2024年05月14日

シンガポール英語

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同僚がChat GPTを使っているので、ついつい声をかけた。
「英語は、ある意味母国語だろう?」
すると
「いや完璧な書類を作るには、やはり・・・。」
と、妙竹林な答えが返って来た。
この国シンガポールで11年を過ごし、彼等との会話で大いに気懸りなことがある。確かにこの爺の英語は、大阪弁訛りもあって彼らの英語とは同じではないけれど、意思の疎通には困らない筈との自負はある。
しかしながらせっかちなシンガポール人との会話では、あまりじっくり聞こうとしないので、イラっとすることも少なくない。
そしてこれを
「せっかちな性格で、ゆっくり聞く気が無いのか知らん?」
と、長い間解釈していたけれど、Chat GPTの話題から
「せっかちなだけではなく、聞き分ける能力にも問題があるのか?」
とも、考えるようになった。
例えば一つの例ながら、小学校低学年の話す英語は教科書に近いのに、成長するにつれて怪しげな英語となるので、そのことをシンガポール人の友人に話したら、
「周りの大人から影響受けて、だんだん悪くなるよ!」
と答えられたことがあった。あのやりとりから考えても、シンガポールの友人達を、
「英語が、英米人並みに達者。」

と考えるわけにはいかないようだ。
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2024年05月11日

弟子からのSNSメッセージ

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昨日朝、懐かしい弟子(正確には研究室の卒業生)からSNSでメッセージが届いた。
「勤続20年のリフレッシュ休暇で、弟の海外赴任先マレーシアに向かいます。」
とのこと。
「ほう、もう20年になるのか?」
と、月並みな言い様ながら、時の流れの速さに驚いてしまう。
この弟子、関東の電力会社に就職し、東北の大震災ではいらぬ苦労もしたと聞く。
実際同期に就職したもう一人の弟子が、悩んだ末に転職の憂き目を見ている程。つけてもあの大地震は、若者達の人生をも変えることになってしまったものだと、しみじみ考える。
とはいえ、天変地異の一つである地震は、とりわけ予測も難しく
「電力会社に就職したい。」
という彼の希望が叶うように、努力したこの爺には責任はあるまいと考えるけれど、あの日後輩の就職勧誘に来ていて、ワンセグがもたらす福島の津波を彼達とともに見て、彼らを追い立てるように返したことを思い出さずにはいられない。
ただあの日を境に、彼達の人生が大いに変えざるを得なかったのは事実に違いない。
ちなみにこの弟子とも、オーストラリア・ダーウィンの雷観測に出かけている。その際確か梅干や菓子類を持ってきて、税関に申告しなかったものだから、別室で検査され
「意図しての密輸ではなかったようだし、今回は無罪放免。」
としてもらった。果たして彼はいまでもそれを覚えているだろうか?
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2024年04月21日

高校生の苦労

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おばあさんは、ともかく厳しかった。
姪の子とはいえ、居候させているわけだから、息子夫婦に対する遠慮もあったのだろう。そのことは私なりに理解していたので、厳しくされても、恨んだり僻んだりしたことはめったになかったと記憶している。
決して自身の過去を美化しているつもりはないけれど、実際10年ほど前に開催された岸高の同期会で、同級生だった女性二人から
「河崎君は、数学の授業が終わると、休み時間によく問題を解いてたねぇ。『なんで今頃?』と尋ねたら、『今やっといたら、忘れへんし家に帰って復習せんでもええやんか!』と応えられて、すごいなぁと感心したの覚えてる。」
といわれた。
私自身そんなことを全く覚えていなかったけれど、
「今から考えると、私なりの努力をしてたんやなぁ!」
と感心したほどである。
ともかく、課外活動で帰宅が遅くなると、こっぴどく叱られた。
だから、岸高祭の時はおばぁさんの小言と級友達との関係の板挟みになりながら、ある意味高校生なりの苦労をしていたことは事実らしい。
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2024年04月20日

