2017年05月14日

母の日に思う

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今日は、母の日である。
この爺小学生の頃は、学校でカーネーションの胸飾りが配られたものだ。
この頃はどうなのだろう?
この国シンガポールでも、Mother’s Day の広告がよく目に留まる。
昨日なんぞ、こんな爺に近所にあるモールで
「明日は、母の日ですが!」
とチラシを配られた。
ただそんなことでもないと、68歳の今となっては、母の日の事を思い出すことがなかったかもしれない。
そんでもってつくづく考えた。
母の他界は、私が12歳の時だったから、享年34歳7ヵ月だった。7ヵ月を切り捨てれば、この爺は既に母の倍生きたことになる。
「思えば、遠くへきたもんだ!」
なんぞというセリフ、シンガポールに住んでいることもあって、地理的にも時間的にもぴったりといったところだろう。
それにしてもここ数年の人生、本来なら総まとめする時期なのに年甲斐もなくもう一仕事と考えたのが、あれこれ問題だったようで、この間裏切られたり恨まれたり、いやはや忸怩たる思いである。ただこの爺の信念は、
「裏切られても、見返してやろうなんぞと考えるな!」
「恨まれても、互いに心有れば修復できる。」
といったところにあり、老骨に鞭うって、やり始めた「起業」に専心。徳川家康の言葉
人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くがごとし。
を地で行く毎日ながら、
「わいは、ひつこいのんがとりえやでぇ!」
「わいは、朗らかなんもとりえやでぇ!」
と、気張っております。
母上の残りの34年を頂いてもう一踏ん張りです。
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2017年05月09日

飲酒は悪か?

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私は、「信仰の自由」が持論である。
主義主張も自由であって良いと信じている。
色々な宗教、いろいろな政治信条、そう社会には多様性があってしかるべきなのである。
だからこのブログで、これらの話題をあれこれ言うことは、極力避けてきたつもりである。
ただそれでも、先日聞いたある友人からの話は、何となく頂けなかった。
敢えて宗教名は出さないけれど、あれこれ戒律の厳しい宗教信者である私の友人、何かのきっかけで酒の味を知り、私との語らいのおりなど、適宜付き合ってくれる。
「信仰の関係で、本当は飲んだらいけないのだが・・。」
なんぞと言いつつ、結構の量を飲んでも乱れたりしない。
まぁいい酒である。
ところがこの友人、第三者がいると、まず飲もうとはしない。まぁその第三者が十分気心の知れた友人なら別だが、
「宗教上飲めない!」
とにべもない。私も彼がそういう態度をとるときにはさらっと受け流し、それ以上は勧めないよう気を付けている。というのも以前に直接「その豹変ぶり」を正したら
「私が飲酒したことを、他の信者が宗教指導者に密告すれば、罰を受けるので。」
と聞かされては、
「なんや、江戸や戦前の隣組やなぁ!そんなことなら酒盛りは二人の時に。」
と決めずにはいられなかった。
私の友人自身、決して酒・アルコールの類を「悪」だとは考えていない様で、以前に有名な日本酒をプレゼントしたら、
「シャンパンみたいにドライだ!」
とその晩電話がかかってきて
「なんや、シャンパンも知ってるんかい!」
と感心したほどである。
いずれにしてもあの密告制度、私は認めたくない!
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2017年05月05日

