2020年04月30日

卯月晦日

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2020年卯月四月も晦を迎えた。
当然ながら、コロナウィルス騒動は終わる筈もない。
今朝のネット新聞によれば
「ワクチン実用化までに、一年から一年半か?」
という見出しが。
同じく昨日のネット新聞では、大阪大学の微生物研究所では、今すぐにでもワクチンの検証を始めるといった内容の記事もあった。これは多分記者さんの希望的観測なのだろう。
私はといえば、在宅勤務が原則で、何度も書いているように、夕方の一時間超の散歩と、日中の住宅付近の10分程度の散歩以外は、蟄居・禁足を原則守っている。例外的に月曜日には地元の超市早い話スーパーマーケットに買い物に出かけたけれど。ちなみに店頭ではかなり長い列ができており、身分証明書の提示が求められ、検温をされ、異状なしと判断されて初めて入店を許されるといった具合。あくまでも、他人との距離を十分とるように、との配慮がなされている。まあ売り場内での行き来には、思いのほか接近したりすることもあるとはいえ、すれ違い時には原則互いに譲り合うことが多い。
東京でも、入店制限をといった要請がなされていると聞くが、店内はどうなんだろう。この国シンガポールのように、譲り合っているのだろうか?今朝のニュースでは、日本の緊急事態宣言もう一か月続くとの報もある。蟄居・禁足生活に、我慢しきれなくなっている人も多かろう。おりしも10年前のテレビドラマが再放送されていて、コレラ禍の江戸の町を取り上げていた。江戸時代当時は、コレラ菌が見つかる以前で、他人との距離をとる、疾病者を隔離する、疾病者には十分な水分補給をといったことぐらいしかできない状況で、それでもコレラの流行は収まっていた。新型コロナウィルスだって、現時点では効く薬ができていないのだから、他人との距離をとって、疾病者は隔離して、を守りつつ今は耐えるしかないのだろう。
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2020年04月29日

昭和の日

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きょうは、かつての天皇誕生日,そしてみどりの日となって、今日では昭和の日だったっけ・・・。
この祝日の趣旨を
「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」
としているとのこと。
私は昭和24年生まれ故、最初の3分の1は歴史でしか知らない。それでも
「大恐慌から、中国大陸への進出に伴う、中国との戦争から泥沼の太平洋戦争を経て、すべてを無くしてしまったに近い敗戦を経験したのが、1945年である。」
という歴史は、おおよそ知っている。
ところで私は、終戦の4年後に生まれたのだが、物心ついたころの思い出として、食糧事情の悪かった記憶は、かすかに残っている。食糧事情に限らず、停電もよくあったし、照明といえば電球だったから、家の中も今日ほど明るくはなかった。。昭和32,3年頃だったろうか、我が家の直管球の蛍光灯が点き、夜の部屋が明るくなったのは、子供ながらに驚きだった。とはいえ5部屋あった内の一部屋だけが蛍光灯だったに過ぎなかったのだが・・・。
丁度そのころ世間では
「もはや戦後ではない!」
といわれるようになり、しばらくして池田内閣の所得倍増計画が走り出した。昭和の日の定義でいうなら、これは復興時期であり、その後20年ほどの間に、世界中が驚くほどの発展を成し遂げたのである。オイルショックや、ドル安ショックを乗り越えてである。電子立国日本がもてはやされ、経済的には世界第二位にまで上り詰めたのが、昭和の時代なのである。
やがて昭和天皇の崩御があり、平成が始まった頃バブルが崩壊し日本は失われた10年、20年、そして30年をを経験したのが平成なのである。この間阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本大地震や、未曽有の洪水を何度も経験、そして今新型コロナウィルスの猛威で、世界大恐慌以来という事態を招きつつある。
話を昭和の日に戻せば、あの頃の「繁栄」をどう考えるか、ということなのだろうか?ニューヨーク・マンハッタンのほとんどのビルが、日本のものだったというあの時代、実は幻影にすぎなかったというのに。ただ元気、勢いのよかったのは事実である。
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2020年04月28日

