2025年10月26日

Universityを考える

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「副専攻を選択して、より広い視野を──」
細部の文言は記憶が定かではないが、概ねその様な趣旨の動きが大学にある。
もっとも「副専攻」という言葉は、大学関係者以外にはやや耳慣れないかもしれない。大学では、専門的な教育単位を「学科」あるいは「専攻」と呼ぶ。小中学校における「学級」に近い概念である。「副専攻を選択して」とは、学生が自らの専門分野に加え、もう一つ別の分野を学ぶことを奨励するものであり、専門分化が進みすぎた大学教育の反省に基づく施策と理解できる。
いわゆる「失われた20年」「30年」を経てなお、経済活動の停滞感がぬぐえない日本において、「学際的(multidisciplinary)な教育こそが閉塞打破の鍵である」との理念が、文部科学省主導で唱えられたのか、あるいは大学側の自己改革の発想から生まれたのかは定かでない。いずれにせよ、こうした副専攻制度や複合領域プログラムは、近年多くの大学で導入されており、時代の要請に応じた「画期的」な取り組みとして受け止められているようである。
しかしながら、私にはどうにも違和感が拭えない。
そもそも University の理念は、その語源である Universe が示すように、広い視野に立脚した教育と研究を包含することにあったはずである。であるにもかかわらず、「副専攻を設けて広い視野を養おう」と呼びかけること自体、すでにその理念が機能していないことの自己告白ではないか。言い換えれば、大学が自らの「大学たる所以」を放棄し、専門学校化、さらには職業訓練機関化の方向に傾斜している現状の表れとも言えよう。
無論、教育を理念論のみで論じるつもりはない。
実社会との接続や技術的即応力の涵養もまた、現代大学の責務であることは否定できない。しかし戦後幾度となく繰り返されてきた「教育改革」と称するものの多くは、結果として、大学を本来の意味での University から遠ざけてしまったのではないか。そう考えざるを得ない。
「副専攻を通じて広い視野を」と学生に促しながら、一方で「社会に即戦力を」と迫る。
この二つの相反する命題のはざまで揺れ動き、理念と実利の狭間で漂流している──。それが、現在の日本の大学の姿ではないだろうか。
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2025年10月25日

鬼畜米英いうてたなぁ 2

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昨日の話題を続けるで。
何も日本ちゅう国が、中国、ロシア、北朝鮮みたいに、共産主義国家になった方がええなんていうつもりは全くない。実際共産主義国家は、人間の本性考えたら経済的には破綻してまう事を、歴史が証明したもんな。それにこれらの国は、共産主義体制ちゅいながら、専制主義国家になってるもんな。
岩盤保守のセンセイ方、共産主義国家が攻めて来んように、アメリカの核の傘が大切やちゅうて、「強固な日米同盟」を守れちゅいはるんやろ。せやけどな、核の傘なんて抑止力には絶対ならへんし、ひとたびどっかの国が核兵器使ったら、もう人類滅亡に近うなることは、ほぼほぼ確実やろ。せやから時間かけながらでもええよって、核兵器を廃絶していくようにせなあかへんね。早い話「強固な日米同盟」は形だけでええねん。
それにや昨日も言うたように、中国が日本に攻め込んで来たからちゅうて、アメリカちゅう国家が、盾になってくれるとは思えへんで。共産守護の嫌いな、わいも好きやないけど、アメリカが沖縄に軍おいて眼ぇ光らせてるんや。以前はやった言葉でいうと沖縄はアメリカ合衆国にとっての「不沈空母」や。せやのに西洋花札大統領は、「駐留の費用をもっと出せ!」ちゅうて、日本から金むしり取りはんね。わいにしてみたら「海兵隊が沖縄に居るんやったら、家賃出せ!」ちゅうてやりたいで、ほんまに。日米地位協定も、急ぎ見直しやで!
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2025年10月24日

鬼畜米英いうてたなぁ

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わいは戦後生まれやから、太平洋戦争そのものは知らへん。
せやけど、あの戦争の名残みたいなもんは、よう憶えとる。
おかんの従兄に、大陸へ徴兵されとったおっちゃんがおってな。
その人が「鬼畜米英!」やら「ちゃんころ!」やら言うてたのを、子どもの頃よう聞いたもんや。
中学・高校で日本史や世界史を習ううちに、
「あぁ、戦前の軍国教育であんな言葉が口をついて出たんやなぁ」
と理解できるようになったけどな。
そやけど驚いたんは、そのおっちゃん、早稲田大学文学部出身やったっちゅうことや。
学のある人でも、時代の空気には逆らえんかったんやなと思た。
ほんで今日は、その「鬼畜米英」の話や。
いまの岩盤保守層の指導的立場におるセンセイ方の中には、
戦争の記憶がまだ鮮明に残っとる人もおるやろ。
そんな人らが「強固な日米同盟」なんて、ようしゃあしゃあと言えるもんやと、わいは感心してまうわ。
「中国が攻めてきたら、アメリカが守ってくれる」
──ほんまにそう信じとるんやろか。
わいにもアメリカ人の友人は少なくないし、個人的には仲ようやっとる。
けどな、国と国の話になったら、あいつらめっちゃんこシビアやで。
「シンゾウの路線を継ぐ高市女史は、強い女性だ!」
なんてリップサービスも欠かさへん西洋花札大統領もおるけど、
わいはあんなもん、信用してへん。
まぁ、わいが信用しようがしまいが、
来週の首脳会談でもまたシャンシャンと終わって、
日本はどっさりお金を出さされるんやろけどなぁ……。
わいら日本人は、あのあほみたいな戦争引き起こして何学んできたんやろうかな?
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2025年10月23日

