「副専攻を選択して、より広い視野を──」
細部の文言は記憶が定かではないが、概ねその様な趣旨の動きが大学にある。
もっとも「副専攻」という言葉は、大学関係者以外にはやや耳慣れないかもしれない。大学では、専門的な教育単位を「学科」あるいは「専攻」と呼ぶ。小中学校における「学級」に近い概念である。「副専攻を選択して」とは、学生が自らの専門分野に加え、もう一つ別の分野を学ぶことを奨励するものであり、専門分化が進みすぎた大学教育の反省に基づく施策と理解できる。
いわゆる「失われた20年」「30年」を経てなお、経済活動の停滞感がぬぐえない日本において、「学際的(multidisciplinary)な教育こそが閉塞打破の鍵である」との理念が、文部科学省主導で唱えられたのか、あるいは大学側の自己改革の発想から生まれたのかは定かでない。いずれにせよ、こうした副専攻制度や複合領域プログラムは、近年多くの大学で導入されており、時代の要請に応じた「画期的」な取り組みとして受け止められているようである。
しかしながら、私にはどうにも違和感が拭えない。
そもそも University の理念は、その語源である Universe が示すように、広い視野に立脚した教育と研究を包含することにあったはずである。であるにもかかわらず、「副専攻を設けて広い視野を養おう」と呼びかけること自体、すでにその理念が機能していないことの自己告白ではないか。言い換えれば、大学が自らの「大学たる所以」を放棄し、専門学校化、さらには職業訓練機関化の方向に傾斜している現状の表れとも言えよう。
無論、教育を理念論のみで論じるつもりはない。
実社会との接続や技術的即応力の涵養もまた、現代大学の責務であることは否定できない。しかし戦後幾度となく繰り返されてきた「教育改革」と称するものの多くは、結果として、大学を本来の意味での University から遠ざけてしまったのではないか。そう考えざるを得ない。
「副専攻を通じて広い視野を」と学生に促しながら、一方で「社会に即戦力を」と迫る。
この二つの相反する命題のはざまで揺れ動き、理念と実利の狭間で漂流している──。それが、現在の日本の大学の姿ではないだろうか。
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