濃厚接触の誤解

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シンガポールにきて七回目の春、ゴールデンウィークと縁が切れて7年ということになる。ただ今年は、日本も「禁足令」が出ているようだから、ゴールデンウィークならぬ、灰色週間になりそうな気配である。
マスコミ・報道で、何度も言われているように、現時点で我々の取ることのできるコロナウィルス対策は、
「他人との接触を可能な限り少なくすること!」
以外にはない。この件で最近見かけたネット新聞記事に、ある哲学者の言として
「濃厚接触」
という言い方が、
「『このコロナウィルスの伝染は、お色気サービスのある場所で伝染する。』といった誤った理解を、一般大衆に持たせるようになったため、人々は出歩くことをやめるようにはならなかった。それに輪をかけたのは、キャバクラでクラスター感染といった記事が数件あったことも、ある意味輪をかけた。」
と載っていた。
実際三月下旬の連休の頃は、さすがに場所を確保しての花見までは無かったろうが、花見の名所を訪ねてのそぞろ歩き客が多かったと聞いている。「ソーシャルディスタンス」というのに抵抗があるなら、「他人とは十分な距離をとって歩きましょう。」といえばよいものを、「濃厚接触は避けよう。」というものだから、キャバクラやバーなどに行くことさえ差し控えればということになったのだろう。まぁそれでも首相夫人は、どこ度のレストランの庭で花見をされたようだし、議員センセイの中には、キャバクラ通いをなさっていた方もいたようで、
「私は、感染しない!」
と、意味のない自信をお持ちなのだろうか?
いずれにしてももう一月、私自身も自制しなくては。
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2020年04月27日

コロナ禍は続く

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一昨日土曜日、日本人会まで出かけた。日本人会クリニックでの毎月一度の診療と、高血圧やコレステロールの薬を頂くためである。ちなみにコロナ禍対策のため、MRTやバス等の公共交通機関は使わず、往復ともタクシーです、念のため・・・。
担当のH医師とは最近すっかり親しくなり、血圧を測ってもらったり、聴診器を当てて貰ったりしながら、あれこれ四方山話をすることが多い。
ここ数か月は、当然のように主題は新型コロナウィルス禍となる。
H先生曰く
「肺炎だけで、容態が急変して亡くなる方がこんなに多いとは考えられませんねぇ。ウィルスが心臓にとりついて、心不全を引き起こすような何かがあるのかなと思いますが。」
とのこと。あくまでもご自身の理解というただし書きをつけながらの説明である。さらに
「実際感染していながら、気付いていない人は、報道されている数の10倍はいるのような気がします。」
とも仰る。そして
「月並みながら、出歩かないのが一番です。ワクチンができるまでは、それ以外の対策は有りませんねぇ。」
と、付け加えられていた。
私自身も、ここまで深刻な状況になるとは、予想していなかっただけに、今日時点で世界で280万人が感染し、20万人を超す犠牲者が出ていることは、驚きというより脅威である。
シンガポール同様、日本も禁足令に近い要請があるようで、今年のゴールデンウィークは、日本中在宅ウィークになるような勢い。テレビニュースで、今朝の新幹線自由席乗車率、0パーセントもあったというから、総理大臣や都知事の言う、人の出を8割減らすという目標、意外と達成できるかもしれないなぁ。
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2020年04月26日

夕方の散歩

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コロナウィルス禍で、自宅待機との生活が始まって3週間、単調な生活が続いている。ただそれならと、毎夕近所の公園までの散歩を初め、一昨日は雨が降ったため出かけることができなかったけれど、それ以外は律義に続けている。多い日には12,000歩、少ない日でも8,000歩は稼ぐから、帰宅時には汗びっしょりとなるほど、愛犬アリスを連れての散歩で、おおよそ一時間半。始めた頃は、大仰にいうなら息も絶え絶えといった感じであったが、二週間を迎え頃から、これが結構楽になった。連れ合いも
「歩くの速くなったとは言えないまでも、確実についてこれるようになったね!」
と、まぁ変な激励をくれる。当地シンガポールにきて七年を迎えているが、運動がかくも不足していたのかと、今更ながらの反省である。
さて同行のアリス、公園内の芝生を走るのが一番の楽しみらしく、散歩が習慣化した一週間目の終わり頃から、夕方になると行こう誘っているのだろう、ワンワンと吠えたてる。さらに実際、芝生での疾走は
「これが野生!」
と感心させるほどであり、買い求めた際の病弱だったことを考えれば、ある種の感激さえ覚える。ただ問題は、犬のくせに犬嫌いである点だろうか。公園までの路上で、向こうから歩いてくる犬を見かけると、尻尾を巻いて逃げようとする。中にはとても有効的な犬がいて、喜んで近寄ってきてくれるのに、拒絶反応たるや半端ではない。お婿さんを探してできたら母親にしてやりたいと考えているのだが、はてさて。
それからもう一つ。往路は多分走り回ることを期待しているからだろう、まだましなのだが帰路は見るも恥ずかしいくらい、びくびくしながら歩くのである。
「アリス、君は犬なんだからもう少し強くなりなさい!」
と激励するのだが、背後からジョギングの人が追い抜いたり、前方から何人か連れがやってきたりしたら、もはや足がすくんでしまうようなのである。
そんなわけで、我が家のアリスは、社会性限りなくゼロなのである。