雷放電について

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夏の風物詩である雷は、古来より畏怖と信仰の対象でもあった。「風神雷神」の名画に象徴されるように、その姿は人々の心に強く刻まれてきた。江戸時代に描かれた尾形光琳や俵屋宗達の傑作を、実際にご覧になった方も少なくないだろう。
雷が自然科学の研究対象となったのは、18世紀半ば、欧米で盛んに行われた実験の時代である。中でも有名なのが、ベンジャミン・フランクリンによる「雷雲下での凧揚げ実験」である。彼はこの実験を通じて、
「雷放電は雲の中における電気的な現象である」
ことを初めて実証した。さらに、雷の危険を防ぐ手段として避雷針を考案し、その実用性を世に広めたことで、今日に至るまでその名が記憶されている。
余談ながら、我が国にも19世紀初頭にフランクリンと同様の実験を行った学者がいたことをご存じだろうか。中環(なか・たまき)という人物である。鎖国の只中にあって、わずか半世紀の遅れでこのような実験が行われたことは驚嘆に値する。当時唯一の交易国であったオランダを通じて、蘭学の知識として伝わったと考えられる。
さて、雷放電が再び科学の焦点となるのは、1930年代のことである。技術の進歩により光学観測が可能となり、アメリカや南アフリカの科学者たちは「ボイズカメラ」を用いて雷の進展速度を測定するようになった。
さらに1970年代には、雷放電が放射するラジオ周波数の電磁波を利用した研究が始まり、いわゆる「落雷位置標定装置」が実用化された。この装置は、雷撃位置をほぼリアルタイムで地図上に表示できるもので、アメリカで実用化された後、日本でも電力会社を中心に導入され、今日では全国ネットワークが構築されている。
雷放電とひとことで言っても、その実態は「対地放電(落雷)」「雲放電」の二種類に大別される。前者は雲内の電荷が大地に向かって放電する現象であり、後者は雲内で完結する放電である。いずれも光と音を伴うが、先述の光学観測や標定装置が対象とするのは主として対地放電である。
科学者の探究心はそこにとどまらず、
「では、雲の中では何が起きているのか?」
という新たな問いを生んだ。
この疑問に答えるべく、関連の研究者たちはテレビ周波数帯(VHF/UHF)の電磁波に注目した。1980年代後半以降、日米欧で進められたこの研究では、雷放電の進展先端から放射される電磁波を観測することにより、「雷の走る様子(放電路)」を可視化できるようになった。特に、光学的には見通せない雷雲内部の様相までも鮮明に描き出すことが可能となった点が画期的である。
中でも「VHF波帯広帯域干渉計」と呼ばれる装置は、大阪大学において発案されたものであり、現在では世界各国の研究者が利用してくれている。
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posted by zen at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷の研究

