2025年11月05日

勝てば官軍か?

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昨日の内容を標準語にしてみた。新趣向のつもりである。

大阪で一昨日、今年の木枯らし一号が吹いたそうだ。
話し変わって、太平洋戦争前は、帝国陸軍の影響もあったのだろうが、アメリカやイギリスに対しては、ある意味負けてたまるかの気概が、多くの日本人にあったのだろう。何せ「鬼畜米英!」とさげすんで、はばからなかったほどだから。さすがに私はそのように考えたことはないが、それでもアングロサクソンには負けてたまるかの気持ちは持っている。
古い話になるが、それにこの話題は、既に一度や二度はこのブログにあげているものと記憶している。それは日本国内でプロ野球の、人気が出始めた頃のこと。読売巨人軍が春のキャンプをフロリダで、大リーグの球団とやったことがあり、広岡さんが一番のりでグランドに入って練習していたら
「お前ら敗戦国だろう。なぜアメリカ人より先にグランドに入るのだ!」
と叱責されたというのである。
1960年代のことだろうから、太平用戦争の終戦から20年ほど。まだ依然として戦勝国・敗戦国の意識が強く残っていたのだろうが、それがアメリカ人の根底に流れている優越感なのだろうとも、私は理解してきた。
実際親しいアメリカ人の友人と、戦争の話しでもしようものなら、いまだに”Remember Perl Harbor”の意識の見えかくれすることが少なくない。
「核兵器を、広島、長崎に投下したから、戦争が早く終わって多くの日本人の命が助かった!」
と、居直ってはばからない知識人も少なからずいる。
東京、名古屋、大阪の大空襲も、当然と理解しているから、いやはや話にならない。確かに真珠湾不意打ちは、卑怯かもしれないが、でも攻撃したのは軍事施設で、民間人を殺戮したわけでは決してない。この道理を理解しようとしないのは、いかがなものなのだろう。
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2025年11月04日

戦勝国が偉いんか?

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大阪では一昨日、今年の木枯らし一号が吹いたらしいわ。
季節はもう、確実に冬に向かっとるなぁ。
シンガポールはそれでも真夏やけどなぁ。
話はガラッと変わるけどな、太平洋戦争の前は、帝国陸軍の影響もあったんやろけど、「アメリカやイギリスには負けてたまるか」いう気概が、日本人の多くにあったんやと思うわ。何せ「鬼畜米英!」やなんて、平気で口にしとったくらいやからな。
まぁ、わて自身はそんな風に考えたことはあらへんけど、それでもどっか心の奥には、「アングロサクソンには負けてたまるか」いう意地みたいなもんが、今でも残っとる気ぃがする。
ちょっと昔の話になるけど、これも前にこのブログで触れたことがある思うねん。
プロ野球が国内で人気出だした頃、読売巨人軍が春のキャンプをフロリダでやってな。大リーグのチームと合同で練習したことがあったらしい。
そのとき広岡さんが一番乗りでグラウンドに入ったら、アメリカ側の選手が
「お前ら敗戦国やろ。なんでアメリカ人より先にグラウンド入るんや!」
て、怒鳴ったっちゅう話や。1960年代のことやから、戦争終わってまだ二十年ちょっと。戦勝国・敗戦国の意識が、まだ骨の髄まで残っとったんやろな。
わてはそれを聞いて、「あぁ、これがアメリカ人の根っこにある優越感いうやつか」と思たもんや。
実際、アメリカの友人と戦争の話しようもんなら、いまだに “Remember Pearl Harbor.” いう言葉が、冗談まじりにでも出てくることあるで。
さらに困ったことにやな、「原爆を落としたおかげで戦争が早う終わって、多くの日本人の命が救われた」なんて、居直って言う知識人までおるんや。東京も名古屋も大阪も焼け野原になったいうのに、それでも「当然の報いや」言うんやから、話にならへん。
確かに真珠湾攻撃は、不意打ちやったかもしれん。けど攻撃したんは軍事施設であって、民間人を無差別に殺したわけやあらへん。その理屈を理解しようとせんのは、いかにも片ちんばやと思うで。
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2025年11月03日

