2025年10月17日

昭和レトロ

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もう半世紀以上も昔の、私の初恋の話しや。
昭和レトロの高校生の初恋、今の若者にはピンとこんやろな。


南海電車、急行電車が動き始めた。
身動きもままならないのは、私たちだけではない。
電車が加速するたび、乗客たちが雪崩気味に押し寄せ、思わず身を寄せ合う。
私は進行方向側に立っていて、背中で人波を受け止めながら、彼女を守った。
「君は体が大きいから、頼もしい。この路線は痴漢が多いから助かるなぁ」
そう言って笑う彼女の声が、肩越しに柔らかく響く。
電車が定速に落ち着くと、私もほっと息をついた。
ふと気づけば、彼女がぴたりと身を寄せている。
その温もりが伝わってきて、心臓がやけに騒がしい。
「困ったなぁ」と内心つぶやいた瞬間、堺駅に近づいたのだろう、電車が減速を始めた。
今度は彼女の側から、押し寄せる人波。
私は反射的にその衝撃を受け止め、結果として彼女を抱きかかえるような形になった。
停車の反動で人々が後ろに戻っても、私たちはしばらく抱き合ったままだった。
ドアが開き、乗客が降りはじめてようやく、私は慌てて体を離した。
彼女はそんな私の狼狽など気にも留めず、
「本当に助かるわ、もう一駅、頑張ってお姉さんを守るのよ!」
と、屈託なく笑った。
その笑顔を見ながら、私は井上靖の『あすなろ物語』を思い出した。
私と彼女は、まるで鮎太と冴子のようだ――そう思うと、胸の奥が熱くなった。
堺から新今宮までの区間も、私は同じように“奮闘”した。
そして、新今宮で多くの乗客が降りてしまうと、ほんの少しだけ寂しくなった。
次は難波。南海電車から地下鉄への乗り換えである。
あの頃、地下鉄の改札にはまだ“もぎりのおばちゃん”がいて、
私は慌てて乗車券を買い、彼女と一緒にホームへ向かった。
地下鉄は南海電車ほど混んでおらず、車内には落ち着いた静けさが戻っていた。
やがて本町駅。
彼女は小さく手を振って降りていき、
私は一人、梅田へ向かう電車の中で、先ほどの温もりを思い返していた。
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2025年10月16日

オセロちゃうで

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自民党総裁になりはった高市センセイ、
何を思たんか知らんけど、裏金議員らに向かって
「みそぎは終わった!」やて。
つまるところオセロの白石並べるみたいに、
黒も灰もぜ〜んぶ白に塗り替えてしもうたようなもんや。
せやからその瞬間、四半世紀も連立組んできた公明党が
「それやったら連立、考え直そか?」と来よった。
そら怒るのも無理ないわ。
わての印象では、公明党が怒るんはむしろ筋やと思うで。
だいたいこの政権、参議院選に負けた責任を石破さんに押し付けて、
「総裁交代」で帳尻合わせしたけど、
負けたんは石破さんのせいやない。
最大の原因は、あの裏金問題や。
それを「選挙でみそぎ済んだ」言うて、
黒に近い灰色のセンセイ方を堂々と要職に起用しよる。
ほんま、どの口がそんなこと言うとんねん、やで。
オセロやないねん。政治やで。
それにな、もうひとつ呆れたのが、
「ミゾウユウ」ちゅう迷言を残しはった元総理を、
なんと副総裁・副総理に“ご栄転”や。
しかも派閥はそのまんま、いまだに健在。
いったい何様のつもりやろなぁ。
これで「解党的改革」や言われても、
どの口が言うとんねん、って話や。
ま、オセロの駒はひっくり返せても、
国民の記憶はそう簡単には白うならへんで。
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2025年10月15日

