2017年03月29日

歴史のターニングポイント3

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1983年のオイルショックとトイレットペーパの事件は、それまで我々日本人が追い続けてきたアメリカ合衆国型の「大量消費文明社会」一辺倒の志向から、
「それでは持続的発展可能な社会は実現できない!」
と、資源の再利用を真剣に指向する社会へと、かじを切り始めるきっかけとなったと私は理解している。
確かにそれまでにも「資源再利用」という意識も少しはあったろうが、消費拡大は経済発展の原動力というアメリカの教えを、それこそ金科玉条のごとく信じる者が大多数であったのである。
ただ原因はなんであれ、
「石油が無くなる、トイレットペーパーが無くなる。」
の教えは、例えば自動車でいうなら「低燃費車競争」、電気製品白物家電でいうなら「省電力消費高機能」を、わが国の得意分野である技術力でやがて実現していくのである。そういう意味で、わが国は「エコロジーの先進国」足り得たのは、1973年のオイルショックに端を発していると確信している。そしておおよそ20年後に起こった阪神淡路大震災の大惨事から、比較的短期間に復興できたのも、1973年のオイルショックによる経験が間接的かもしれないが、貢献していると信じている。
ところで1995年の阪神淡路大震災、まずもって
「地震被害は、関東固有のもの!関西人には関係ない。」
と、暗黙のうちに了解していた関西人の意識をすっかり変えた。何せ6000人を超す人が犠牲になった大地震である。
実はその一〜二か月前から、兵庫県の川西地区で「群発地震」が発生していた。
私は地震の専門家に
「あれって、大地震の前触れちゃいますのか?」
と尋ねたけれど、言下に否定された経験もある。記憶に間違いなければ、NHKの夜のニュースでもあの群発地震が取り上げられ
「一過性の物でしょう!」
と解説していたように思う。
余談ながら、私達大気電気学の研究者仲間も、
「地震学者だけには任せておけない!」
と、地震予知学が我々の分野に起こし早20年余。技術的に確立し、世間に認知されるまでには今しばらくかかりそうである。
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2017年03月28日

歴史のターニングポイント2

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今日は、1966年日産サニー、トヨタカローラの販売開始から始める。
私自身、その一年前に当時でいうところの、軽四の免許を取得しており、時たまダイハツハイジェットを駆ってはいた。当時世の中は車社会への戸を開け始めていたのは確かである。ただ国産の普通自動車はというと、普通の家庭には依然高嶺の花で、だから先に書いたわが国の文化ともいえる「軽四自動車」が、まだまだ幅を利かせていた。
そんな時代に、確か春先だったと思うが新聞の全面広告で「格安の普通乗用車」日産サニーの販売開始が明らかとなり、その後半年ほどして「トヨタカローラ」の販売開始が、同じく新聞の全面広告で公表された。ひょっとしたら、順序は記憶違いで逆かもしれないが、いずれにしても当時の自動車メーカー最大手の二社が、
「庶民にも手の届く価格での普通乗用車」
の販売を開始し、わが国の「車社会化」の扉が完全に開かれたのである。つまり、サニー、カローラがきっかけとなり、他の自動車メーカーも安価な普通自動車の開発・販売を競い、さらにはわが国経済の高度成長も大いなる後押しとなって、それから15年余りで、米国の自動車産業を脅かす「自動車輸出摩擦」を引き起こすまでになった。つまりわが国自動車産業が驚異的に成長したのだから、1966年が変換点となったという私の理解もまんざらではないと信じている。
もうひとつの話題は1983年、土光・中曽根による国営企業民営化である。早い話、電電公社、専売公社、国鉄の三民営化なのだが、歳出超過のわが国が、さらにこれらの企業の赤字を補填するのは筋違いと、大ナタが振るわれた。当時「土光さんのめざし」が流行語となったりしたし、
「民営化してそれぞれが企業としての効率化を図ったうえで独立採算しないと、国の負担が増えるばかり!」
という理念はちょっと見理解できる。当時大学などでも。次年度予算は実質「ゼロシーリング」となったりもして、大学付置研究所の見直しも急速に進められていた。
しかしその後効率化を重視するあまりどうなったか、といえばJRとなった鉄道サービス、ローカル赤字線の廃止が頻繁となり、わが国の高齢社会の「弱者切り捨て」問題という形で顕在化している。教育・研究機関も同様で、今頃になって私は
「あれは本当に正しかったのかしらん?」
と考えたりすることもある。そしておりしもというべきか、米国では研究機関の予算前年30%減とも聞く。はてさて・・・。
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2017年03月27日