忖度か八百長か

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わて昔、競争的資金の審査っちゅうもんをやったことあるんや。
まぁ国立大学の教授で、まともに研究と教育をやっとったら、定年前の十年くらいには、だいたいそういう仕事が回ってくるもんや。いわゆるピアレビューっちゅうやつやな。
そのときわてに仰せつかったんは、二次審査委員会の副委員長いう役目で、一次審査、つまり書類審査の結果を受けて、「採る・採らん」を最終的に決める面接審査をやる、ちゅうのが使命やった。
正確な数はもう覚えてへんけど、応募が二百件を超えてて、一次で四十件ほどを通して、最終的に二十件前後まで絞り込む、っちゅう段取りやった。
一次審査では五人の委員が、それぞれ独立に評価して四段階でランクつけする。ほんでその結果を合計して、順位づけした一覧が二次審査委員会に回ってくる。せやから機械的に上位四十件を対象に面接すりゃええ話なんやけどな。
そしたら委員長が言いはったんや。
「じゃあ、上位四十名に限って面接すればいいですね?」
そしたら、ある委員がすかさず動議を出してきよった。
「五十位に○○大学の◇◇先生の申請があります。この先生はこの分野の大御所ですし、今回は少し多めに面接してもよろしいのでは。ぜひ直接お話を伺ってみたいです。」
要するに、大御所の先生を一次審査落ちのままにはせんとこう、ちゅう話や。
誰も反論せぇへん。むしろ当然みたいな顔で、「ほな今年はちょっと多めに面接しましょか」っちゅうことになった。
──これこそまさに忖度やろ。
ほんで、もうひとつ続きがあるんや。
ひと月ほどたった面接審査当日。
委員長がいきなり言いはった。
「面接審査は、通常は一次審査の点に面接点を加算して順位を決めますが、今回は今日の発表内容だけで順位付けを行います。」
──おいおい、それ言うたら大御所持ってきた意味そのままやないか。
面接点なんぞ忖度の極みや。こうなったら採択間違いなしっちゅう筋書きや。
案の定、その大御所の申請は無事採択されたわ。言うまでもない話やけどな。
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2025年11月02日

里心

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霜月二日。2015年も余すところ二か月である。
西東京市に住んでいるユウさんが、富士山の夕暮れの写真を送って来てくれた。
さすがに霜月、頂上付近は雪で白い。
初冠雪のニュースは一週間ほど前にきいた気がする。
以来頂上付近の雪は溶けていないのだろう。
早速シンガポール人の友人に転送してあげたら
「Beautiful!」
と、返ってきた。
富士の頂上雪景色なんて、べたな気もするが、それでも私自身もなぜかホッとする。
富士山の夕暮れの写真で感傷に浸っていたら、ほどなく生まれ故郷の隣人が、我が家の裏の畑の夕暮れの写真を送って来てくれた。ますます里心が増しそうである。
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2025年11月01日

官房機密費を考える 1

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もう数年前のことになるが、官房機密費(内閣官房報償費)の使途を公開しないのは不当であると、政治資金オンブズマンが訴えたことがある。確かに過去には上前をはねて着服していたけしからん官僚もいたし、さらに私は多くの場合現政権に批判的で、どちらかいうと左翼に近い考え方をする方だが、官房機密費に関しては、異なる考え方を持っている。そもそも国対国の関係で、高度な政治的判断の必要なこともあろうし、重箱の隅をつつくように上げ足ばかりを取っていたのでは、国益という観点でマイナスになることがあるのではなかろうか?だからかかる意味でも,こういった機密情報、一律30年で公表するといったような制度化が欲しいと考えたりするのである。
ちょっと古い話になるけれど、「特定機密保護法」が取り沙汰されていた頃、私は何度か米国の様に一律30年開示を主張した記憶がある。言い換えればどんな国でも、国益という観点から、実時間で公開できない情報があって当然。逆にそんな秘密もないような国なら、それこそ薄っぺらで面白くなかろう。
司馬遼太郎の坂の上の雲に出てくる、明石元次郎どこまで司馬遼太郎さんの創作かは知らないけれど、小説の上では日露戦争に側面から以上の貢献をしている。明治の事ゆえそのための資金の出どころの呼び名は異なるとしても,今でいう官房機密費に当たるものだったのだろう。何せ現在の金額にして十億円以上をかけて,帝政ロシアの秘密を探り,革命の火種をまき散らしたというではないか。このように申し上げても私は決して軍国主義者では,決してない。
官房機密費を白日の下に晒せ何ぞという要求は,
「大人が酒を飲むから,子供も飲む!子供に禁止を命ずるなら,大人もやめよ。」
といった要求に等しいというと,皮肉に過ぎるだろうか?
(この稿続く)
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2025年10月31日

平和賞推薦!