小学5年生の春

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おばぁちゃんは30歳代半ばで未亡人となり一男二女を育て、その長男が成人してホッとする間もなく徴兵でとられ、名誉の戦士をしただけに、跡取りとなるであろう私を溺愛した。今でいう認知症も始まっていたのであろうが、小学校に入学した私に
「善一郎の好きな観月堂の饅頭を食べさせる。」
と言って、休み時間にやって来た程であったから、溺愛ぶりが想像していただけるであろうか。
そんな私の生活が一変したのは、おばあさんの家に引き取られた日からである。
あばぁさんは私に
「ねぇちゃんはお前を甘やかして、何のお手伝いもさせんかったけど、明日からは朝起きたら、まず三和土(たたき)の掃き掃除からせなあかんねで!」
と、諭した。私は、朝の目覚めは早い方だったので、朝の手伝いはたいして苦にならなかった。ともかく早く済ませて朝刊を読みたい、というよこしまな動機もあって、これはそつなくこなしていたと今でも信じている。ただ時折朝刊の一面に大見出しがある様なときは、ついつい目がそちらに向かうので、
「これまた手が止まってる!」
と、いきなり背後から声がかかったりもした。
一方土曜日の午後や、日曜日には農作業の手伝いに連れ出されることも少なくなかった。
最初の農作業の手伝いは、ジャガイモ堀でおばぁさんが三本鍬でひっくり返したうねの中からジャガイモを探しだす作業であった。私としては真面目にやっているつもりだったが
「善一郎の探した後には、まだぎょうさん芋が残ってるで!」
と、嫌味たらたらの小言をもらったことを覚えている。
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2024年04月19日

とむらい屋颯太

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「とむらい屋颯太」という文庫本を読んでいる。
江戸時代の葬儀屋の話しで、その本性は熱い若者なのにシニカルに振舞う、主人公颯太が面白い。本のタイトルからも想像できようが、人の亡くなる話や葬式の話しが全編を貫いている。
そんな内容を読んでいるからだろうか、はたまた75歳となってお迎えが近づいてきたからだろうか、彼岸に行ってしまった人のことを、ついつい思い出す。
今回は、おばぁちゃんとおばぁさんの事である。
このブログでも紹介して来たように、私にはおばあちゃんと呼んでいた祖母と、おばぁさんと呼んでいた祖母の妹の二人がいた。そしてこのおばぁさんが、私を小学5年生の春から大学に入るまでを育ててくれたのである。
おばぁちゃんは、たいして名家でもない我が家の一粒種であった私を溺愛、ともかく甘やかして育てた。おばぁさんはそんなおばぁちゃんに批判的で
「善一郎を甘やかして育てたらあかんでぇ!」
と言いながら、小学低学年だった私をぎょろっとした眼で睨むので怖かった。
そんなおばぁちゃんも私が小学校4年生だった12月に他界した。
祖母の他界で、母は精神的に参ってしまったのか病弱となった。
そんな経緯もあって、おばぁさんは小学5年生の私を引き取り、それこそ厳しく育てたのである。
(この稿続く)
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2024年04月15日

後期高齢者

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何度か紹介したような気もする。
日曜夕方は、日本人会の
「体幹トレーニング講座」
に参加している。
コロナ禍のおおよそ二年半の間にすっかり足元が怪しくなってしまった。
加齢による衰えと、この間の外出制限の期間が、悔しいことにうまく同期してしまった。
それに最近淀川キリスト教病院で行った検査では、生まれながらの股関節脱臼が影響してだろう、足の長さが左右で異なっているという。
お世話になっている医師の話しでは
「左右の脚の長さが異なるという事は、骨盤が水平ではなく、若いうちはそれを水平に保つ筋力があったのでしょうが、今は残念ながら筋力では無理で、背骨が湾曲して水平を保っているのです。」
との事。この爺の場合左が凸だそうである。
その話をしたら親友のG君
「僕の場合は、背骨がS字型なんだ!」
とおっしゃる。年をとると体の不調が自慢話となるから、それなりに面白い。
G君はいまだにテニスを楽しんでおり、体を動かすことが得意なのにと、不思議に思う。
そのG君、8月にはいよいよ後期高齢者で、免許証の書き換えには、認知症のテストも受けねばならないとの事。G君と話をしている限り、認知症は問題ないと天邪鬼爺の素人判断である。
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2024年04月05日

やって見せ

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「やって見せ、言って聞かせて、させて見せ、誉めてやらねば、人は動かじ」
山本五十六の言葉を、昨日天声人語氏が取り上げていた。生誕140年だそうだ。
この言葉は何度か聞いていることもあって、個人的にこの爺の大好きな言葉である。
このように申し上げると
「お前は軍国主義者か!?」
と、非難されるかもしれない。
ただ主義主張に関係なく、いいものは良いというのが、天邪鬼爺の信ずるところ。
人を育てるのは、確かに難しい。
長く大学で教鞭をとり、研究室運営に20年近く関わってきた者として、口幅ったいようながら
「弟子を育てるのに、『研究対象を好きになって欲しい!』」
という立場で、若い学生諸君と接してきたつもり。
だから叱ることよりも、誉めることの方が多かったと信じている。
誉めるといってもへつらっての誉め言葉ではなく、
「好きになってもらう。」
ための誉め言葉であった。そのあたりのさじ加減が難しかったけれど、おかげでというべきだろうか、弟子が何人も育っているし、その中には
「出藍の誉れ」
を地で行く弟子もいる筈である。
かかる意味でこの爺は幸せ者に違いないと考えるのは、思い上がりでは無かろう。
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2024年03月29日