歴史のターニングポイント1

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68年と2ヵ月あまり人間をやっていると、
「あぁ、あの事をきっかけにその後のわが国社会が大きく変わった!」
と、気づかされることが少なくない。歴史のターニングポイントとでもいうのだろうか?
ただこんなことを考えたりするのは、そろそろあちらの世界からのお迎えが近いのかなんぞと気弱になりそうながら、今しばし老骨に鞭うつつもりも心のどこかにある。
さて爺なりに理解している、歴史の転換となった事例を年代順に並べてみると
1. 日産サニー、トヨタカローラの発売開始(1966年)
2. オイルショックとトイレットペーパ(1973年)
3. 土光・中曽根御両人による国営企業民営化(1983年)
4. 阪神淡路大震災(1995年)
5. 小泉郵政選挙(2005年)
6. 東日本大震災(2011年)
といった具合で、おおよそ10年に1度の割合となっているのが、我ながら不思議である。
そして今日は敢えて、順位にとらわれず勝手気ままに、説明して行きたい。
まずは、5番目の小泉郵政選挙である。小泉元首相は、原発の恐ろしさに目覚められ、最近は少しはまともになったようながら、あの郵政選挙の折は
「私のやることに反対なら、私以外を総理に選べばよい!」
とうそぶき、自民党の大御所たちも公認から外してしまい、ほとんどことごとく落選の憂き目に会せた。俗にいう刺客候補である。ただ本来の民主主義の意味からいうなら、選ばれたということは全権委任ではなく、舵取りを任せただけの事、少数の意見も聴きながら前に進むべきなのである。ただこの手法はやがて、政党維新にも受け継がれ、さらには国政選挙の小選挙区制と相互作用をしながら、わが国をポピュリズムの国に変えてしまった。かかる意味で、今後日本がどのように進むか知らないけれど、軍国主義、民族主義に進むようなら、2005年の郵政選挙がそのターニングポイントになったのだと、ご理解ください。(この稿続く)
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2017年03月25日

競争的資金の怪

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何日か前の国会質疑で総理大臣が激昂した「獣医学科」の話題、社民党党首が公募期間の短さを指摘していた。総理大臣が必死にその正当性を強調していたけれど、実はこの爺も似たような経験をしたことがある。といっても激昂ではなく、公募期間の短さに関してである。
小泉元首相が、「地球温暖化問題解決のための国際貢献!」を旗印に、大型の研究予算をつけたときのことだから、十年以上も昔のことになる。もちろん競争的資金だから、当時まだ研究者としては現役だったこの爺も応募することにした。ただ公募の開始から提出締め切りまではほんの一二週間で、徹夜に次ぐ徹夜、准教授、講師の三人と死ぬ思いで申請書を仕上げた。我なりの力作で、
「採択されへんかったとしても、ええとこまではいくでぇ!」
と、大いに期待していた。
我々大学の研究者にとって、毎年の定番の競争的資金と、政府肝いりの単発型の競争的資金の二通りがある。そして天邪鬼なこの爺でも、定番の競争的資金の獲得率は、相対的に高いとの自負はあったけれど、単発型のそれはなかなかうまくいかなかったのは事実である。早い話、根回しなんてのは全くの苦手だったから。それでもその二三年前に、東大阪の街工場の人工衛星造りをまんまと仕留めた経験があったので、地球温暖化対策のその競争的資金もうまくいけばとの期待を持っていた。
申請書は本省である文部科学省に提出、
「採択の可能性のある時は、ヒアリングに来ていただきますから。」
と言われていた。一二週間ほどたった頃
「河崎さんの申請書、結構評判良いですよ。」
といった風の便りもあり、大いに期待していたのだがヒアリングの呼び出しがない。だから東京出張の日に(といってもあの頃は、毎週のように東京に出向いていたのだが)、本省の受付担当官を訪問した。
「ヒアリングは、どうなってますか?」
とストレートに質問すれば
「まだ確定はしていませんが、多分ご足労には及びません。」
とのつれない返事。
「そうおっしゃらずに、せめてヒアリングだけでもしてくださいよ。審査の先生方には納得してもらえる自信があります。」
と、直訴に及んだ。そしてその時の回答は、きわめて毅然と
「私は、この大型プロジェクトを予算化するために、数年前に他の省からこの文部科学省に出向してきています。当然出向の時点で何をするかも決まっています。河崎さんをヒアリングにお呼びしても、混乱するだけですし、申請の採択はありえませんから。」
と、にべもないのである。早い話競争的資金は、競争的資金で無かったということなのである。
その一二週間後、この申請採択を競っている、いわば「敵方」のリーダーから、
「河崎さんが、おつくりになっている装置で、参加していただく可能性もありますから。」
と、矛を納めよという趣旨の申し出もあった故、何となく解せない気持ちを抑えつつ、結局は断念した。
ただその後10年以上も「装置での参加」は声がかかっていない。
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2017年03月04日

