2020年03月24日

思い出話 57

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私学は、西宮にある大学の理学部を受験した。
この大学も、学園闘争の煽りを食らって、機動隊に守られてという厳戒態勢の下の受験であった。受験会場は大きな体育館みたいなところで、入学試験の実施を認めないという学生たちの集会が行われていて、受験会場への入り口は騒然としていた。
国立大学の一期校は、大阪大学の工学部を受験した。
入試の前日、いささか心を動揺させる出来事があった。
それは岸和田高校から一緒にY予備校に通っていたS君が、G君と私に、いかにも唐突に
「俺実は在日やねん!」
と、言い出したことである。
私は一瞬
「こいつ何言うてんね!」
と、意味が分からなかったけれど、
「岸高で、本名で呼んで欲しい言うても、聞いてもらえへんかったんね。これからは韓国名のHと呼んでくれ。」
と続けたので、ようやく腑に落ちた次第である。
試験会場は、これまた学園闘争の煽りを受けて、大学構内ではなく、大阪市内の予備校であった。だからというわけでもないが、この年は貝塚の家から受験上に通うことになった。それにもし大学構内で入試が実施されていたとしても、工学部受験ゆえ箕面の親類からは通うのもあまり便利ではなかった。
入試の初日は前夜から降り続いた雪で、開始時刻が一時間近く遅れるという予想外の展開であったが、例の赤いセーターを着て無事二日を終えることができた。
中間校は、和歌山県立医大の受験で、何やら支離滅裂のであったが、
「医者になって欲しい!」
という、祖母の弟(私は爺さんと呼んでいた)の希望もあっての受験であったのである。
そしてこの年、私は三校とも合格することができたのだが、好事魔多しとも言えそうな事件が起こるのである。
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2020年03月23日

思い出話 56

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予備校生の一年は短い。
実質、4月中旬から12月中旬までみたいなものだから、8か月というべきだろうか。ともかく短く感じられたのは事実で、12月末には4月以降の模擬試験の成績を参考に、受験校を決めるのだから,H短く感じるのは当たり前だろう。現役高校生の時には、12月の終わりになって、ようやく社会や理科に取り組むかといった具合にのんびりしていた。その点予備校は、早め早めの手を打っていた。
ともかく12月の判定会議では、京都大学や大阪大学の理工系学部は、とりあえず合格可能と判定された。私は、というよりは親類の大人達は、前年に懲りて私学も受験するように私を説得した。考えてみれば、有り難いことに違いなく、私学一校、一期校一校、中間校一校、さらには二期校一校の四校の受験を考えることにした。
ところがいざ願書を出すという頃になって、とんでもない事態が持ち上がった。
それはあの頃吹き荒れていた学園闘争、中でも一番激しかった東京大学で、全共闘に占拠封鎖されていた安田講堂に、機動隊が入って封鎖を解除し、それと同時に東京大学がその年昭和44年の入学試験中止を決めたのである。昭和44年1月19日のことである。
私自身東京大学の受験を考えたことなどなかったけれど、東京大学の入学試験がないということになれば、当然京都大学や大阪大学の入学試験に影響の出ることは明らかで、予備校の判定見直しが実施された。幸運なことに、判定結果には変更はなかったけれど、私の中で揺れ動いていた京都か大阪かという迷いが吹っ切れることになった。
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2020年03月22日