子供の日

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日本では、今日は子供の日の祭日である。
黄金週間の後半、今日を入れてまだ三日もある。
私が子供の頃、そう60年近く昔には、5月4日は休みではなかった。それに土曜日も休みではなかったので、三連休なんて結構珍しかった。つまり5月4日が土曜日か日曜日だったら、3日の憲法記念日と5日の子供の日を併せて三連休となる。
そんな三連休があったのは1957年と1958年、大仰な言いようながら、未だにあの三連休の感激を覚えているような気がする。この種の感激は、通常最初のものが長く記憶に残る筈だから、多分1957年(昭和32年)の事なのだろう。私は新学期の始まった頃から、何度もカレンダーを見て三連休を心待ちしたものである。ところが三連休に何をしたのかなんて、一つも記憶に残っていないから、不思議である。そう、わくわく感は心待ちしているときの方が、はるかに強いようだ。
そんな昔の思い出と併せて蘇ってくるのは、自転車での遠出である。
あの頃に日本では、まだまだ自動車の数が少なかった。道路だって舗装されていないでこぼこ道が多かった。だから子供が自転車で遠出をしても、あまり交通事故に遭う危険は少なかった。私の育ったのは、大阪府南部の貝塚市、そして市の東外れに近い里山。2017年の今でも町内には信号機が一つもない。ちなみにコンビニもない。そんな田舎だから、電車に揺られて貝塚市や隣の市である岸和田の繁華街に行くことさえ稀であった。だから小学校の高学年になって、貝塚まで自転車で行って来たらという大人達からのお許しが、ある意味成長を認められたという証拠でもあった。5月初めの三連休の年の二三年五だったろうか春休みに、漸くお許しが出て私は貝塚の街に自転車で出かけた。出かけたのは、貝塚の本屋さんに行って、中学生が使っている地図帳を買い求めること。社会科の授業で、級友の一人がそんな地図を持って来ていて、私自身うらやましさも手伝って、歯痒かった経験をしていたこともあって、母親に強請っていたのである。距離にして5km〜6km の道を自転車で往復した。帰りはもうすっかり暮れなずんでおり、家に戻ったときにはもうとっぷりと暮れていた。他愛無い思い出ながら、あの達成感はいまだに誇らしい。
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2017年04月21日

緊張感

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何度も書いているので、
「あなたの主張は、耳に胼胝ができるほど聞かされている!」
と苦情を頂くかもしれないと危惧している。それゆえ今日は自身の経験を披露しながら考えたい。
私は大学を定年退職したとはいえ、科学者の端くれのつもりである。それゆえ研究した結果は、査読の有る雑誌に投稿し印刷物とする必要があるし、一方では研究内容を同業者の集まりである国内外の会で発表して、信を問わねばならない。
生まれて初めての学会発表は1973年秋の事で、伊豆の修善寺か長岡で開催された電気学会・電磁界理論研究会だった。温泉街で二泊三日の泊まり込みでの研究会、44年も昔の事で、当時はまだそんな温泉街での研究発表会が、比較的多かった様に記憶している。温泉街とはいえ、一部屋に5〜6人で雑魚寝のつつましやかな宿泊であったが、何かと口うるさい今日なら、大学当局から
「そんな遊興地への出張は・・・?」
と、釘でも刺されそうな気もする。
昔のことを思い出すと、話が本筋からついついずれそうになる。
初めての発表から、今までに何度発表したことだろう。発表は日本語であったり、英語であったり、まぁこの歳になると、場数は十分に踏んでいる。ただそれでも、この歳になっても発表前の緊張感は一向に緩和されることは無い。さらには講演し終えての
「ああ説明すべきだった、こう答えるべきだった。」
といった、失敗感、後悔感は無くなることがない。早い話、数をこなしても、年を経ても、人様の前で話をすることに慣れることは無い様だ。
以前結構向こうっ気の強い学生が居て、その学生が博士課程に進学、後輩に
「そのうち発表にも慣れるよ。僕くらいになるともう全然緊張しないよ。」
と強がっていたけれど、よくよく注意してみると彼なりに上がっていた。
さらには、私より10歳程度年長の仲良しの米国人研究者、この方も緊張がすごく、発表中は口ごもったり小刻みに盛んに手を振るという癖があるのを知っている。
つまり我々研究者は、発表にあたって大いに緊張するのだけれど、逆にいえばこの緊張は、自身に対しての
「これでいいのだろうか?」
という、謙虚さ反省の表れだろうと私は理解している。
だからそういった謙虚さや反省の無い個人は、良い意味での成長が無いのだろうと私は理解しているのである。
随分迂遠な言いようとなってしまったけれど、政治・権力者だって同じで、反省の無い体制は独善的であり、社会を誤った方向に導いてしまう危険性が高い。
だからその独善を許さないのは、マスコミ・報道の役目であり、常に批判的であることが肝要、そしてその批判を受け入れない政治体制を、私は容認できないのである。
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2017年04月16日