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「高市総理が、西洋花札大統領をノーベル平和賞に推薦する」ちゅうて明言したと、オヤクニン様から発表があった。わいは、「いやぁそこまでやるか!」と、日本人として悲しゅうなるなぁ。あの大統領は、どう考えても平和賞にはふさわしうないで。それにしても、そんな御仁を一国の総理が推薦して、そんで支持率が上がるんやから不思議な国やで、日本ちゅう国は。数日前「鬼畜米英いうてたなぁ」ちゅうブログあげたけど、いつから日本人はアメリカ人を好きになったんやろ。これまでに何回も言うてきたように、わいには個人的にはめっちゃんこ親しいアメリカ人おるけど、あいつら国対国となるとすっかり態度は変わるで。西洋花札大統領、利用価値があるから「日本びいき」を演じてはるんや。せやからうちの総理も、演じ返したらええんや。せやから「平和賞推薦」は、まぁノーベル賞の委員会もその推薦だけでは選べへんと思うけど、良識あるんやったら、一国の総理がしたらあかんやろう。ゴルフクラブのプレゼントでええんちゃうか!

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2025年10月30日

大学院博士課程 3

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多くの教授は、「背に腹は代えられぬ」との言い訳のもと、安易にポスドク費用の獲得に走っている。結果として、可愛いはずの弟子を日雇いの知的労働者として抱える羽目になる。少なくとも私は、ポスドクという“農奴”的で理不尽な制度を肯定する気にはなれない。
だが現実には、多くのポスドクが「これで大学教授への道が担保された」と安堵しているように見える。皮肉な言い方をすれば、自らの博士号がいかに薄っぺらであるかを、暗に認めているのかもしれない。早い話、指導する教授にも、指導されてきた博士にも、双方に問題があるというのが、私の立場である。
私は自分の指導法が常に正しかったとは思わない。理想論で解決できる問題でないことも承知している。それでも私は、「働き方改革」の時代にあって、セブンイレブン教授を自認してきた。朝一番に研究室に入り、学生の机の上を見て回り、何を考え、何につまずいているのかを“スパイ活動”のように観察してきた。その甲斐あって二十余名の博士を送り出し、誰一人として就職に困ることはなかった。
この稿を終えるにあたって、改めて思う。私が大学教授として目指したのは、「学問を残すこと」、そして「学派を生み出すこと」であった。そういう立場を意識しながら研究室を運営してきたし、博士課程の学生はもちろん、修士や学部の学生とも向き合ってきた。理想と現実の距離は確かに大きかったかもしれない。だが、それでも博士課程を「お荷物扱い」にさせない唯一の道が、そこにあったと信じている。
最後に私の運の良かったのは、四年生で研究室配属されたとき、直接に指導して下さった当時の博士課程学生だった先輩達が
「善さん、博士課程まで進学する気なら、論文を三篇書くことは当然だが、研究分野の良い教科書を、博士課程在学中に少なくとも三冊は読破すること。それも原書で。それが君の厚みを増すし、それだけの時間は十分あるから。」
と背中を押してくれたことでなかったろうかと、この歳76歳になって思い出している。
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2025年10月29日