2025年10月22日

越冬する蝶

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もう何年も前のことになるだろうか。
一月だというのに珍しく暖かい日があり、その日、庭先を一匹の蝶がひらひらと舞うのを見た。「暖かいから間違って出てきたのかねぇ。すぐ寒くなるのに、かわいそうやなぁ。」
我々の感覚――いや、常識というものでは、蝶は春から夏にかけての昆虫である。
だから私も、あの日の陽気にだまされて、さなぎから早まって出てきたのだろうと、素直に思い込んでいた。その後は季節らしく寒い日が続き、蝶のことなどすっかり忘れてしまった。
ところがあるテレビのニュースだったと思うが、「越冬する蝶」という話題を取り上げていた。
東京都内で、数百匹単位で越冬しているというのである。
彼らは寒さを避け、常緑樹の枝や葉にしがみつき、暖かい日には少しでも居心地の良い場所を求めて飛ぶこともあるらしい。
ただ気温の低い日が続くと体力が落ち、もし地面に落ちようものなら、二度と木々の上には戻れず、そのまま命を落とすという。
逆にいえば、そうした試練を生き抜いた者だけが、次の世代を残せるという、厳しくも確かな自然の摂理なのだ。
恥ずかしながら、私は蝶が成虫のまま越冬するとはまったく知らなかった。
そういえば、これもNHKの「ダーウィンが来た」だったと思うが、春から夏にかけて中米から北米五大湖付近まで渡る蝶の話を見たことを思い出した。
夏の終わりから秋にかけて南に移動し、冬を中米で過ごすという内容だった。
そのとき、一本の木に無数の蝶が群がってじっとしている映像を見て、なるほどと思ったのを覚えている。
あの時どうして「越冬」と結びつけて考えなかったのだろう。
今になって、自分の迂闊さというか、注意力の足りなさに苦笑している次第である。
御常連の皆さまは、蝶が越冬するという話、ご存じでしたか?
ちなみに最初に紹介したニュースによると、地球温暖化の影響かもしれないが、東京で越冬する蝶の数は年々増えているとのことだった。
最後にもうひとつ、蝶には成虫で越冬する種、暖かい地域へ飛んでいって(日本の場合、台湾や琉球)冬を越す渡り種、さなぎで越冬する種、卵で春を待つ種とあるらしい。
ファーブルもびっくりしてるだろうなぁ。あの人暖かい国の蝶しか知らんかったらしいので。
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posted by zen at 13:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 科学一般

女性宰相

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今日はな、誰がどう考えてもこの話題しかあらへんやろ。
なんせ、日本の憲政史上で初めての女性総理大臣やもんな。
まぁ高市センセイ、だいぶ右寄りやし、わいの好みとはちゃうけどな。
それでも「女性初」ちゅうのは、日本人としてやっぱり喜ばなあかんと思うわ。
けど日本の場合、7世紀にはすでに推古天皇ちゅう女性の天皇がおったんや。
1400年も前に女性が国を治めとったっちゅうんは、ほんま驚きやで。
もっと言うたら、3世紀には卑弥呼いう女性支配者もおったわけやしな。そう考えたら、「日本は女性の社会進出が遅れとる」っちゅうのは、
ちょっと悪う言いすぎやないかと思うでぇ。
イギリスのエリザベス女王より、1000年も前に女性のリーダーがいたわけやからな。
減らず口はさておいて、ほんでや――問題はこの高市総理や。
わいはこの人、あんまし応援したない。
なんでか言うたら、歴史修正主義のにおいが強すぎるからや。
まぁ岩盤保守の大センセイらの支持を集めるには、
そう振る舞わなあかん事情もあったんかもしれん。
けどもし本気で「太平洋戦争は侵略戦争やなかった」思てはるんなら、
そらもう怖い話やで。
まさか総理大臣の指導で戦争に突っ込むことはあらへんやろけど、
歴史修正主義が堂々とまかり通る世の中になったら、
10年、20年も経たんうちに、また同じ道をたどるかもしれん。
まぁわいとしては、そんな心配が取り越し苦労で終わってくれることを、
ただただ祈るだけや。

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posted by zen at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 時の話題

2025年10月21日

喜寿の祝い

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昨日は親友のユーさんの誕生日。
同い年やから、つまり「喜寿」や。
「おめでとう」のメッセージ送ったろうと思てた矢先に、LINE電話が鳴った。
「今日、俺の誕生日。喜寿や!」
開口一番、向こうから言うてきよった。
ほんま、長い付き合いや。半世紀をとうに超えて、もう七十年近い付き合いやで。
途中、二十歳から四十歳ごろまでは音信不通気味やったけど、お互い生活基盤を築く時期やったから、そらしゃあないわな。
せやけど、お互いに落ち着いた頃に東京駅でほんまにバッタリ再会してな。
ユーさんは東京勤め、わいは月に二、三回の出張で東京へ。
そこからは、よう顔合わせるようになった。
ほんま「縁」っちゅうもんは不思議なもんやな。
気がつきゃ、わいもあと三か月で喜寿や。
あの頃のわしらが、もうそんな歳かと思うと笑けてくるけど、まだまだ元気でいたいもんや。
それにしても、LINE電話はありがたいなぁ。
国際電話でも無料で話せる。おかげでユーさんとは、最近ようしゃべる。
たわいもない話もあれば、昔の仕事の話、今の体調のことも。
なんやかんや言うても、やっぱり“声が聞こえる”ちゅうのは、ええもんやな。
ついでにいうとちゅうわけやないけど、一昨日話題にあげたシンゴ君からメッセージも届いとる。今日はなんや心がほんわかやな。
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posted by zen at 00:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 雷人独白