卵を立てる

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イースターに関係して、もう一言。
大学院時代、先輩から
イースターに生まれた卵は、立つんだよ!
と聞かされ、真剣に生卵を立てようとしたことがある。
今から考えれば、その先輩、私を担ごうとしたのか、あるいは「色付きの卵」の件を誤解していたかの、どちらかだったのだろう。ともかく私は、かなりむきになって生卵を立てようとした。ご常連は多分ご存じだろうが、ゆで卵なら回転を与えれば立つし、コロンブスの卵よろしく、少し割れ目をつけてやれば立つ。ただあの時は、生卵を壊すようなことはもちろん、何も細工をせずに、立てようと努力した。
研究室の友人達は
「そんなものは立つはずがない!」
と、全く相手にしようとしなかった。が、私はテーブルの上で諦めもせず、くるりんと倒れるのを何度も何度も繰り返した。
この歳になってもしつこいところは全く変わっていないが、当時は若いだけにもっとしつこかった。たまご立てを始めた頃は、何人かが周りにいて冷やかしたり励ましたりしていたが、そのうち一人減り二人減り、気が付けば私は一人で馬鹿みたいに繰り返していた。そして日付の変わる頃、なんとありえないことながら卵が立った。ともかく立った。
どこでやっていたのか、何の会合だったのかも覚えていないが、ともかく何人も集まっていたことは事実。私は大いに興奮して
「卵が立った!」
と声をあげた。当然何人か集まってきて、
「何か細工したんやろう?」
と苦労してやっとのことで立てた卵を、ひょいと取り上げそれこそためすすがめつ、
「なんも変わってないなぁ。ゆで卵とちゃうよなぁ?」
と、その卵をわって割ってまでして確かめた。その頃には何人も集まってきていたので
「いや善さんほんまに立てよったでぇ。何か細工してあるやろと持ち上げたんで、立ってるの皆に見せられへんかったなぁ!」
と証人になってくれた。それでも大半は半信半疑で、
「ぐるになってんちゃうか?」
とまでいうものもあらわれる始末。
「ほんならもう一回立てる。」
と別の卵でやってみたら、コツを会得していたのだろう、意外と短時間で無事卵が立ったから大いに盛り上がった。
ちなみに最近も卵立てをやってみたら、10分ほどで無事立ったことを報告しておきたい。
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2017年04月14日

励ましの言葉

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尺取り虫は延びようとするとき必ず縮む
これは中学校を卒業する際、恩師が私に送ってくれた言葉である。中学の卒業は15歳、今この爺は68歳だから53年も昔の事になるが、今日仕事からの帰りに歩道を這っている芋虫を見かけてふっと思い出した。
私達の中学生時代は、卒業となると寄せ書きや、サイン帳にサインを貰ったりしたもので、最初に示した言葉は、確かそのサイン帳の第一頁に書かれていた。当時は今のようにスマートホンがあるわけでなく、写真もまだまだ高価な時代、中学校のつくる作って配布してくれる卒業アルバムはあったけれど、思い出の写真なんぞといえばそれくらい、手書き文化というと大仰ながら、そんな時代だったのである。
余談ながら、あのサイン帳はどうなったのだろう。高校、大学と終えて就職して後は引っ越しすることが多くなりいつの間にやら行方不明になってしまっている。
話を最初の言葉に戻す。
中学校の恩師には、実は三年間続けて担任してもらった。一学年6学級の中学校にあって、担任が3年間も続くというのは珍しい。ただ随分と後になって
「C先生、目を離したらあの子はだめになる!」
と、意図的に担任をして下さったと聞かされた。それが30歳になった頃、私の生き別れた父とC先生は親友であったことも知り、成程と一人合点できたことが今となっては懐かしい気がする。
尺取り虫は延びようとするとき必ず縮む
この歳になっても、含蓄のある言葉である。
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2017年04月12日