大学院博士課程 2

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「博士課程学生」を、いわば「便利な知的労働力」として使っている−−私はそんな場面を少なからず目の当たりにしてきた。実験系なら数日間に及ぶ徹夜観測、理論系ならプログラム開発にかかりきりの学生たち。そうした努力の末、彼らの多くは実験結果や数値解析をまとめ、学術論文を三篇仕上げて、めでたく博士号を得ることになる。査読付き論文三篇というのは、確かに世界標準に近い基準ではある。だがそれはあくまでも必要条件に過ぎない。
一般の方から見れば「三年で三篇で博士様?」という疑問もわくかもしれないが、むしろ肝心なのは、その三年間のあいだに「University(総合大学)」の名に恥じないだけの知識と教養を身につけることにある。これこそ博士課程教育の本質であろう。
もっとも、教授ともなれば研究室運営に加え、大学や学会の運営、競争的資金の獲得など、多忙を極めるのも事実である。だから「博士課程の学生は、自分で育ってもらわねば……」という言い訳がましい理屈がまかり通ることもある。
しかし、もしそう言うのなら、学生が自ら育つための時間を奪うような指導法は断固として避けるべきだ。
一方の博士課程学生もまた、修了までに「博士」の称号に恥じない見識と品格を備える努力を怠ってはならない。実験さえ終わればよい、計算結果さえ出ればよい−−そうした安直な姿勢を慎み、自立した研究者としての矜持を育むこと。
それこそが博士課程教育の根幹であり、教員と学生の双方に課せられた責務だと、私は考えている。逆にこういう理想と程遠い現状であるから、多くの企業が「博士」の雇用を好まないし、大学のポストも「博士」には得難いのだろう。加えて国も極めて安直に「ポスドク」とかいう制度を認めて、「知的労働者?(本当に知的かどうかはともかく)」の確保を担保しているのである。
(この稿続く)
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2025年10月28日

大学院博士課程

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先月の一時帰国の折、日経新聞に目を通していて、思わず手を止めた記事があった。
日本の博士課程のあり方を論じた内容である。
私は現役教授時代、長く研究室運営に関わってきただけに、他人事ではない。
しばらく記事を手元に置いて考えていたが、今日から数回にわたって、この問題を取り上げてみたいと思う。
記事の趣旨はこうだった。
「博士の学位を得ても就職が思うようにいかない。そのため国内の進学希望者は減少傾向にある。一方で大学にとって博士課程学生は研究を進めるうえで不可欠な人材であり、近年ではその半数以上が外国人である。しかも博士課程学生には総額一千万円近い支援が与えられるため、結果的に外国人学生に高額な支援を行っていることになる。」
なるほど、数字の上では筋が通っている。
だが、私は読んでいていくつもの“ひっかかり”を覚えた。
まず「研究を進めるうえで必要な人材」という表現である。
確かに博士課程の学生は、研究室を動かすうえで欠かせないピースではある。
しかし同時に、彼らは「教育される側」でもある。
だから私はあえて問いたい。
「大学の先生方、この点を忘れてはいませんか?」
博士課程に進んだ学生たちは、まだ“完成品”ではない。
時に教員をたじろがせるほどの理解力や議論力を見せることはあるが、それでも成長途上にある。
にもかかわらず、教員が彼らを“便利な労働力”として扱ってはいないだろうか。
「学位を授けてやるのだから、滅私奉公せよ」
そんな無意識の前提が、どこかに巣食ってはいないか。
博士課程は、単なる労働力の供給源ではない。
むしろ、研究者としての人格が形づくられる“揺りかご”である。
その本質を取り違えたままでは、どれだけ制度を改良しても本当の再生にはつながらない。
――次回、「教育と労働の境界線」についてもう少し踏み込んでみたい。
(この稿つづく)

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2025年10月27日

失われた40年

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故・安倍首相の“教え子”やと言われて、どうして支持率が上がるんやろな。
わが同胞は、ほんまにお人よしやで。
確かに岩盤保守層が高く評価する気持ちはわからんでもないけど、そもそも今の日本の停滞を招いたんは、安倍さんの「トリクルダウン」政策ちゃうんか。
わいはそう理解してるで。
低金利政策も同じや。結果的に円安を助長して、国民の生活を苦しめた。
「長いこと首相をやってた=ええ政治家」とは限らへんのにな。
ほんでや、「安倍政治の継承」ちゅうて二、三の新聞が持ち上げとるけど、
それってつまり「失われた30年」を「失われた40年」に延長します、いう宣言みたいなもんやないかいな。
もちろん、今の日本のていたらくは政権だけの責任やない。
産業界にも、そこに人材を送り出してきた学界にも責任がある。
つまり、日本全体の責任や。
せやけど、その日本を引っ張るはずの指導者があんなんでは、どうにもならん。
なんちゅうても、「教育勅語はええもんや」と信じてはる高市センセイやもんな。
戦前回帰を夢見とるんか、それとも岩盤保守層の歓心を買いたいんか。
どっちにしても、わいは気に入らんで、こんな指導者は。

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