2024年09月27日

バブルの頃

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
昨日昼下がり、ひょんなことから話をすることになった行きずりの夫婦連れ。御夫婦とも全くラフないで立ちなので、話の最中に
「話の腰をおるつもりではありませんが、日本の方ですよねぇ?」
と尋ねたら、
「もう定年して自由の身だから!」
とあっけらかんと応えられた。それがきっかけで、年齢に話題が及んだら、この天邪鬼爺より6歳若いことが分かった。途端その御仁
「あなたたちの世代の学園紛争で、私達の世代は非常な迷惑をこうむったんだ!」
とおっしゃり、続けて
「あのバブルも団塊世代が得をして、わたしたちの世代はやはり犠牲になった。」
と愚痴を述べられた。
「ただその代わり、大学では勉強なんぞしなくてよかったし、人との付き合い方を学んだ。今の子供達は勉強、勉強で気の毒だ!」
と、教育論にまで話が及んでいった。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 00:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白

2024年09月26日

彗星物語

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
宮本輝さんは好きな作家の一人であることを、何度もこのブログで述べてある。
そして先日、日本人会の図書館で「彗星物語」の文庫本を借りてきて、それこそ一気に読んだ。五時間か六時間ぶっ続けて、読破してしまった。これだけ集中しての読書は久しぶりであるが、やはり宮本さんの作品は面白いので、波長が合うという事に尽きる。
シンガポールに住んで11年、新刊書の出版に気付くことも少ないのも事実だが、この彗星物語は1990年代初めに上梓されているので、30年も前の作品という事になる。今まで読む機会のなかったのはなぜだろう?例えば大作「流転の海」は新刊として出るたびに、早い機会に手に入れるよう努力してきたのに、「彗星物語」は、何かの拍子にエアポケットに入り込んで、気付かずにいたという事になろう。ファンと名乗るには、若干恥ずかしい気もする
天邪鬼爺の私が宮本輝さんの作品を好きだと感じるのは、内容やその展開もさることながら文自体がきちんとしていて、「日本の文学!」をしみじみ実感させるから。宮本さんが作家を目指すようになったのは、まだ作家となる前ふと呼んだどなたかの作品の文があまりにもひどかったので、
「これなら私も作家となれるかも?!」
と考えたからと、どこかに書いておられた。実際どの作品を読んでも、文がきちんとされていて、素人ながらに感心させられるのである。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白

2024年09月15日

文庫本つばさよつばさ

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
昨日は朝から大雨。
午前10時頃になってようやく上がったので、日本人会に出かけた。
明日からのタイ・バンコク出張に備えて、日本人会の図書室へ。
文庫本を二三冊借りてきた。
先日ちょっと述べた浅田次郎さんの、「つばさよつばさ」が文庫本になっていて、これ幸いと借ることにした。ちょうど「中原の虹」を執筆されていた頃の随筆なのだろう、北京・瀋陽間の列車での旅の内容があったりした。
その中で、「万里の長城」にも少しだけ言及しており
「北の女真満州族や匈奴の侵略対策には役に立たないことは明らか・・・。」
といった記述があって、
「これは、トランプ候補に読ませたいなぁ!」
なんぞと考え面白かった。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 00:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白

2024年09月14日

聖徳太子の真似

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
昨今、男性はとか、女性はとか、言う修飾語をつけた話は禁忌ながら、
「総じて女性の方が仕事を並列処理できない傾向にある。」
とは、空電研究所当時可愛がってくださったE教授の持論であった。もう四十年近い昔の話ゆえ、もはや時効であろうが。
とはいえ現実に我が家人殿もこの傾向が非常に強く、何か作業をしている最中に声をかけようものなら、気が散ると言って、こっぴどく叱られることも少なくない。それゆえ私は、E教授の観察眼はそれなりに正しいとの印象を長く持っていた。
そして最近、現在お世話になっているシンガポールの会社で、男性にもそのような方がいることに気付いた。昨日尋ねたいことがあり何気なく声をかけたら
「今考えていることがあるので、邪魔しないで!」
と、かなり厳しく注意され驚いてしまった。質問自体決して込み入った内容ではなかったのでこの爺にしては本当に意外で、
「男性にもこんな人がいるんだ!」
と新しい発見であった。
私の場合、特に現役であった時には、並列処理を旨とした。例えば電話中にスタッフが入って来て恐縮気に出て行こうとしたら、
「いいから用件を話してくれ!」
と、例えばメモ書きで渡しながら電話の会話はそのまま続けたりしたものである。それに聖徳太子を真似して、一度に何人かに話をしてもらって聞き分けようと努力したこともあった。そして三・四人までなら聞き分けることができた記憶がある。とりたてて言う自慢話ではないけれど。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 01:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白