雛の節句

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昨日、近所のちっちゃな恋人達の家を、家人とともに訪ねた。
さすがというべきか、なんとこのシンガポールで、親王飾りを飾っていらっしゃるではないか。3月3日は、ここでも雛の節句なのである。ただ残念ながら
「そうや、今日は雛祭りやからねぇ!」
と申し上げても、恋人達の反応は乏しい。
というのもお姉ちゃんのEさんは、タルトつくりに余念がない様子だから。顔に小麦粉がついているのに、全く意に介さず奮闘していた。そして妹のYさんは、あれこれ本を持ち出し、こちらは読書三昧なのである。
やがてYさん本に飽いたのか、ようやく親王飾りに目をやり、やおらひなあられの袋を持ち出した。そしてひなあられを二枚の銘々皿に盛り付けだした。
「おじさんはひなあられ結構だから。」
と述べれば、家人から
「これはお雛様に!」
と指摘され、
「あれまぁ今回もまた爺の早合点だ。」
と反省させられた。
その後雛飾り談義を、お嬢様達の母上と
「片付けが遅くなってこの子らの結婚が遅くなってもいいんです。子供達が結婚しなくてもいいと、ちょっと考えたりしますから。」
だって、いやはや本音の親心だろう。
とはいえ旧暦の3月3日(今年は3月31日)が終われば、雛飾り片づけてあげてください。
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2017年02月28日

小さな恋人達

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今日も、二人のお嬢さんの話題である。
お二人の衣服の好みは、かなり違うように感じられる。
姉上のEさんはどちらか言うと活動的な衣装が多い。
一方妹のYさんは、ドレッシーなワンピースタイプが多い。ただYさん曰く
「ワンピースだと、頭から着るだけで済むもの!」
と仰っており、おしゃれというより効率中心といことらしい。
それからもう一点。
Yさんは訪ねてくるたび、私の着ているTシャツを見て、
「これこの前着てたねぇ?!」
と、おっしゃる。二三回そういうことが続いたので、最近は自宅でも襟付きのシャツも着ることにして、レパートリーを増やしている。
昨日はたまたま私の帰宅時に襲撃してこられて、長袖姿の私を見て
「これ見たことないなぁ!」
と、驚かれていた。
「そりゃーそうだよ、仕事に行くときの衣装だよ。」
と返すと、フーンと納得されていた。
姉上のEさん、Yさんが指摘すると反応を示すこともあるけれど、本質的に爺の衣装には興味がないのではというのが私の理解。二人の衣装の違いは、やはり本質的な興味の違いによるのかもしれない。
Eさん、Yさんのご両親、お嬢様をだしに使って恐縮です。
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2017年02月27日

マンゴータルト

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ご近所の日本人家庭のお二人のお嬢さんと仲良くなったことは、先日述べた。
お嬢さん二人といっても、まだ十歳前で、お二人の年の差は二歳と聞いている。
お姉さんはEさん、妹さんはYさん。守秘義務というほどのものではないにせよ、ともかくもプライバシーを考えて、敢えてイニシャルだけにしておきたい。
そのお二人、どういうきっかけかは知らないけれど、偶然私のブログに行き当たられたそうで、御自分達が話題となっていたのもあって、大いに興味を持たれたと聞く。そしてその後は、積極的にブログを訪ねてくれている様ながら、その後登場してもらっていないので、いささか落胆気味らしい。そんなわけで今日はお二人が主役である。
EさんとYさん、今ケーキ造りに力を入れていらっしゃるようで、昨日の午後も焼きあがったばかりのマンゴータルトを持ってやってきた。私は昼食後を摂った後でもあり、
「オジサンおなかいっぱいだから、夕方にでも頂くことにする。」
と告げたら、何やらつまらなさそうな風情である。已むを得ず
「これも付き合い。」
と考えて、
「上のマンゴー二三切れ、頂くから!」
と口に運べば、Yさんも同じように摘み上げ
「結構おいしいね。夕方頂くから、ありがとう。」
と、御好意を頂くことにした。
ただこれには落ちがあった。
「二人、タルトを置いて帰っちゃったけれど、本当にもらっていいのかなぁ?」
と、すこし悩んた。そして確かめれば実は出来上がりを見せたくて持ってきただけの事らしく、まるままの没収は彼女ら二人にとっては想定外だったことが判明。
よくよく考えたら昨日は日曜日だし、お父上も在宅だったので一緒に楽しみたかったのだろう。
「いやはや悪いことをした。爺の一人合点は、よくないなぁ。」
と大いに反省、半分返却させて頂いて、多分事なきを得たと信じている。
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2017年02月18日

