君、生みの母とは幼少時に生き別れというのは聞いていた。40歳になった私は名古屋大学から大阪大学に転任してきて住んだのが、池田市にあるマンション。そのマンションの清掃を担当していらっしゃったおばさんと仲良くなり、その内身の上話なんぞも聞くようになって、
「なんやY君の境遇と似てるなぁ!」
と確かめたら、なんと生き別れていたという実母だったと知った。私が大阪に戻ってくる数年前に探し出して、「今は親孝行の真似事や。弟二人もおるんや。」と聞かされた。その時私の口をついて出たのがこの言葉。単なる偶然とはどうしても思えない、「Y君と私の縁」のなせる業に違いない。近年ガチャ親なんぞという流行語があるけれど、全くくだらないと私は考えている。子供はその親の事して生まれてきただけの、必然性縁があるに違いないのだから。

この世のことは、この世で解決できるもんや。
私を育ててくれた母の叔母(祖母の妹)が、よく言っていた。ただし泉州弁だったけれど。早い話難事に当たっても、くよくよするより、体を動かせという教えだったのだろうと、この歳七十三になってつくづくおもう。同じ叔母のよくいったのは、「ご飯食べるのも仕事の内。はよさっさと食べてしまいや。」という言葉。農繁期には、夕飯はともかく朝、昼はゆっくり食事をとらせてもらえなかった記憶が残っている。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 11:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白

2022年05月07日

爺版・折々のことば 1

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
朝日新聞の第一面に、折々のことばというコラム記事がある。
今日はこの爺も少し気取って、爺なりの折々のことばを、並べてみたい。

気象は常に異常である。
地球温暖化が話題となって、大雨が降ったり、気温が高かったりすると、マスコミ報道はついつい「異常気象」故と言いたくなるらしい。現役当時時々取材されたのは
「今年は雷が多いような気がします。地球温暖化が原因の異常気象でしょうか?」
といったこと。そんな折り天邪鬼爺は
「異常気象だったかどうかは、何年も統計を取って判ること。今年の夏だけでは、地球温暖化の影響とは結論できません。」
と言う、記者泣かせの回答で、最後に
「気象は常に異常ですよ。」
と付け加えたものである。

敵のいない奴は、味方もいない。
天邪鬼爺の弟子の中に、私が学会でしばしば論争をしているのを見て、反面教師としたのだろうか、
「私は、河崎先生のように敵を作りたくありません。実際多くの先生方から『善さんと違って、君は礼儀正しいなぁ』とほめて貰えます。」
と、言われたことがある。その時の天邪鬼爺の答えたのが、このことばである。
天邪鬼爺は、今でもあの時のことばは正しかったと信じている。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 10:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白

2022年05月02日

10年前の今頃は

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
八十八夜

定年まで一年を割ってしまった10年前の今頃、当時は未だエジプト・アレキサンドリアに赴任中だった。以下はその頃(5月6日の無いようである。


日本では昨日午後11時頃,原子力発電所の稼働台数が0となった由。
そして原子力発電による電力が0となるのは,1970年以来との事である。
御常連様は1970年と聞いて
「その時の電力は何処に送られたの?」
と,疑問には思われないだろうか。
実は私達団塊の世代にとって,実に想い出深いあの大阪・吹田万博に送電されたのが1970年の事で,商用としては我が国最初の事なのである。ここで,ことさらあのという接頭辞まで付けて申し上げるのにはそれだけの理由がある。
青臭い言い回しながら,私達団塊の世代は吹田万博で,大いに啓発された。当時私は大学2年生で,万博会場が大学キャンパスの隣という地の利もあって何度か訪れ,大学生ながらに近未来技術を目の当たりに見て,大いに触発され
「あんな未来を実現する一人になるのだ!」
と考えたものである。そしてそれぞれ口にこそ出さなかったけれど,似た様な印象を持った同年輩の仲間も少なくなかろうと確信している。それが,第二次大戦から復興し高度経済成長を成し遂げた諸先輩方から手渡された我が国を,オイルショックを乗り越え電子立国日本として世界一・二の経済大国に押し上げる原動力であったというのが私の理解である。原子力発電所の話の筈が,えらく本題からずれてしまった。
さて我が国の原子力発電所稼働0の話である。
昨年3・11の地震,津波発生による福島原子力発電所の事故以来,原子力の安全性が種々取り沙汰され,現時点では否定的な意見が強い。実際あれだけの事故を起こしたのだから,当然と言えば当然かもしれない。
ただと天の邪鬼の私は思う。私自身,原子力発電に関しては完全な安全は無いと常々考えてきていたし,いずれ失くさざるを得ないとの持論を持っている。だから原子力発電に依存しないための長期展望を,皆で考える事には肯定的だけれど,今日の原子力極悪説にはなんとなく不可解なものを感じてならない。確かに政府の態度も納得できないけれど,それを批難する野党や地方自治体首長連合の態度にも納得できないものがある。だからと言って,私自身に提案すべき解答のないのも事実たけれど・・・。
lanking.gif
クリックして投票を!

posted by zen at 16:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白

2022年03月26日

ダーウィン追憶

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
春の彼岸の中日も過ぎて、この時期シンガポールでは太陽がほぼ真上。
だから日射しは、容赦なくきつい。
そしてこの時期になると思い出すのは、オーストラリア。ダーウィンの事。南緯13度程度の筈で、太陽が真上近くに来るのは10月の末から11月の初めにかけて。今は自動車メーカーで良い技術者に成長しているだろうNK君の事。観測装置を組み立て中、突然自分の影が無いことに気付き、大騒ぎしていたっけ。それにもう一つ、欠伸をした拍子にハエが口の中に飛び込んだと言って、目を白黒させていた。NK君が参加したのは、15年続いたダーウィンプロジェクトの2年目と3年目で1996年か1967年の事である。一年目は日米豪の共同観測、二年目からは、大阪大学と岐阜大学で構成された日本だけの観測で、最初は土地勘もなかったから住いは週単位で借ることのできるダーウィン市内のマンションを利用した。観測装置は、ダーウィン郊外の、ロバートソン地区とカウワンディ地区に設置しての二点観測、毎日のように片道50qを通ったものである。夕食は原則自炊で、観測場所とダーウィンのほぼ中間点にあるパーマストン地区のモールで食材を調達するのが常であった。あの当時のメンバーといえば、今は名古屋大学で教鞭をとっているYS女史、岐阜大学のTN教授、そうそう先輩のNM教授(豊田高専)にも参加してもらっていた。NK君YS女史の組み合わせは、ある意味最強に近く、観測の成果も結構あった。それだから以後10年以上も続いたと私は理解している。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 12:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白