2024年09月05日

野球狂の独り言

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
久々にプロ野球の話を。
もともと贔屓だった西鉄ライオンズ、今日の埼玉西武ライオンズ、いやはや凋落振りというかどん底振りというか、歴史に残りそうな低勝率である。開幕以来の対ロッテ戦16連敗も、しばらくは破られそうにない、不名誉な記録であろう。
プロ野球のペナントレースは通常、同一チームとの三連戦が基本で、一週間に二対戦・六試合が基本となっている。そして私天邪鬼爺は、
「同一チームとの対戦で三連敗は、ある意味監督の責任。一勝二敗か二勝一敗で凌いでいくのがあるべき姿」と信じている。だから今年の日常茶飯事的、七連敗、八連敗は何とも言いようがなく理解している。
それからもう一つ、天邪鬼爺の主張は
「依怙贔屓のある社会は伸びない。野球だって同じこと。」
というのがあって、現代理監督や解雇同然に球団を後にした元監督が依怙贔屓をしたとは考えていないけれど、球団として昨年度不祥事を起こした選手を、本人の希望する形でフリーエージェントとしたことで、残された選手達から考えたら、やはり依怙贔屓になっただろう。そもそも休んでいて登録を外れていた試合を広義解釈して、FAの日数が足りたとしたのだから、球団にしてみたら不祥事選手に出て行ってもらいたいという意向があったとしても、現実には破格の契約金で出ていくのだから、残される側にしてみれば阿呆らしくないわけがあるまい。
ついでに言うといまだ超一流の域に達していない主戦投手が、
「大リーグに挑戦したい。」
との希望に対して、
「今年良ければ!」
というGo signを出したのでは、野手の選手達に不満らしきものが残るのは当たり前ではないか。その結果というと失礼ながら、その投手の当番時にはこれでもかというほど得点していないような気がしている。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 01:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 雷人独白

2024年09月04日

爺の特技

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
時間節約のため、東京出張は航空機を利用したことは述べた。原則大阪・東京間の出張は、新幹線の利用が原則で、航空機利用は制度席には違反であったが、もはや時効でもありいささか気楽な気分で披露している。それに会計法上は違反かも知れないが、道義的責任は十分に果たしている自信があるからでもある。
さて航空機に搭乗しての、この爺の特技である。
大阪・東京間の飛行時間は、一時間余りながらこの間離陸の前には寝落ちしており、着陸し目覚めるといった具合。ともかく日頃の睡眠不足もあって、離陸と着陸はほとんど気付くことはなかった。この特技は飛行時間にあまり関係なく、例えば大陸間の移動の際も大いに役にたった。だからアメリカやヨーロッパに出張の際も、時差ボケにはあまり悩まされて事はなかった。
航空機機内での楽しみも、わずかながらにあった。それは機内誌に好きな作家の浅田次郎さんが、「つばさよつばさ」という随筆を載せていたことである。随筆だけに、内容はあまり記憶に残ってはいないものの、一つだけ今でも覚えている内容がある。それは
「この題材を次の内容にしようと昼思い付き、夜になっていざ書こうとしたら『あれ主題は何だったっけ?』と、きれいさっぱり忘れている。内容を思い出さないのに、『あれは良い題材だったのに?』と、悔しさだけが残っている。」
といった愚痴に近い内容で、年寄りにはありがちな、そして正直なところこの爺も、最近になって同じ経験をしばしばするようになってきているのである。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白

2024年09月03日

20世紀最後の国立大学教授

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
まいど古い話で恐縮ながら、2000年年末からの10年余りの思い出話である。
私・天邪鬼爺は2000年12月に教授に昇進した。2000年は20世紀の最後の年にあたるし、国立大学の制度上辞令は、1日と16日に限られており、私の場合‘12月16日の事例であった。だから面白がって
「私は、20世紀最後の国立大学教授だ!」
と吹聴して、笑いをとったものである。というのも「最後の」の修飾語に皆さん一様に驚かれ、意味を理解されたら、ワーッと盛り上がるからである。
その私、エジプトに長期出張になる2010年の10月までの10年間東京によく出張した。
多い時には週二回と言うのも、稀ではなかった。だから時間を節約するため、伊丹・羽田便か、関空・羽田便を利用した。国立大学の制度としては、新幹線を利用すべきなのだが、それではとても研究室の運営が立ちいかなくなるので、已むを得ぬ規則違反をやっていたのである。例えば朝暗いうちに貝塚の自宅を出て、阪和道で吹田に向かい、午前六時頃から七時半まで教授室にいて、八時過ぎの便で羽田に移動。午前中の会議をこなし午後三時頃の便で伊丹に戻るという具合であったのである。
そして明日は、機内での話を続けることにしたい。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 12:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白