腰椎変性側弯症

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「腰椎変性側弯症」
これが昨日の診察で明らかとなった「病名」である。
実は私は先天性の「股関節脱臼」で、それ自体は完治しているのだが、
「その影響ではないだろうか!」
というのが、医師の見解。
私が75歳だから、75年前の影響という事になる。
早い話、左右の脚の長さが異なっていて、そのため体が左凸となっているらしい。
右変形成股関節症(軽度〜中等度)との補足説明まで付け加えられた。
実際レントゲン写真を見せながら頂いた説明でも、背骨が随分と湾曲しているように思える。
自虐的に「老人病の総合商社」なんぞと昨日は書いてみたが、言霊よろしく現実のものとなってしまった感がある。
とはいえ検尿結果は
「きれいなものです!」
で、異常無しの診断は、やはり朗報か?
さらにCTでの検査結果でも、耳にも異常が無いとの事で、これまた朗報である。
話しを文頭の「腰椎変性側弯症」に戻せば、
「若い時は、左右のアンバランスを筋力で支えていたのだが、筋力の衰えで支えきれなくなって」
というのが、爺なりの自己診断である。
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2024年03月17日

夢枕 5

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一ひねり、二ひねりの話しはさておき、私が勝手に恩師の一人と決めているE教授が、私の教授昇進を聞きつけ大阪大学を訪ねて下さったのは感激であった。赴任地の野辺山から、中央道、名神を乗り継いで大阪に入られたという事であった。そして大阪市内では、宿泊予定のホテルへの降り口が分からず、阪神高速を二周してしまったと、失敗談付きで再開を喜ばせて頂いた次第であった。ただいでたちは、例によって大いに派手好み、大阪のおばちゃんも逃げ出したくなるほどの自己主張をなさっていたので、研究室の学生達には少し受けが悪かったようだ。
「お世話になった先生やでぇ!」
と、紹介したのだが。
さて一ひねり、二ひねりの話題である。
当初関わった干渉計は、いわば狭帯域の干渉計ともいうべき装置で、平たく言うならFM受信機の原理でアンテナ間の位相差を求め、電波の到来方向を求めようというのが原理である。その結果雷放電の進展様相が画像化(可視化)できるので、それまでの観測結果に比して格段の成果の得られることは間違いなかった。ただそれとは別に、思い上がりかも知れないが、
「他人様の設計した装置での観測ではなぁ!」
野の気持ちもあり、さらには
「雷放電を起こす雷雲は、決して金属体ではないのにどうしてあんな放電が起こるのだ?」
の、大気電気学者に共通の本質的疑問が、長年理解されずにいた。今日でも完全に理解されているわけではないけれど・・・。
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2024年03月16日

夢枕 4

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1988年頃から、空で研究所の改組が具体化し始めた。
結局のところ政治力なんだろうが、雷放電の研究グループは、銘々新しい働き場所を求め、一部門4名の席を明け渡すこととなった。一方太陽電波の部門は、部門丸ごと野辺山の天文台に移ることになった。その頃E助教授は、教授に昇進されており、干渉計を稼働しての雷放電の観測を目指している私を、陰に陽に応援して下さっていたと、今でも理解している。
そして結局のところ私は大阪大学に、先輩助手のNさんは名古屋大学工学部を経て最終的には豊田高専に、リーダーのT助教授は新設の私立大学にと順次転出してゆき、雷放電の部門は洒落の様ながら、雲散霧消となってしまった。
ただ大阪大学に移った私は、研究室の主題電力機器の絶縁診断の研究をやるとともに、雷放電観測のための装置のディジタル化に努め、電界変化の観測、フランスONERAグループの干渉計同様の干渉計、と順次研究を進めた。そんなころふらんすONERAからスピンアウトして干渉計を販売する会社を設立したPhilippeさんから
「同じものを作るなら、うちの装置のユーザーになったら!」
と誘われ、地元関西の電力会社の応援もあってユーザーとなったのは、今から考えると幸運であった。というのも研究をやるのとは別に、一ひねり、二ひねりを考える時間的余裕ができたからである。
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