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2020年04月25日

5年前の今日

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5年前の今日
ドローンが,首相官邸の屋根に落下していたと,NHKニュースで知った。
そのドローンに,放射性物質の容器が搭載されていたと聞いて,
「原子力発電再開に,反対する人が飛ばしたのだろう?!」
と推測していたら,昨夜警察署に出頭してきた男性が,その通りの供述をしたという。
ニュースの詳細は,ご常連様方にお任せするとして,私の気になったのは犯人を名乗る男性が
「福島の土・砂を容器に入れて飛ばした!」
と供述し,報道各社が
「人体には影響のない量ながら,自然界には無い放射能!」
と断定している点が興味深い。果たしてこの男性,福島県のどの地域で問題の土壌を採取したのか知らないけれど,これって4年前の原発事故の影響が福島県にはあるってことを証明していることにはならないか。となれば不謹慎な様ながら,この男性の企みがほぼ成功したことになるのじゃないか?人体に影響のない量という但し書きが付いたとしても,
「やっぱり!」
の印象はぬぐえまい。私は,マスコミ報道を手玉にとっての,確信犯とみているが・・・。
余談ながら,ドローン放射線騒ぎの同じ時期に,東京都の児童公園地中に,同じく放射性土壌が見つかったという。結果的にこの事,悪意の物ではなかったようで,保険所が掘り起こして撤去した模様である。

ふーんそんなことがあったんだ!
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2020年04月24日

思い出話 76

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あの当時、50年前には阪大電気系の3年生学生には、夏休み時の「工場実習」が課せられていた。今風の言いようならインターンシップということになろうか。
この年の学生担当教授は、またまた例のN教授で、
「河内の善やんは、どこに工場実習行きたいんや?電電公社か、それとも通信機メーカーか?」
と、名指しで私に尋ねたのは、工場実習実施の説明会であった。
G君と私は若干悪乗りして、
「放送局がいいですね。放送は通信技術の寄せ集めでしょうから。どうせならNHKの北海道支局に行ったみたいなぁ。」
と返事をしたところ
「北海道支局は無理かもしれへんけど、交渉してみてみるわ。しかし放送に目をつけるのは、なかなかのもんや。」
と、予期していた以上の反応であった。私達は、当然却下されると考えながら、北海道支局なんぞと無茶ぶりしたと自覚していただけに、意外であった。
ただ一二週間後に呼び出され、
「善やん、北海道はやっぱり無理やった。NHKなら東京の技術研究所というのもあるけど、そこはK君が先に手ぇ上げたからなぁ。どや、この際朝日放送にするか。夏の甲子園大会もあるし、いい経験ができるでぇ!」
ということで一件落着。G君と私は夏休みの前半を、朝日放送に通って過ごすことになった。放送局の場合工場実習というより、インターンシップそのもので、早稲田大学からアナウンサーとしての就職の決まっていた、M君という一学年上の学生を加えた三人が実習生であった。ただ最初の数日間は三人ひとまとめであったが、甲子園の大会が迫ってくるとG君と私は、高校野球中継の準備に借り出された。半世紀も昔のことで、テレビカメラも大きくかつ重かった。そんな重いカメラをカメラマンが銀傘の上にまで肩に担いで上るというのを、地上にいてケーブルを手繰ったり送ったりして手伝った。今日なら無線で片手に入るほどの大きさで、なおかつ性能がはるかに上のカメラができていることを考えれば、炎天下でのあの時の苦労はなかなかのものであった。
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2020年04月23日

思い出話 75

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ゴールデンウィークが明けると、工学系の学科らしい通信工学実験が始まった。実験課題は八項あり木曜の午後の時間帯、実験はおおむね午後四時までかかった。中には短時間で終わるのもあっけれど・・・。そしてそのレポートは翌週の水曜日夕方までに提出と決められており、実験に参加してレポートを期限内に出せば、原則単位は取れるという風に聞かされていた。一斑は確か5人構成で合計八班があって、順番に課題を回るのだが、一つ前の班にU君という、めったに講義に顔を出さないというつわものがいた。実験の単位だけは、落とすわけにはいかないと知っている筈なのに、全く頓着しない風で、レポートは同じ班の友人と私達が「代筆」したというのが実際のところであった。私達の班が手伝ったのは、出席番号が近かったのと、前の週に私達のやった実験を、U君の班が一週遅れで実施するので、あれこれ実験結果を使いまわせたからであった。
U君に関しての後日談。60歳を前にした同期会に、U君が出席した時のことである。互いの名刺を交換したところ、某大メーカーの工場長という肩書で、
「おい、おいほんまか?冗談やろう!」
と、同級生の大半がいぶかしがったが、名刺に嘘のある筈もなく、本人が訥々と語ったところによれば、
「会社に就職して、アンテナの部署に配属されたので、真剣にアンテナや電波伝搬の勉強をした。大学四年間は本当に遊びまくっていたからだろう、自分でいうのもなんだが、乾いたスポンジが水を吸うように、知識が身に付いた気がする。東京タワーの放送用のアンテナは入社何年目かに、僕が設計した物なんやで!IEEEのMTT にも論文として掲載されたねんで。」
ということであった。これこそまさに君子豹変すである。
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2020年04月22日