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こんばんは、天邪鬼爺ですわ。
リンカーンがな、ええこと言うてはった。
「人間、四十になったら自分の顔に責任を持たなあかん」──
せやけど、あれ、よう考えたら難儀な話やで。
四十どころか七十越えても、
自分の顔に責任取られへん人、ようけおる。
まぁ顔っちゅうもんは、ええも悪いも
その人が生きてきた“跡”みたいなもんやからな。
シワも、口のへの字も、みんな履歴書や。
せやけど、面白いことに、
初対面で「あ、この人ええな」思う瞬間て、あるやろ?
顔の造りいうより、空気の合い方や。
“馬が合う”っちゅうのんは、顔の筋肉と心のクセの波長が
たまたま合うんかもしれん。
で、思うんや。
「顔に責任を持つ」いうんは、
他人から見ても“この人の顔、よう生きてきたな”
と思われる顔になれっちゅうことなんちゃうか。
ええ顔は、化粧でもマスクでも誤魔化されへん。
その人が出してきた“空気”が出る。
──せやけどな。
恋いうもんは、理屈通りにはいかん。
一目惚れちゅうのは、あれ、もう説明不能や。
「フェロモンがどうのこうの」言うてもな、
たぶん、匂いやのうて“魂の湿度”が合うんやと思うわ。
せやから、わてはもう最近、
顔見たらその人の“歩いてきた天気”が分かる気ぃがしてな。
晴れの日ばっかりの顔もあれば、
えらい嵐越えてきた顔もある。
どっちもええ。
ただ、自分で選んだ道なら、
その顔には責任、持たなあかんわな。
……さて、明日の朝、鏡見てビックリせんように、
今夜はちょっと早よ寝るとしますか。
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2025年10月14日

私の雷観測の原点 4

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1986年から大阪大学に移る1989年までの約3年間、私は野外観測の実施に備えて訓練を重ねる一方で、観測装置のディジタル化を進めていた。さらに国際会議への積極的な参加を通じて、国際的な認知度の向上にも努めた。
たとえば1987年には、ドイツ・ブラウンシュバイクで開催されたISH、イスラエル・テルアビブでのURSI総会に出席し、翌1988年にはスウェーデン・ウプサラでのICAEに参加している。
テルアビブでは、その後いろいろな意味で私に多くを教えてくれることになる米国NSSLのブラッド氏と、またウプサラではカナダ・マクマスター大学のチャン教授と親交を結ぶことができた。これらの出会いが、私の大気電気学研究者としての方向性を決定づけたといってよい。
テルアビブの会場では、身の丈2メートルはあろうかという大柄なブラッド氏から、いきなり
「I am sure you are Dr. Kawasaki!」
と声を掛けられた。驚く私に対して、彼は続けて
「1985年のパリICOLSEの晩餐会で、同じテーブルだったじゃないか。」
と笑顔で語りかけた。私はすっかり忘れていたことに気づき、大いに恐縮したものである。
余談ながら、ブラウンシュバイクではガウスの銅像を目にし、深い感銘を受けた。
さらに1988年には、中国科学院によるロケット誘雷実験に参加した。成果そのものは得られなかったものの、このとき、後に私の初の博士号取得学生となるダオホン君と出会うことになる。彼は私が指導した工学博士第一号である。
ともかくこの三年間の間に、電界変化波形測定の広帯域化とデジタル化を成し遂げ、私は大阪大学工学部電気工学科に籍を得たのである。
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2025年10月13日

私の雷観測の原点 3

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1986年は、名古屋大学・空電研究所の「大気電気研究グループ」にとって、まさにディジタル化元年ともいえる節目の年であった。
一方、そのわずか三年後には、空電研究所が太陽地球環境研究所へと改組されることになった。その結果、助教授のトシオ先生は私立大学の教授に、ミノルさんは名古屋大学工学部電気工学科を経て豊田高専の教授に、そして私は大阪大学工学部の講師として転出することとなった。研究体制が整い始めた矢先の出来事だけに、何とも皮肉な結末であった。
ちなみに、私が「干渉計」について本格的に学ぶきっかけとなった「太陽電波グループ」は、野辺山の国立天文台にそのまま移転した。しかもポスト付きでの移転である。早い話、研究所の改組とは椅子取りゲームのようなものであり、我々「大気電気研究グループ」はその椅子を奪われた、というのが正直なところであった。
それにしても、後になって最も不愉快だったのは、私が大阪大学に移った直後。
「空電研究所には、大気電気研究、つまり雷放電の研究は不要です」
と、我々三人を追い出した張本人である某国立大学の教授から、こう声をかけられたことである。
「河崎さん、雷放電の観測を山形県酒田市で行うのですが、ご一緒にいかがですか?」
私は何食わぬ顔でその誘いを受け、参加した。
この皮肉な再会の顛末については、また別の機会に詳しく触れたいと思う。