クリスピーの散歩

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この爺のブログには、ご近所の二人のお子さん、先月来星された日本人家庭の三人のお子さんが訪ねてくれているらしい。少なくとも5人以上の10歳前後のご常連さんがいることになる。そう考えると「共産党以上過激派以下」の左翼思想の爺ながら、時には政治色を離れた内容で更新せねばと考えた次第である。
さてご近所のお二人、ここ数日犬を連れて我が家にいらっしゃる。聞けば知り合いの日本人家庭が一時帰国され、一週間余り飼い犬を預かっていらっしゃるとの事。犬の名前はクリスピー。そして夕方のクリスピーの散歩がお手伝いなのだそうだ。この国シンガポールの小中学生の登校時刻、半端じゃなく早いので、さすがに朝の散歩は無理だろうと思う。ただ残念ながらお嬢さん達、散歩させる意味があまりお解りで無いような感じもする。一度散歩に同行した際
「なるべく土の上を歩かせてあげなさい。タイルの上では、クリスピーもウンチしにくいだろうから。」
と助言したら、少し歩いただけでめでたく排便してくれた。
「善さんよくわかるねぇ!」
と感心していただいたのだが、その言葉で昔のことが蘇った。
実は小学生の頃、我が家では犬も猫も飼っていた。田舎の事ゆえ60年も近く昔のあの頃犬は放し飼いが普通であった。さすがに夜は鎖で繋いだけれど、昼は全く犬の自由行動だったのである。一方猫は家への出入り自由とはいえ、通常は家の中にいる。それで適当な大きさの木箱に砂を入れ、三和土において排便させるのであった。そして一二度教えるだけで、めったに粗相することもなく、二三日に一度砂を入れ替えてやるのがこの爺(当時10歳位かな)の仕事だった。だからというだけでもないが、犬や猫の振る舞いはある程度この爺には理解できるのである。
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2017年03月29日

歴史のターニングポイント3

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1983年のオイルショックとトイレットペーパの事件は、それまで我々日本人が追い続けてきたアメリカ合衆国型の「大量消費文明社会」一辺倒の志向から、
「それでは持続的発展可能な社会は実現できない!」
と、資源の再利用を真剣に指向する社会へと、かじを切り始めるきっかけとなったと私は理解している。
確かにそれまでにも「資源再利用」という意識も少しはあったろうが、消費拡大は経済発展の原動力というアメリカの教えを、それこそ金科玉条のごとく信じる者が大多数であったのである。
ただ原因はなんであれ、
「石油が無くなる、トイレットペーパーが無くなる。」
の教えは、例えば自動車でいうなら「低燃費車競争」、電気製品白物家電でいうなら「省電力消費高機能」を、わが国の得意分野である技術力でやがて実現していくのである。そういう意味で、わが国は「エコロジーの先進国」足り得たのは、1973年のオイルショックに端を発していると確信している。そしておおよそ20年後に起こった阪神淡路大震災の大惨事から、比較的短期間に復興できたのも、1973年のオイルショックによる経験が間接的かもしれないが、貢献していると信じている。
ところで1995年の阪神淡路大震災、まずもって
「地震被害は、関東固有のもの!関西人には関係ない。」
と、暗黙のうちに了解していた関西人の意識をすっかり変えた。何せ6000人を超す人が犠牲になった大地震である。
実はその一〜二か月前から、兵庫県の川西地区で「群発地震」が発生していた。
私は地震の専門家に
「あれって、大地震の前触れちゃいますのか?」
と尋ねたけれど、言下に否定された経験もある。記憶に間違いなければ、NHKの夜のニュースでもあの群発地震が取り上げられ
「一過性の物でしょう!」
と解説していたように思う。
余談ながら、私達大気電気学の研究者仲間も、
「地震学者だけには任せておけない!」
と、地震予知学が我々の分野に起こし早20年余。技術的に確立し、世間に認知されるまでには今しばらくかかりそうである。
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2017年03月28日