2024年08月30日

夏休みの終わりには

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
葉月・八月も今日を入れてあと二日。
小中学生は、夏休みの課題、宿題に大わらわの月末だろうか?
今年は9月1日が日曜だから、
「一日得した!」
なんぞと、喜んでいる不心得小中学生も少なくないだろう。
私天邪鬼爺は、写生の宿題がいつも一番最後となった。早い話「お絵かき」は得意でなかったし好きでなかったからでもある。そして題材はいつも生まれ故郷の西の山であった。八月末の夕方ともなれば、60年近くの昔には秋の気配が強くなっていて、西の山にかかる灰色の雲が何となく好きだったから、毎年同じ風景を選んだのであった。
山並みのスケッチは慣れたものだし、山にかかる灰色の雲あたりまでは悦に入って描いているのだが、仕上がるにつれてなんともお粗末な風景画に成り下がるものだから、最後にいは自己嫌悪を感じながら描き終え、新学期には止むを得ず提出するのであった。
ちなみに写生の宿題以外は、7月中にはさっさとやり終えていたので、あまり困ったという記憶はない。
(えへん!)
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 00:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白

2024年08月26日

祥月命日

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
母の祥月命日が近づいてきた。
1961年8月31日である。早いもので63年も昔の事。
先日話題に上げた第二室戸台風の襲来と同じ年である。
天邪鬼爺のこの私は、まだ12歳だった。
母の死亡が知らされ日の夕方から、私は40度近い高熱を出した。
かかりつけの医師が解熱剤を注射してくれたのだが、数時間後にはまた高熱となった。
あの頃日本脳炎が流行しており、
「もしかしたら日本脳炎にかかったかなぁ?」
なんぞと、熱にうなされながら考えたりもしていた。
一週間近くもその高熱が続き、母の叔母や叔父は
「このままではあかん、K病院の院長に来てもらおう!」
といい、大先生に往診してもらった。大先生は
「お母さん亡くなったショックで、気持ちの問題やろうなぁ。少々熱あっても大丈夫や。どこも悪いようにはみえんで。」
と豪快な診断であった。
その言葉が効いたのだろう、その夕方から平熱に戻った。
lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 11:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白

2024年08月17日

熊が怖くrて

⇒⇒⇒⇒ 投票を願います!
今宵は、盆踊りの17夜
昨夜までで大半の町内の盆踊り大会が中止で、今宵は水間観音の境内が盛り上がる。
と言っても20年以上も田舎の盆踊りはご無沙汰だから、今でもあの頃と同じように17夜の催しがあるのか、気になるところである。


古い話のついでに、私が修士課程二年生だった頃の思い出話を少し。
私達の年代は、俗にいう「学園闘争世代」で、厚かましくも大学の先生方と自分達とをついつい同格視しがちであった。後に大学教官になって教授職を拝命(この言い方も古く本来なら使うべきではないのだろうが)すると、研究に全精力を注ぐ時間がほとほと限られてしまうので閉口したが、若気の至りもあって修士学生時代には、指導教授の不勉強さにはついついあきれたものであった。あきれるだけでなく、面と向かって批判したののであった。この態度は私だけではなく、同じ研究室の博士課程学生の先輩や助手の先輩達も同様であった。
そしてその年の秋の電気学会の研究会、確か二泊三日で蓼科高原で開催された。当時はまだ国鉄といった時代で、国鉄の最寄り駅(確か蓼科だった?)から乗り合いバスに揺られて、蓼科高原に向かった。宿泊は貸別荘で、先輩方と四五人で共有した。そのバスの中でのたわいない会議で、
「別荘にいたら熊が出てこないかな?」
と先輩が仰り、私は軽い気持ちで
「熊が怖かったら、大学にも行けんで!」
と返したら、一瞬で先輩方がシーンとなって白けてしまった。私達の所属していた研究室の教授が故熊谷教授で、我々は「熊さん」と呼んでいたのだが、私はそんなつもりで言ったのではないのに、はねっ帰り世代の先輩たちは、びっくりされたようなのであった。この一件以来、
「威勢の良い筈の先輩たちが・・・。」
と、私はある意味白けてしまったのである。50年も前の事件である。

lanking.gif
クリックして投票を!


posted by zen at 12:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白