2025年10月20日

暴論やけど

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ひさしぶりに、ちょっと暴論めいた話でもしてみよか。
茶髪とか眉そりしてた受験生を不合格にした校長さんが、更迭されたっちゅうニュースがあった。
合格点取っとったのに不合格にされた子には、そら気の毒やと思う。見てくれだけで合否決めるなんて、そら理不尽やわ。
ほやけどな、わて個人的には茶髪、あんまり好きやない。
鼻が丸くて目ぇギョロッとした日本人には、どうも似合わん気ぃすんねん。
若いもんに「なんで茶髪にすんの?」て聞いたら、「個性です」「自己主張です」言うけどな、よう見たら茶髪ばっかり群れとる。
そない個性的でも自己主張でもないやんけ、と思てまう。
せやから高校が「茶髪・眉そり禁止」言うても、わてはある意味納得やねん。
高校生ゆうても、まだ親に頼っとる身やし、判断力もまだまだや。
なんでもかんでも「自由にしたらええ」っちゅうのは、ちゃう思うんや。
そら言うたら今の子らに、「子供の権利を無視する気か!」て言われそうやけどな。
もしその場に居合わせたら、わてはこう言うやろ。
「これは教育の一環や。教育される側から見たら、時に理不尽に思えるもんや。教育っちゅうのは、そもそも理不尽なもんなんや!」
この話してると、今はもう四十路越えた娘が高校生やった頃、よう口喧嘩したの思い出すわ。
あの頃の娘は「子供の権利」ばっかり主張してな。
わては言うた。「親にも育てる義務があるんやぞ」って。
教育する側が義務を忘れたら、若いもんはどんどん野放図になってまう。
せやからこそ、あえてこの“暴論”を書かしてもろたんや。
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posted by zen at 10:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の主張

2025年10月19日

お帰り寅さん

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高校3年のとき、同級生にシンゴ君という友人がおった。
ほんまに親しゅうなったのは、卒業してお互い浪人してからや。
シンゴ君は大阪のミナミ、阿倍野の予備校。
わいは北の土佐堀の予備校。
場所は違うけど、帰りの南海電車でよう会うたもんや。
ある意味、それが縁ちゅうもんなんやろうな。
シンゴ君の家は南海貝塚駅の近くやったから、
わいは水間鉄道で一つ二つ乗り外して、
シンゴ君の勉強部屋に寄っては、ようしゃべったもんや。
あの頃の娯楽といえば、映画かテレビ。
シンゴ君は「男はつらいよ」が好きで、
わいは「網走番外地」「唐獅子牡丹」派。
なんで急にそんなこと思い出したんか言うたら、
週末にテレビで「お帰り寅さん」をやってて、それたまたま見たからや。
シンゴ君はよう、渥美清の口調をまねして言うとった。
「私、生まれも育ちも葛飾、柴又。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎。人呼んでふうてんの寅と発します。」
それ聞くたび、
「いや、わいはやっぱり高倉健やで」
と反発したもんや。
けど今となっては、「寅さん」の世界はえらいもんやな。
笑いも涙も、人の情も、まるごと古典や。
高倉健ももちろん名優やけど、
「網走番外地」「唐獅子牡丹」を今見ても、
どこか遠い時代の風景に見えてまう。
同じ昭和レトロでも、
今でも通じるレトロと、ほこりかぶったレトロ。
その違いを、ようやく分かるようになった気ぃするわ。
それにしてもや、シンゴ君の慧眼には、いまさら脱帽や。
しかしシンゴ君、元気にしとるかな?
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2025年10月18日

員数合わせ

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「総理大臣選びは員数合わせではない!」
――どの口が言うてんねん。
高市センセイ、公明党にそっぽ向かれたと思たら、今度は維新を抱き込んで、何とか帳尻合わせようとしてはる。
これってつまり、員数合わせそのものやないかいな。
それにしても維新も維新や。
あれだけ「裏金・献金問題に厳しく臨む!」言うてたのに、いざとなったら目ぇつぶって政権側につく。
まぁ「きれいごと」より「政権とらな何もできへん」ちゅう現実なんやろけどな。
これで宿願の「大阪都構想」もまた動き出すんやろか。
それにカジノも2030年に完成予定や。
たしかに大阪は変わるやろけど――
悪い方に、やでぇ。
ほんま、かなわんなぁ思てた矢先、ニュースで耳にした。
村山富市さんが101歳で亡くならはったらしい。
村山さん言うたら、自社さ(自民・社会・さきがけ)連立内閣で2年間総理を務めはった。
あの頃、阪神・淡路大震災が起こって、二日経ってから現地入りしたら
「首相の来るのが遅い!」
と批判された。
けど、あの大混乱のさなかに首相が押しかけたら、よけいに現場が混乱したんとちゃうか。
後で聞いた話やけど、官僚も「訪問は日にちをおいて」と進言してたらしい。
なんや皮肉なもんやな。
少数与党で首相になって員数合わせに奔走する人が出てきたその日に、
“連立の象徴”やった村山さんが逝かはる。
――これもまた、政治の因縁ちゅうもんかもしれんで。
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posted by zen at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常生活