歴史のターニングポイント2

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今日は、1966年日産サニー、トヨタカローラの販売開始から始める。
私自身、その一年前に当時でいうところの、軽四の免許を取得しており、時たまダイハツハイジェットを駆ってはいた。当時世の中は車社会への戸を開け始めていたのは確かである。ただ国産の普通自動車はというと、普通の家庭には依然高嶺の花で、だから先に書いたわが国の文化ともいえる「軽四自動車」が、まだまだ幅を利かせていた。
そんな時代に、確か春先だったと思うが新聞の全面広告で「格安の普通乗用車」日産サニーの販売開始が明らかとなり、その後半年ほどして「トヨタカローラ」の販売開始が、同じく新聞の全面広告で公表された。ひょっとしたら、順序は記憶違いで逆かもしれないが、いずれにしても当時の自動車メーカー最大手の二社が、
「庶民にも手の届く価格での普通乗用車」
の販売を開始し、わが国の「車社会化」の扉が完全に開かれたのである。つまり、サニー、カローラがきっかけとなり、他の自動車メーカーも安価な普通自動車の開発・販売を競い、さらにはわが国経済の高度成長も大いなる後押しとなって、それから15年余りで、米国の自動車産業を脅かす「自動車輸出摩擦」を引き起こすまでになった。つまりわが国自動車産業が驚異的に成長したのだから、1966年が変換点となったという私の理解もまんざらではないと信じている。
もうひとつの話題は1983年、土光・中曽根による国営企業民営化である。早い話、電電公社、専売公社、国鉄の三民営化なのだが、歳出超過のわが国が、さらにこれらの企業の赤字を補填するのは筋違いと、大ナタが振るわれた。当時「土光さんのめざし」が流行語となったりしたし、
「民営化してそれぞれが企業としての効率化を図ったうえで独立採算しないと、国の負担が増えるばかり!」
という理念はちょっと見理解できる。当時大学などでも。次年度予算は実質「ゼロシーリング」となったりもして、大学付置研究所の見直しも急速に進められていた。
しかしその後効率化を重視するあまりどうなったか、といえばJRとなった鉄道サービス、ローカル赤字線の廃止が頻繁となり、わが国の高齢社会の「弱者切り捨て」問題という形で顕在化している。教育・研究機関も同様で、今頃になって私は
「あれは本当に正しかったのかしらん?」
と考えたりすることもある。そしておりしもというべきか、米国では研究機関の予算前年30%減とも聞く。はてさて・・・。
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2017年03月27日

歴史のターニングポイント1

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68年と2ヵ月あまり人間をやっていると、
「あぁ、あの事をきっかけにその後のわが国社会が大きく変わった!」
と、気づかされることが少なくない。歴史のターニングポイントとでもいうのだろうか?
ただこんなことを考えたりするのは、そろそろあちらの世界からのお迎えが近いのかなんぞと気弱になりそうながら、今しばし老骨に鞭うつつもりも心のどこかにある。
さて爺なりに理解している、歴史の転換となった事例を年代順に並べてみると
1. 日産サニー、トヨタカローラの発売開始(1966年)
2. オイルショックとトイレットペーパ(1973年)
3. 土光・中曽根御両人による国営企業民営化(1983年)
4. 阪神淡路大震災(1995年)
5. 小泉郵政選挙(2005年)
6. 東日本大震災(2011年)
といった具合で、おおよそ10年に1度の割合となっているのが、我ながら不思議である。
そして今日は敢えて、順位にとらわれず勝手気ままに、説明して行きたい。
まずは、5番目の小泉郵政選挙である。小泉元首相は、原発の恐ろしさに目覚められ、最近は少しはまともになったようながら、あの郵政選挙の折は
「私のやることに反対なら、私以外を総理に選べばよい!」
とうそぶき、自民党の大御所たちも公認から外してしまい、ほとんどことごとく落選の憂き目に会せた。俗にいう刺客候補である。ただ本来の民主主義の意味からいうなら、選ばれたということは全権委任ではなく、舵取りを任せただけの事、少数の意見も聴きながら前に進むべきなのである。ただこの手法はやがて、政党維新にも受け継がれ、さらには国政選挙の小選挙区制と相互作用をしながら、わが国をポピュリズムの国に変えてしまった。かかる意味で、今後日本がどのように進むか知らないけれど、軍国主義、民族主義に進むようなら、2005年の郵政選挙がそのターニングポイントになったのだと、ご理解ください。(この稿続く)
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