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2025年10月12日

私の雷観測の原点 2

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それまでの雷観測といえば、データレコーダーを用いて、雷放電に伴って放射される電磁界を記録するのが主たる手段であった。帰還雷撃の速度を光学的に測ろうという試みも、フォトダイオードの出力をデータレコーダーに記録する方法が一般的だった。
その頃、デジタルオシロスコープが実用化され、空電研究所でも導入が始まっていた。光学観測の記録をオシロスコープでディジタル化し、ノブユキ君や私が解析を行ったのが、ディジタル処理への第一歩であった。
さらに数十キロ以上も離れた二地点で電磁界観測を行うには、記録のディジタル化なしには現実的に不可能であり、その希望を研究室の技官であったマサヒロさんとヒロシさんが実現してくれた。こうして伊根町と美浜町の二地点観測に踏み切ることができたのである。
1986年当時の狙いは、美浜町周辺での落雷による電磁界を伊根町で観測すれば、海上を伝搬してくるため、波形の立ち上がりが鈍ることはないだろう――そう考えたからであった。
前年、私はスウェーデンに一年間留学しており、そこで知り合ったスリランカ出身のバーノンさんが、長距離地上伝搬によって落雷電磁界の立ち上がりが緩やかになるという理論計算を行っていた。その検証の意味もあって、実際の観測で確かめたいと考えたのである。
結果として波形の立ち上がり検証には至らなかったが、冬季の落雷が放射する電磁界成分の特徴を明らかにするという思わぬ成果が得られた。そしてこの成果が、我々のグループが観測装置のディジタル化に本格的に傾倒していく契機となったのである。
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2025年10月11日

私の雷観測の原点 1

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丹後半島の小さな漁港・伊根町蒲入(京都府与謝郡)から南へ数キロ、宮津側に戻ったあたりに本庄地区がある。かつて、そう40年も昔、お世話になった,蒲入分校の本校にあたる、伊根町立本庄小学校のある地区だ。
(今でもあの分校は残っているのだろうか、とふと気になるなぁ。)
その小学校の隣には、浦嶋神社という神社がある。
名前からも想像できるように、あの浦島太郎伝説にゆかりのある神社で、本庄浜の近くでは「太郎が亀を助けた浜」として伝承が残っている。
浦島伝説は日本各地に伝わるが、この地もその一つらしい。
当時、私はこの浦嶋神社で亀の木彫りを買ったことを覚えている。
一方、北へ数キロ進めば丹後半島の先端、経ヶ岬(きょうがみさき)の灯台がある。
1980年代にリメークされた映画『喜びも悲しみも幾年月』の舞台として知られる灯台で、撮影は私が観測を始める前年に行われたという。
この地で私は1986年、87年の二年間、雷観測を行った。
この観測こそが、後に多地点観測へと発展していく私の研究の原点である。
空電研究所の主たる観測地・福井県三方郡美浜町からは車で4〜5時間もかかる遠隔地で、当時はまだGPSが実用化される前。
時間同期の取れた多地点観測は、決して容易ではなかった。
宮津から丹後半島を北上して蒲入に至るまで、私の運転では優に二時間を要したが、地元の人は「一時間で行ける」と言う。
結局、最後までそのスピードでは走れなかった。
それから数年後、電力会社の支援でSAFIRを稼働させた際、この地域にある太鼓山の頂上に20メートルほどのポールを立て、VHFアンテナを設置した。
その経験が大いに役立ったことを思えば、あの頃の苦労も無駄ではなかったのだろう。
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2025年10月10日

ノーベル賞文学賞

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1964年10月10日 東京オリンピックの日あの日の青かった空テレビで見たの覚えてるで!

