2024年07月29日

1964東京五輪

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くどいようながら、現在2024パリ・オリンピックが開催中。
その連想から、1964東京・オリンピックを思い出した。昭和39年10月10日が開会式であったが、この日の決定は「快晴の特異日」に基づいていると聞いたことがある。特異日を根拠に決定したという話、本当かどうかはともかく、大快晴の土曜日であった。60年前の事なのに、あの日の空の青さは記憶に残っているような気がする。高校の授業が終わって急ぎ帰宅して、テレビの前にかじりついた。
あの年1964年、私は高校に進学した。記憶に間違いがなければ、1年9組で教室は他の一年生クラスと異なり、三階であった。ちなみに一年生は一階、二年生は二階、三年生は三階となっていたのだが、我々団塊世代の学年は、募集定員が一クラス分多かったための措置であったと記憶している。一階下が2年9組の教室で、その先輩達と九月末に実施された体育祭恒例の仮装行列を、東京五輪の入場行進と銘打って共同で行った。企画は良かったのかも知れないが、その仮装行列は優秀賞をもらえなかった。私自身どの国の選手の役を演じたのか、出し物を覚えているのに、自分の役に関しては、記憶が全く無い。今の時代なら物議をかもすかもしれないが、顔に黒いどうらんを塗って、アフリカのどこかの国の代表を演じたのかも知れない。何せ二クラス共同で100人余りの行列とはいえ、五輪の入場行進としてはやはりお粗末だったのだろう。
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2024年07月17日

大阪大学赴任記念日

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一昨日7月15日、友人からメッセージが届き
「今日は河崎さんが、大阪大学に勤務して35周年の記念日だってぇね!」
とあった。
いやはやすっかり忘れていたが、平成元年(1989年)7月15日が、10年間勤務した名古屋大学空電研究所から、大阪大学に「転勤」した日であった。
実はその週に当時「日仏セミナー」と呼んでいた、フランスと日本の雷放電研究者の小さな集会がフランスで催されたのだが、赴任の日に当たることもあって参加を断念した。ちなみにこの日仏セミナーは、東京大学生産研の河村教授が日本側の肝いり、フランス大使館からの呼びかけで、その前年東京で開催され、なぜかそのセミナーに、まだ駆け出しであった私にまで声をかけてくださったのであった。
日仏セミナーのことはさておき、私の大阪大学赴任の記念日に関してである。
空電研究所に助手として十年間勤務したが、研究所の改組とも関連して、私の所属した研究室は「雷放電」の研究を続けることが否定されていた。だから先輩のNさんも私も昇進の可能性が全く無かったので、いずれ転出せねばならないことは分かっていた。そんな時に大阪大学電気工学科の講師として呼んで頂く機会があり、まさに渡りに船、地獄に仏といった具合で、生まれ故郷の大阪に勇躍凱旋できたのであった。
その日が1989年7月15日だったのである。
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2024年07月14日

AGUの思い出

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人間75年6ケ月もやっていると、感性が鈍くなって感激することが少なくなる。一方ふとしたきっかけで、昔の事を思い出し、ついつい「美しい過去」を作ってしまいがちである。今日のふとしたきっかけはT君の研究成果で、なぜかAGUのFall Meetingを思い出した。
私がFall Meetingに初めて参加したのは、1989年の12月大阪大学に赴任して6ケ月の事。恥ずかしながら投稿の仕方を間違ったこともあって、自身の発表はできなく、聞くだけであったように記憶している。投稿したのはCN Towerでの光学観測の内容で、私なりに自信があって悔しい思いであった。だから
こうなれば、この機会を自身の英語での意思疎通能力の向上に使おう!」
と考え、会場で出会ったBrookさんやMazrさん達と一週間の会議中常に一緒にいるよう努めた筈である。もともとこの二人とは親しかったし、Mazrさんとはその年の8月の二週間を信楽の京大Muレーダで過ごしていて気心も知れていた。Brookさんとは、その前年の8月ICAEの会議のあったウプサラで知り合って、名古屋大学との関係もあって、師匠と勝手に尊敬していた。以来阪大を定年退職するまでの24年間に、毎年とは言わないけれど20回近くは参加、サンフランシスコ訪問はほとんど年中行事となっていた。久しくご無沙汰しているが、今年か来年にはT君と一緒に参加してみたいと考えている。
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2024年06月03日