国境閉鎖

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今冬は暖冬だったというのに、日本の春は遅い。
例年より早く桜も咲き始めたというのに、春はまだまだ。
春の高校選抜野球は中止になったし、プロ野球の開幕も20日以上遅くなった。
そう野球狂にとっては、まだまだ春が来ないのである。
つまるところ新型コロナウイルスによる肺炎の、世界的な流行が「春を遅らせている」元凶なのである。
野球狂の春はともかく、各地から入学式の開催を躊躇する声も聞かれてくれば、学生諸君にとっての春もまだまだかと思わざるを得ない。
昨日の総理大臣の発表では、一斉の休校をもう課すことはないとあったけれど、あの方ほんと頓珍漢だねぇ。これからまだまだオーバーシュートがあるかもと懸念されているというのに、そんなことはやめに言ったって、どうなる判らないんちゃう。2月の終わりに一斉休校指示しておいて、与野党や世論の「説明不足」の批判を漏れ聞いたら、いきなり弱気の虫らしい。しかし、これからが新型コロナウイルスとの戦意正念場だろうに、弱気の虫は禁物ですよ。
私がこれからが正念場と考えるのは、欧州からの帰国者を検疫しての陽性率が高いように思われるから。これまで国内の発症数が、諸外国に比し低いのは、PCR検査だったっけ、をあまり実施していないからとの指摘があり、もしそうだとしたら、症状のない感染者数が市中を多数闊歩していると考えられるからである。そうでなければと願いつつも、現実には多いんだろうとも、ついつい考えてしまうのである。
WHOがパンデミック状態との宣言を出し、影響されて世界「恐慌」気味。多くの国では、飲食店が閉鎖されている。幸いなことにシンガポールでは、そこまで深刻ではないけれど、それもいつ何時状況が変わるかもしれない。いやはやクワバラクワバラ。
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2020年03月21日

思い出話 55

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その人の嫁いでいったことを知っても、私の日常生活は変わる筈もなく、6月、7月と過ぎて行った。7月の20日過ぎに復習テストというのが一日がかりであって、ほどなくして夏休みに入った。夏休みといってもわずか一か月で、その間に夏期講習に行く者もいたようだが、Y予備校からの指導は
「夏期講習に行くよりは、今まで学習したことを十分に復習しておけば大丈夫。」
といったものであった。仮に夏期講習に行こうとしても、これ以上の負担を親類縁者に願うわけにもいかず、私には好都合だったことも言うまでもない。ただ月々の模擬試験も、7月にあった復習テストも大いに好成績で、夏休み前の主事との面談では
「今の調子を続ければ、十分に京都大学や大阪大学の理科系学部を狙えます。」
ということだったので、私は気をよくして夏休みを過ごした。
相変わらず午前4時起き、午後10時には就寝という生活で、夜は大きな家での一人寝を続けていた。有り難いことに日が暮れると、大きな家だけに涼しくて、あの当時にはエアコンなどなかったけれど、暑くて寝付けないというようなことはなかった。
友人のY君やR 君もたまには訪ねてくることもあったが、私の生活パターンをよく知ってくれていって、10時半ともなるとそそくさと帰って行ってくれた。盆踊りには一緒に出かかたけれど、この年の盆踊りは私にとっては、本当に味気ない物であった。この時にはその人のことを思い出したりもしたが、日々の生活からは、私自身が意外と感じるくらいに薄れていった。予備校通いの毎日は単調だったけれど、それでもガスの配達や秋の農繁期の手伝いがあったりして、それなりに充実はしていたと、50余年経った今では懐かしい。
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2020年03月20日