思い出話 74

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私の二十歳の旅立ちは、日曜日の午後であった。
万年カレンダーで調べてみるに、多分4月11日日曜日だったことになる。というのも翌日が月曜日で、一時限目からの講義を、いまだに覚えているからである。
R 君は下宿の部屋を見て
「十畳もあるんか、広いのう。せやけど安普請やなぁ。隣の声が聞こえるやんけ!」
と、感心していた。
私達はそんな部屋に、整理ダンス、洋服ケース、やぐら炬燵それに布団を運び込み、そしてR君は
「今から帰ったら、暗うなる前に木積につかしょ!」
といって、私にねぎらいの言葉をかけさせる間もなく、そそくさと帰っていた。
私はそのそっけなさに、拍子抜けしたけれど、
「あれがR君の友情表現の仕方やもんなぁ。」
と、一人合点していた。
しばらく大の字になって畳の上に転がっていると、数日前に転居を終えていたG君がやってきた。
「善さん、今着いたんか?晩御飯6時からやけど、この下宿、学食と同じ経営者や。昼飯と晩飯おんなじ味やでぇ。昼の売れ残り晩飯に回してるちゅう噂もあるで。」
が第一声で、ある意味貴重な情報であった。その日の夕飯は、G君と一緒に下宿の食堂で摂ったけれど、日曜日の夕方だけにあまり人を見かけなかった。書き忘れていたけれど、この下宿、下宿人200人程度とべらぼうに大きい下宿で、一番の取り柄といえば、その大浴場であったろうか。
翌日の一限目、G君と私は大教室の「電気計測」の講義を受講に出かけた。電気系三学科の共通科目で、必修科目であったと記憶している。ただその講義担当は、電気工学科のN助教授で、学生から見てもまるでやる気のない講義で、すっかり興覚めであった。
「講義なんか受けても分からない。自分で勉強してほしい。単位だけとればいいから。」
というのが、開口一番。教科書もおざなりに熟すだけで、一回目の講義から興味を無くしてしまった。多分G 君の印象も同じだったのだろうと、理解している。
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2020年04月21日

思い出話 73

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二年生後期の定期試験が終わって、長い春休みを迎えた。半年以上続いた自宅待機による講義の遅れは、残りの一年半ですっかり取り返していた。そして大阪大学工学部は、とりあえず平常を取り戻していた。私はその長い春休み中、家業のプロパンガス販売を手伝いながら、4月になったら下宿生活をしようと、思案を巡らせていた。
大阪大学工学部は、吹田万国博覧会場の北に隣接していたのは何度か説明してきた。さらに工学部に隣接して、万国博覧会の訪問客を狙ったプレハブ建ての簡易宿舎があり、万博閉幕を期に、下宿屋に模様替えをしていると聞いていた。友人のG君も
「善さんの水間からよりは少しはましやけど、毎日通うんはかなりしんどいなぁ!」
といい、この下宿屋が大学にも歩いて行けることもあって、私達はそこに下宿しようと決めた。偶然なことながら岸高、予備校と一緒だったS君(そのころは韓国名のH君)がすでにその下宿の住民で、私は何やら縁を感じたけれど、その後は急激に疎遠になってしまった。
私はまずおばあさんに、下宿したいと考えていることを告げた。私の家の本家筋の母の従兄弟が、早稲田大学に進学したものの、結局卒業することなく終わったという不名誉な経験がトラウマとなっていて、おばあさんは即座には納得しなかった。
「そんな昭和初期の古い話を言われても。」
と私は説得を試みたが、結局いつもの「親族会議」が開かれることになった。
伯母(母の姉)、私がおじいさんと呼ぶ祖母の弟、私がおばあさんと呼ぶ祖母の妹、それにおばあさんの息子のJさんが集まっての話し合いである。結論は恥ずかしながら
「善一郎も二十歳になったんやし、本家のMちゃんみたいなことにはならんやろう。」
と、一応主張が認められることになった。ただおばあさんは
「毎週末には、帰ってくること!」
と、その点だけは譲らなかった。私もその条件には異論がなかった。というのも、原則G君から週末には自宅に帰るようにする、と聞かされていたからであった。
そして4月、布団などは友人のR君が軽四輪トラックで、吹田まで運んでくれた。
R君の横に乗った私の、20歳の旅立ちであった。
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