礼儀と行儀 2

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「礼儀と行儀」の話題を続ける。
電車やバスに乗り込む際の行儀の悪さは、かつてのそう1960年台頃まで日本でもそうであった。ただ生活の水準が上がって来るにつれ、電車やバス到着待ちの崩れることが無くなっていったように記憶している。翻ってここシンガポール、生活水準は決して低くは無かろう。いやむしろ高いと言って良い筈の国なのに。だから爺の偏見ながら
「中国人は礼儀正しいが、行儀は悪い。」
と十把一絡げと言ってしまう。
余談ながら、シンガポールの中華系の方々の多くは、中国が嫌いとおっしゃる。さらには、自分達は中国人でないとおっしゃる方が多い。人種・民族としてのアイデンティティを否定なさるのである。
話題を本題に戻す。
中国語の語尾には、四声という微妙な上がり下がりがある。つまり語尾が聞き取れないと、意思の疎通に問題が起こるらしく、勢い声が大きくなる。この態度が第三者には傍若無人に映るので、行儀が悪いと判断されるのかも知れない。私の生まれ故郷大阪の泉州地域も随分と声高に話す方だが、中国の方々に比べると、とてもとてもである。
話し声の大きい行儀の悪さは納得できたとして、電車・バス待ちの列の崩れは、どう理解したら良いのだろう。思案を巡らせても、明快な答えは見つからない。
「礼儀正しいが、行儀が悪い。」
としか、言いようがない。
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2024年06月02日

礼儀と行儀

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日本にいる友人のY君に
「中国人は、礼儀正しいけど、行儀は悪い!」
といういつものメッセージを送ったら、
「いつも聞くけど、ようわからんなぁ?」
と返って来た。
ちなみに英語に訳すと、礼儀はCourtesy で行儀はMannersである。
例えばMRT(日本風にいうと地下鉄かな)では、必ずと言っていいほど、私を含め年配者に席を譲ってくれる。
「年長者は尊敬して、大切に扱う。」
と教えられてるのだろう。礼儀の正しさが、身についているらしいことを、ひしひしと感じる。
一方そのMRTが駅に到着していざ乗り込むとき、到着待ちしていた列が瞬時に崩れ、
「降りる人が済んでから乗ってください。」
のアナウンスが、全然役に立っていない。いやはや極めて行儀の悪い連中である。
文頭で「中国人」とわざわざ書いたのは、シンガポール総人口の75%が中華系シンガポール人だからである。私から見れば、中華系シンガポール人は、やはり中国人で、先程述べた内容は、北京や上海で何度も経験しているからついつい書いた次第である。
(この稿続く)
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2024年05月30日

独断と偏見ながら

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一昨日の埼玉西武ライオンズの、監督休養の話題にもう一度言及したい。
記憶間違いでなければ、ペナントレースが開幕してしばらくは、それなりにまともな戦いをしていた筈である。それが一昨日も書いたように、ソフトバンクホークスとの対戦で、ライオンズからフリーエージェント権 を行使して移っていった山川選手に、なんと二打席連続の満塁本塁打を被弾、完敗してしまった日以来、チームの灯が消えたように弱いチームになってしまった。そして連敗に続く連敗、五月の中頃にして自力優勝の目もなくなった。
ここまでの内容は、この天邪鬼爺が見聞きしていることを爺なりにまとめたのだが、これからは爺の独断と偏見の解釈である。確かに打線に関しては大砲が居ないし選手層も薄い、それでも開幕して三週間ほどの戦いぶりはまともであった。非力な打撃陣を補うべく、先発投手陣は頑張っていた。開幕四五戦目にソフトバンクホークスと戦った時も、山川選手にホームランを打たれているが、その後は気丈に戦っていた。チームを後にした不義理なホームランバッターに、負けてなるかの意気込みを感じさせていた。それがあの二打席連続の満塁本塁打で緊張の糸が切れたというか、まったくかみ合わなくなってしまったのは、球団の姿勢を信じれなくなったからではないだろうか。球団として不祥事に対して厳しく接していたとはとても思えず、だからと言ってやる気を無くしたらいけないのは当然ながら、大概の場合人はそこまで強くはなれないものだから。
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2024年05月15日

