中学校でのいじめ、その様子を写した画像がSNSで拡散したというニュースを聞いた。文部科学省が都道府県の教育委員会に調査を指示したとも伝えられている。
だが正直なところ、「またか」という感想を抱いた人は少なくないだろう。中学校のいじめ問題は、何十年も前から語られ続けているにもかかわらず、いまだに収束の気配すら見えない。
明日には七十七歳(喜寿)を迎えるこの爺の中学生時代にも、いじめっ子は確実に存在した。ただし、懐古趣味を差し引いても、当時のいじめは今日のそれとは質が違っていたように思う。少なくとも、集団で弱者を追い詰め、その様子を「記録」し「拡散」して楽しむほどの陰湿さはなかった。
この爺が気になっているのは、現在のいじめのあり方が、いつから、どのように形作られてきたのかという点である。その一因として、1980年代のテレビ番組の影響を挙げるのは、あながち的外れではあるまい。1970年代、高視聴率を誇る番組に対抗する形で、同時間帯に別のバラエティー番組が1980年代になって登場した。そこでは「弱い者を笑いものにする」こと自体が娯楽として成立していた。罰ゲームと称して熱い湯や氷水に落とす――それを「笑い」として消費する構図である。
私はその番組を一、二度見ただけで、強い嫌悪感を覚えた。人が辱められる様子を、笑って楽しむ神経が理解できなかったからだ。つまり「いじめ」が、明確に娯楽として商品化された瞬間を、私はあの時代に見た気がしている。
もちろん、今日のいじめ問題の原因を、テレビ番組一つに押しつけるのは乱暴であろう。しかし、「いじめを見て笑う」「いじめを共有して楽しむ」という感覚が、社会のどこかで正当化された影響を、完全に否定することもできないはずだ。
いじめ風景がSNSで拡散される現代の状況は、単なる技術の進歩の結果ではない。人を貶める行為を、面白がり、記録し、他者と共有することに躊躇しなくなった社会の延長線上にある――そう考える方が、むしろ自然ではないだろうか?
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