思い出話 54

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その人が嫁いでいったことは、本当に驚きだった。
前年の夏に、「お見合いをして次の年の5月にお嫁に行くの」と教えられていたのは事実ながら、私は現実のものと理解していなかった。
あの日、その人Mさんと同級生という母の従妹のTさんがやって来て、私以外に誰もいないのを確かめてから
「善ちゃん、Fさんの家のMちゃんが19日の日曜日に、お嫁に行ったでぇ!」
と、切り出した。そして
「六歳も違うのにあんたらつきおうてたん?あの子駆け落ちして戻ってきたん知ってん?まだ大学にも通ってへん浪人生やのに、おばあさん知ったら許してくれへんで!」
と、詰問するように続けた。
「つきあうていうても、予備校の帰りに二、三回逢っただけやでぇ。」
と、取り繕ったら
「おばぁさんには、内緒にしといちゃるよって、これからは真面目にしいや。あんたまでうちのHの真似せんでええんやから。」
と捨て台詞を残して帰って行った。ちなみに「うちのH」というのは、私達がHちゃんと呼んでいた、子供の頃のリーダー格、スーパースターで、あの頃は兵庫県の俗にいうお坊ちゃま大学に通っていた。
それにしても、私には驚き以外の言葉はなかった。
私の周りから、大好きな人が忽然と消えたことになる。
母の他界の時と同じ、喪失感というのだろうか、をひしひしと感じていた。
そして19歳ながらに
「何でこんな風に皆消えてしまうんや!」
と、答えのない質問を自分自身に尋ねていた。
ほどなくして、前年のお盆の真夜中にその人と一緒にやって来た女性達が訪ねてきて
「Mちゃんお嫁に行ったん知ってる。」
「あんた何で阪大合格しなかったん。」
「あの子、あんたが合格したら、婚礼取りやめるって私達に言うてたんやで。」
「やめたから言うて大学生のあんたと一緒になるのは、まぁ無理やけど。」
と、口々にまくし立て、
「豊中の岡町ちゅうところにに住んでるよって。」
と言い残して帰って行った。
私はひとりになると、Y予備校の教室で
「ここで勉強したら、来年は受かるん?」
といった、その人の寂しげに見えた顔を思いだしていた。
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2020年03月19日

思い出話 53

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その夜、しばらくするとおばぁさんがやってきた。
「善一郎、いるか? 帰り遅かったんか?」
と、言いながら入ってきて
「遅なるちゅうて聞いてたけど、顔見せなあかんで。」
と、続けた。
私は、
「ちょっとしんどかったし、明日までにやっときたい数学の問題あったんで。」
と適当に答えると、あまり疑う風もなく
「しんどいんか、熱はないんか?」
と私の額に手を当てて、
「熱ないなぁ、ほなはよ風呂すましてくれな。はよ来て。」
と帰って行った。
私は叱られることも、疑われることもなかったので、本音でほっとしていた。
ただその人が、翌週土曜日の出会いを約束もしなかったので、気にかけていたが、この気懸りは、どうしようもなかった。
翌日の日曜日はいつも通りの、午前四時起きであったのは言うまでもない。五月も中旬となり、農作業が忙しくなり始める頃だが、私の出番はまだまだなく、ガスの配達が私の役目であった。
あの頃はガスボンベを一家に二本ずつ設置して、片方を使い切ると切り替えて貰えるようになっていた。だから注文があっても、必ずしも急を要するというわけではなく、ある程度計画的に配達できるようにはなっていた。それでも中には二本が切れてしまう家があって、急ぎ配達というのも全くないわけではなかった。ともかく、私には日常の生活が戻ってきた。
新しい週がまた始まった翌月曜日、出席をとった後、担任のN主事が近くに来られて
「土曜日には失礼したねぇ。お姉さん怒ってなかった?」
と、尋ねられた。私はまたまた吹き出しそうになったけれど、平静を装って
「大丈夫ですよ!」
と、返した。
一週間が過ぎ、二週間が過ぎやがて六月の声を聞くと梅雨がやってきた。
多分梅雨入りの日だったろう、私はその人が5月19日に嫁いでいったことを知った。
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2020年03月17日