LIVE撤収

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貝塚の実家に、LIVEを設置稼働していることは、何度か述べている。
ちなみにLIVEとは、広帯域VHF干渉計の製品名である。
アメリカから二年間阪大に滞在してくれた、M君が貢献してくれた成果物である。
昨日そのLIVEを撤収した。正確には大阪大学のKさんが撤収してくれた。というのは、今年4月7日から一か月間、アメリカはアラバマ・ハンツビルで日米の共同観測の計画があり、日程から考えて準備にかかる期限に近いからである。
この日の撤収は、日本に帰国した月曜日に既に打ち合わせていた。ところが一昨日の天気予報では天気は下り坂、午前中に寒冷前線が通過とのこと。実際午前8時頃にはいきなり一雨。急ぎKさんに電話して
「雨降りそうやし、撤収延期にしようか?」
と提案した。ただ次の機会といえば、週明けの月曜日か火曜日しかなく、週間予報ではその頃にもまた雨が予報されているし、昨日と違って気温も下がるという。
「じゃぁ9時の様子で、最終判断するから。ともかく待機して、いつでも貝塚に来れる準備を頼みます。」
と伝えれば、二つ返事で了解とのこと。そして電話を切るころから、それが少しずつ明るくなって雨も上がり、それならと少雨決行の結論を出した。
その後は10時半頃南海貝塚駅でKさんを拾って、ともかくも撤収となった次第。
ただ撤去してしまって雷活動の常時モニターが出来なくなったのは、如何にアメリカでの観測があるとはいえ、いささか心寂しい。
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2017年01月18日

自叱

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もう一山、あるとは思うてたけど、ほんまにあったなぁ。
同じ一山でも、バナナ一山やったら気楽なんやけど、ほんまに。
気ぃ重いなぁ、ここ数日。
ほんで柄にもなく弱気の虫が出そうになるけど、ここで負けるわけにはいかへんしなぁ。
68歳にもなって、「男の美学」もないかも知れへんけど、まぁしゃぁない。
正直言うとや、64歳までの人生にも、山はなんべんもあったんは、事実や。
ちゅうてもそれらの山は、自分の努力で乗り越えることできる山やった。
「自分で乗り越える」の中には、ほかの人にヒントもらうとか、教えてもらうとかちゅうようなもんも含まれてるんやけど。いずれにしても、ほんでわいには、それをそのたんびに乗り越えて、定年まで務めおおしたちゅう自負ある。
まぁ、科学ちゅうか学問ちゅうかは、そんなもんなんや。
せやけど、お商売はちゃうなぁ。
努力だけではどうしようもないもんもあるんや。
まぁわいが、それだけこの世界で生き残るには甘いちゅうことになるんかも知れへん。
まぁ、思案のしどころちゅう時期かもしれへん。いやぁ遅すぎるかも知れへん。
せやけど、さっきも言うたように、今退散するわけにはいかへんね。
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2017年01月17日

神戸震災22年

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早いもんやなぁ、今日で22年や。そう阪神淡路の大震災からや。
今朝もテレビで、追悼式典の中継やってた。せやから、ついつい思い出すねぇ
朝5時46分、かたかた鳴ったんで
「地震かなぁ?」
と、考えるか考えへんかうちに、ブーンちゅう感じでおっきな揺れがやってきよった。
あん頃わいは、14階か15階建てのマンションの10階に住んでたんで、ほんまにようゆれた。子供ん頃のブランコちゅう感じやったなぁ。ほんで一分ぐらいゆれてたかな、あんまり長う無かったけどわいは
「マンション倒れそうやなぁ!」
「このマンション倒れるくらいやったら、大阪のほとんどのうち倒れるでぇ。」
「せやから、今ゆれてるけどそのうちおさまるやろう。」
と目まぐるしう考えたもんや。自分でいうのもなんやけど、意外と落ち着いて論理的に考えてた筈や。
家の中はともかくめちゃくちゃや。
「大丈夫かぁ?」
ちゅうて声かけるわいに、娘は
「机の下に入ってるから大丈夫!」
と興奮気味やった。ほんでわいは、
「マンション壊れるほどやったら、机の下なんか意味ないのに、まだ子供やなぁ。」
と思うた。一方や三歳ほど上の息子は布団を頭からかぶって寝たままやった。
「いやぁ、大もんやなぁ。もう一丁前やなぁ。」
と親馬鹿な感心したもんや。
あれから22年、わいの中ではまだあの大地震は風化してないなぁ。
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