村上春樹さん、今年もノーベル文学賞もらえへんかったなぁ。
もう候補者いわれて二十年は経つやろ。
同じ日本人として、そら残念な気ぃもする。けどまぁ、しゃあない。
わても四十歳ぐらいの頃は、春樹の小説よう読んだもんや。
月並みな言い方になるけど、たしかに「おもろい」作家や。
せやけどな、その“おもろさ”っちゅうのは、どっちかいうたらエンタメ的なもんやねん。
読みやすいし、想像も広がるけど、「文学」いう意味では、
どうも浅う感じてまう。
せやから五十歳になる頃には、あんまり手ぇ伸びんようになった気ぃするわ。
同じ作家で言うたら、宮本輝さんのほうが、作品に深みあると思う。
たぶん英語に訳されても、あの“間”とか“情”は伝わらんやろな。
日本人やからこそ沁みる部分や。
そやからノーベル賞いうても、
「普遍的や」っちゅう観点では、ちょっと違うんかも知れへん。
西洋の人には、あの日本語の行間の呼吸は分かりにくいやろ。
浅田次郎さんなんかもそうや。
情の機微や人情の温度、あれはアルファベットの国では伝わらん。
せやから文学賞は、世界の評価やのうて、
「その国の言葉が持つ世界観」への理解の深さやと思うんや。

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2025年10月09日

ノーベル賞化学賞

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ノーベル賞の化学賞に、北川さんが選ばれやった。
気安う「さん」付けで書かせてもろてるけど、別に知り合いちゅうわけやない。
せやけど、ほぼ同年代やさかい、なんや他人事や無いような気分になるな。
「わても受賞対象の年代になったんやなぁ!」
――そんな感慨、いや、ちょっとしたやっかみも混じっとるけどな。
さて、その北川さんのコメントや。
生理学・医学賞の坂口さんとおんなじように、
「最初の頃は誰も見向きもしてくれなかった。むしろ否定された」
というてはった。
せやからちゅうわけやないけど近年のノーベル賞に比べて、どちらも“根っこの研究”やと思えてならん。わての趣味で言うたら、今年の生理学賞も化学賞も――
拍手喝采、「これぞノーベル賞!」や。
最初は否定された、ちゅうんはつまり、
同業者ですら、すぐには理解できへんほど深い洞察があったっちゅうことやないかな。
岡目八目ながら、そう勝手に解釈してるんや。
それにしても、日本の研究者今年はすでに二受賞。
文学賞の発表は明日やったかな。
毎年のように候補に名前のあがる村上春樹さん、今年はどうやろ?
個人的には平野啓一郎さんが好きやけど、まだお若いし、
あと10年ぐらい先やったら可能性あるかもしれへん。
余談やけど、北川さんの研究の原点は東大阪の近大やちゅう話や。
せやったら、愛弟子の近大教授のタケシ君、今ごろ大喜びしてるんとちゃうかなぁ。
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2025年10月08日

ノーベル賞生理学医学賞

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一昨日のことや。
今年のノーベル生理学・医学賞を、日本の坂口さんちゅう人ら三人が受章しはった。免疫の「T細胞」を制御する仕組みを見つけはったんやと。いろんな応用が考えられるらしいけど、坂口さんが研究をはじめはった頃は、まわりの反応は冷ややかで、
「そんなもんあるんかいな?」
という空気やったそうや。せやから論文投稿しても、なかなか、そう20年程は採択されへんかったとか。
坂口さんの奥さんもお医者さんで、愛知県のがんセンターで知り合うて、結婚してからは一緒に研究してはるそうや。共著論文もあるっちゅうから、まさに夫唱婦随やなぁ。
わての趣味で言わせてもろたら、この受賞は久々に“本質を突いた”研究で、ノーベル賞らしいノーベル賞やと思う。まぁ、わてには縁のない賞かもしれんけどな。
一昨日テレビの報道で「大阪大学の特任教授・坂口さんが──」と聞こえたもんやから、「やった!」と喜んだんやけど、よう聞いたら京都大学の卒業で、定年してから阪大の特任教授をしてはるらしい。奥さんも阪大の研究員やそうで、今でもご夫婦で一緒に研究してはるっちゅう話。ほんまに羨ましい限りや。
わては「特任教授」ちゅうポスト、あんまり好きやないんやけど、今回の坂口さんみたいなケースやったら大歓迎や。
それにしても、一昨日わてはちょうど阪大吹田キャンパスにおったもんやから、「もしかして会えたかもしれへんな」と思うと、なんやちょっと残念な気ぃしてる。
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