思い出話 52

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「善一郎君!入ってみようか?」
と彼女につぶやかれて、私は体を固くした。
多分顔も真っ赤になっていたろうと思う。
私はどう返事していいのかも分からず、茫然としていた。
一瞬の間をおいて、その人は、私にというよりは自分に言い聞かせるように
「冗談よ・・冗談・・。」
と繰り返し、私の腕をしっかり抱え込んだまま、この場所を去るよう私をうながした。
私達は歌舞伎座の脇を通り抜けて千日前に出たのだが、その間彼女も私も一言も話すことはなかった。
ただ千日前での夕食中、彼女はことのほか饒舌で、毎日のお小遣いはどうしているのとか、食べ物の好き嫌いはないのとか、衣服は誰が買ってくれるのとかあれこれ尋ねた。私はありのまま答え、彼女は納得したり少し驚いたりして結構長く話してしまった。そして気が付けば八時少し前だった。
最後に彼女は
「善一郎君に恋人ができたら、ラブホテルなんかに誘っちゃだめよ。少し無理しても、一流でなくてもいいから、普通のホテルに部屋をとるのよ!それが恋人への思いやりなんだから・・・。」
と意味深なことを言い、そして私達は、南海難波駅まで急いだ。
貝塚駅からは、いつかのようにタクシーで自宅前まで帰った。
その人は私のうちまで付いて来て、
「今日は楽しかった。遅くなったけど大丈夫よねぇ?」
と私を見上げるようにして言ってから、いきなり私の首に手をまわして引き寄せた。
それが私の、生涯初めての接吻になった。
そしてその人は暗い夜道を、一人帰って行った。
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2020年03月15日

思い出話 51

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私達は、四橋筋を南に下り、渡辺橋、肥後橋を渡って右に折れ、土佐堀通を西に歩いた。あの当時の土佐堀通には、まだ廃線となってしまった市電の名残りがあった。土佐堀通に出て5分も歩けばお目当てのY予備校があり
「この予備校に入るのって、私立大学よりも難しいんやって!」
とその人は、感心して見せた。
そんなん噂だけやでぇと私は否定して見せたが、あながち噂だけでないことを実感できる事実も、いくつか知っていた。
「そんな秀才ばかりの教室に座ってみたいなぁ。」
というその人に、
「この予備校は、高校並みに出席取るん。せやから授業やってたら無理やと思うで。」
と返事をして、C1クラスの教室に案内した。4時間目も終わっていたので、教室には誰もいなかったが、担任のN主事がいて
「河崎君、君は土曜の午後の選択科目、取ってなかったよねぇ。土曜日だからといって、女性とデートしてたら、来年の春には笑えないよ!」
と、早速注意された。その人はえらく落ち着いて
「河崎の姉です。善一郎がお世話になっています。今日梅田で買い物したついでに、学校を見たいと、案内させているんです。」
と、取り繕いの挨拶をした。N主事は逆に恐縮して
「そうでしたか、失礼なことを申し上げました。教室の見学ならごゆっくり。」
と、そそくさと出て行った。私達はお互いを見て、笑いをこらえるのに必死で、しばらくして声を上げて笑った。
「ここで一年頑張ったら、大学受かるん?」
と、つぶやくように言ってから
「せやけど、親類に感謝せなあかんよ。町内には、高校にも生かしてもらえへん子もいるのに、君は浪人までして。卑屈になったら行かんけど、感謝せなあかんよ。」
と続けた。
そうこうしていると突然何人かが教室に入ってきたので、時計を見るともう5時前で
「夕方の高校生のクラスもうすぐや。そろそろ教室出なあかん!」
と促した。
「一年頑張ったら、本当に大学受かるん?」
というその人に
「うん絶対!」
と返事をしら、
「善一郎君は、ほんまに楽天的やねー。でも期待してるから。」
といいながら、その人は腰を上げた。
私達は、四つ橋線の肥後橋駅から地下鉄に乗り、なんば元町で降りた。
階段を上がると、そのあたりはラブホテル街で、日頃S君やG君と通っていたら気にもならないのに筈なのに、急に意識してしまった。
その人は
「あらこんなところ毎日通ってるの。」
といい、急に私の腕にすがるようにして
「善一郎君!入ってみようか?」
と、耳元でつぶやいた。私は緊張して、体を固くしていた。
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2020年03月14日