司馬遼太郎回帰 3

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司馬遼太郎さんの著述を、久し振りにあれこれ読んでいる。
没後30年近くも経過して、それに二度目、三度目という作品も含め、いずれも新鮮に感じる。単に好みの作家の作品だから、というわけでもないだろう。
以前にも読んだ内容ながら、今回とりわけ新鮮に感じたのは「文明と文化」の相違。
司馬さんなりの解釈で、年甲斐もなく納得してしまう。さらには日本の仏教(大乗仏教)とインド仏教(現実にはインドでは仏教はすたれているけれど)の相違なども、目から鱗の如きである。
そもそも中学校や高校で歴史を学ぶ時、
「大乗仏教と小乗仏教」
という具合に用語としては教わる物の、本当の相違点は教わらない。ところが司馬さんの理解では、インドを出て北周りで中国に向かううち、ガンダーラ地方でギリシャ人の末裔が仏像を作り始め、大乗仏教の走りとなったらしい。だから日本の仏教は仏像に手を合わせて拝むらしいのである。こう考えると奈良時代の聖武天皇の大仏造営の意味も見えて来たのである。
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2024年05月14日

シンガポール英語

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同僚がChat GPTを使っているので、ついつい声をかけた。
「英語は、ある意味母国語だろう?」
すると
「いや完璧な書類を作るには、やはり・・・。」
と、妙竹林な答えが返って来た。
この国シンガポールで11年を過ごし、彼等との会話で大いに気懸りなことがある。確かにこの爺の英語は、大阪弁訛りもあって彼らの英語とは同じではないけれど、意思の疎通には困らない筈との自負はある。
しかしながらせっかちなシンガポール人との会話では、あまりじっくり聞こうとしないので、イラっとすることも少なくない。
そしてこれを
「せっかちな性格で、ゆっくり聞く気が無いのか知らん?」
と、長い間解釈していたけれど、Chat GPTの話題から
「せっかちなだけではなく、聞き分ける能力にも問題があるのか?」
とも、考えるようになった。
例えば一つの例ながら、小学校低学年の話す英語は教科書に近いのに、成長するにつれて怪しげな英語となるので、そのことをシンガポール人の友人に話したら、
「周りの大人から影響受けて、だんだん悪くなるよ!」
と答えられたことがあった。あのやりとりから考えても、シンガポールの友人達を、
「英語が、英米人並みに達者。」

と考えるわけにはいかないようだ。
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2024年05月11日

弟子からのSNSメッセージ

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昨日朝、懐かしい弟子(正確には研究室の卒業生)からSNSでメッセージが届いた。
「勤続20年のリフレッシュ休暇で、弟の海外赴任先マレーシアに向かいます。」
とのこと。
「ほう、もう20年になるのか?」
と、月並みな言い様ながら、時の流れの速さに驚いてしまう。
この弟子、関東の電力会社に就職し、東北の大震災ではいらぬ苦労もしたと聞く。
実際同期に就職したもう一人の弟子が、悩んだ末に転職の憂き目を見ている程。つけてもあの大地震は、若者達の人生をも変えることになってしまったものだと、しみじみ考える。
とはいえ、天変地異の一つである地震は、とりわけ予測も難しく
「電力会社に就職したい。」
という彼の希望が叶うように、努力したこの爺には責任はあるまいと考えるけれど、あの日後輩の就職勧誘に来ていて、ワンセグがもたらす福島の津波を彼達とともに見て、彼らを追い立てるように返したことを思い出さずにはいられない。
ただあの日を境に、彼達の人生が大いに変えざるを得なかったのは事実に違いない。
ちなみにこの弟子とも、オーストラリア・ダーウィンの雷観測に出かけている。その際確か梅干や菓子類を持ってきて、税関に申告しなかったものだから、別室で検査され
「意図しての密輸ではなかったようだし、今回は無罪放免。」
としてもらった。果たして彼はいまでもそれを覚えているだろうか?
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2024年04月21日

高校生の苦労

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おばあさんは、ともかく厳しかった。
姪の子とはいえ、居候させているわけだから、息子夫婦に対する遠慮もあったのだろう。そのことは私なりに理解していたので、厳しくされても、恨んだり僻んだりしたことはめったになかったと記憶している。
決して自身の過去を美化しているつもりはないけれど、実際10年ほど前に開催された岸高の同期会で、同級生だった女性二人から
「河崎君は、数学の授業が終わると、休み時間によく問題を解いてたねぇ。『なんで今頃?』と尋ねたら、『今やっといたら、忘れへんし家に帰って復習せんでもええやんか!』と応えられて、すごいなぁと感心したの覚えてる。」
といわれた。
私自身そんなことを全く覚えていなかったけれど、
「今から考えると、私なりの努力をしてたんやなぁ!」
と感心したほどである。
ともかく、課外活動で帰宅が遅くなると、こっぴどく叱られた。
だから、岸高祭の時はおばぁさんの小言と級友達との関係の板挟みになりながら、ある意味高校生なりの苦労をしていたことは事実らしい。
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