思い出話 50

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翌週の土曜日11日も、私達は中の島公園で待ち合わせた。
梅雨の走りか、どんよりと曇って蒸し暑ささえ感じる午後であった。
「今日は北に行こう。梅田、知ってるよねぇ。」
というその人に、私は
「石橋の阪大病院に通院してたから。」
と答えると
「そうそう、急行電車に一緒に乗ったよね。」
と、しみじみ思いだしている風な感じであった。
そして私達は、御堂筋を梅田を目指して歩いた。
ただ私は石橋の阪大病院に通院していたといっても、通常は梅田を素通りして石橋まで通っていただけだから、梅田界隈で知っているといえば、梅田再開発前の旭屋書店くらいであった。確か一度同じ眼科に、岸和田から通院していた女の人と帰りが一緒になり、阪神百貨店で昼食を食べたこともあったが、梅田に関しては、地理不案内であることは間違いなかった。
その人は
「阪急か阪神百貨店で買い物して、映画でも見ようか?その前にお昼ごはん。」
といって、またまた御馳走してくれたのは間違いないのだが、その時のことは全く記憶から抜け落ちてしまっている。
ただそのあとの買い物は、私は後ろについて回っているだけで
「これ似合う?」
と尋ねられても、ついつい生返事ばかりでその人に
「恋人が真剣に尋ねているんだから、もっとまじめに答えなさい!」
にらまれてしまった。
買い物を終わってから
「こういうときも、しっかり対応できないんなら、恋愛する資格はないのよ。善一郎君は、まだまだいろんな機会があるから、いっぱい女に人とも知り合えて、恋愛もたくさんするんだから。」
といわれたとき
「僕の恋人はMさんだけです!」
と答えると、一瞬真顔になっ
「名前呼んでくれたの二度目かな?嬉しいこと言ってくれるけど、善一郎君にはもっとチャンスがあるんだから。」
と続けて、そのが私達はしばらく見つめあった。
やがてその人は
「映画はやめて、善一郎君の予備校見てみたいな。どんなところで勉強しているのかなぁ。校舎に入れるの?」
といったので
「予備校の職員に出会ったら、姉ですとか言って言い訳するから、大丈夫やと思うよ。」
と返した。
そして私達は、旭屋の前を通って地下鉄の肥後橋に向かった。
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2020年03月13日

思い出話 49

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プラネタリウムは最上階にあったのは間違いない。
何階建てだったのかは、もはや記憶の彼方だが、電気を利用した実験が他の階にはあれこれ展示してあった。静電気、電磁石、プラズマボール、高電圧放電の実験が楽しめるのである。土曜日の午後なのに比較的すいていて、順番待ちもほとんどなく、検電器の実験やプラズマボールは、その人は面白がってくれた。私は私の知っている範囲で説明したが、プラズマボールの時は
「実はものすごく小さい電気が流れてるんや!」
という説明に
「なんで感電しないの?」
と、不思議そうに何度も問い返していた。いまの時代なら
「iPadのタッチパネルと同じやでぇ!」
といえば、判ってもらえたかもしれない。確かテレビ電話みたいなのもあって、離れて顔を見ながら話しもした。プラネタリウムは最終の上演に滑り込んだ。やはりあまり混んでいなくて、真ん中近くの一番良い席に二人並んで座った。例によって、
「5月4日の大阪の夜空をお楽しみください。」
のアナウンスとともに暗くなり、この前のように彼女から手をつないできた。気が付くと彼女の頭が私の方に乗っかってきたので、心臓がバクバクといった具合で閉口した。ただそのうちにその緊張も収まって、ようやく星空を楽しむことができた。
上演が終わって時計を見ると、五時を過ぎてはいたが外はまだ十分明るかった。
「来週もデートできるかな?」
というその人に、
「僕お金余裕ないでぇ。無駄遣いさせて悪いけど。」
と返すと、
「浪人生は、気を使わなくていいのよ。それに善一郎君とのデートは無駄遣いじゃないから。」
と言って、きっと私をにらんで、
「11日土曜日に、同じ時刻、同じ場所、何か考えておくから。」
と、嬉しそうに続けた。
そして私達は、南海の難波駅を目指して歩いた。
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